しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:忽然と現れる江戸情緒

DSC_2935DSC_2936DSC_2934

 鵜沼宿から加納宿まで旧街道に沿って車で走ってみることにしました。ここは歩くと約17キロメートルあるので,4時間程度かかります。しかし,ずっと平地で,現在は国道21号線,JRの高山本線,名鉄の各務原線に沿っている市街地です。そこで,江戸時代のころは田んぼのなかを単調な道がつづいているだけの楽なところだったのだろうと思っていました。しかし,実際は,観光パンフレットによると次のような場所でした。
  ・・・・・・
 鵜沼宿の西は3里,12キロメートルにわたって「かがみ野」という場所で,ほとんど人家がなく,山賊が行き来する人々を狙っていたために,旅人にとっては恐ろしく難所だったようです。
  ・・・・・・
 現代の風景しか知らない私には意外でした。平地は山賊が出没し,山は険しい峠越え,川は川止めになるというように,当時の旅は過酷なものでした。

 また,鵜沼宿から加納宿までの旧街道は現在
  ・・・・・・
 この区間はほとんどが国道21号線やその旧道と重複しているため,往時の面影を求めようとするには非常に困難なものがあります。
 かつては「かがみ野」の原野を通っていたのですが,現在は交通量も多く,商店街などの街並みに変わってしまい,中山道の面影はほとんど残されていません。
  ・・・・・・
とあるのですが,走ってみるとそんなことはなく,家々の間を車がやっとすれ違えるほどの車幅の道が続いていて,明らかに旧街道だった雰囲気がしました。

 途中,新加納に間の宿がありました。カギの手になった場所や石造りの道標が残っていました。
 こんな長い距離,途中に間の宿があるのは当然か,と思いました。
 そうこう走っていくと,以前,歩いたことがある加納宿に到着しました。そのころ,その先に伊吹山が雪を被ってとてもきれいに見えるようになってきたので,その姿を追い求めてさらに走っていくと,いつのまにか墨俣まで来てしまいました。
  ・・
 コロナ禍以降,歩くこともしばらくなかった旧街道でしたが,今回,こうして行ってみて,また,歩いてみようかな,と思いはじめました。

DSC_2938


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_2933DSC_2928DSC_2926

 前回書いたように,鵜沼宿から東の太田宿までは登り坂で,うとう峠を越す必要があります。このあたり,以前歩こうとして地図で調べたことがあったのですが,よくわかりませんでした。そこで,今回,実際はどうなっているか,少し車で走ってみることにしました。
 うとう峠は観光案内には次のように書かれています。
  ・・・・・・
 「うとう坂」とよばれたこの峠道は難所で,(その先の)御嶽宿から細久手宿に向かう途中の「謡坂」と同じ名前ですが,こちらの「うとう」は謡うではなく「疎う」。きっと疎ましいほどの場所であったのでしょう。
  ・・・・・・
とありました。
  ・・
 現在,この急坂の途中までは団地として造成されていました。この坂の上の住宅は高級そうですが,私は,こんな坂の上に住むと老後がたいへんなのに,と思ってしまいます。車がないと出かけることもできません。
 それはさておき,団地の先は自動車が通れる道はありません。さらに奥は「日本ラインうぬまの森」とかいう公園になっていて,その先,旧中山道は木曽川まで石畳がひかれて整備されているようでした。 
 まあ,いわば,ここは各務原市の観光資源のようです。かつ,地元の人の散策コースなのでしょう。私は,またいつこの先の旧中山道を歩いてみたいものだと思ったことでしたが,今回はここまでです。

 さて,鵜沼宿に戻って,お昼をとることにしました。国道21号線と鵜沼宿の入口の交差点に小ぎれいな喫茶店があったので久しぶりに入ってみました。若いころは喫茶店もずいぶんと行ったものですが,このごろは行くこともなくなっていました。平日のお昼前なのに,けっこうなお客さんがいました。まだモーニングサービスをやっていたので,遅い朝食,といったところでしょうか。
 私も以前は新聞や雑誌を読むのが目的で喫茶店に入ったものですが,もう,私の世界では,そうしたものは存在していません。紙媒体の新聞こそ,デジタル版だけ購読するより「紙+デジタル」のほうが実は安いので,まだ家には届きますが,読むのはデジタル版だし,雑誌などは情報として価値が低いので書店に行っても全く読まなくなってしまいました。また,そうでなくとも,このご時世では,他人の読んだ新聞や雑誌など手に取るのも不気味です。しかし,店内では,さすがに20年以上前のように店内にはタバコの煙が… というものはなくなっていましたが,私が10年以上も前に目にしていた風景,つまり,モーニングサービスを頼んで,雑誌や新聞を読みふけっている…,というのがそのままありました。
  ・・
 こういうところを見ると,この国では,デジタル化,だとか,人工知能,だとかいったところで,何も変わらない世界が大半なのだということを思い知ります。喫茶店でなくとも,マクドナルドでも,座席でモバイルオーダーすればいいのに,注文カウンタの前でスマホ片手にずらりと並んでいる人がたくさんいて,私には??? 疑問が絶えません。これでは世界から遅れをとるはずです。日本はまだまだ昭和なのです。
 お店を出るとき,きっと現金しか使えないだろうと覚悟をしていたのですが,PayPayで支払えるのに,今度は逆に驚きました。レストランにある,空気の流れを妨げ汚いだけのアクリル板といい,この寒い季節に摂氏33度を示すだけで不正確で意味のない体温計といい,いつものように,やったふりばかりの摩訶不思議な日本。どうやら,私は,もはやこの国では生きていけないのかもしれません。

