しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:愛しきアメリカ

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 NHKBS1のMLB中継を見ながら,放送している都市の思い出を書いています。今回はミネソタ州ミネアポリス(Minneapolis)です。
 私がミネアポリスに行ったのは2012年のことでした。
 そのころの私は,アメリカ50州制覇をしたいと思いはじめたころで,その手はじめにとノースダコタ州へ行きました。まず,サウスダコタ州に着いて,ノースダコタ州をドライブして,その後,ノースダコタ州の州都であるビスマルクから空路,ミネアポリスに行きました。そして,ミネアポリスを観光して,ミネアポリスから帰国便に乗りました。
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 私は,すでに書いたように,2004年にモンタナ州ビュート郊外で交通事故にあって左足を骨折してアメリカの病院に入院しました。1週間後,日本の病院に転院するために,看護師同伴で帰国するときに寄ったのがミネアポリスの空港でした。そのため,ミネアポリスは,私には甘酸っぱいところでしたが,今度は自力でミネアポリスの空港にやってきて,懐かしさとともに当時のことをよき思い出として振り返ったわけです。

 さて,ミネアポリスは,その西側に同じくらいのセントポールという都会があって,このふたつの都市をふたごの意味でツインシティーズといいます。そこで,ミネアポリスにホームをもつMLBのチームがミネソタ・ツインズです。
 スタジアムはターゲットフィールド(Target Field)です。
 2009年までは,ヒューバート・H・ハンフリー・メトロドーム(Hubert H. Humphrey Metrodome)をホームとして使用していました。このドームを手本にしてつくられたのが東京ドームです。屋根の開かないドーム,かつ,人工芝という不人気スタジアムでしたが,老朽化,屋根が墜落するという事故まで起きて,新スタジアムを建設することになりました。
 ターゲットフィールドは,天然芝の屋外球場で,これによって,人工芝を使用しているのは,私がすでに酷評したトロント・ブルージェイズのロジャーズ・センターとタンパベイ・レイズのトロピカーナ・フィールドのみとなっています。

  ターゲットフィールドがあるのは,ミネアポリスのダウンタウンから気軽に歩いていくことができる場所にあって,私はびっくりしました。銀座からJRの有楽町駅にいくような感じで,これほどアクセスのよいスタジアムを私は知りません。
 スタジアムの外壁は,ミネソタ州の各地で見ることができる少し黄色掛かった深みのある石灰岩「カスタストーン」(Kasota limestone)が使用されています。また,屋根はミネソタ州の大自然に浮かぶ雲をイメージしています。
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 ミネアポリスとセントポールは公共交通機関で便利に移動できるし,治安も悪くないし,ミネアポリスの空港はミネアポリスのダウンタウンまで電車で簡単にアクセスできます。また,空港の近くにはモールオブアメリカという商業施設もあり,さらに,東京からミネアポリスには直行便もあるので,日本からとても簡単に行くことができます。そこで,日本から行く学生さんのホームステイ先ともなっているのですが,問題は,冬がとても寒いということだそうです。私は夏にしか行ったことがないので実感がありません。
 また,ミネアポリスにはミシシッピ川で唯一の自然の滝 セント アンソニー滝(Saint Anthony Falls)があり,1800年代後半から1900年代後半までこの滝の水力を動力とした大きなミル工場がいくつもあったので,「ミルシティ」(Mill City)ともよばれます。「ミルディストリクト」は,現在は歴史地区となっていて,製粉工場や倉庫の建物がその姿を保存したままリノベーションされ,ミネアポリスきっての観光スポットとして多くの観光客が足を運ぶ地区となっています。

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 NHKBS1のMLB中継を見ながら,放送している都市の思い出を書いていますが,今回はテキサス州ヒューストンです。
 私がヒューストンに行ったのは2003年だから,もう20年近く昔のことになります。早いものです。ヒューストンといえばアポロ計画で宇宙船と交信を行った基地があることで,我々世代はなじみがある地名です。当然,ここにはNASAがあって,私も見学しました。また,テキサスはステーキのおいしい町。ということで,今最も記憶に残っているのは,ここで巨大なステーキを食べたことです。
 あるレストランの前で,私はこの店に入ろうかどうか考えていました。そこに,今,その店から出てきた男の人が,ここはおいしいぞ,今から紹介してやる,と言って,再び店に入って,私を紹介したのです。こうなれば入るしかないのですが。
 確かに巨大なステーキは美味でした。きっと今ならすごく高いと思うのでしょうが,そのころは日本よりアメリカの方がずっと物価が安く,そんなことは思いませんでした。

 さて,テキサスには,ヒューストン・アストロズとテキサス・レンジャーズというふたつのチームがあります。この旅で,私はそのふたつのチームのスタジアムに足を運び,ともに見ることができました。その中で,今日はヒューストン・アストロズのお話です。
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 テキサスは暑いことと虫が多いことで,屋外でのゲームには向いていません。私が行ったころは,テキサス・レンジャーズは屋外のスタジアムでゲームをしていましたが,さすがに不評で,現在は屋根つきのスタジアムに移転したようです。
 ヒューストン・アストロズのほうは,当初から屋根つきのスタジアムでした。
 現在は2代目のミニッツメイドパーク(Minute Maid Park)ですが,はじめは,1965年に建設された世界初の屋根つき「アストロドーム」をホームとしていました。
 子供のころ,アメリカでは野球場にも屋根があると聞いて,アメリカはすごい,と思った反面,フライが天井にぶつかるのではないのかな,と心配したことがあります。アストロドームは,当時ヒューストン・アストロズのオーナーだったロイ・ホフハインツ(Roy Hofheinz)は,古代の地中海世界にあった7つの驚異的建造物を指す「世界7不思議」を意識して「世界8番目の不思議」と形容するほど画期的なものでしたが,実際は,球場所有者のハリス郡に支払う高額の使用料が「世界9番目の不思議」と揶揄されたそうです。
 屋根の高さは,ベーブ・ルースが打ったとされる史上もっとも高いフライより高い208フィート,約63.4メートルになったそうです。しかし,天然芝が育たず,人工芝を世界ではじめて使用しました。さすがに老朽化には勝てず,また,天然芝屋外型球場への回帰が進んでいたことで,1999年のシーズンを最後として新しく作られた開閉式屋根を備え天然芝のミニッツメイドパークへ移転しました。

 ミニッツメイドパークは比較的小さくて,しかも屋根が閉まっていると反響が大きくて,その盛り上がりがすごいものでした。
 私が行ったのは,移転後3年目のことで,そのころは,タルの丘(Tal's Hill)といって,センターフェンス手前に傾斜30度の坂がありました。名前の由来は球団社長を務めたタル・スミスからきていました。この丘にはフラッグ・ポールが立っていたのですが,これではまるで草野球。インフィールドにこんなものがあっては危なくて,選手には不評でした。カルロス・ベルトラン(Carlos Ivan Beltrán)がFAになった際に「これを取り除かないとアストロズとは契約しない」と発言したといいます。ついに,2016年のシーズン後に撤去されました。
 また,ボールパークが駅の跡地であることにちなんで,外野左中間上方27.4メートルのところに蒸気機関車があって,ヒューストン・アストロズの選手がホームランを打ったときには汽笛を鳴らしながら約243.8メートルの線路を走ります。私も走るのを見ました。走り終わったらしずしずともとの位置にバックします。さらに,左中間に突き出たバルコニー風の立ち見エリアにはガソリンポンプがあって,ヒューストン・アストロズの選手が開場以来このスタジアムで放ったホームランの合計が表示されています。
 私が見たゲームは終了後も観客が席を立たないのでどうしてかと聞くと花火のショーがあるということでした。花火は日本とは違ってグランドに設置されたコンピュータ制御の無人の打ち上げ機から次々と発射されました。これにも驚きましたが,私が巨大な室内で花火を見たのは,このときだけでした。

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Harvest Moon 2022.

薄い雲が趣を添えました。
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 いつものように,見るでもなく見ないでもなく,テレビで流れるMLB中継。驚くのは,ロサンゼルス・エンゼルスが,前日までフロリダ州セントピーターズバーグでゲームをしていたのに,その翌日はカナダのトロントでゲームをしているということです。MLBの移動はまさに熾烈を極めます。
 フロリダ州セントピーターズバーグとカナダのトロントは距離にして約2,100キロメートル,車で移動するとアメリカを縦断して20時間,飛行機だと2時間44分で,この距離は,札幌市と鹿児島市に相当します。前日のゲームが延長戦だったらどうなっていたことでしょう。
 ということで,前回書いたように,現在,MLBでカナダにある唯一のチーム,トロント・ブルージェイズのズのホームであるロジャーズセンター(Rogers Centre)は,オークランドアラメダカウンティコロシアム,トロピカーナフィールドの次に位置する,メジャーリーグファンの選ぶワースト3のスタジアムだといわれています。
 しかし,テレビ画面を見る限り,かなり豪華なスタジアムであり,観客の入りも悪くなく,また,雰囲気もとてもよいところです。

 私は,1997年にここに行ったことがあります。当時はスカイドーム(Sky Dome)といいました。
 ロジャーズセンターは,世界初の可動式屋根付き多目的スタジアムで,当初は市民からの公募でスカイドームと命名されたのですが,カナダの大手通信企業ロジャーズコミュニケーションズによる買収に伴って2005年からロジャーズセンターに名称が変更されました。
 ロジャーズセンターの特徴は,ホテルが併設されていることで,ホテルの部屋からゲームを観戦することができます。この日のゲームも,部屋から観戦している日本人が写っていました。
 また,隣には高さが553.33メートル(1815.39フィート)の CNタワー(Canadian National Tower)があります。CNタワーは通信と観光用の塔で,開業から2007年までの32年間,世界で最も高い塔でした。
 今考えると夢のような贅沢な旅ですが,私がトロントに行ったときは,まったくMLBのことなどわかっておらず,単に,私と一緒ならこころ強いと,プリンスエドワード島とナイアガラの滝とニューヨークの旅に行こうと誘われて,のこのことついて行っただけのことでした。そして,ナイアガラの滝のツアーの拠点がトロントでした。トロントで1泊したのですが,MLBのゲームを見ることができると聞いて観戦に出かけたわけです。しかし,途中で飽きてしまい,スタジアムを出てCNタワーに登ったのですが,その展望台からスタジアムを一望できたことが最大の思い出です。
 トロントは映画でニューヨークのシーンを撮るときにその代わりにロケ地となる都会であり,ともても落ち着いたところであり,魅力に富んでいて,印象もよいのですが,私は,このときに行ったことですっかり満足していて,再び行ってみたいと思ったことがありませんでした。なぜだろう?

 さて,話をロジャーズセンターに戻します。どうしてロジャーズセンターがワースト3なのでしょうか。その理由は
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 MLBで3番目に大きいボールパークが特長だが,これが見事なまでにアダとなって大き過ぎる!, やたらと広い人工芝が不安な気持ちにさせる!
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 要するに「醜い大きなコンクリートの円盤にニセの芝が植えられている」ということだそうです。
 これが私の調べた情報ですが,まず,私には「3番目に大きい」というのがよくわかりません。1番目と2番目がどこなのかもわかりませんでしたし,大きさというのも,インフィールドのことではないく,それよりも,建物全体がバカに大きいこととファールグランドが広すぎることだと思います。その理由は,外野後方にあるホテルが仇になっているのです。すごい圧迫感です。
 今風のボールパークは,外野後方が広く空いていて,そこから外の美しい街並みを見ることができることと,ファールグランドがぎりぎりまで狭いことが特徴で,このふたつを完全に逸しているのです。このふたつの欠点は,オークランドアラメダカウンティコロシアムにも当てはまることです。また,もうひとつの不人気の原因である人工芝,これは,トロピカーナフィールドにもいえることです。ロジャーズセンターは,天然芝に張り替えるという話を聞いたことがあったので期待したのですが,どうやらそれは誤報で,今もまだ人工芝のままのようです。
 これらの負の要素は,巨人や中日をはじめとする日本の多くの球団の本拠地が当てはまるわけで,それが,私がまったく日本のプロ野球に興味がないという原因のひとつとなっています。

 ただし,やる気の感じられないトロピカーナフィールドとは違い,2022年,トロント・ブルージェイズは,2億3000万ドル(約311億円)を投じてロジャーズセンターを大改築する計画を発表しました。人工芝を天然芝に変える予定はないものの,両翼のブルペンを高くし,外野の壁の幅と高さを調整し,外野席は一部増築するとともにバーやテラスを追加,この改築を機に,クラブハウスやウェイトルーム,トレーニングエリアといった選手用施設の改修と拡張も行うといいます。
 しかし,冬が寒く,天然芝に変えても管理するのがたいへんだといったハンディもあり,ホテルを壊すわけにもいかないから,この大改装で欠点が克服されるわけでないのですが,これが精一杯のところなのでしょう。
 なお,この日のゲームでは,ロサンゼルス・エンジェルスの大谷翔平選手とトロント・ブルージェイズの菊池雄星投手の対決があって,現地のアナウンサーが「日本では大騒ぎでしょうね」という放送をしていました。

