しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:尾鷲土井竹林・伏線回収の旅

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 今回の旅も,帰りに駅弁を買って列車の中で食べることにしていたのですが,JR尾鷲駅にあったのは自動販売機だけで,売店すらなく,当てが外れました。時刻は午後4時過ぎ。尾鷲市街地の見どころはすべて見終えました。そこで,地図には街歩きを楽しもう,と書かれてあったので,夕食を取る場所をさがしながら,市街地をまわることにしました。
 ところがどうでしょう。食事をする場所もありません。「海の見えるこじゃれたレストラン」はとうの昔にあきらめ,どこでもいいやと,グルメ案内の地図ももらったので,それを頼りに街中を歩いてみたのですが,地元の人しか行かないような喫茶店,小さな居酒屋やカラオケと書かれたスナック,あるいは,高級そうなお寿司屋さんが2,3軒,くらいあるだけでした。しかも,そのほとんどは閉まっていました。それよりも目についたのは,廃墟化した空き家や,昔は店だった,と思わせる看板があるだけで今は人が住んでいないあばら家ばかりでした。

 お寿司屋さんは午後5時になれば開くようだったので,待っていればよかったのでしょうが,お昼に魚を食べてしまったので気が進まず,何とか見つけたのが1軒だけあった中華料理店だったので,そこで夕食を取りました。そして,JR尾鷲駅に戻りました。
 駅の時刻表を見てもわかるように,JR尾鷲駅を発着する列車は,1時間に1本もありません。次に来る列車を待っていたのは,車を持たない高校生ばかりのようでした。
 名古屋から尾鷲まで,今は,高速道路ができているので,車で行くなら2時間程度です。また,尾鷲市にも,国道42号線沿いには,全国チェーンの牛丼屋とかスーパーマーケットが1軒ずつあるので,車を利用する限り,不自由はありませんが,国道42号線を利用する車のほとんどは尾鷲市に寄ることもなく,目的地をめざして通り過ぎていきます。
 しかし,こうした姿は,尾鷲市だけのことではありません。日本という国は,大都会以外は,どこもこのような感じです。私は,こんな侘しい旅は嫌いでないのですが,もし,尾鷲市に住んでいたなら,3日で飽きるだろうなあ,と思いました。これでは,ますます,若い人は大都会に出て行ってしまいます。
 帰りの特急「南紀」8号は2両編成でした。

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CSS.

2024年1月8日午後6時10分。
中国宇宙ステーション「天空」が南の空を通りました。
New1ax


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 「三重県立熊野古道センター」から尾鷲市街地に戻ります。観光案内所でもらった地図に「正面に通称ムーミン島が見えるで」と書かれてあったので,どんなものかと,尾鷲港に行ってみました。
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 尾鷲湾の湾頭にある佐波留島(さばるじま)は,尾鷲市の行野浦から1キロメートル弱の距離に位置し,広さは4.65ヘクタールというから,46,500平方メートルなので,縦横200メートル強の広さです。
 島全域が暖帯性の常緑樹林に覆われていて,アオサギ,ゴイサギ,クロサギ,シロサギなどが数多く生息しています。
 佐波留島は,ムーミンが仰向けに寝ているように見えることから「ムーミン島」ともよばれています。
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ということですが,思ったよりも大きな島で,すぐにわかりました。
 しかし,私には,ムーミンというより,うつぶせに寝たスヌーピーのように見えました。