IMG_3430


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

52DSC_2911 (2)DSC_2903 (2)DSC_2904 (2)DSC_2913 (2)

 気が向いたときに旧街道をきままに歩いています。少し前に御嶽宿から西に太田宿まで歩こうと出発したのですが,途中で明智へ寄ったので,伏見宿まででした。その後,今度は加納宿から西へ美江寺宿まで歩きました。ということで,その間の加納宿から伏見宿までが未踏破となっていました。
 先日,国道21号線を走っていたときに鵜沼宿を見つけてそれ以来気になっていたので,今回,鵜沼宿あたりを散策することにしました。
 鵜沼宿からその次の加納宿までは約17キロメートルもあって,歩くと5時間ほどかかりそうです。その間は平地で,JRと名鉄が通っています。そこで,無計画に出かけて電車に乗りながら歩こうと考えていたのですが,コロナ禍でそんな気もすっかりなくなってしまい,今回は,鵜沼宿だけ行って,後は,車で旧中山道を加納宿まで走ることにしました。鵜沼宿は未踏破の加納宿から伏見宿までの間にあります。
  ・・
 なお,鵜沼宿から東の太田宿までは8キロメートルですが,ここは登り坂,うとう峠という難所があります。ここを歩く計画を立てていたのですが,これはあとまわしです。そしてまた,私は,坂は下るに限る,という信念? から,もし将来歩くときは太田宿から出発して鵜沼宿に到着するプランを立てることになるでしょう。

 さて,鵜沼宿です。
 旧街道はどこも昔のままであれば車がすれ違える程度の幅しかないので,車両が通行禁止だったりあるいは一方通行だったりするのですが,鵜沼宿はそんなこともなく,車で通行できました。そしてまた,駐車場も広く,無料でした。ということで,無料の駐車場に車を停めて,散策開始です。
 鵜沼宿に残っているのは4,5件の住宅だけなのですが,この住宅が宿場の雰囲気をよく残していました。また,脇本陣が建て直されていて,無料の博物館となっていました。
  ・・
 脇本陣の東にかつては本陣があったそうですが,持ち主が経済的な理由から売り払ってしまい,そこに分譲住宅が経ってしまっていました。宿場の保存計画がもう少し早ければそんなこともなかったのにと,博物館で説明をしていただいた係の人が言っていました。
  ・・・・・・
 鵜沼宿は日本橋から52番目の中山道の宿場です。
 江戸時代は尾張藩領で,南へ約2キロメートルの木曽川対岸に犬山城があります。 鵜沼宿には,神社や石造物,旅籠の面影を残す住宅などが残るものの,周辺の近代化が進んできたために,町屋館(旧武藤家住宅)の修復,脇本陣の復原,宇留摩庵の修復,景観重要建造物(古い家並や酒蔵)の保存改修などが行われ,せせらぎ水路の設置,電線の地中化,案内板の設置,道路の美装化や安全対策が図られ,往時を偲ばせる宿場町として再生されました。
 また,一里塚もかつては三箇所にあり,現在は,「山の前の一里塚」は岩の上に石仏が安置されているだけ,「六軒の一里塚」と「新加納の一里塚」は標識が残っているのみになっています。
  ・・・・・・
ということですが,歩いていると,なかなかいい雰囲気でした。
 私は,この国では,こうした風情がもっともこころが落ち着きます。

◇◇◇


◇◇◇
月,木星,土星,水星,
レナード彗星。

日没後の快晴の西の空。
月齢4.6の月。東方最大離角の水星。
その周りの惑星,そして,レナード彗星。
DSC_9881n


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

このページのトップヘ