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 2019年2月に,次のようなニュースがありました。
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 アメリカの公式サイト「MLB.com」が「名前は確実に知っているはずたが,ブリュワーズのユニホームを着ていたことは覚えていないだろう」として,ミルウォーキー・ブリュワーズでプレーしたにも関わらずその印象が薄い選手を特集して,日本人からは野茂英雄投手が選ばれました。
 野茂英雄投手は,1999年にブリュワーズに加入すると,シーズン途中の5月にメジャー昇格し,12勝8敗の成績を挙げ,先発ローテーションのひとりとして活躍しました。しかし,翌年にはデトロイト・タイガースに移籍したことでブリュワーズ在籍はわずか1シーズンでした。
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 ミルウォーキー・ブリュワーズに所属したときの野茂英雄投手は,MLBで壁にぶつかって低迷し,それまで所属していたロサンゼルス・ドジャースからニューヨーク・メッツに移籍し,さらに,シカゴ・カブスで契約したもののメジャーに入ることすらできなかったころでした。
 結果として,ミルウォーキー・ブリュワーズで復活を遂げて,再び活躍をはじめたのですが,私がミルウォーキーに行って,ミルウォーキー・ブリュワーズのゲームを見たのは,その1年前,1998年のことでした。
 現在,ミルウォーキー・ブリュワーズは,新しいアメリカンファミリーフィールド(American Family Field)でプレーしていますが,私が見たのは,カウンティスタジアム(Milwaukee County Stadium)という古いスタジアムでした。
 それがまあ,レジェントというにははばかられるほど老朽化したところで,町工場みたいな感じでした。なんだか,とても悲しくなりました。もし,日本からあこがれてメジャーリーグに入ったとしても,これでは都落ちだ,と思いました。そんな印象をもったところに,私が行った翌年,野茂英雄投手が入団したということが私にはとても衝撃的でした。
 華やかで豪華なボールパークばかりだと思われるMLBにも,以前は,こんなスタジアムでプレーしているチームもありました。

 さて,この日もまた,暇にまかせて,いつものように,見るでもなく見ないでもなく,MLB中継を英語にしてつけていたら,フロリダ州のタンパベイからゲームを放送していました。そこで思い出したのが,カウンティスタジアムであり,また,このタンパベイ・レイズのホームであるトロピカーナフィールド(Tropicana Field)です。今日の話題は,先に書いたミルウォーキー・ブリュワーズではなく,タンパベイ・レイズなのですが,このタンパベイ・レイズのホームは,ミルウォーキー・ブリュワーズとは違って,今でも,カウンティスタジアムのような,そんな,さえないスタジアムです。
 まだ,アメリカのことをほとんど知らなかった1998年のアメリカ旅行で,私が行ってゲームを見たのは,ミルウォーキー・ブリュワーズだけでなく,シカゴ・カブス,アトランタ・ブレーブス,そして,タンパベイ・レイズのホームタウンでした。当時,タンパベイ・レイズはできたばかりで,タンパベイ・デビルレイズというチーム名でした。私は,道に迷いながらトロイカーナフィールドに着いて,チケットを買おうと歩いていたら,チケットが余ったからあげるよ,と言われて,タダで見たことがあります。そのころは,スタジアム内にもショップがほとんどなく,まったくやる気が感じられないところという印象だけが残りました。
 2000年のはじめ,多くの新しく豪華なボールパークが建設されましたが,トロピカーナフィールドは,依然として現役のままなのです。
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 トロピカーナフィールドは,1990年,フロリダサンコーストドーム(Florida Suncoast Dome)の名称で開場しました。その後,1998年に Tropicana Products 社のネーミングライツによりトロピカーナフィールドとなり,デビルレイズの誕生に伴い,野球専用球場に生まれ変わりました。その際,選手の負担を考慮して最新式の人工芝を導入し,ダイヤモンドを除く内野部分はアンツーカー(人口土)へと改装されました。
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 ということなのですが,チームが新設されたときに,新しいボールパークを作るのではなく,従来からあったスタジアムを急ごしらえにMLB専用に改装しただけというわけです。先日書いたオークランド・アスレチックスのオークランドアラメダカウンティコロシアム(Oakland Alameda County Coliseum)に続く,メジャーリーグファンの選ぶワースト2のスタジアムですが,その理由は,MLB唯一の密閉式ドーム型スタジアムであり,映えない人工芝であり,悪い照明・酷いフィールドであり,ということで,私も同意します。スタジアムに魅力がないのでお客さんも入らず,ポストシーズンのチケットでさえ売れ残ります。

 トロピカーナフィールドの場所はセントピーターズバーグにあるのですが,その隣のタンパの方がベースボール人気があって,チームはタンパに移転したいのですが,2018年に発表された移転計画では,スタジアムの建設が900億円という巨額に膨れ上がり,予算オーバーでとん挫しました。そこで,翌年,苦肉の策として考え出されたのが,セントピーターズバーグとカナダのモントリオールの2都市フランチャイズ制でした。夏の暑い時期はフロリダを去って,涼しいカナダのモントリオールでゲームをしようというわけです。
 しかし,そもそも,以前モントリオールに存在したモントリオール・エクスポスが,そのホームであったオリンピックスタジアムが古く魅力がないこともあって,あまりに不人気だったためにワシントンに移転して,現在はワシントン・ナショナルズに変わってしまったことから見ても,そんな計画,うまくいくわけがないのです。モントリオールでも,オリンピックスタジアムは老朽化しているから,やはり,新しいスタジアムを作る必要があるのですが,そのお金もないのです。
 このように,このタンパベイ・レイズの最大の問題は,移転計画が決まらない,ということです。ここに書いたように,さまざまな計画が上がっては消えてしまい,当分,結論が出そうにもありません。仕方なく,トロピカーナフィールドを2027年まで使い続けるということです。
 フロリダという地は,金持ちが老後に住み,しかも,ものすごい発展を遂げているところです。チームが強いのに,これではもったいない話です。どうしてこんなことになるのでしょう。不思議な話です。
 今日もまた,NHKBS1では,このトロピカーナフィールドからの中継があるので,スタジアムに注目してご覧ください。また,ロサンゼルス・エンジェルスは,この次は,カナダのトロントに移動して,トロント・ブルージェイズと対戦しますが,実は,トロント・ブルージェイズのホームであるロジャーズセンターも,オークランドアラメダカウンティコロシアム,トロピカーナフィールドの次に位置する,メジャーリーグファンの選ぶワースト3のスタジアムなのです。


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 暇にまかせて,いつものように,見るでもなく見ないでもなく,NHKBS1で放送されているMLB中継を英語にしてつけていたら,デトロイトからのゲームでした。そこで,デトロイトについて,なぜか懐かしく思い出しました。
 私がデトロイトに行ったのは2002年のことだから,早いもので,もう20年前のことになります。デトロイトに行った目的は,いつものとおり,デトロイト・タイガースのホームでMLBを見ることでした。そのついでに,美術館や歴史博物館,さらにはモータウンなどの観光もしてみましたが,この町は,危険というより寂れた感が一杯でした。
 このときの私は,アメリカ合衆国50州制覇とMLB全30チームのホームゲームを見る目的を達成しようと,セントルイス,インディアナポリス,シンシナチ,ピッツバーグ,クリーブランドといった,およそ日本人が観光するのとは無縁のアメリカの中部をドライブしていました。そこで最後に寄ったのが,帰国便に乗る空港のあるデトロイトでした。

 デトロイトはセントレア・中部国際空港から直行便があるのですが,空港はデトロイトのダウンタウンからは遠く,ダウンタウンを目的にする人もまた,ほとんどいないように思います。
 日本では「デトロイト=車の町」といった印象ですが,実際は工場は郊外にあって,ダウンタウンは相当に危険な都会でした。
 まず,ミシガン州に入った途端にインタ―ステイツの制限速度が70マイルに格上げされ,それと反比例するように道路がガタガタになったのに驚きました。そして,ダウンタウンに近づくにつれて,どんどん雰囲気が「ヤバく」なっていきました。私が見たのはナイトゲームだったのですが,駐車代をケチって遠くに停めたが失敗でした。
 終了後,車を停めた場所まで歩いていったときに,よく命があったものだ,と今では思います。深夜に歩くような町ではありませんでした。

 さて,20年前のデトロイトはそんな感じでした。よくもまあ,こんなになるまで放っておいて何もしなかったものだ,というのが私の正直な印象でした。デトロイトは2013年に財政破綻をしたという報道まではよく耳にしたのですが,その後の様子がわかりません。調べてみても,実際の姿がよくわならないのです。
 私が行った当時は,ナイトゲームのとき,スタンドから見える遠くのビルにはまったく明かりがついていなかったのですが,テレビのMLB中継を見る限り,スタジアムの周りの町の様子は,私が行ったときよりは色とりどりになっていて,明るくなったダウンタウンがうかがわれました。このように,ダウンタウンは再開発で活気をとりもどしたというようなことが書かれているものもあります。
 しかし,治安は? として調べてみると,デトロイトの日本領事館の情報では
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 デトロイトは,近年,カムバック・シティとして目覚ましい復興を遂げています。ダウンタウンやミッドタウンを中心に若者たちによるパブリックアートや音楽が盛んとなり,アメリカ国内でも注目度の高い都市となりつつあります。
 その一方で,FBIが発表した2016年中の犯罪統計では人口10万人あたりの凶悪犯罪件数でワーストとなるなど,治安が比較的回復してきた近年でも最も危険な都市のひとつであることに変わりはありません。
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とありますが,この情報さえ6年も前のことです。今でも依然として同じ状況なのでしょうか。
 これ以上のことは実際に行ってみないとわかりません。
 なお,私が行ったのは20年も昔のことで,今のようにデジカメもなく,フィルムで写した写真をスキャナーで加工した少しの写真しかないのが残念です。いろいろなところに出かけるには,人生は短かすぎます。

 さて,ここからはおまけです。
 現在のデトロイト・タイガースのホームグランドはコメリカパーク(Comerica Park)ですが,このボールパークは,2000年にダウンタウンの再開発を目的として作られたものです。私が訪れたのは,ちょうどできて2年目でした。ちょっと安っぽいなあ,というのが,私の印象でした。
 それまでは,タイガースタジアム(Tiger Stadium)で,ダウンタウンから少し西に行ったところにあって,私は,このとき,その横を通りすぎました。使われなくなって2年経っていましたが,当時はまだ健在でした。その4年後の2006年に取り壊され,現在では,当時の遺構が一部残された the Corner Ballpark になったということです。
 実は,私は,このタイガースタジアムで,ぜひ,一度ゲームが見たかったのです。このボールパークは1911年生まれというとても古いもので,古きよき,そして,自動車産業が栄えたころの強かったデトロイト・タイガースの象徴でした。今も使われていれば,ボストンのフェンウェイパーク(Fenway Park),シカゴのリグレーフィールド(Wrigley Field)のように,ここまで古いとむしろトレンディだったのです。タイガースタジアムは,グランドの形はほぼ四角形で,センターまでが異常に遠く,また,スタンドの屋根は柱があって見にくいし,といったように,不便極まりない,私が好きな場末感ただようすてきなボールパークだったようです。

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 On Tuesday, Ohtani accomplished yet another feat on the diamond that puts him in a class previously only occupied by The Bambino.
 Against the Athletics on Tuesday night, Ohtani pitched six scoreless innings, allowing just four hits and three walks. He struck out five batters on 91 pitches in the Angels’ 5–1 win, moving his record as a starter to 10–7 on the season.
 Ohtani also hit a solo home run during the game, his 25th of the year.
 That puts him at double-digits in both homers and pitching wins for the first time, after he won nine games in 2021. The only other player to reach those milestones in a single season: Early in his career, Ruth was a similarly impressive two-way player, posting win totals of 18, 23, 24 and 13 from 1915 to 1918, before slowing down his play on that side.
 In 1918, he hit a then-career-high 11 home runs, making him the first player to hit double-digits in both wins and homers.
 Now Ohtani has matched him and is set to blow Ruth’s numbers as a full-time two-way player out of the water.
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 MLBロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平投手が,オークランド・アスレチックスとのゲームで先発して,6回4安打5三振無失点で今季10勝目を挙げました。また,指名打者としては日本人メジャー通算700号となる25号アーチを打ちました。これは,1918年ボストン・レッドソックスに在籍したベーブ・ルース以来,104年ぶりに「2桁勝利と2桁本塁打」を達成したことになります。
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というビッグニュースがありました。これで晴れて大谷翔平投手は「バンビーノ・クラブ」のメンバーです。

 このゲームをテレビの中継で見ていたのですが,オークランドというサンフランシスコの近郊で行われていたこともあって,大勢の日本人観光客が観戦していました。ゲームの内容は他に譲って,私が思い出したのが,はじめてMLBを見たときのことです。
 私がはじめてMLBのゲームを見たのは,今から40年以上前のことです。はじめてのアメリカ旅行はサンフランシスコとロサンゼルスを巡るツアー旅行で,当時の金額で298,000円也でした。このときに,オプショナルツアーとして,ロサンゼルスのドジャースタジアムでの観戦があったので,それに参加したのです。
 今では,MLBなんて,ネットでチケットを購入したり,直接窓口で購入したり,現地にある合法的なチケットショップで購入したり,あるいは,ニューヨークでは,地下鉄の改札口で売っていたダフ屋から買ったりと,自由気ままな私ですが,当時は,そんなことは到底無理でした。
 オプショナルツアーはすごく高価で,実際の値段が当時の相場で1,000円程度のチケットが食事と送り迎えつきで10,000円以上もしました。食事といっても,単なるパックの助六寿司でした。海外旅行は,移動手段がない,言葉が通じないという,いわば「2重苦」の人たちは,足元をみられるのです。こうした経験で,世間知らずだった若き日の私は,世の中を知りました。
 テレビでこのゲームを見ていたときに画面に映ったスタンドにずらりと横に並んでいた日本人の観光客は,おそらく,そうした観光ツアーに参加した人たちだったのでしょう。私の若き日がダブりました。しかし,いくらツアーが高かろうと集団で群れようと,こういった歴史的なゲームに遭遇した人はそれでも幸運です。とはいえ,MLB30チーム中でも,ワースト1だか2だかに値するオークランド・アスレチックスのボールパークではじめてのMLB観戦を体験して,これが本場のベースボールか! -それでも日本の球場よりは立派なのですが- と,それでMLBを知ったと思うのか,そして,感動したのかどうか。でも,どうせ見るなら,これぞアメリカ,というような最新式のボールパークを体験しないことには,本当のことはわからないのになあと,私は,複雑な気持ちになりました。