 次に行ってみたのは,尾鷲市天文科学館でした。場所は,標高50メートルの中村山の山頂にあって,「ふるさと創生事業」の1億円で作ったそうです。「ふるさと創生事業」というのは,1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)にかけて,国が各市区町村に地域振興と称して1億円をばらまいたバブル期の政策で,正式名称を「自ら考え自ら行う地域づくり事業」といいます。この国は無節操に税金を集めることにも熱心ながら,哲学もなくお金をばらまくことにも熱心です。昔から。
 このお金で金の延べ棒を買って顰蹙をかったところもあるそうですが,尾鷲市は市民からアイデアを募り,天文科学館を作り,口径80センチメートルのアスコ(旭精光研究所)製の反射望遠鏡を納入しました。しかし,こういう施設は,作ることはいいのですが,維持し続けることが大変です。実際,現在,天文台は週末だけ公開しているということですし,管理運営をしている人も次第に高齢となっているということです。特に,反射望遠鏡というのは,再メッキなどのメンテナンスが必要ですが,そうした費用は市の予算からは捻出できないと思います。また,今はアスコは望遠鏡事業から撤退してしまいました。
 天文科学館の中に入ることはできませんでしたが,高台にあるので,尾鷲市街地と尾鷲港が一望できました。

 最後に行ったのが,尾鷲神社でした。
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 尾鷲神社は,伝承では,701年から703年の大宝年間に,播磨国広峰山の広峯社より須佐之男命(すさのお)を勧請したのが創祀としています。また,紀伊続風土記では,伊勢神宮の神領で,、遷宮の際に豊受大神宮(=外宮)の神職が神事を執り行ったとあります。
 1707年(宝永4年)の宝永地震にともなう津波で尾鷲神社の本殿が流出したのですが,本殿の脇に立っていた大楠は生き残り,1966年(昭和41年)には腐った大樟の幹の空洞に火が入り、3日間燃え続けたのですが大樟は無事だったとあります。
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 尾鷲神社の樹齢100年以上の大樟は三重県屈指の巨樹で,夫婦楠とよばれ,幹回り10メートルの雄樟と幹回り9メートルの雌樟の巨木が5メートルほどの間隔で並んでいて,枝が重なり合ってひとつの樹冠を形成しています。
 雌楠の瘤こぶに触ると子を授かるという言い伝えがあって子宝授けなどの神木として親しまれています。
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 また,尾鷲神社本殿内の獅子殿には,総高33センチメートル,面長46センチメートルの木彫の獅子頭が安置されていて,「ヤーヤ祭」の最終日に御獅子出御の儀式で使用されるとありました。
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 「ヤーヤ祭」というのは,白装束の男衆が狭い通りで激しくぶつかり合う「奇祭」として知られる例祭で,豊漁と豊作を祈願するものです。300年以上前から続くといわれるこの例祭は2月1日から5日にかけて開催されます。
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 神の国日本では,こうした奇祭がいたるところにありますが,それぞれ少しずつ違うのが興味深いです。旅に出たとき,その土地に根づく祭りを調べるのも一興かもしれません。

 ところで,私が地方都市を旅するときにいつも興味があるのが,江戸時代にその町を治めていた殿様のことです。しかし,尾鷲市にはそれらしい形跡すらなく,殿様がだれなのかもわからず,城跡もありませんでした。そこで「三重県立熊野古道センター」に行ったときに聞いてみたら,この場所は紀州藩,ということでした。「あの和歌山城を居城とする徳川御三家の紀州藩だって!」紀州藩ってえらく広いのだなあ,と驚きました。「広いといっても山ばかりですからね」と言われました。
 紀州藩,侮れず。

