しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

タグ:御嶽宿

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【Summary】
While hesitating to walk the old Nakasendō between Mitake, Ōkute, and Hosokute, I scouted by car. Oniiwa Park, famed for giant rocks and legends, and nearby Oniiwa Onsen offered quiet forest bathing; despite some ruins, a weekday stay could mean having the hot spring all to myself.

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 御嶽宿(みたけじゅく)は,江戸時代の中山道49番目の宿場で,願興寺の門前町として発達しました。尾張藩領で,人口約600人,家数66軒,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠28軒ほどありました。
 現在の岐阜県御嵩町(みたけちょう)で,町名が御嵩,宿場名が御嶽というように漢字が違うのは,歴史的な背景によるものだそうです。愛知県の清須市も同様で,もともとは清州町という地名でしたが,2005年に清州町,新川町,西枇杷島町が合併して清須市となりました。織田信長の清須城など清須は戦国時代の表記で,合併で新しい市になるにあたって清州町が他の町を吸収したように見えないようにという配慮によるものということです。

 さて,時折,旧街道歩きを楽しんでいて,これまでも,旧中山道は,御嶽宿から先と,47番目の宿場である大湫宿(おおくてじゅく)までは歩いたのですが,御嶽宿と大湫宿の間は歩いたことがありませんでした。大湫宿と48番目の宿場である細久手宿までは,約12キロメートルで,途中に琵琶峠の石畳があって,車での通行ができませんが,迂回することは可能です。また,細久手宿には,今も宿泊することができる,当時本陣であった有名な「大黒屋」が現存しています。
 そして,細久手宿から御嶽宿までも約12キロメートルあって,こちらも車では通行ができない箇所がずいぶんとありますが,車では迂回して行くことができます。
 いつか歩いてみたいと思っているのですが,なかなか実行ができません。さらに,クマ注意という立札があって,それもまた,歩くのを躊躇する理由になっています。冬眠する冬には,とも思うのですが,近ごろのクマは冬眠しないとか,これでは歩くことができる時期がありません。
 しかし,この魅力的な街道は,これまでに多くの人が踏破していて,ブログもたくさんあることですので,そちらを見ていただくことにして,軟弱な私は,前回書いた,和泉式部廟所を訪れたついでに足をのばして,車で様子を見にいってくることにしました。

 その途中にあったのが,鬼岩公園と鬼岩温泉でした。
 鬼岩公園は,かつては遠足などの行先となっていて,これまでに数回行ったことがあります。
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 鬼岩公園は,木曽川の支流である可児川の源流付近に位置し,花崗岩が数百万年にわたって浸食されてできた巨岩や奇石があります。また,秋は紅葉の名所となっています。近くに,鬼岩温泉があります。  
 この地を鬼岩とよぶようになったのは,1200年ころ,この地に住み,住民や東山道を行きかう旅人に悪行を行なった鬼・関の太郎が由来で,鬼岩以外にも,鬼の岩屋や討伐された鬼の首を埋めた鬼の首塚,太郎岩,まな板岩,首洗池などの名が伝説と共に残っています。
 鬼岩では,巨岩の間をくぐり抜ける岩穴くぐりが観光名物で,私もやったことがありますが,で2010年に閉鎖されてしまい,現在は,4月から11月の各月に4日間のみ岩穴くぐりができるそうです。
 しかし,これでは,鬼岩温泉もさびれます。
 私が訪れた日は,さすがに森林に囲まれた場所だけに涼しく,こりゃ森林浴にぴったりだとおもいました。廃墟となっている旅館もありますが,営業しているところもあって,平日に宿泊すれば,温泉ひとり占めもできそうなので,一度宿泊してみようか,と思いました。

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 御嶽宿から北東,つまり,江戸に向かうと,12キロメートル宿場がなく,険しい山道の峠越えになります。ここは今でも自動車道路がありません。その先が細久手宿,そして,大湫宿です。
 大湫宿から先は歩いたことがありますが,私の感覚ではJR中央線の沿線なので,まったく別の場所のような気がします。つまり,御嶽宿と細久手宿の間がタイムトンネルのような感じで,このふたつの宿場はまったく別の場所なのです。旧中山道沿いのこの間には有名な大黒屋という今も営業している宿屋があって,外国人にも人気です。私もいつか泊まってみたいものだと思っています。

 さて,私は,今回はその反対方向,西に向かって御嶽宿から伏見宿をめざして歩きはじめました。
 御嶽宿は願興寺の門前町として栄えました。28軒の旅籠があり人口は600人ほど,東に向かう険しい山道を控えて多くの旅人が逗留しました。
 御嵩町の立派な図書館の2階にこれもまた立派な郷土館がありました。なかなか充実した展示でした。こうしたものを見ると,その町の文化水準がわかりますし,御嵩町が旧中山道の宿場町としてのプライドをもっていることを実感しました。