 ところで,今日の2番目と3番目の写真は,メリーランド州ボルチモアにあるべーブ・ルースの生家です。2016年に行ってきました。
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 ベーブ・ルースことジョージ・ハーマン・ルース・ジュニア(George Herman "Babe" Ruth, Jr.)は,1895年に,メリーランド州ボルチモア市ピッグタウンエモリー通り216番地(216 Emory Street in the Pigtown section of Baltimore, Maryland)に生まれ,1948年に亡くなりました。1914年から1935年まで通算22シーズン活躍しました。 童顔であったことから「バンビーノ 」(The Bambino)「ベーブ」(Babe)とよばれました。
 ドイツ系移民であった両親のジョージ・ハーマン・シニア (George Herman Sr.)とケイト (Kate) は酒場を自営し,その2階で暮らしていました。母は病弱で,ベーブ・ルースが15歳のときに結核で亡くなり,父は酒場の仕事で忙しく,両親から適切な教育を受ける機会のなかったことから,腕白坊主へと成長し,学校をサボっては通りをうろつき,町の不良たちと喧嘩に明け暮れ,商店の品物を万引きしたり酒を飲んだり煙草を吸ったりするなど,様々な非行に手を染めた悪童でした。
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 現在,ボルチモアにホームをもつのが,ボルチモア・オリオールズで,オリオールパークアットカムデンヤーズ(Oriole Park at Camden Yards)がホームグランドです。このボルチモアという都会は,治安がかなり悪いことで知られていて,私もずいぶんと友人のアメリカ人に行くのをとめられましたが,ボールパークから歩いて5分もかからないところにホテルをとって,万全を期して行ってきました。ボールパークはかなり豪華でした。それが今日の4番目と5番目の写真で,若き日のべーブルースの銅像もありました。
 が,一歩外に出ると,別世界。特に,ゲーム終了後がヤバかった…。これぞアメリカでした。しかし,せっかくアメリカに行ってMLBを体験するのなら,こういうところでMLBを堪能するといいのでは…。

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 ワシントン・ナショナルズ(Washington Nationals)は,ナショナルリーグ東地区所属のチームです。2004年まではモントリオール・エクスポズ(Montreal Expos)として,カナダのモントリオールを拠点としていました。まったく人気がなく,かなりのお荷物チームでした。
 モントリオール・エクスポズは,1969年の球団拡張によって新設されました。1976年のモントリオール・オリンピックで使用されたオリンピックスタジアムを本拠地としました。1995年のシーズン前に主力選手をほとんど放出してファンの怒りを買い,さらに,オリンピックスタジアムの老朽化で,年間動員がたった64万人と,マイナーリーグ以下となりました。2000年シーズンからは地元メディアの英語によるテレビとラジオ中継が消滅し,フランス語圏のモントリオールでは,フランス語のみになってしまいました。
 私は,こうした場末感が好きで,そもそも陸上競技場でどうやってベースボールをやっているんだろうという興味もありましたし,1980年代の日本のロッテ・オリオンズという球団が使っていた川崎球場のように,ほとんど観客のいないスタンドというのも見てみたいものだと思っていました。そんなわけで,ぜひモントリオールに行ってみたいものだと思っていたのですが,フランス語圏ということも手伝って踏ん切りがつかず,かないませんでした。
  ・・
 当時の写真を見つけました。それが今日の最後から2番目のものですが,観客がまばらなだけで,意外と「まとも」です。それに比べて,最後の写真は川崎球場ですが,こういうのを見比べると,所詮日本はアジアの東の端の貧しい国だと実感します。

 さて,チーム自体は,不人気のモントリオールに見切りをつけて,2005年にアメリカの首都ワシントンDCに移転しました。メジャーリーグサッカー(MLS)のDC ユナイテッドとナショナルズの併用であったロバート・F・ケネディメモリアルスタジアムで当初の3年間ゲームを行ったのち,2008年からは新装なったナショナルズパーク(Nationals Park)を本拠地としました。私は,これまでにアメリカMLB30チームすべてのボールパークに行ったことがあるのですが,2017年,その中で最後に行くことができたのが,このボールパークでした。
 ワシントンDCは政治の中心,アメリカの首都。ボールパークが建設できるような場所があったかな? 一体どこにあるのだろうと疑問に思っていたのですが,それは,ワシントンDCのダウンタウン南部を流れるアナコスティア川(Anacostia River)沿いで,近くにはワシントン記念塔や議会議事堂を望むことができ,地下鉄で簡単にアクセスできるというとても便利な場所でした。
 モントリオール時代とは違って,近年は強豪チームとなり,ワシントン・ナショナルズは人気もあります。ボールパークも美しく,また,非常に親切でファンサービスもよく,すばらしいところでした。30球団すべて見た私の独断と偏見では,チケットが高価でエラそうでファンサービスがいまいちの代表がニューヨーク・ヤンキース,ファンが田舎者で近寄りがたくファンサービスも最悪なのがカンザスシティー・ロイヤルズですが,それとは真逆でした。
 また,治安が悪いといわれるワシントンDCですが,その場所は治安もよさそうで,安心しました。
 しかし,2021年7月17日,ナショナルズパークのすぐ外で銃撃があって,ゲームは6回途中で中断。観客が避難したという痛ましい事件があって,私はショックを受けました。

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 アメリカの古都フィラデルフィアには1度は行ってみたかったのですが,なかなか行く機会がなく,2016年にやっと念願がかないました。ダウンタウンは落ち着いていて,モールに大きなレストランがあったり,巨大市場には大衆食堂があったり,また,公共交通網が整備されていたりと,車も必要なく,なかなか観光のしやすいところでした。
 この町にあるMLBのチームがフィラデルフィア・フィリーズ(Philadelphia Phillies)です。
 フィラデルフィア・フィリーズは,ナショナルリーグ東地区所属のチームです。
 1890年に設立された古参球団で,チーム名のフィリー(Philly)は,フィラデルフィアの略称およびフィラデルフィア市民の通称です。歴史が長いのに弱く, 長い間,次のような「ビリー・ペンの呪い」(Curse of Billy Penn)にかけられていました。
  ・・・・・・
 フィラデルフィア市庁舎タワーの屋上にはアレクサンダー・ミルン・コールダー(Alexander Milne Calder)が建てたウィリアム・ペン(William Penn)の銅像があります。近年までフィラデルフィアには「ウィリアム・ペンの銅像より高く建造物を造ってはいけない」(No gentleman would build taller than the "brim of Billy Penn's hat".)という紳士協定があったそうです。
 やがて,1985年に作られた「リバティ・プレイス」(Liberty Place)によって,その協定が破られ,そしてさらに2008年には,それよりもさらに高いコムキャスト・センター(Comcast Center)が建てられました。
 しかし,紳士協定が破られてからというもの,フィラデルフィアの全てのプロスポーツチームはチャンピオンシップシリーズで勝てなくなり,全て敗北してきたのでした。これが「ビリー・ペンの呪い」(Curse of Billy Penn)といわれたものです。
 2008年,MLBのフィラデルフィア・フィリーズがワールド・チャンピオンとなり,ついにこの呪いが解けました。そして,このとき,ウィリアム・ペンのレプリカの銅像をコムキャスト・センターの屋上に設置したのでした。
  ・・・・・・

 また,フィリーズは長年に渡って黒人選手の受け入れを拒んできました。
 フィラデルフィアの宿舎が黒人選手の宿泊拒否を通告したり,ジャッキー・ロビンソンがメジャーデビューした時,当時のフィリーズの監督や選手が「ロビンソンが出場するなら,フィリーズ選手はフィールドに出ない」と発言し,大きな波紋をよんだこともあります。
  ・・
 チームのマスコットはフィリー・ファナティック (Philly Phanatic)という緑色の架空の生き物で,MLBでは最も有名なマスコットです。1978年,何の予告もなく何気なくスタンドに現れて以降,お茶目でいたずら好きなパフォーマンスが人気をよび,フィリーズのマスコットとして愛され続けています。
 日本人選手が属したこともほとんどなく,これまでに全盛期を過ぎた井口資仁選手と田口壮選手が1,2年加入していた程度なので,日本ではほとんど知られていないチームです。

 以前の本拠地はベテランズスタジアム(Veterans Stadium)でフットボールとの共用のものでしたが,クッキーカッター型のまるで人気のないものだったので,私は見にいく気さえありませんでした。しかし,2004年に新しくシチズンズバンクパーク(Citizens Bank Park)が作られたので,一度は見たいものだと足を運びました。
 あまり期待もしていなかったのですが,場所はフィラデルフィアの南にあって,地下鉄で行くことができて,とても便利なのにまずは驚きました。そして,地下鉄を駅を降りて,さらに驚いたのは,その場所がものすごく広大で,かつ,フィラデルフィアにあるプロスポーツのスタジアムがすべて集められたコンプレックスだったことです。
 シチズンズバンクパークはベテランズスタジアムの東隣に建設されたので,ボールパークまで歩いている途中にかつてここにベテランズスタジアムがあったというプレートがありました。
 シチズンズバンクパークは,レンガと鉄骨を組み合わせた外観や左右非対称のフィールドという特徴をもつ典型的な新古典主義の野球専用球場で,センター最深部があまり長くないうえ,両翼のポールまで一直線になっているので,右中間と左中間がおそろしく狭いという特徴があります。 打者にとって向かい風も少なく,本塁打の出やすいボールパークです。
 お昼間にのんびりとベースボールを楽しむにはいいところです。

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 マイアミ・マーリンズ(Miami Marlins)はナショナルリーグ東地区所属のチームです。球団拡張政策によって1993年に誕生しました。ときどき突然強くなって,これまでワールドシリーズに1997年,2003年に進出,ともに世界一に輝きました。そしてまた,優勝するたびに「ファイヤーセール」を決行してスター選手を切り売りして弱小チームとなるのです。
 マーリンズは,何と,経常利益が30球団のうち1位です。それは選手の年俸が安いからなのです。
 いろんな意味で変なチームで,フットボールならともかく,ベースボールなのに,「マーメイズ」(Mermaids)というチアリーディング・チームがあります。

 本拠地は,現在はローンデポパーク(LoanDepot Park)という名前だそうですが,私が行った2016年当時はマーリンズパーク(Marlins Park)といいました。2012年に開場した新しいボールパークです。
 かつて本拠地だったサンライフスタジアム(Sun Life Stadium)は,左中間奥にフットボール用スタンドが収納されていて,フットボールの開催時はレフトの窪みに増設スタンドを引き出してはめ込むといった仕様でした。また,マイアミの中心部から遠く,雨天の多い土地柄であるものの屋根がなく,観客席がホームベースではなくフィールド中央を向いていたりするなど、まったくもってひどいところでした。
 が,私はそのような場末のものが大好きで,そのボールパークでぜひ観戦してみたかったのですが,ついにその夢は実現しませんでした。
 現在の本拠地はマイアミのダウンタウンにあって,治安がいいのか悪いのか,それもまた,私が行ってみても,どうもよくわかりませんでした。噂では悪いという話だったので,私が泊まっていたコンドミニアムから歩いても10分程度と近かったのですが,途中,公園もあって,歩いて行く気にならず,車で行きました。ところが,大概は大丈夫なのに,このボールパークのオフィシャルパーキングは事前に予約しなければ停められませんでした。仕方がないので,近くの民家がパーキングをやっていて,そこに停めたのですが,こりゃ,まるで日本と同じだと思いました。ということで,今では,見ず知らずのアメリカ人の家の庭に車を停めたのが1番の思い出だったりします。
 新たに建設されたボールパークは野球専用で,3塁方向からライト方向へとスライドして開閉する屋根があって,ボールパーク自体は四角く,レフト方向の外野席は膨らみがほとんどない変な形をしています。いびつな形であるうえに外野中央部のやや左にフェンスが丸くフィールドへと張り出した部分があり,この部分に「ホームラン・フィーチャー」(HR Feature)と名づけられた高さ10メートルほどの巨大なオブジェがあって,マーリンズがホームランを打つと電飾や花火でそれを祝う仕掛けとなっていたり,南国ムード一杯です。また,本塁の右後方バックネットの下には地元フロリダの海を泳ぐ熱帯魚が入れられた大型水槽が備えられています。

 私は,このときの旅でアメリカ50州制覇を実現するためにサウスカロライナ州とノースカロライナ州に行こうと計画して,せっかくだからと,フロリダ州の最南端キーウェストからフィラデルフィアまで東海岸に沿って駆け抜けたのですが,今にして思うに,ここもまた,本当に行ってよかったことでした。
 また,このとき,偶然にもイチロー選手がこのフロリア・マーリンズに在籍していて,しかも,3,000本安打まであと3本ということで,とんでもなく盛り上がっていました。
 結局,1本打ったっきりで3,000本目を見ることはできませんでしたが,いい経験をしました。

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 サンディエゴ・パドレス(San Diego Padres)は、MLBナショナルリーグ西地区所属,1969年のリーグ拡張時に創設された新しいチームです。現在の本拠地はカリフォルニア州サンディエゴにあるペトコパーク(PETCO Park)です。
 サンディエゴは軍事都市であり,また,メキシコに隣接しています。
 アメリカ西海岸の都市は,北から順に,シアトル,ポートランド,サンフランシスコ,ロサンゼルス,サンディエゴとありますが,私は,その中で,サンディエコが最も好きです。ただし,日本からは直行便がなく,ロサンゼルスからインターステイツ5を走ることになります。
 サンディエゴのダウンタウンはとても歩きやすい街です。
 八神純子さんが若いとき,このすてきな都会に憧れて「サンディエゴ・サンセット」という歌を歌いました。その歌にぴったりの街です。

 ダウンタウンの南に本拠地のペトコパークがあります。ペトコパークは2004年に開場した新しいものです。
 サンディエゴ・パドレスはチームの創設以来,クアルコムスタジアム(Qualcomm Stadium)を本拠地にしていました。クアルコムスタジアムはNFLサンディエゴ・チャージャーズ(San Diego Chargers)との兼用でしたが,スタジアムの老朽化が進んでいたことから、新しいボールパークを建設したものです。
 私は,以前,クアルコムスタジアムにも行ったことがあります。そのときの対戦相手はニューヨーク・メッツで,偶然,当時,ニューヨーク・メッツで活躍していた,今は北海道日本ハムファイターズの監督である新庄剛士選手を目の前で見たことがあります。それも今ではいい思い出です。