ムーミンスヌーピー

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 「土井竹林」を見終えて,次は昼食です。尾鷲市は港町だから,おいしい魚が食べられると期待しました。イメージしていたのは,海岸沿いにあるこじゃれたレストランだったので,私は,そんな,空想上のレストランをめざして,国道42号線沿いを信号のある交差点まで歩いていました。信号を渡って,尾鷲市の市街地に行くつもりでした。が,信号の手前に「お魚いちば・おとと」という店を見つけました。
 「お魚いちば・おとと」は,いわゆる道の駅のようなところで
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 2013年(平成25年)の紀勢自動車道の延伸を見据え,2011年(平成23年)に名称に変更し店舗の改装を果たした尾鷲の玄関口にある「おわせお魚いちば・おとと」は,「地場の産品を提供し地域の皆さんに気軽に立ち寄ってもらえるお店」「地元に根ざしたものづくりを強く願う生産者を応援」「地元の観光・物産スポットと連携して情報を発信」の3つのコンセプトを掲げます。
 「おわせお魚いちば・おとと」は,水産会社「尾鷲物産」の直売所で,鮮度抜群の魚介類がお値打ち価格で並んでいます。「売り場に並ぶ魚はその日の海の気分しだいです」ということです。また,店内奥にある「おわせ魚食堂」もオススメ! で,とれたて地物魚介類や季節の日替わり惣菜,尾鷲物産自慢の魚が食べられるセルフスタイルの食堂が人気です。
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だったのですが,この時点では,そんなことはまったく知りませんでした。
 尾鷲市内には,もっとすてきなレストランがあるのでは? ここでいいのかな? という迷いがありましたが,これまでの旅の経験から,こういう機会を逃すとあとで後悔すると思ったので,食事ができるのならここですまそうと,海岸沿いにある(かもしれない)こじゃれたレストランのイメージを頭から消して,中に入りました。そして,「お魚いちば・おとと」の建物の一角にあった「おわせ魚食堂」で,一番いいものをと「地魚どんDX(デラックス)」を注文していただきました。
 これだけのものを,もし,お寿司屋さんで食べたら,かなりの値段です。こうして,新鮮な魚の食事を,今回もまた,期せずして食べることができたのですが,この選択は大正解でした。というのは,尾鷲市内には,海岸沿いのこじゃれたレストランどころか,このような昼食が食べられる店すら1軒もなかったのでした。

 昼食を終えて,尾鷲市街地に向かいました。市街地の中心に観光案内所があって,そこでレンタサイクルを借りることができることだけは調べてありました。観光案内所までは結構な距離がありましたが,歩いて向かい,中に入ると,私と同年代の女性の係員がいました。電動レンタサイクルを借り,地図をもらい,見どころを教えてもらいました。
 尾鷲市内には何もないけれど,ということで,すすめられたのが「三重県立熊野古道センター」でした。尾鷲市街地からは自転車で10分くらいかかりました。県立の施設ということもあって,立派でした。
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 木造建築等断面集積木材構造という世界初の技術で建築されたセンターの常設展示室には,熊野古道と周辺の歴史,自然,文化などの特徴や概要がわかりやすく展示されています。
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 私は,野本宮大社,熊野速玉大社,熊野那智大社の熊野三山はすべて車で訪れたことがありますが,熊野古道というのは,名前だけは知っていても,旧東海道や旧中山道,また,四国霊場八十八箇所のようなわかりやすさとは異なって,漠然としていて,あまり興味がありませんでした。また,ものすごく距離が遠く,しかも,坂道や登山道のようで,歩いてみようと思ったこともありませんでしたし,今もそうです。

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 古代から中世にかけて,熊野本宮大社,熊野速玉大社,熊野那智大社の熊野三山の信仰が高まり,多くの人々が熊野を参詣しました。現在では,田辺から熊野本宮大社に向かう「中辺路」(なかへち),田辺から海岸線沿いに熊野那智大社,熊野速玉大社へ向かう「大辺路」(おおへち),高野山から熊野本宮大社へ向かう「小辺路」(こへち)が「熊野参詣道」として世界遺産に登録されています。
 それ以外の熊野古道である「伊勢路」(いせじ)は,伊勢神宮から熊野三山へ通じる参詣道です。伊勢神宮から熊野速玉大社までの総距離は170キロメートルあります。
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というように,一概に熊野古道といっても多くの道があり,それらは,和歌山県,奈良県,三重県にまたがっていることから,それぞれの県が独自に自分の県にある熊野古道の案内をしていることもあって,私は,これまで,なかかなその全貌がつかめないのでした。
 今回訪れた「三重県立熊野古道センター」も,熊野古道センターとはいえ,ほとんどは,三重県に属する「伊勢路」に関する情報だけを提供している施設でした。そして,尾鷲市は「伊勢路」を歩く際の中継地点となっている町でした。しかし,「三重県立熊野古道センター」で解説映像や展示を見て,熊野古道全体についてもかなり理解ができたし,短い距離なら歩いてもいいかな,と思いはじめました。さらによかったのは,係の女性がとても親切だったことです。たくさん質問をしたのですが,わかりやすく教えてもらうことができました。

