今日の1番目の写真は,2月11日の夕方,日没前の西の空を写したものです。この日の日没後の西の空には,地平線近くに前日東方最大離隔を迎えた水星,そして,かなり高いところに金星が輝いていました。そして,2番目の写真は,2月19日の明け方,日の出前の東の空を写したものです。日の出前の東の空には,月齢24.9の月と,火星,木星,土星が輝いていました。月のあるあたりはいて座で,写真の構図からははずれていますが,火星のさらに右にはさそり座が見えました。
この2枚の写真を合わせると,太陽系の惑星のうち,水星から土星までがすべて写っています。さすがにこの写真には写っていませんが,1番目の写真の水星と金星の間には海王星もいます。残念ながら天王星は金星よりも高い高度にあって,写真の構図からははずれています。
地球の軌道よりも外側にある外惑星とよばれる火星,木星,土星は一晩中見られるのですが,地球の軌道よりも内側にある内惑星とよばれる水星と金星は太陽からある角度以上は離れないので,深夜には見ることができません。そこで,このふたつの惑星の写真を写そうと思えば,このように,夕方あるいは明け方の空ということになります。
夕方や明け方の空は,みごとな色に変化するので,とてもきれいです。そこで,そうした空に星が輝くのを見ていると時間が経つのを忘れますが,それもわずかな時間,夕方であれば暗くなってしまうし,明け方であれば,空が白んでしまいます。
夕日が沈むのや朝日が昇るのを見にいくことに人は惹かれるのですが,実は,夕日は沈む前も沈んだ後も,しばらくは美しい空の色の変化を楽しむことができます。それに反して,朝日は,日の出前,しかも,日の出の1時間ほど前の空の変化が最も美しく,日の出を過ぎてしまうとまったく美しくなくなってしまうのです。しかし,太陽が昇る1時間ほど前の東の空は,夕焼け以上にほんとうにすばらしいものです。それだけでも美しいのに,そこに,こうして,惑星や月があると,まさに,これ以上すばらしいものがほかにあるのだろうかという気持ちにさえなります。
この写真を撮った2月19日は,この写真を撮るわずか10分前はぎっしりと雲に覆われていて,ほとんど星が見えませんでした。しかし,明け方の空というのはあっというまに雲が消えたり現れたりするのです。そこで,日常生活で,朝起きて窓を開けたとき快晴であっても,その日に日の出がみられたかどうかはわからないのです。また逆に,星を見にいって明け方まで満天の星空が輝いていても,日の出を過ぎるとすっかり曇ってしまうこともよくあるのです。
私は,これまで,いろんなところに出かけたり,星空を見てきたりしましたが,どこに行くよりも,また,深夜に満天の星空を見るよりも,家の近くであっても夕方や明け方の空の変化のほうがより美しいと,このごろ思うようになりました。
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誰彼 我莫問 九月 露沾乍 君待吾
誰そ彼と われをな問ひそ九月(ながつき)の 露に濡れつつ 君待つわれそ
誰だあれはと私のことを聞かないでください 月の露に濡れながら愛しい人を待っている私を
「万葉集」巻10・2240 柿本人麻呂
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「誰そ彼」は「黄昏(たそがれ)」。日暮れ時は精霊の跳梁(ちょうりょう)する禍々(まがまが)しい時。人の見分けがつかないので「誰そ」と問うが,男が女の名前を問うのはプロポーズの意味ももっていた。名を明かすのはそれをお受けしますということ。
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阿加等伎乃 加波多例等枳尓 之麻加枳乎 己枳尓之布祢乃 他都枳之良須母
暁の かはたれ時に 島蔭を 漕ぎ去し船の たづき知らずも
暁の薄明かりの時に島陰を 漕ぎ去った船がなんとも心細く思えることよ
「万葉集」巻20・4384 他田日奉得大理
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夜明け前は「彼は誰(かはたれ)」。夜明け前も人の顔が判別できないので「あなたは誰」と問う。そんな「かはたれ」時に出ていく防人を乗せた船を不安げに見ているという歌。