 新しいボールパークができたということで,ずっと行ってみたかったのですが,幸運にも,2018年に足を運ぶことができました。ここもまた,今となっては行ってよかったと思います。
  ・・
 ペトコパークは,他の新しいボールパークのような「赤レンガに黒い鉄骨の梁,深緑の観客席」ではなく,インド産の砂岩に化粧漆喰を施して,白い鋼鉄の梁,ダークブルーの観客席のように,「サンディエゴの砂浜と青い空,海に浮かぶボートの白い帆」をイメージしたものになっています。
 外野が広いうえに複雑な形状となっていて,レフト方向は海風の影響を受け,右中間は深く本塁打が出にくいという欠点があったことから,2012年のシーズンオフに,右中間を狭くして打者不利を是正する改修工事を行いました。
 ウェスタン・メタル・サプライ・カンパニー・ビルディング(Western Metal Supply Company Building)はボールパークが建設される予定地内に建っていた地元金属メーカーの築100年の旧本社社屋で,当初は解体予定だったのですが,なんと,これをボールパークの一部として組み込むことにしたので,ビルの角が左翼ポールになっています。このビルの1階にはチームストア,2階と3階にはスイート席,4階にはレストラン,屋上には800の観客席が設置されています。
 また,バックスクリーン右側に砂浜があって,そこは子供たち専用のプレイ・スポットとなっていますし,左翼スタンド大型スクリーンの背後には,ペトコパークと同じ芝と土が使用された小さな野球場が併設されていて,そこで子供たちが野球を楽しむことができます。

 上記のように,外野後方に広い公園があるのですが,ここもまたボールパーク内なので,チケットを買ってスタジアムに入った人が行くことができる遊び場となっていて,この場所は,スタンドで観戦するよりもずっと楽しそうです。デートスポットとしても最高でしょう。
 また,このボールパークは,食事が他の多くのボールパークのような「高いだけでまずく,かつ,量が少ない」ということはなく,私が食べたハンバーガーはものすごくおいしいものでした。
 ペトコパークは,私が行った多くのボールパークの中で最も美しいところでした。

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 私にとって,アメリカに夢見ていたころ,ロサンゼルス・ドジャースは,もっともなじみのあるチームでした。
 ロサンゼルス・ドジャースは1884に創設された伝統のあるチームです。創設以来,ニューヨークのブルックリンを本拠地としていましたが,1958年にロサンゼルスへ移転しました。
 ドジャースは1947年にアフリカ系アメリカ人初のメジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソン(Jack Roosevelt Robinson)がデビューを果たしたチームであり,1995年には野茂英雄投手がメジャーリーグデビューを果たしたチームとして日本人にはなじみがあります。
 以前,日本の読売巨人がドジャースのキャンプ地だったフロリダ州のベロビーチ(Vero Beach, Florida)に参加したことがあります。当時,私は,アメリカのことなど何も知らなかったのですが,アメリカでは野球の球団が特別のキャンプ地を所有しているんだと,何かすごい別世界のお話のように思えました。それからずいぶん経った1998年,フロリダ州をドライブしたことがあって,そのとき,偶然,ベロビーチのドジャータウンにどり着いて,ああ,ここだったのか,と感動しました。
   ・・・・・・
 ドジャータウンは,もともと,第2次世界大戦中に米海兵隊航空基地で訓練を受けた海軍と海兵隊ののための海軍住宅基地として建設されました。1948年,ドジャースが恒久的な春季トレーニングサイトを探していたとき,フロリダ州ベロビーチの広大な土地が最適な場所として紹介されたことで「ドジャータウン」として1953年に完成しました。
 2008年,財政的な理由からロサンゼルス・ドジャースはベロビーチを手放すことになりました。
 その後,歴史的なドジャータウンはもともと、通りの真向かいにある第二次世界大戦中に米海兵隊航空基地で訓練を受けた海軍と海兵隊のすべてのメンバーのための海軍住宅基地として建設されました。ブランチリッキーが1948年に恒久的な春季トレーニングサイトを探し始めたとき、彼は地元のビジネスマンであるバッドホルマンによってフロリダ州ベロビーチの広大な土地に、メジャーリーグの完全に封じ込められたトレーニングキャンプを主催するのに最適な場所として紹介されました。クラブだけでなく、他の26のマイナーリーグチーム。ドジャースとベロビーチ市は、「ドジャータウン」という名前の物件を含む最初の5年間の賃貸借契約を結ぶことになりました。スタジアムは1953年に完成しました。 
 2008年,財政的な理由からドジャータウンは閉鎖されることになりました。
 その後、ロサンゼルス・ドジャースのオーナーだったピーター・オマリー(Peter O'Malley)は,妹のテリー・オマリー・サイドラーとふたりの元ドジャースの朴賛浩投手と野茂英雄投手の助けを借りて,ドジャータウンに再投資し,この歴史的なドジャータウンは,2014年に,フロリダヘリテージランドマークになり,現在に至っています。
  ・・・・・・

 ドジャースは,ロサンゼルスに移転後,当初の4年間はロサンゼルス・メモリアル・コロシアム(Los Angeles Memorial Coliseum)をホームグランドとしました。今日の1番目の写真です,ここはオリンピックが2度行われたところで,現在はカレッジフットボールのUSCトロージャンズ(南カリフォルニア大学)が使用しています。
 卵型の形状で,左翼から左中間が極端に狭くなるなど野球場には適していないところでした。
  ・・
 1962年に現在のドジャースタジアムが完成し,1962年から1965年まではロサンゼルス・エンゼルスも使用していました。かつてのオーナーのピーター・オマリーの「ファンを選手に近づけたい」(Walter O’Malley’s idea of bringing fans closer to the players)と願ってついに完成させた「ドジャース永遠のホーム」(Immortalize Dodger Stadium)でした。
 しかし,今となっては,MLBでは珍しくなった左右対称,外野やファウルグラウンドは広いといった設計が古いものとなりました。また, 晴れた日のデーゲームはロサンゼルスの乾燥した空気と日中の暖かさのために打球が伸び,一方で,ナイトゲームではロサンゼルスの昼夜の寒暖差が大きいためによく霧が立ち込めボールが空気中の湿気を含んで重く成り,球足が遅くなったり,センターからホームへ向かって吹く風が打球を押し戻すことも手伝って,ホームランが出にくいなどの傾向があるといった,決して恵まれたボールパークでもなくなりました。

 私は,1980年,生まれてはじめてMLBを見たドジャースタジアムでしたが,その後は,2000年に一度行ったっきりになっていました。
 2018年,久しぶりにロサンゼルスに行ったとき,前田健太投手が登板することもあり,ドジャースタジアムに行ってみました。
 改修工事が終わって,座席も取り替えられ,ファールグランドは狭くなったとはいえ,やはり,新しくできた多くのボールパークに比べたら見劣りしました。また,このボールパークで販売されているホットドッグ「ドジャー・ドッグ」(The World famous Dodger Dog)は,数多くあるアメリカのボールパークで販売されているホットドッグの中で最も販売数が多く,世界で最も有名なホットドッグとしてドジャースタジアム名物のひとつに数えられているということですが,とくにおいしいわけでもありませんでした。
 ドジャースタジアムは郊外型のボールパークで,ほとんどの観客は自動車で来場するためにものすごく広い駐車場があります。かつては無料でしたが,現在は法外な駐車料金が必要になって,私はがっかりしました。

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 2022年,アメリカ・メジャーリーグはストライクとかで開幕が遅れているようですが,ともかく,今年も球春がやってきました。2015年にこのブログに「アメリカのボールパーク」を書いたときは,まだ行っていなかったところもいくつかあって,そこに行くのが夢だったのですが,その後,それらの場所はすべて行くことができました。
 こうして,私はMLB30チームのボールパークはすべて行くことができたのですが,その後,いくつかのチームが新しいボールパークを作って移転しました。しかし,今は特にそこに行ってみたいということもありません。まあ,私の好奇心がなくなったということは,齢をとったからでしょうか。寂しい話です。
 2020年春にはじまったコロナ禍もまる2年となり,それまで,あれだけ近かった私のアメリカが突然遠いところになってしまいましたが,それまでに,2015年当時に行ってみたかったところにすべて行くことができて,本当によかったと思います。
  ・・
 ということで,2016年から2019年の間に行ってきたボールパークについてまとめてみます。
 今日は,幸運にも,2019年に行って,この目で大谷翔平選手を見てきたロサンゼルス・エンジェルスのエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム(Angel Stadium of Anaheim)です。

 ロサンゼルス・エンゼルス(Los Angeles Angels)はアメリカンリーグ西地区所属です。本拠地はカリフォルニア州アナハイムにありますが,ここはロサンゼルス郊外のディズニーランドの近くです。インターステイツ5を走っていくとすぐです。
  ・・
 MLBのチームは,長い間,東海岸に集中していました。
 1957年に,ナショナルリーグのブルックリン・ドジャースがロサンゼルスに移転し,はじめて西海岸にMLB球団が誕生しました。また,同じ年にナショナルリーグのニューヨーク・ジャイアンツも西海岸に移転しました。
 同じように,アメリカンリーグでも西海岸に球団を置くことが検討され,1961年にロサンゼルスに新しいチームを設置することが決定します。こうしてできたのがロサンゼルス・エンゼルスです。
 はじめは,本拠地がロサンゼルス・ドジャースと共有だったために人気がなく,新しいボールパークを建設する必要がありました。こうして,1966年に作られたのがアナハイム・スタジアムでした。このとき,チーム名を「カリフォルニア・エンゼルス」と改称しましたが,2016年にチーム名をロサンゼルス・エンゼルスに戻しました。

 日本人メジャーリーガーとしては,1997年から2001年まで長谷川滋利投手が所属していましたが,2010年には全盛期を過ぎた松井秀喜選手が加入しました。赤色を基調としたユニフォームは松井秀喜選手にはまったく似合わないなあと私は思っていましたが,現在,所属するわれらの大谷翔平選手は赤色のユニフォーム姿がとてもよく似合っています。
 このボールパークにはとても広い駐車場があって,いかにも西海岸の昔のボールパークです。
 ボールパーク自体も新しいものでないのですが,改装につぐ改装で,行ってみて,思っていたよりずっとモダンなところだと驚きました。
 アメリカのボールパークは左右非対称であることが魅力なのですが,エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムは左中間に比べて右中間が狭くなっていて,そのために,以前はライトフェンスが非常に高くなっていました。これでは,左のプルヒッターには不利でした。
 2018年から,ライトフェンスのイエローライン,つまり,ホームランラインが変更されて,これまでの高さ5.5メートルからレフトと同じ2.4メートルとされ,はるかにライトが狭くなりました。
 ということで,大谷翔平選手には有利なボールパークなのです。

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 私はグルメでないので,食べ物にはほとんど関心がありません。しかし,周りにグルメの人が多いことと,いろんなところへ旅したことがあるので,その土地で有名なモノとか,グルメ雑誌にのっているようなお店は行ったことがあるし,おおよそのモノは食べました。なので,あえていいモノを食べたいとも思いませんしこだわりもありません。
 ということですが,そんな私がひとりで外食をするとき,優先順位としては,まず,そのお店が空いていること,その次が提供される時間が早いこと。これでは,ファーストフードしか選択権がありません。
 で,時に食べたくなるのが,朝マックの「ビッグブレックファストデラックス」なのです。

 食事文化が貧困なアメリカでは,食事というモノはエサだと私は思っています。そこで,アメリカを旅するときに,とにかく手っ取り早く食事を済ますのに行くのがマクドナルドです。特に,コンボイのドライバーが利用するような安価で朝食のないモーテルに宿泊したときの朝食としては最も手ごろです。
 そんなときにオーダーするのが,この朝マック「ビッグブレックファストデラックス」(アメリカでは「Big Breakfast with Hotcakes」)となります。内容は,スクランブルエッグ,マフィン2枚,ホットケーキ3枚,ソーセージ,ハッシュポテト,バター,メイプルシロップ,ストロベリージャム,塩胡椒,そしてセットで注文したソフトドリンク。高カロリーなので,こんなものを毎日食べていたら寿命が縮まることでしょうが,そんなことは承知です。「たま」だからいいのです。これをオーダーしたくなるのは,まあ,時折起きる私の発作のようなものでしょう。
 そしてまた,これを食するときの私は,幸せ感一杯なのです。

 コロナ禍で行くことができなくなってしまったアメリカですが,私がアメリカ旅行をする目的は,もともとはディズニーランドに行きたい,MLB,つまり,本場のベースボールが見たい,ニューヨークでミュージカルを見たい,といった誰しもが夢見ることと同じでした。しかし,それを実現したのちは,日本では決して見ることができないどこまでも続く大平原をドライブすることであり,そのときどきに現れる小さな町でゆったりとした時間の流れにまかせることです。そのような小さな町にもたいていは存在するマクドナルドで,住んでいる人の姿を見ながら過ごす時間が最高の贅沢となったわけです。
 日本にいても,そんな贅沢はできません。道路はひどく狭く,景観は悪く,どこに行っても人だらけ,どんな山の中にもわずかな平地があれば小さな家だらけ。そこで,早朝,まだ,夜が明けきらぬ,周りが暗くて醜い町の景観がまだ闇の中にあるころに,マクドナルドに出かけて,ほとんどだれもいない店内で「ビッグブレックファストデラックス」を食べながら,気持ちだけアメリカに飛ぶのです。時間が飛ぶわけではないのですが,私には精神的な空間の移動がまさに「タイムスリップ」となるです。
 これこそが,今の私には至福の時間なのです。

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 オクラホマシティ(Oklahoma City)からアリゾナ州までのテキサス州とニューメキシコ州のルート66はほとんど走ったことがありません。
 唯一,サンタフェ(Santa Fe)あたりだけは,ルート66の標示を見つけて,こんなところを通過するのだと驚いたことがあります。
 その先,アリゾナ州のルート66はなかなかすばらしいところです。私が行ったのはフラグスタッフ(Flagstaff)で,インターステイツ40に並走してルート66が続いています。インターステイツ40を走っているとき,私が借りた車のカーナビの画面にはずっとルート66とかかれた道路が表示されていて,横を見ると,確かに,何度か写真でみたような風景があるのにうれしくなりました。