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 「土井竹林」は,JR尾鷲駅から直線距離ではほど近い国道42号沿いの西側にあります。
 紀勢本線は単線で非電化ですが,JR尾鷲駅のところは複線になっていて,駅舎は駅の東側,つまり,海側のみにあります。また,線路の西側,つまり山側には,線路に平行に国道42号線が走っています。そこで,「土井竹林」に行くには,まず,紀勢本線の線路を渡り,さらに,国道42号線を渡らなければなりません。しかし,線路を渡る踏み切りは駅舎から結構な距離があり,また,国道42号線を渡る信号もさらに遠い場所にあるので,かなり遠回りすることになります。
 おまけに,近くまで来ても,「土井竹林」へは,国道42号線に面した巨大なパチンコ屋の駐車場の奥にある狭い道に沿って行くことになるのですが,その道がきわめてわかりずらいものでした。なお,GoogleMapsで表示される近道は間違いで,通行止めになっていて行くことができません。
 パチンコ屋の駐車場を歩いて横切って,やっとのことで道を見つけて,その狭い道をしばらく進んでいくと,その先に手掘りのトンネルがありました。トンネルをくぐると,ついに「土井竹林」が出現しました。

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 「土井竹林」は,江戸時代からの林業家「土井家」が薩摩から移植した孟宗竹などの見事な竹林です。約4,000平方メートルにも広がる竹林には,直径30センチメートルはある大きな竹が林立し,静寂に包まれて,厳かな雰囲気を感じることができます。
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と,尾鷲市のホームページにあります。
 私には,子供のころの思い出の伏線回収。とはいえ,せっかく行ったのに,これ以上の感想をもち合わせませんでした。感動した,わけでもなければ,そこで感慨にふける,でもなかったのです。推理小説を読んで,犯人がわかったわけでもなければ,謎が解けたわけでもない,という感じなのです。というのも,尾鷲市には数少ない観光資源なのに,行き方が難しく,せっかく着いたこの場所は,荒れるに任せて…,という感じがしたことと,柵があるので,竹林を外から眺めることはできても,ドラマ「旅路」のように,中に入ることができなかったことで,寂しく,侘しくなってしまったからです。
 先日,偶然行った愛媛県大洲市の「おはなはん」のロケ地とは雲泥の差でした。当時,「旅路」は前作の「おはなはん」と同じくらいの人気を誇った朝の連続テレビ小説だったのですが,なぜか,いろいろな意味で冷遇されています。これでは,主役の日色ともゑさんがかわいそうです。

 ともかく,この旅の目的は達成できました。
 さて,この後は,帰りの特急「南紀」の出発時間まで6時間余りをきままに過ごすだけですが,はじめて来た尾鷲市がどういうところだろうかと,この時点では期待しました。
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 ところで,国道42号線を渡るときに通った十字路のもうひとつの道は私がトラウマになっている国道425号線でした。
 国道425号線といえば,通称「死にゴー」といわれる道です。国道425号線は,「ヨサク」といって親しまれて? いる国道439号線,国道418号線とともに,「日本三大酷道」とよばれているものです。国道439号線は四国地方にあって,私は,祖谷のかずら橋に行ったときに覚悟して走りましたが,思ったほどではありませんでした。また,国道418号線は頻繁に通るのですが,この道のほとんどは一般の舗装道路にすぎず,酷道とよばれるのは八百津あたりだけのことです。しかし,国道425号線は違います。全線が酷道なのです。
 私は,国道425号線が酷道といわれているとはつゆ知らず,以前,十津川村に行ったとき,地図上で見ると,近畿地方の山の中から海岸に出る近道と誤解して,何と,雨の日の夜にこの道を走り,恐怖におののいたことがあります。そのときは,結局,途中の下北山村で断念して国道169号線に進路を変えたので事なきを得たのですが,もし,そのまま走っていたら,無事に尾鷲市のこの場所に着いていたのならいいのですが,途中でどうかなっていたかわかりません。
 このくちゃくちゃこそが,海外旅行では決して味わえない日本を旅する底知れぬおもしろさだと,今の私は思っていますけれど,やはり,山奥を走るには下調べが必要だと痛感しました。

