●シュガーミルの跡地にある博物館●
カラウパパ展望台とファリック・ロックへ行った帰り,予定通り,来るときは通り過ぎたモロカイ・ミュージアム&カルチャーセンター(Molokai Museum and Cultural Center)という博物館を訪ねることにした。 ここは,1878年から1889年の11年間稼働していたハワイで最も小さいシュガーミル,つまりサトウキビ工場の跡が博物館として公開されているところである。
マウイ島にもアレキサンダー&ボールドウィン砂糖博物館(Alexander & Baldwin Sugar Museum)があって訪れたことがある。ここはそれとは比べものにならないくらい小さな博物館だったが,それでも,モロカイ島では唯一の博物館であった。屋外は無料で見学できるが,館内は入館料が必要であった。しかし,クレジットカードは使えず,また,館内は撮影禁止,というように,まるで日本の時代遅れの博物館のようなところであった。
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ハワイには,ポリネシア人がやってきたころからサトウキビは存在した。サトウキビはハワイ語ではコー(Kō)という。コーは甘味料としてだけでなく,薬としてカフナ(Kahuna=ハワイ語で聖職者,魔術師,牧師や,職業における熟練者のこと)に用いられた。また固い葉は屋根を葺く材料に,ススキのような花の部分はレイにと,様々な用途に利用されていた。
砂糖産業は,1835年,西欧人によるカウアイ島コロアでの砂糖キビ栽培にはじまる。1848年にカメハメハ3世が行なった土地の分配「グレート マヘレ」(The Great Mahele)により土地の個人所有が認められ,砂糖キビは西欧人による砂糖プランテーションでの大規模栽培に変化していった。特にはハワイ島では土地が広く,また高山から流れ出るいくつもの水源に恵まれたため,島の北端ノース・コハラからハマクア・コースト,そして,島の南部カウに至るまでの広大な範囲がサトウキビ畑として開墾され,最盛期には20を越える砂糖精製会社があったという。
しかし,20世紀後半,南米などで価格の安い砂糖が台頭した事からハワイの砂糖産業は衰え,1996年にパハラの製糖工場が閉まったのを最後に,サトウキビ・プランテーションはハワイから姿を消していった。
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ばらばらとだが,観光客が途絶えることなくやって来た。というのも,モロカイ島で観光地といったところで,ここくらいしかないのであった。館内では,シュガーミルについてのビデオの上映がはじまっていたので,まず,それを見た。館内にはそれ以外に,地元の芸術品や工芸品を販売するギフトショップやペトログリフからプランテーション時代の家具までの折衷的な展示もあった。 壁にはハワイの首長であるカラマと結婚したドイツの測量士である製粉所の創設者ルドルフ・W・マイヤーの孫娘を含む肖像画が並んでいた。
ビデオと館内の展示を見てから,外の展示を見た。
1878年に建てられた製粉所は,博物館から上り坂を歩くと,かつてサトウキビを粉砕する機械に動力を供給していたミュールの周りを回る納屋のような製粉所と屋外ピットが見えた。ここでは,ミュールが駆動するサトウキビ粉砕機や蒸気機関など,砂糖を製造するプロセスを垣間見ることができた。
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2020春アメリカ旅行記-早朝のモロカイ島⑧
●ファリック・ロック●
駐車場まで戻った。駐車場からはまっすぐに舗装されたトレイルが先に行ったカラウパパ展望台で,左手の舗装されていないほうのトレイルは,ファリック・ロックが目的地である。ということで,今度は左手のトレイルを歩くことにした。
別のトレイルを行きました。このトレイルは松林のなかの山道で,オーストラリアの岩しかない国立公園に似た感じだった。どうも私はこういうトレイルを歩く楽しさがわからない。おそらく,それはそれで,岩の種類だとか松林の様子だとかにも味わいがあるのだろうが,そうした知識がないのである。おそらくそれは満天の星空も同様であろう。
5分ほど行くと,高さが2メートルほどのファリック・ロック(Phallic Rock)という特別な岩に到着した。この岩は別名を「ナナホアのペニス」(Ka Ule O Nanahoa)という。名前のごとくの形状をしている。