 フラグスタッフから東には,このブログに何度か書いたバリンジャー隕石孔(Meteor Crater National Landmark)と化石の森国立公園(Petrified Forest National Park)があって,私はインターステイツ40を走ったのですが,ずっとルート66が並走していました。
 また,その逆に,フラグスタックから西へもルート66が一部インタ―ステイツ40と交わりながらも,ほぼ並走し,ウィリアムズ(Williams),セリグマン(Selogman)といった,ルート66通には有名な町を通っています。
 その中心にあるフラグスタッフは,私はその町で1日を過ごすのをずっと夢見ていたのですが,その夢を2019年に実現させることができました。このことも別のブログに書きましたが,私のこころに残る町の中でも,特に大きな意味をもっているところです。

 ウィリアムスは古きよきルート66をほうふつとさせる町。多くの観光客で賑わいを見せています。
 観光地といえば確かに観光地化しすぎているのですが,それなりにおもしろいところ,日本でいえば高山のようなところです。
 その一方で,セリグマンは小さな町で,あっという間に町を過ぎてしまうのですが,ここには有名なお土産屋さんがあるのです。それにしても不思議なのは,こんな小さな町なのに,私は,偶然,そこに2度も訪れたことです。こんな奇跡的なことがあるのでしょうか?
  ・・
 そんなわけで,フラグスタッフのあたりのルート66は,ルート66の制覇ができなくとも余りあるすばらしいところでした。

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◇◇◇
月,木星,土星,水星,
レナード彗星。

日没後の快晴の西の空。
月齢3.6の月の周りの惑星,そして,レナード彗星。
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 アメリカの南部の中でも,アーカンソー州,ルイジアナ州から東側は特に深南部といい,そこから西側とはずいぶんと雰囲気が異なります。
 それに比べて,ルート66の通るオクラホマ州,テキサス州,ニューメキシコ州などは,日本では考えられない平坦な悠久の大地が延々と続いています。それを走るのを退屈とするか,それとも,何かを思うかは,こうした土地の歴史を知っているかどうかでずいぶんと違います。どんなところにも,その土地を生きた人々の苦悩と喜びが詰まっているのです。
 私はテキサス州もニューメキシコ州も多くの道路を走ったのですが,これまで,ルート66は見事に逃しています。唯一走ったのはサンタフェ近郊だけで,そのころは,こんなところにルート66が走っているんだ,と驚いたことがあります。
 そこで,将来,ルート66を制覇するには,これまで走ったことのないオクラホマ州のオクラホマシティからアリゾナ州までを走らなければならないわけですが,これが並大な距離ではないので,このご時世ではちょっと絶望的です。

 今日の写真は,オクラホマ州の中で私が走ったルート66です。
 オクラホマ州のルート66はとてもきちんと保存されていて,走っていてとても楽しいものです。
 通過する町ごとに,ルート66に対して,リスペクトをもっていることがとてもよく感じられますが,これは,日本で,旧街道を歩くときに感じるものと一致します。
 このブログはルート66の観光案内ではないので,そういった内容他に譲るとして,ここでは,いくつかの私が通過した町について,断片的に書くことにします。
  ・・
 オクラホマ州のルート66を走ると,なだらかな丘とところどころにオイルポンプが点在していて,石油が埋蔵されていることを確認できます。この姿こそ,アメリカ南部であることが実感できます。
 また,そうでないところは,道路の際まで牧場があって,牛がのんびりと草を食べている姿を目撃できます。
 ミズーリ州からオクラホマ州に入ったところにあるのがマイアミという町です。マイアミのランドマークは「コールマンシアター」(Coleman Theatre)です。この劇場でウィル・ロジャース(William Penn Adair "Will" Rogers)のひとり舞台ことを忘れてはならないといいます。マイアミの次の町クレアモア(Claremore)の町の中心から少し外れたところに「ウィル・ロジャース記念博物館」があります。
 また,この劇場には幽霊が出るということで知られているのですが,これらのことは以前ブログに書いたことがあります。 
 ルート66を通る町には,ここだけでなく,幽霊が出るという話が結構あるので,私は興味を惹かれます。どの国でも,こういう話は好きです。

 また,オクラホマ州で生まれたサイラス・アヴェリー(Cyrus Avery)のことを知らずして,ルート66は語れないとさえいわれます。
 サイラス・アヴェリーは石油事業に力を入れ,その採掘のために頑強な道路が必要でした。しかし,その時代,オクラホマ州は道路後進地域だったので,サイラス・アヴェリーは地方行政官に立候補して当選すると,道路を整備することに努力して,1925年,ついにルート66が誕生することになったのです。
 やがて,オクラホマシティに到着するのですが,私は,その先を走っていません。

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 ジョン・スタインベック(John Ernst Steinbeck)の小説「怒りの葡萄」(The Grapes of Wrath)から,ルート66について書かれた部分を紹介しましょう。
  ・・・・・・
 Highway 66 is the main migrant road. 66 - the long concrete path across the country, waving gently up and down on the map, from Mississippi to Bakersfield - over the red lands and the grey lands, twisting up into the mountains, crossing the Divide and down into the bright and terrible desert, and across the desert to the mountains again, and into the rich California valleys.
 66 is the path of a people in flight, refugees from dust and shrinking land, from the thunder of tractors and shrinking ownership, from the desert's slow northward invasion, from the twisting winds that howl up out of Texas, from the floods that bring no richness to the land and steal what little richness is there. From all of these the people are in flight, and they come into 66 from the tributary side roads, from the wagon tracks and the rutted country roads.
 66 is the mother road, the road of flight.
  ・・
 ルート66は幹線道路である。内陸を横断するこの道は,上下にゆるやかにくねって,ミシシッピ川からベーカーズフィールドへ至るが,赤くまた灰色の大地を越え,山脈を登り分水嶺を横切って砂漠に下り,さらに山脈に入り,やがて豊饒なカリフォルニアに至る。
 ルート66は逃亡する人たちの道である。老廃した土地から,衰微する所有者から砂漠から嵐から洪水から非難する人たちの道だ。彼らはルート66へと集まってくる。
 ルート66はマザーロードだ。逃亡の道だ。
  ・・・・・・

 私は今から25年ほど前にシカゴに行ったことはありますが,そのころは,ルート66のことはほとんど知りませんでした。
 人生とはかくも短いもので,かつ,未来はわからないので,あとでふりかえったとき,もっと計画的に旅をしていればよかったと思うのですが,それは無理なことです。
 ということで,私は,そのときの旅でシカゴから西にアイオワ州をめざしてしまったので,シカゴからセントルイスまでのルート66は走っていません。しかし,アイオワ州に行ったために,偶然,フィールドオブドリームズやマジソン郡の橋に行くことができたのだから,それもまたよし,という感じでしょうか。

 今日の写真は,数年前に行ったセントルイスからスプリングスフィールドまでのミズーリ州のルート66です。
 次回書くことになるこの先のオクラホマ州はルート66を大切にしている雰囲気があって,道路標識などがきちんと設置されていたり,当時通った町に多くの看板などがあるのに対して,ミズーリ州はそういうこともないので,十分に準備をしないと道がわからなくなります。それでも,走っていると,当時の面影を感じるところが多くあって,しかものどかなので,なかなかいい雰囲気です。
 このように,ミズーリ州はなかなかおもしろいところです。


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 「ルート66」はイリノイ州シカゴからカリフォルニア州サンタモニカを結ぶ全長2,347マイル,3,755キロメートルの道路で,1926年「メイン・ストリート・オブ・アメリカ」の愛称のもと完成しました。
 「ルート66」の名前は,①国道番号を偶数とすること②番号を60からはじめることの2点に基づき,さらには「覚えやすい,言いやすい,聞きやすい」の三拍子が揃うという理由から「66」が割り当てられたということです。
  ・・
 1930年代後半,カンザス州,オクラホマ州にかけて大規模な砂嵐が頻発し,難民と化した農家の人々は明るい未来を求めてルート66を通って温暖なロサンゼルスへ向かって脱出を図ったのですが,作家ジョン・スタインベック(John Ernst Steinbeck)はその模様を小説「怒りの葡萄」(The Grapes of Wrath)で描き,小説の中で「ルート66」を「マザーロード」とよんだことでその名が現在主流となりました。
 翌年には映画化されて,「ルート66」の名前は一躍世界に知れ渡ることとなりました。
 また,「怒りの葡萄」とは関係がありませんが,テレビドラマ「ルート66」も放映されました。

 1956年,アメリカ国内に高速道路交通網(インタ―ステイツ)の建設を目的とした法案ができたことで「ルート66」の衰退がはじまり,1984年,アリゾナ州ウィリアムズでインターステイツ40の最終部分が完成したことによって「ルート66」は廃線となりました。
 現在は,往年の「ルート66」がそのまま残っているところや,近くにインターステイツが走っていることで寂れてしまったところ,あるいは,途中でインターステイツに吸収されてしまったところなどがあるのは,日本の旧街道とおなじです。
 そんな「ルート66」ですが,これもまた,日本の旧街道同様,昔を懐かしむ人たちで,再び保存がはじまって,その道を走破しようと夢見ている人が私を含めて大勢いるというわけです。
  ・・
 私は,66歳に「ルート66」を制覇したいという夢があったのですが,このご時世ではできそうにありません。
 しかし,振り返れば,これまでずいぶんと「ルート66」を走ったことに気づきました。
 そこで,これまでに走った「ルート66」を振り返ることによって,走ったつもりになることにしました。

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木星,月,土星,金星とISS。
New1sx2x


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 今日は9月11日。アメリカでは2001年にアメリカ同時多発テロ事件(September 11 attacks)が起きて20年となる日です。
  ・・・・・・
 アメリカ同時多発テロ事件は,2001年9月11日の朝,イスラーム過激派アルカイダによって行われたアメリカ合衆国に対するテロ攻撃でした。標的となったのはワールドトレードセンターの北棟と南棟,アメリカ国防総省本部庁舎ペンタゴン,そして,もうひとつの標的は不明ですが,アルカイダは合衆国議事堂だと主張しています。この攻撃によって2,977人が死亡し,25,000人以上が負傷し,アメリカ史上最悪のテロ事件となりました。
  ・・・・・・
 私は,この日,事件をCNNでずっと見ていました。ワールドトレードセンターに旅客機が飛び込んでいく様は,何かの映画を見ているようで,現実とは思えませんでした。遠くから映し出されていたその映像には人の姿はまったく見えず,こんな大事件が起きているのに,人々は静観しているのか,と思ったほどでした。しかし,実際は,地獄だったのです。
 この事件を契機として勃発したのがアフガニスタン紛争です。

  ・・・・・・
 アメリカは,同時多発テロ事件が起きた2001年10月に国際テロ組織アルカイダを保護していたアフガニスタンのタリバン政権に対して攻撃を開始し,タリバン政権を打倒し,民主政権の樹立を支援しました。
 アメリカ軍は,タリバン政権打倒後もアフガニスタンに駐留し続け,対テロ組織掃討作戦などを続けていたのですが,アメリカ国内では長引く戦争に撤退を求める声が次第に高まってきました。
 バイデン大統領は4月,同時多発テロ事件から20年の節目となる2021年9月11日までにアメリカ軍をアフガニスタンから撤退させ,アメリカ史上最長の戦争を終わらせると表明し,8月31日までにアメリカ軍を撤退する方針を打ち出していました。そのようなアメリカ軍撤退の動きを受けて,8月中旬にタリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧してしまいました。
 こうして,アメリカが支援していたアフガニスタン政府はあっけなく崩壊してしまいましたが,バイデン政権は8月末までの撤退方針を変えることはありませんでした。
 しかし,8月26日にはカブールの空港周辺で過激派組織「イスラム国」系組織によるテロ攻撃があり,米軍兵士13人ら多数が死傷するという事件おきました。
  ・・・・・・
 アメリカが20年にわたったアフガニスタンとの戦争で,結局,アフガニスタンは元に戻ってしまったようです。今後の情勢が懸念されています。

 ところで私は,これまで1981年,1997年,2013年の3回,ニューヨークに行きました。故意ではないのですが,後で考えると,奇しくもニューヨークに行ったのは16年ごとだったのです。ということで,次回は2029年 …なのでしょうか?
 それはともかく,1981年に行ったとき,私はワールドトレードセンターに登りました。そして,1997年には,ワールドトレードセンターに行きましたが,このときは登りませんでした。まさかその4年後に,あの巨大なふたつのビルが崩壊するとは思わなかったので,かなりのショックを受けました。
 そして,2013年,崩壊したワールドトレードセンターの跡地に行きました。痛ましい惨状を後世に残す取り組みがいろいろされていました。ワールドトレードセンターのツインタワーが崩壊して以降,その場所は「グラウンドゼロ」とよばれ,追悼の場所となっていました。
 犠牲者の名前が刻まれた滝が流れるモニュメントや「フリーダムタワー」と名づけられた高さ1,776フィートの塔が作られている途中でした。
 現在は,この場所は再開発され,アメリカで最も高い建物となった新しいワンワールドトレードセンターが金融街にそびえ立っています。
 こうして思い出してみると,アメリカという国の直面する複雑な世界情勢のみならず,相変わらず,紛争ばかりに明け暮れる人間の姿についていろいろと考えさせられます。

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☆ミミミ
9月9日,久しぶりに晴れました。夕方の西の空には月齢2.5の月と金星と水星,そして,スピカが美しく見えました。
おまけに新幹線が通りました。