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 もう,一昨年のことになりますが,2022年10月20日から10月22日まで四国へ旅行をしたとき,高知市で開催されていたさくらサーカスを見損ねた,ということで,昨年2023年1月10日に,日帰りで再び高知市に行って,さくらサーカスを見てきました。
 そして,その1年後,今度は,2023年12月7日から12月9日まで紀伊半島1周の旅をしたのですが
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 すべてがうまくいった2泊3日紀伊半島1周の旅でした。しかし,ただひとつ,やり残したことができました。それは…。
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ということになりました。やり残したこと,それは尾鷲市で途中下車をしなかったことなのです。
 尾鷲市で行きたかったのは竹林でした。
 1967年に放送された,平岩弓枝作のNHK朝の連続テレビ小説「旅路」のロケ地であった竹林が長年私には強く印象に残っていて,「尾鷲=竹林」という伏線ができていたのですが,これまで行ったことがありませんでした。ロケ地であった竹林が「土井竹林」というところであることを知ったのは,最近のことでした。そこで,このところ,人生の伏線回収の旅を続けている私は,こりゃできるだけ早く行くしかない,という思いが募り,2023年12月27日水曜日に日帰りで行ってきました。
 なるべく早く,と思いながら日程と天候を調べていて,年末最後のジパング倶楽部が有効である平日で,しかも,予報では晴れてとても暖かな1日,というこの日に決めたのでした。

 紀伊半島1周をする前は全く無知であった列車事情にも,めっぽう詳しくなりました。
 今回は特急「南紀」で往復するのですが,特急「南紀」は通常1日に4往復しか運行しないので,行きは,JR名古屋駅午前8時2分発,JR尾鷲駅10時46分着の特急「南紀」1号,帰りは,JR尾鷲駅18時18分発,JR名古屋駅着20時49分の特急「南紀」8号の一択になります。この予定だと,尾鷲市滞在が7時間30分とたっぷりあるのですが,私の目的地は「土井竹林」だけだったので,あとは,予定も立てず,着いたら考えよう,というのんびりしたものでした。旅はこうでなきゃ。こういう旅は楽しいものです。
 数日前に家の近くのJTBに出かけて,ジパング倶楽部を利用して切符を買いました。特急の座席を指定するときわかったのですが,この日の特急「南紀」は,行きは4両編成,帰りは2両編成でした。2両編成でも空席だらけなのに,4両編成にして乗る人がいるのかな? と私は思いました。

 早朝,JR稲沢駅からJR名古屋駅まで向かいました。JR稲沢駅のホームで日の出を見ました。天気予報どおり,いい天気になりそうでした。
 JR名古屋駅で特急「南紀」1号に乗り込みました。前回同様,ほとんど乗客のいない車内は快適でした。特急「南紀」は,JR四日市駅までは関西本線を走り,そこから第3セクターの伊勢鉄道に入り,JR津駅でJR紀勢本線につながります。伊勢鉄道を借りて走らなければ,線路は「く」の字になって,「く」の字の頂点にあるJR亀山駅で進行方向を変えて走る必要があるので,ショートカットをする伊勢鉄道を間借りしているのです。私は通しの切符を持っているので問題ないのですが,そうでない場合,この区間だけ料金体系が複雑なので,車内で車掌さんが検札にきます。また,JR津駅から南はICカードも使えないというように,昭和時代のままの世界があります。
 東京や大阪などの大都会がどんどん発展しているのとは雲泥の差があります。日本は,都市圏を離れると,突如,発展途上国以下になります。
 やがて,定刻にJR尾鷲駅に着きました。尾鷲市は,想像以上に寂れたところでした。

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