伝説によれば,ナナホアは妻のカワフナを嫉妬深い怒りで殴ったことでペニスのように見える石に変わってしまった。
実際は,石はその外観を強調するために何年にもわたって修正されてきたのだそうだ。 レイの供物を持ってここに来て一晩滞在する女性は妊娠すると言われているという。
こういう話は世界中さまざまなところにあるものだ。
私の住むところの近くにも,田縣神社がある。境内には男根をかたどった石などが多数祀られていて,毎年3月15日に豊年祭が行われる。男達が大男茎形(おおおわせがた)とよばれる男根をかたどった神輿を担いで練り歩き,小ぶりな男根をかたどったものを巫女たちが抱えて練り歩く。それに触れると子を授かるという伝承がある。
この祭事は,男根を「天」,女陰を「地」と見立て,「天からの恵みにより大地が潤い,五穀豊穣となる事と子宝に恵まれる」事を祈願するものである。
また,少し離れた場所に大縣神社があり,豊年祭が田縣神社とは対になっており,こちらは女陰をかたどった山車などが練り歩く。
要するに,日本では,五穀豊穣を祈るお祭りなのであるが,ハワイでは,単に,この岩の形状からそういう話になったように私は思う。
☆ミミミ
3月18日19時42分,国際宇宙ステーションが月の近くを通っていきました。写真は17コマの合成です。明日は18時55分に,また,月を横切り,火星の横を通っていきます。
2020春アメリカ旅行記-早朝のモロカイ島⑦
●未知なるカラウパパ●
カネミツ・ベーカリー&コーヒーショップで朝食をとり,昼食用にドーナッツを買ってお店を出て,今度は島の西側に行くことにした。今日は島の東側を観光し,明日は西側,という予定だったのだが,モロカイ島は思った以上に狭く,1日で周回できてしまうようだった。
島の形を右を向いたアユに例えれば,島唯一の町カウナカカイはおなかのところにあり,これから尾ひれの方向に向かうということになる。しかし,島の西側は,南の海岸線沿いにも北の海岸沿いにも道路がないので,カウナカカイから北上してひとまず北の海岸まで行き,そこから少し戻って右折して島の西側の内陸部を西に進むことになる。
北上する途中にあるのが,この島にやってきたモロカイ空港であった。このように,私は,2日目にしてやっと島のなかにあるもろもろの場所の位置関係がわかってきた。空港を左手に見てさらに北に進むと,クアラプウ(Kualapuu)という小さな町があって,その先にモロカイ・ミュージアム&カルチャーセンターというこれもまた小さな博物館が見つかった。
そこへは帰りに寄ることにして通り過ぎると,その先の突き当たりがパラアウ州立公園(Palaau State Park)の無料駐車場だった。これが島の北端である。駐車場には2,3台の車が停まっていた。つまり,私以外に観光客がいたということだ。私もそこに車を停めて少し舗装した道を歩くと,カラウパパ展望台(Kalaupapa Lookout)に到着した。
展望台からは右手に突き出した半島が眺められれる。その半島こそ,かつてハンセン病患者の人たちを隔離したカラウパパであった。カラウパパへはアクセスする道路はなく,海から行くか,空から行くか,あるいは,狭い山道をカラウパパ・ミュール・ツアーというもの参加してミュールで行くかしかないということだ。
ミュールというのは,馬とロバを交配させて生まれた動物で,それに乗って行くのだそうだ。このツアー,宣伝などどこにもなく,電話で申し込むという話のようだが,私が行った時期はシーズンオフで,ツアーも実施されていないようだった。というか,本当にやっているのだろうか? と,後日調べてみると,2018年12月より土砂崩れの影響によってトレイルが閉鎖中のため現在ツアーは催行されていない,ということであった。
この先は,当然,行かなかったからわからないが,カラウパパについて調べたことを書くことにする。地図と写真は Google Maps からの引用である。
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カラウパパへは3マイル,約5キロメートルの道のりで,26回ものスイッチバックを経て90分壮大な景色の中をミュールに乗って歩いくと,ハワイで最も人里離れた集落のひとつである歴史的な町カラウパパの海面に到着する。カラウパパは風光明媚で,孤立した場所である。
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そうか,本当のハワイ通になるには,このカラウパパと,禁断の島ニイハウ島に行く必要があるわけだ。ともに行ったことがある日本人は何人いるのだろうか?