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 MLB(アメリカ・メジャーリーグベースボール)で,2021年7月7日,カリフォルニア・エンジェルスの大谷翔平選手が対ボストン・レッドソックス戦に「2番・指名打者」で出場し,5回に32号ソロホームランを放ち,2004年にニューヨーク・ヤンキースでプレイした松井秀喜選手の日本人メジャーリーガーのシーズン最多本塁打記録を更新しました。
 大谷翔平選手は,1994年岩手県奥州市に生まれ,花巻東高校の出身です。数年前,花巻に行ったとき,駅前に大きな大谷翔平選手の垂れ幕を見つけ,ここの出身なのかと私はそのときはじめて知りました。駅には,花巻東高校の生徒さんがたくさんいましたが,どこかで聞いた高校だなあと,そのときは思いました。私は高校野球にもまったく興味がないのです。
 高校3年のときに高校生最速となる時速160キロメートルを投げ,2012年にドラフト1位で北海道日本ハム・ファイターズから指名され入団しました。
 2017年のオフにポスティングシステムでロサンゼルス・エンゼルスに移籍,念願のメジャーリーガーとなりました。

 そもそも,もともと高校卒業時からアメリカで野球がしたいという本人の希望があったのに,北海道日本ハム・ファイターズが指名したことが私には気に入りません。何と勝手なことをするのかと。そこで,大谷翔平選手は人生の5年間を無駄にしました。
  ・・
 私は,日本のプロ野球はまったく興味もないし見ないので,ほとんどの選手を知りませんが,MLBは大好きです。そこで,風の便りにプロ野球での活躍を聞いていた名前の選手がMLBに挑戦し渡米すると,それを見にいきたくなって,実際にこれまで多くの選手をアメリカで見てきました。
 アメリカのボールパークで観戦しているとき,隣に座った人が私が日本から来たと知ると,こうした日本人選手の日本でのことを聞いてきます。しかし,私は,それに対する話がまったくできないのです。これまでに見た,野茂英雄投手もイチロー選手も前田健太投手も岩隈久志投手もダルビッシュ有投手も…,みな,はじめて見たのは,アメリカのボールパークでした。

 2018年の夏,私はロサンゼルスに行きました。目的は,以前から行ってみたかったパロマ天文台でした。しかし,運悪く,私が訪れたときに限って,年中無休であるパロマ天文台が駐車場の工事をしていて公開が中止となっていました。この年,すでに,大谷翔平選手はロサンゼルス・エンジェルスに入団していましたが,これもまた,運悪く,私が訪れたときはロードに出ていて,見ることができませんでした。
 「マイナスとマイナスをかけるとプラス」というように,このふたつの偶然が幸運を呼び込みました。
 パロマ天文台に行けなかったことで,私は,その翌年2019年の夏に,再びロサンゼルスに行きました。このときのことは,すでに詳しくブログに書きましたが,念願だったパロマ天文台を訪れ,1年前だったら曜日の関係でできなかったガイドツアーにも参加することができました。そして,これもまた,念願がかない,ロサンゼルス・エンジェルスのゲームを観戦して,目の前で大谷翔平選手の活躍を見ることができました。

 私は,2013年の夏,ニューヨークでヤンキースのゲームを観戦したのですが,イチロー選手が4打数4安打を放ったそのゲームは,奇しくも,松井秀喜選手の引退試合でした。そして,2019年に大谷翔平選手を見たのですが,その翌年にコロナ禍となり,今は,アメリカに行くこともかないません。
 そんな偶然を思うと,このとき行くことができて,本当によかったと思います。
 大谷翔平選手が出場する今年のMLBオールスターゲームが楽しみです。

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DSC_3768IMG_2875 私は日本の道路の表示で非常にわかりにくいことがふたつあると書きました。そのひとつがセンターライン,もうひとつは交差点です。前回センターラインを取り上げたので,今日は交差点について書いてみましょう。

 1番目の写真がアメリカの交差点,2番目が日本の交差点の写真です。車の量が圧倒的に違うので単純には比較はできませんが,私が問題にしたいのはどの車線を走ればよいのかということがわかりやすいか,という点です。
 アメリカの道路では,それぞれの車線ごとにきちんと標示がされているので,自分の走っている車線に疑念を抱かないので,交差点直前で車線を変更せざるを得ないという状況が生まれません。それに対して,日本の道路は,この写真では4車線あるのですが,この先交差点に差し掛かったときに,一番左の車線がそのままなのかあるいは左折帯ができるのか,一番右の車線が右折帯だけなのか,そういった情報が皆無なので,結局車は中央の2車線に集まってしまいます。この先には信号機があるのですが,それも見づらく,よくわかりません。アメリカでは,交差点に車線ごとに信号機があるので,自分の走っている車線の信号機をみるだけでよいのです。たとえば5車線あれば信号は5つあります。

 ちなみに,アメリカの交差点は直進の前に左折(日本では右折)信号が青になります。日本のように,右折時に交差点の真ん中で直進車が過ぎるのを待つといったアクロバティックな状況は生まれません。さらに,日本の運転はかなり乱暴で,信号が赤になってからも直進車が猛スピードで交差点に突っ込んでくることがあって,そうなると右折車は曲がることすら危険な状況になります。先に右折させるべきだと私は思います。 
 このように,わずかばかりの道路標示の工夫だけで走りやすさに格段の違いが生じるわけです。私は,日本の交差点は事故を誘発するように作られているとしか思えないことすらあります。

◇◇◇
愛しきアメリカ-道路のイエローライン
愛しきアメリカ-続・道路のイエローライン

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 日本で車を運転すると,本当にハッとすることが多々あります。その理由は,道路の表示が非常にわかりにくいことにあります。特に,アメリカで運転をするのに慣れてしまった今,そのわかりにくさが理解しがたくなってきました。しかし,そんなことを友人に話しても,だれも理解してくれません。アメリカで走ったことがないからです。
 
 私がこだわっているのは次のふたつのことです。そのひとつはイエローのセンターライン,もうひとつは交差点の信号機の数ですが,今日はイエローのセンターラインを取り上げます。
 日本の道路のイエローラインが私には理解不能です。ときにはセンターラインが黄色であったり,また,ときには交差点の車線変更禁止であったりします。
 アメリカでは,イエローラインはセンターラインのことです。

 今日の1番目の写真をご覧ください。これは日本の道路ですが,この道路,片側1車線の道路なのか,それとも,片側2車線道路なのかわかります? 右側の車線は通行帯なのか,あるいは対向車線なのかわかりますか?
 日本の道路はこういうのがものすごく多いのです。これでは高速道路で逆走をするもの無理はありません。
 2番目の写真はアメリカの道路ですが,この道路は,片側2車線の道路だと容易にわかります。なぜなら,左側,アメリカは右側通行ですから左に中央分離帯があるのですが,一番左のラインだけがイエローラインだからです。

 私が言いたいのは,たったこれだけのことなのです。
 ちなみに,日本で交差点で使われている車線変更禁止のイエローラインは,アメリカでは白の実線ですが,アメリカのさらに優れているのは,左折(日本でいうことろの右折)の場合,左折ラインが2本以上あれば,曲がった先の道路までこの実線が続けて書かれていて,交差点の途中で車線変更をするという危険が回避されるようにさえなっているということです。
 道路に意味のもたない矢印を引いたり,逆走防止用の注意書き設置したり,やたらと道路にポールを立てたりと,工夫して何かをするたびに余計わかりにくく危なくなるだけなのに,どうしてそんなことが理解できないのでしょう。もっと単純でいいのです。日本の道路は,日本人の無意味で非効率な労働時間の長い日本の会社と同じ類のものであると,私は思っています。
 勉強時間も労働時間も,長けりゃいいってもんじゃないのです。道路だって,やたらと線が引いてありゃいいってもんじゃないのです。

◇◇◇
愛しきアメリカ-道路のイエローライン

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 「田舎のネズミと都会のネズミ」。
 子供のころ,私はこの物語が大好きでした。それに対して,「森」が出てくる童話とか,「クリスマススリー」とか,サンタクロースが「煙突」から家に入ってプレゼントを届けるとか,そういった話のすべてに違和感,というか戸惑いがありました。日本には「森」もモミの木でできた「クリスマスツリー」もサンタクロースが入ってくるような「煙突」もなかったからです。
 アメリカを旅行するようになって,ようやく納得がいくようになりました。それらはすべて西洋社会でふつうの生活に根差したお話なのですね。
 今の子供は,サンタクロースも信じているようだし物語も大好きだし,私が違和感をもっていたことに疑問を感じていないのでしょうか? 

 ところで,一口に「アメリカ」といっても,実際には地域差というのがすごいものです。最も大きな違いは,人が作りあげた大都会のある地域と神様の作り上げた大自然のある地域だと思います。私はアメリカのいろんな場所を旅して,そう思うようになりました。
 日本であれば「ド田舎」といったって,所詮クルマで数時間走るだけで都会に行くことおができるから大したことはないのです。それに比べて,アメリカの「ド田舎」というのは,本当に「ド田舎」なのです。
 そういうところに住んでいる人のなかには,海を見たことのない人もいっぱいいるしアメリカだけが世界だと思っている人だっています。日本人がそういったところに行くにはクルマがなければ無理なので,観光旅行をするくらいの日本人には全く知らない世界です。

 そんなわけで,多くの日本人の考えるアメリカというのは,ニューヨークであったり,サンフランシスコであったり,シカゴであったりするわけで,日本に伝わるアメリカの情報も,そうしたところのものばかりです。
 芸能人がニューヨークに住んだとかいう話を聞いて,多くの日本の人はそれをうらやましそうに思うのですが,実際に大都会に行ってみると,私には,ニューヨークに住むのもサンフランシスコに住むのも,結局,日本の東京や京都に住むのとそう違いはないなあ,と思うわけです。そういう都会に住む多くのアメリカ人は,逆に,アメリカのド田舎には行ったこともなければ,興味もない,という感じなのです。
 アメリカの大都会,確かに面白いところではありますが,私は,決して住みたいとも,積極的に旅行をしたいとも,あまり思いません。

 それに比べて,アメリカの「ド田舎」(ここではあえて「ド田舎」と書きます)の素晴らしさ,ったら他に比べようもありません。この「ド田舎」の雄大な風景は日本にはありえません。筆舌に尽くしがたいものです。
 こういうところには,決して人間が作り上げた人工物ではどうやっても乗り越えられないかけがえのない大自然があります。そしてまた,そういうド田舎に住む多くのアメリカ人は,アメリカの大都会には行ったこともなければ,興味もない,という感じでもあるのです。
 私はその両方に行ってみた結果,いくら大都会が魅力があるといっても,結局,いいなあ,と思うのは,アイダホ州やモンタナ州,ユタ州,ワイオミング州,オレゴン州,そういった大自然のほうなのです。 

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 MLB(アメリカ大リーグ)の公式戦が終わりました。いよいよリーグ優勝を決める過酷なトーナメントがはじまります。今年はこれまで最下位の常連だったチームがたくさん残っているので,意外な展開も予想されます。
 そこで,きょうは,左右非対称・天然芝・屋根がないかあっても開くという「モダン・クラシック・スタイル」と呼ばれるアメリカの最新型のボールパークの姿を写真と共に紹介しましょう。
 私はアメリカのボールパークを見慣れてしまったので,今さら何とも思わなくなってしまったのですが,きっと,初めて行った人は,日本との違いにびっくするのではないかと思います。

 1番目の写真は,ミネアポリスのターゲットフィールドで写したものです。
 ボールパークの周りにはたくさんのゲート(入口)がありますが,メジャーリーグのボールパークでは,メインゲートはバックネット裏ではなく内野と外野の境目であることが多く,また,この場所が広場になっています。
 ゲームの開始前にこの広場でバンドが演奏していたり,どこかの車メーカーが新型車の展示をしていたりすることもあります。
 プログラム売りのおじさんもいますし,やさしい年配の係員がいて,いろいとろおしゃべりもできますから,行かれる時は,あせって中に入らないで,まず,ボールパークを一周してから,ぜひ,メインゲートから入ることをお勧めします。
  ・・
 2番目の写真もターゲットフィールドですが,この写真はコンコースにある売店を写したものです。アメリカのボールパークは,ボールパークを1周することができる広いコンコースに,こうした売店がずらりと並んでいます。好きなものを選んで食べ歩きをするのも,また,楽しいものです。
 ボールパークごとに名物料理があるので,事前に調べておいて,そのお店を探すこともできますが,定番は,どこもたいていはホットドッグとピザです。また,私が行ったときは,クリーブランドやシアトルでは,寿司も売っていました。
  ・・
  3番目の写真はサンフランシスコのAT&Tパークの外野スタンドの裏手にある遊び場を写したものです。3塁側の内野と外野の間が広場になっているボールパークが多いのですが,そこには子供用の遊び場やミニグランドがあります。ここはゲームに飽きた子供にはうってつけの遊び場になっています。デトロイトでは,すべてがタイガーであるメリーゴーラウンドがあったりもします。
  ・・
 そして,4番目の写真は,サンフランシスコのAT&Tパークのレフト側の外野席のあたりを写したものです。 このボールパークでは,有機栽培した野菜の啓蒙活動をしているということで,このレストランでは,有機野菜を使ったメニューを食することができるのだそうです。
 私が行ったときには,アスバラガスを袋に入れてサービスに配っていたのでもらったのですが,アスパラガスなんて,それだけもらってもドレッシングもないのに食べられるものでもなく,困ってしまいました。せめて,ニンジンの方がよかったと,ただでもらっておきながら思ったことでした。

 このように,最新型のボールパークは,ベースボールを見るという目的以外に,というかむしろベースボールなどはどうでもよくて,日本の大型ショッピングセンターだと思ったほうがよいと思えるほどにアミューズメントパークが充実しているのです。 だから,行かれる方は,一番安価な座席のチケットを購入して,このアミューズメントパークを堪能されるのも,また,楽しいかと思います。
 と,楽しそうなことばかりを書いてきましたが,ここ十年ほど,新しくて豪華なボールパークがたくさんできた反面,ものすごくチケットが高くなって,しかも,気軽に選手にサインをねだる雰囲気がなくなりつつあって,以前のように気軽に行くことが出来る世界ではなくなってしまっているのが,私には残念でもあります。