 さて,ここからは県道341号線が国道21号線を取り巻くようにして並走したり吸収したりしていて,その道が旧中山道となります。その南には私が乗ってきた名鉄の線路も並走しています。
 旧街道沿いには,鬼の首塚とか一里塚とか願戸城跡とかいったもの以外,ほかに特に何があるというわけでもないのですが,のどかな道路に沿って歩きます。
 ずっと平坦なので,江戸時代はまわりに田畑が広がり,さぞ気持ちのよい歩きだったことでしょう。
 そのうちにやがて町が見えてきました。そこが伏見宿でした。伏見宿というのは明智町。しかし,明智宿とはいわず伏見宿でした。伏見宿は本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠29軒。もともとは間宿だったのですが,木曽川の渡しの場が移動して土田宿が廃宿となったために1694年(元禄7年)に新設されたものだそうです。新設された宿場は大きく発展することはなく,1848年(嘉永元年)に本陣をはじめ26戸を焼失する大火が発生しましたが本陣は再建されることなく明治維新を迎えました。
 伏見宿はペルシャ産のラクダが伏見宿内の旅籠「松屋」に滞在したという記録で有名な宿場です。オランダ商人が幕府にラクダを献上しますが,幕府は受け取りを拒否。ラクダは興業師にわたり,1824年(文政7年),興業師が病気になったために3日間伏見に滞在。このとき2,000人がラクダを見に集まったとかいうお話です。
 伏見宿は特になにもなく,旧街道の面影もそれほどなく,当時の宿場の中心あたりに中山道ゆったり伏見宿という休憩所があるだけでした。休憩所の中にはいると,初老の女性が番をしていました。お菓子をいただきコーヒーをご馳走になり,しばし休憩しました。

 もともとは,中山道ゆったり伏見宿からさらに西に8キロメートルほど歩いて太田宿に向かい,太田宿のある美濃太田駅からのJRの高山線に乗って岐阜を経由して帰るつもりでしたが,今回は明智へ寄り道するために変更して,南の方向に歩くことにしました。

 

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 先日,静岡県の旧東海道蒲原宿と愛知県二川宿へ行ったばかりですが,今度は,旧中山道の御嶽宿から太田宿まで歩くことにしました。
 旧中山道といえば,長野県というイメージがあるのですが,長野県から岐阜県,そして,滋賀県を通ります。ところが,愛知県に住む私には,岐阜県を通る旧中山道が謎に包まれていて,どこを通っているのかよく知りませんでした。そこで,この辺りを探索してみることにしたわけです。こうした旧街道歩きをしている人も少なくないのですが,書かれたものを読んでいても実感がなく,やはり自分の足で歩くに限るのです。
 いつも書いているように,だからといって日本に大して美しい風景があるわけでもなく,観光地でもないのですが,そうした場所を歩きながら昔の姿を想像するのも悪くないものです。なにせ,私の嫌いな人混みがないし,お金がかかりません。

 以前,旧中山道は岐阜県の土岐のあたりから北東へ落合宿までと,大垣市の北の赤坂宿から関ヶ原宿あたりまでは歩いたので,その間も歩いてみようと思いました。最寄りの駅を調べてみると,名鉄電車の各務原線,広見線と乗り継いで御嵩駅で降りて,そこから引き返す形で西に向かって歩くとよさそうでした。しかし,岐阜から西に走る名鉄電車のローカル線なんて,学生時代に鬼岩公園とやらに行ったっきりそれ以来乗ったことがありません。
 さらに調べてみると,どうやら旧中山道というのは,JRの高山本線と今回利用しようと思った名鉄の各務原線と広見線,そして,国道21号線にそって存在していたことがわかりました。
 私は寒いのは苦手でなく,むしろ汗をかかないので,冬は旧街道歩きにはもってこいなのです。
 そうしていろいろと調べているころ,今年はじまったNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公明智光秀にちなむところということで,明智荘と明智城を紹介していました。で,どこかなと地図を見ると,なんと私が歩こうと思っていた場所の近くではないですか。
 そこで,御嶽宿から太田宿まで歩くのを変更して,御嶽宿から途中の伏見宿,そこから南に旧中山道を逸れて,明智へ行ってみることにしました。
 しかし,こうした場所はテレビで取り上げられただけで多くの人が押しかけるので,ちょっとどうかな,という気持ちがなかったわけでもないのですが,まあ,平日のことゆえ,たいしたこともあるまい,と楽観しました。

 早朝,名鉄電車に乗って岐阜駅に着きました。ここで各務原線に乗り換えるのです。乗り換えたら急にローカルムード一杯になるのがまた,日本です。というか,周りが急に昭和にタイムスリップしてしまうのです。電車は各駅停車で,かつ,数えるのがいやになるほどの駅があるので,たいした距離でもないのに,いつ着くのか不安になるほどでした。
 私は岐阜駅から御嵩駅までの直通の電車があるものだと思っていたのですがそうではなく,途中,新可児とかいう駅で乗り換える必要がありました。しかも接続がわるく30分待ちでした。それに加えて,新可児駅からはICカードが使えない…!
 待ち時間にすることもないので,一旦駅を出て,近くの可児市の市民センターのようなところへ行きました。その建物のなかに観光案内所があったので地図をもらいました。

 やがて,電車が来たので乗車しました。車内には数えるほどの私のような暇な乗客が,どうやら明智を目指して乗っていました。私も帰りに明智に行くのですが,私の目的はあくまで旧中山道歩きであって,明智がブームだからそこに行くというミーハーではありません。というのは自己弁護です。
 さて,御嵩駅に着きました。このさびれた駅舎,最高でした。遠出をしたわけでもないのに,旅情たっぷりでした。御嵩の駅前から旧中山道の御嶽宿が当時のままの雰囲気で残っていました。これもまた最高でした。安藤広重の描いた「木曽海道六拾九次」では,御嶽では宿場の中ではなくその東の細久手宿から御嶽宿に至る街道沿いの木賃宿をモチーフにしています。木賃宿というのは薪代のみを支払い食事は自炊する簡易な宿泊施設のことです。囲炉裏を囲み旅の疲れを癒しながら談笑する旅人たちの会話が今にも聴こえてきそうな様子が描かれているといいます。この図柄のモデルになったと推測される場所は御嵩町謡坂ではないかといわれています。
 宿場の様子は,ほかのブログに譲ってここで詳しくは触れません。ともかく,私はいつもの通り,御嶽宿の端まで行って,そこから西に,次の伏見宿まで歩きはじめました。

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