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 では,最後に,最新型のボールパークについて紹介しておくことにしましょう。
 これらのボールパークは,アメリカの都会の再開発のシンボルとして作られたものが多いだけに,テキサスとミルウォーキーを除けば,ダウンタウンのど真ん中にあって,交通の便がよいものが多いです。逆にいえば,クルマで行くと駐車場探しが必要なものもあります。

 試合開始の2時間前に開場されるので,それよりも早く行って,ボールパークの周りを一周するのをお勧めします。モニュメントがあったり,さまざまな楽しみが用意されています。また,入口がたくさんありますが,やはり,メインゲートの素晴らしさを一見するといいと思います。ボールパークの外からも,ところどころ,フィールドが見えるようになっているのも,また,「チラ見」の魅力になっています。

 中に入ると,まず,広場があって,ボールパークの外周に広いコンコースがあるので一周します。ここにはさまざまな売店やショップがあります。また,子供用の遊び場や博物館などがあります。
 階段やエレベータで上がっていくと,レストランがあったり,全体を見渡せる最上階の座席があります。
 特にひいきの選手がいなければ,一番安価な最上段の一番上の座席がお勧めです。全体が見渡せて,とても気持ちがいいです。

 アメリカのボールパークは,こうした作りは古くても新しくても同じです。だから,コンコースを歩いて,自分の席のあるブロックまで行くと,通路に係員がいるので,そこでチケットを見せて降りていったり登っていくことになるのです。ところが,意外にこの係員がいないことがあるのです。いい加減なのです。そうした通路を降りてしまえば,まあ,早い話が,空いている席に座っちゃうとそれでOKだったりするのです。
 そんなわけで,一番安価な,ボールパークの最上段の座席がお勧めなのです。この席のさらに素晴らしい所は,屋根があって,雨の日も大丈夫,また,デーゲームも直射日光が当たらないのです。問題は,最上段まで登るのがかなり大変なことです。足の悪い人はどうするのか,ですって? 心配いりません。そうした人は,そんな席に座らずとも,ちゃんとした身障者が車いすのまま見ることができるスペシャルコーナーがいたるところにあります。

 ゲームの合間には,様々な出し物が用意されています。セブンスイニングストレッチもあります。
 この国の人は,子供だけでなく,大人も無邪気に騒いでいるのですが,私は,どうして,それほど無邪気になれるのか,いつも不思議で仕方ありません。そこには,風船ふくらましたり,一団となって応援するなんていう無粋なことは一切ありません。
 このように,ボールパークは一番アメリカというところを実感できる場所だと思います。
 興味があろうとなかろうと,アメリカへ行ったら,ぜひ,こうしたボールパークに一度は行ってみるといいでしょう。そして,行く機会があるのなら,アメリカの国歌と「私をボールパークに連れてって」は覚えておきましょう。

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 ボールパークの「暗黒時代」から,最新型のボールパークであるオリオールパーク・アット・カムデンヤーズの出現にいたる端境期に作られたのが,シカゴのUSセルラーフィールドとカナダのトロントにあるロジャーセンターです。
 もし,このボールパークが日本にあるのなら,最も豪華な野球場という評価になるのでしょうが,左右対称でファールグランドは広く,しかも,ロジャー・センターは人工芝であって,やはり,最新型のボールパークに比べたら,魅力に欠けるのが残念なところです。

 私は,USセルラーフィールドは外観だけ見たことがありますが,シカゴにあるふたつのボールパークのうち,リグレーフィールドに比べて,こちらのほうが場所柄も悪く,チームも人気がないので,私はあまり行きたいと思いません。ただ,実際行ってみると気持ちが変わるかもしれませんが…。
 このボールパークは治安が悪い場所にありますが,ボールパークには電車で行くことが出来るので,試合のある日なら問題はないと思います。

 ロジャーセンターはカナダというい寒い所にあるのでやむ得ないのですが,開閉式の屋根付き人工芝のボールパークです。
 となりにそびえるCNタワーの上から豆粒のようなボールパークが見えるし,外野席はホテルが併設されていて,客室からゲームが見られるなど,ちょっと変わったところです。中学校の英語の教科書にも載っていました。
 ネックになっている人工芝は,2018年には天然芝に入れ替えられるそうで,そうなれば,魅力が増すことでしょう。
 私は今から20年くらい前に一度行ったことがあります。トロントという都会は治安もよく,ナイヤガラフォールズも近いので,日本人のたくさん訪れるところです。
 このボールパークはダウンタウンの徒歩圏内でもあるので,トロントへ行ったら出かけてみてもよいかもしれません。

 そうした「暗黒時代」の後の生みの苦しみを乗り越えて現れたのが,オリオールパーク・アット・カムデンヤーズでした。 
 左右非対称,収容人数を押さえて,景観を重視して,遊びの部分を取りいれたこのボールパークは絶賛されました。そして,これ以降のアメリカのボールパークの主流となったのです。
 この新時代の幕開けとなったオリオールパーク・アット・カムデンヤーズは,今,私が最も気になっているボールパークです。
 私がこれまでに見たことすらないボールパークは,このオリオールパーク・アット・カムデンヤーズと,マイヤミにあるマーリンズパーク,ワシントンのナショナルズパーク,サンディエゴのペトコパーク,そして,フィラデルフィアのシチズンズバンクパークの残り5つなのですが,その中でも,もっとも行ってみたいところなのです。

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 トロピカーナフィールドが「暗黒時代」のボールパークの生き残りなら,オードットコーコロシアムはそれ以前の1960年代に作られたコンクリート剝き出しの日本によくある野球場と同じようなものです。この時代に作られたボールパークで現在も使われているのが,ロサンゼルスのドジャースタジアムと,カンザスシティにあるカウフマンスタジアムです。
 もうひとつ,ロサンゼルスのディズニーランドの近くにあるエンゼルスタジアム・オブ・アナハイムもそうなのですが,このボールパークは1995年に大改造をして,最新型のボールパークに生まれ変わりました。
 いずれにしても,ロサンゼルスのドジャースタジアムとエンゼルスタジアム・オブ・アナハイム,カンザスシティのカウフマンスタジアム,この3つのボールパークのうち,カウフマンスタジアムだけはシャトルバスこそありますが,他はクルマがないと行く方法がありません。

 ドジャースタジアム(=1番目の写真)は,私が生まれてはじめて行ったメジャーリーグのボールパークです。それははるか35年前のことで,当時は最新型のボールパークで,広い駐車場とともにカリフォルニアの大地によく似合っていました。しかし,近年はさすがに古さは否めず,2000年に大改造をしたといっても,私には中途半端にしか思えません。
 ともかく,ニューヨークとかロサンゼルスといった金持ちの多く住むところにあるボールパークは,私のような庶民にとってあまり居心地のよいところではありません。

 カウフマンスタジアム(=2番目と3番目の写真)は,私には,ずっと気になっていたボールパークでした。ここも,今から30年くらい前には,広い駐車場に当時としては珍しいボールパークとフットボール競技場が別々に並んで作られていて斬新で,写真で見たときは,凄いと感動したものです。
 しかし,行くのには遠く,なかなか実際に訪れる機会がありませんでした。意を決して,この5月にわざわざ行ってきました。
 結論は,やはり,今となっては古びたボールパークでした。ここも2008年に大改造をしたのだそうですが,やはり,コンクリートむき出し,それよりも,私には,このカンザスシティというところが,気候不順で蒸し暑く住みにくく,しかも,観客が悪い意味で「田舎モン」で,球場職員のサービスもなおざりなことに,たいへんがっかりしました。
 見にきていた人は,他のところに比べて,このボールパークは広い駐車場もあり,すばらしいと言っていましたが,これまで,現地の人よりも多くのボールパークを見てきた私には,同意できかねる意見でした。
 まあ,一度行くのも悪くないけれど,行ってみたらそのチームを応援する気が失せた,というのが正直なところです。
 皮肉なことに,私が前回と今回,ひどいと書いたボールパークを本拠地とするチームがすべて強豪なのが不思議なところです。

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 屋根がないかあるいはあっても開くこと,天然芝であること,そして,左右非対称であること,というアメリカの最新型のボールパークの特徴とは真逆のもが,1960年代から1990年代の不人気なボールパークだったと書きましたが,ナゴヤドームや京セラドームなどの日本の野球場は,すべて,その時代の模倣なのです。
 実は,アメリカにもそういったものが,ひとつ存在します。それが,フロリダ州タンパベイにあるトロピカーナフィールド(=1番目の写真)なのです。この異色のボールパークは「暗黒時代」の末期1990年に多目的ホールとして作られたもので,球団拡張でタンパベイに球団が出来たときに,間に合わせの本拠地としてボールパークに使用されるようになった意外と新しいものなのです。
 この時代遅れのボールパークも,幾度となく新球場の建設が模索されましたが,実現していません。

 私は,フロリダへ行ったときに,このボールパークへ行ったことがあります。あまり治安のよさそうに思えない場所にあって,道路を隔てたところに駐車場があって,古き日本の野球場のような雰囲気いっぱいでした。
 今と違って,私もアメリカのボールパークをあまりよく知らなかったころのことで,アメリカにも日本のようなチープな野球場があるんだなあ,と思いました。歩いていたら,観戦に来た人に余っているからといってチケットをただで譲り受けることができて特等席で試合を観戦しました。
 ここのボールパークは,クルマがないと行くのも困難だと思いますが,フロリダのディズニーワールドに近いことから,日本から新婚旅行で訪れる人もちらほら見られました。

 ボールパークの中もやる気が感じられず,オフィシャルショップも売る気があるのだかないのだか,とても退廃的なムードが漂っていました。
 だから,このボールパークへ行って,これがメジャーリーグのボールパークだ,と思ってはいけません。ここは,メジャーリーグのボールパークの中でおそらく最悪の部類でしょう。
 作りは東京ドームと同じような感じです。そうそう,東京ドームというのは,ミネアポリスのメトロドーム(写真2番目)を模したものです。かつてミネアポリスのメトロドームは,フットボールとの共有のボールパークでしたが,メトロドームを本拠地としていたツインズはターゲットフィールドという最新型のボールパークがダウンタウンのど真ん中に作られたときに移転してしまいました。

 このトロピカーナフィールドに勝るとも劣らない? ひどさなのが,サンフランシスコの対岸オークランドにあるオードットコーコロシアム(=3番目と4番目の写真)です。
 私は,この6月にサンフランシスコに行ったとき,ある意味怖いもの見たさで行ってみました。
 サンフランシスコには,BARTという地下鉄が走っていて,これに乗ると,ボールパークの入口まで行くことができるので,交通の便もよく,治安上は問題ないのですが,BARTがサンフランシスコ湾の海底トンネルを越えて対岸に出ると窓から見える町の雰囲気が一変して,一昔前の退廃したアメリカになります。そんなところにボールパークはあります。
 周りの風紀も悪く,球場もひどいとあっては,やはり,最悪です。
 ここは,日本の神宮球場みたいなボールパーク(神宮球場よりは立派)で,コンクリート剝き出し,今だにフットボールと兼用で,最上段にはベースボールの時には閉鎖される客席があり,ファールグランドもやたらと広く,さらに,アメリカにしてはめずらしい,私の嫌いな鳴りものを使った応援団がライト側の外野席に陣取っています。客層も,その場所に比例しています。
  ・・
 そうそう,このことはまったく知られていませんが,オードットコーコロシアムへ行って思い出したことがありました。それは,私が行ったときのシカゴのリグレーフィールドもそうでしたが,男子用トイレのとんでもない便器というのが,アメリカの古びたボールパークの特徴だということです。それがどういうものか知りたい方は,ぜひ,行ってみてください。
 トイレを見る以外に? わざわざ日本からメジャーリーグを見るためにここへ行く必要はないと思うのですが,サンフランシスコのダウンタウンには,AT&Tパークというすばらしいボールパークがあるので,この両方を見比べる意味でなら,出かけてもおもしろいでしょう。
 ここのボールパークを本拠地とするアスレチックスはサンフランシスコの南にあるシリコンバレー・サンノゼに移転する計画があったのですが,その計画は消滅してしまいました。

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 こうして「暗黒時代」に作られたボールパークは全て最新型に作り変えられました。そして,最新型が出現する以前の1960年代に作られたいくつかのものと1990年頃に作られたものだけが現存して,今もゲームが行われているのですが,そうした理由から,それら1960年代から1990年頃に作られて,まだ現役のボールパークを,私は「魅力を感じないボールパーク」とよんだのです。
 皮肉にも,日本にある野球場は,そのほとんどがこの時代のものを模したものです。唯一広島と楽天の使用している球場がアメリカの最新型を模倣しようとしているのですが,残念ながら規模も贅沢さも足元にも及びません。それは,財力の違いと共に,1990年以降のアメリカの好景気に対して,バブル景気以降の日本の「失われた10年」の影響もあるのでしょう。
 野球だけでなく,大相撲が行われている体育館も同様で,アメリカのバスケットボールが行われているスタジアムと日本の愛知県体育館などを比較すればその違いが歴然としています。
 日本は貧しい国です。

 前回にも書いたように,アメリカには,1960年よりも以前,今から100年以上も前に作られて今も現役のボールパークがふたつ残っています。
 それが,ボストンのフェンウェイパーク(=1番目と2番目の写真)とシカゴのリグレー・フィールド(=3番目の写真)です。
 それぞれ1912年,1914年から使用されているので,すでに100年以上を経過しているのですが,逆に,ここまで古いと,もうレジエンド(伝説)であって,それはそれはすばらしいものです。皮肉にも,最新型のボールパークがこうした古き良き時代のボールパークを模したので,これだけの古さがまた新しさにつながっているというわけなのです。
 この時代に作られてすでに使われなくなってしまったデトロイトのタイガースタジアム(=4番目の写真)やニューヨークの旧ヤンキースタジアム,シカゴのコミスキーパークもその流れに連なっていました。
 これらは惜しまれつつ新球場に生まれまわりましたが,それぞれ,ユニークなものだっただけに残念です。もちろんボストンやシカゴも建て替える計画があったのですが,市民の反対にあって,今もそのまま使われているのです。

 私は,このふたつともに行ったことがあります。
 先に結論を言うと,想像した以上にはるかに素晴らしいボールパークでした。そして,どうして建て替えに反対するのかというその理由がとてもよくわかりました。
 確かに古く,内装はくたびれて,鉄骨が剝き出しで,使い勝手が悪いのですが,それ以上に魅力に満ちたものだったのです。
 おそらく,1960年以降に作られた現役のコンクリート剝き出しのボールパークとこの時代の鉄骨剝き出しという点が,魅力の決定的な差になっているのでしょうが,それとともに「古きよき時代」に対して,人は,懐古調になるからなのかもしれません。
 このふたつのボールパークは,ボストン,シカゴとも,地下鉄で容易に行くことができ,都会の住宅街にあります。これだけ最新式のボールパークがたくさん出来た今でも,この2つのボールパークに勝るところはないといっても過言ではないでしょう。
 ベースボールに興味のない人も,ボストンやシカゴに行ったときは,歴史的観光名所として,ぜひ,行ってみることをお勧めします。ただし,チケットの入手は非常に困難ですが…。

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 1980年代のアメリカのボールパークは「暗黒時代」と呼ばれていました。
 当時の代表的なボールパークは,セントルイス(=1番目の写真),アトランタ,シンシナチ(=2番目の写真),ピッツバーグ,フィラデルフィアにありました。それらは,ローマ時代のコロシアムに似て,円形の観客席が周りを取り囲み,左右対称,球場によっては人工芝で,アメリカンフットボールと共用のものでした。当然,観客席からは都会を眺めることもできず,面白みに欠けるボールパークでした。
 皮肉なことに,ナゴヤドームをはじめ,日本では,それを真似た野球場が名古屋,大阪,札幌などにできました。アメリカでは,これら「暗黒時代」のボールパークはすでにすべて建て替えられてしまったので,その雰囲気をを味わいたいのなら,このアメリカでは時代遅れになった特徴すべてを兼ね備えたナゴヤドームにでも出かければいいと思います。

 この「暗黒時代」に終わりを告げたのが,1992年に作られたボルチモアのオリオールパーク・アット・カムデンヤーズでした。
 左右非対称,古きよき時代を彷彿とさせたその最新型のボールパークが人気をよび,それ以後のアメリカのボールパークの流れとなりました。
 そこで,はじめに書いた「暗黒時代」のボールパークが,全て,1992年から2010年までにかけて,これを手本として,争うように新しく作り変えられたのです。
 それらが,現在のボールパークの主流となった,屋根がないかあっても開くこと,天然芝であること,そして,左右非対称であることで,客席からは景色が見渡せて,ボールパークのいたるところに楽しむことのできる場が設けられた一大テーマパークなのです。

 行ったことのない人は,テレビや写真で見るだけなので,いろんな誤解をしていますが,一度でも行ってみれば,その魅力の虜になって,もう,日本の野球場など,行く気がなくなることでしょう。根本的に考え方が違うのです。
 そして,皮肉なことに,1960年年代の「暗黒時代」の少し前に作られたいくつかのボールパークと暗黒時代に別れをつけようとした1990年頃に作られたものだけが現在も生き残っていて,それらが,前回書いた二つ目の,私が魅力を感じないボールパークなのです。

 オリオールパーク・アット・カムデンヤーズ開場以降の最新型のボールパークは,それぞれ個性があって,どこへ行っても面白いものです。
 開閉式屋根付きのボールパークもたくさん作られました。ホームランが出れば蒸気機関車が動いたり,フラッグポールがセンターのインフィールドにある(2015年で撤去されるということです)といったちょっと度を越えた遊びのあるヒューストンのミニッツ・パーク(=3番目の写真),屋根全体が動いちゃうシアトルのセーフコ・フィールド(=4番目の写真)やフェニックスのチェイスフィールド,フロリダのマーリンズパーク,扇形に開閉するミルウォーキーのミラーパークなどです。フェニックスのチェイスフィールドやフロリダのマーリンズパークは外野席1列目にプールもあって,水着の女性がベースボールを楽しんでいます。
 他にも,ライト側のホームランが海に飛び込み,レフト側には巨大なグローブのモニュメントのあるサンフランシスコのAT&Tパーク,ホームランが川に飛び込むピッツバーグのPNCパークなど,見どころに事欠きません。
 それらのボールパークを巡るのは本当に楽しいものです。

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 これまでずいぶんとアメリカでベースボールを見たのですが,私は,試合の内容や結果よりもボールパーク(野球場)に興味があります。
 アメリカの多くのボールパークの特徴は,屋根がないかあっても開くこと,天然芝であること,そして,左右非対称であること,だと思います。私のようなアメリカのベースボールファンには当たり前のことですが,ほとんど知らない日本の人は,外野がいびつなことにかなり抵抗があるようです。あるいは,そういう形であることを知らないようです。
 そこで,これから数回にわたって,私が行ったことがあるボールパークについての話題を取り上げたいと思います。
 アメリカには,メジャーリーグが30球団あって,その配下には数えられないほどのマイナーリーグがあります。私はメジャーリーグよりもむしろマイナーリーグのほうが面白いと思うのですが,ここでは,主に,メジャーリーグのボールパークについて書きます。

 現在使われているボールパークは,作られた時期によって,大きく分けて,3種類に分類できると思います。
 そのひとつ目は,ボストンのフェンウェイパークとシカゴのリグレーフィールドという,開場以来100年以上も経ったものです。
 ふたつ目は,ロサンゼルスのドジャースタジアム(=1番目の写真),カンザスシティのカウフマンスタジアム(=2番目の写真),オークランドのオードットコーコロシアム(=3番目の写真)です。ここに,シカゴのUSセルラーフィールドとトロントのロジャーズセンター,それに,タンパベイのトロピカーナフィールドも仲間に入れておくことにします。これらは,1960年代から1992年までに作られたものです。
 三つ目は,1992年以降に作られたボールパークです。

 正直言って,私はこの中で,ふたつ目として取り上げたボールパークにはまったく魅力を感じません。もし,生涯で一度っきりメジャーリーグを見るのだったら,文句なく一番目のふたつのボールパークがいいと思うし,アメリカの豪華なベースボールを感じたいのなら,このふたつ目に取り上げたボールパークは避けるべきだと思います。とはいえ,これらのボールパークも,決して「ひどい」わけではなくて,きっと見にいけばその豪華さにびっくりするでしょうが…。
 と,ここまで書いていて,日本のいわゆる野球場というのは,どこも,このふたつ目のボールパークをもっと貧しくしたものだと気づきました。
 それがどういうことか,次回から書いていきたいと思います。 

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 では,きょうは携帯電話のお話です。
 アメリカをドライブ旅行していて,連絡方法がないというのは致命的なのです。私は,これで長年苦労してきました。これまで,携帯電話をレンタルしたこともありましたが,機種が使いにくく,恒久的に使うこともできないので不便でした。

 近ごろは,日本でもやっと,SIMフリーといって,携帯電話に入っている小さなSIMカードを入れ替えるだけで,同じ機種やスマートフォンでも会社を変えて使えるようになりました。
 補足すると,これまでは契約した携帯電話会社を変えるとそれまで使っていた機種が使えなかったのですが,これは携帯電話のせいではなくて,携帯電話に挿入されているSIMカードに「ロック」がかかっていて,ほかの機種に入れ替えられないようにしてあったというのが理由でした。これもまた,ユーザー無視,儲けることしか考えていない「せこい」日本の携帯電話会社の都合だったのです。

 私がこれまでやっていた方法は,携帯電話はauの「ガラ携」を使用し,外出先のフリーwifiでインターネットに接続するときはiPod-touch,そして,ソニーのSIMフリースマートフォンにOCNのデータSIMを入れたものでメールチェックをするというものでした。
 つまり,つねに3台持っていました。そして,アメリカに行くときは,ソニーのスマートフォンのSIMをHanaCellのアメリカ用の携帯電話SIMに入れ替えて使っていました。
 維持費は月に2,000円程度でしたがから,多くの人が月に10,000円以上も使っているよりははるかに安価な維持費でしたが,ソニーのスマートフォンが使いにくいこと(近頃は「日本製=使いにくい」というイメージです)に加え,3台持ちというのはやはり不便でした。
 アメリカに行ってつくづく思ったのですが,今は,iPadとiPhoneの2台で何でもできる時代になったのです。これで日々の生活も世界もかけめぐれるのです。
 そこで,私も,これを機に,すべてを一新することにしました。

 まず,中途解約で必要な解約料が高かろうとなんだろうと,携帯電話を解約することにしました。今後もずっと携帯電話会社の呪縛にかかわりたくないからです。
 SIMフリー解禁を機に,そろそろ高額の費用が必要な携帯電話会社との契約は決別するいい時期なのかもしれません。月10,000円というのは,1年12万円なんですよ! アメリカ往復できます。それにしても,携帯電話会社のわけのわからない料金体系,見ているだけで気分が悪くなりますね。どんな契約をしても絶対に会社が得するようになっているのは間違いありませんが。
 そして,私は,Apple Store で,SIMフリーの iPhone を購入しました。機種代が少し高く感じられますが,携帯電話会社に払う月々の契約料や通信料を考えると,そして,携帯電話会社との束縛が全くないことを考えると,この方が結局は割安なのです。
 次に,「音声対応SIM - OCN モバイルONE -」 をOCNで購入しました。これは,購入したときにはまず契約番号だけが送られてきて,その番号と契約に必要な情報をインターネットのサイトで入力して送信すると,後日SIMカードが送られてくるというシステムです。SIMカードはサイズが3種類あるので間違えないようにします。iphoneは3種類のうち一番小さいnanoSIMです。アダプタを使うと,小さなものは大きなものにも使えるので,将来機種を変えてもSIMカードはnanoSIMを選べば間違いありません。
 これだけで電話とデータ通信ができます。電話番号はこれまでの携帯電話の番号が使えるのですが,携帯会社から番号を持ち出すときにいろいろ言われてわずらわしいので,私は,あえて新しい番号にしました。

 さらに,ブラステル(brastel)という会社で「ブラステルカード」を購入するのですが,私はすでに持っていますのでそれを利用しました。このブラステルカードというのはプリペイドカードで,事前に購入した金額だけ電話ができます。公衆電話や一般電話から電話をかけるときは,ブラステルで指定された電話番号に電話をして,自分のID番号とパスワードをダイヤルしたのちに,相手方の電話番号にダイヤルするという方法です。すこし面倒ですが,通話料金はかなり割安です。これに加えて,ブラステルには通話料金が安価なIP電話「050Free」 というのがあるので (OCN モバイルONEにも「005plus」というIP電話が契約ができますが,「050Free」のほうが通話料がより安いです),これを契約(契約料は無料)して,アプリをダウンロードしました。
 電話はこのアプリから発信します。OCN モバイルONEで発行してもらった携帯電話の番号(090とか080)と050を選択して電話ができます。このアプリから電話する場合は自分のID番号とパスワードを入力する必要がなく,相手方の電話番号にふつうに電話をするだけです。また,050というのはインターネットに接続していないと使えないのですが,相手から050にかけてきたときは,自動的に090とか080に変換してくれます。また,このデータ通信カードを使ってインターネットに接続して050電話を使うと,110MBで約270分も通話が出来るそうです。

 以上のようにすると,iPhoneによる電話とインターネットの接続は合わせて月々税別1,600円です。インターネットは1日に110MBまでの通信容量が使えます(使わない分は翌日に持越しできます)。家庭にいるときや,外出先でフリーwifiがつながる場所ではそのwifiを利用するので、費用がかかりませんし,このようなフリーwifiのつながる場所は今後は日本でも増えていくので,この容量で問題なく使用できると思われます。
 ブラステルのアプリから電話をするときの通話料金はブラステルのプリペイドカードに入金した金額から支払われますが,私はほどんど電話をしないので,月々100円以下だと思われます。
 アメリカへ行くときは,このiPhoneに挿入したSIMカードをアメリカの国内用のものに入れ替えれば,そのままアメリカの携帯電話になります。
 アメリカ国内用のSIMカードをさがしたところ,HanaCellという会社に「プリペイド+」というのがあったので,それを契約して,送ってもらいました。他にモベルという会社もありますが,こちらの方が通話料が高いです。
 この「プリペイド+」は,アメリカの国内電話の番号が自分専用にもらえて,アメリカの国内電話として使えます。通話料は当然アメリカの携帯電話と同じで,アメリカ国内同士はもちろん,アメリカから日本にも電話できますし,日本からこのiPhoneにもかけることができます。
 この「プリペイド+」は,電話を使用しないときは費用が0円というのがすぐれたところです。また,プリペイドといっても事前の入金は不要で,使用した分だけの通話料が後で引き落とされるというシステムです。このカードはデータ通信もできますが,前回にも書いたように,アメリカではフリーwifiがつながるので,この点でも問題はありません。
 つまり,このiPhone1台で,日本にいるときはOCNのSIMカードを使用し,アメリカに旅行した時だけ,アメリカのSIMカードに入れ替えて使用するというわけです。私のスマホライフはこのような契約になりました。維持費は電話料金も含めて月1,800円ほど,しかも今後一切携帯電話会社の拘束なしです。
 これが私の決定版です。
 携帯電話会社3社は「カケ放題」とか,「データ定額」とかうたって月8,000円もするプランを提示していますが,自分がどれほど使っているかを調べてみれば,いかにむだにお金を捨てているかがわかると思いますよ。しかも何年縛りだとか,なにか,会社にロープをかけられて生きているみたいではありませんか。
 余ったお金でアメリカ旅行をしましょう!

◇◇◇
きょうの1番目の写真は,私がサンフランシスコで宿泊したホテルにあった最新式の電話です。この電話で一番便利だったのは,USB端子が3つついていたことで,これで充電ができました。
このように,アメリカではどんどんとインフラが整備されているのですが,それに比べて日本は非常に遅れているのです。残念なことに,ほとんどの日本の人はそういう世界の常識を認識していません。

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