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カラウパパは,かつて,ベルギーの宣教師であった聖ダミアン(Saint Damien),そして,その後継となった聖マリアンヌコープ(Saint Marianne Cope)が献身的につくした場所であった。
1873年,ダミアン神父は,カラウパパに追放されたハワイのハンセン病の住民の世話をするためにやってきた。16年間の忠実な奉仕の後,ダミアン神父もまた,この病気に屈し,カラウパパの聖フィロメナローマカトリック教会(St. Philomena Roman Catholic Church in Kalaupapa)に眠ることになった。今,そこにはダミアン神父の墓がある。2009年,ダミアン神父は聖人として列聖された。
ダミアン神父の死の数か月前,並外れた精神の女性がダミアン神父の仕事を続けるためにカラウパパにやって来た。それがシスター・マリアヌコープであった。シスター・マリアヌコープは修道会の長であり,ニューヨークのセントジョセフ病院で熟練した病院管理者であり,ハワイのいくつかの病院と介護施設を監督していたが,ダミアン神父の要請で,ダミアン神父が設立した少年や少女のための司教の家を運営し,彼らと生活を送ることを志願したのだった。
シスター・マリアヌコープは1918年に亡くなり,遺体はビショップホームの敷地内に埋葬され,のち,2005年にニューヨーク州シラキュース(Syracuse, New York)に返還された。シスター・マリアヌコープもまた,2012年,聖マリアンヌコープとして列聖された。聖マリアンヌコープを称える銅像は,ホノルルのケワロベイシンパーク(Kewalo Basin Park in Honolulu)にあって,海を見下ろしている。
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2020春アメリカ旅行記-早朝のモロカイ島⑥
●モロカイ島で唯一のパン屋さん●
午前9時ころ,予定より早くカウナカカイに戻ってきた。昨日到着したときはもう遅かったので多くの店が閉店していたから,今日はカウナカカイの商店をウィンドウショッピングしつつ,朝食を食べるお店探しであった。しかし,朝食らしい朝食が食べられそうだったのは,カネミツ・ベーカリー&コーヒーショップだけだった。
カネミツ・ベーカリー&コーヒーショップはモロカイ島で唯一のパン屋さん。翌日の朝に並べるパンを仕込んでいる夜の時間帯に,焼き立てを求めて店の裏側にまわって行列を作ると「地球の歩き方」には書いてあった。
朝7時から店内のカフェスペースで食事ができるということだったので,勇気を出して中に入ってみた。
古ぼけた店内は,地元の人でごった返していた。そもそもこの島にこのような店はここしかないのだから,みんな知り合いのようなものだ。私だって,ここに住んでいたら常連になるだろう。
しかし,いらっしゃいませでもなければ,店員が案内してくれるわけでもない。知った人なら,また来たぞ元気かとかいう声をかけるところだろうが,私のようなよそ者が入るのはまさに場違いな感じで,それは,日本の田舎のカフェもまた同じようなものだ。
適当に座っていたが,一向に店員が注文を取りに来ない。要するに私は空気なのだった。店員はみな忙しくしていて,声をかける間すら見つからない。それは決して感じが悪いとか,ぞんざいということではない。日本のような営業スマイルがないだけのことだ。
少し待って,やっとひとりの店員と目があって,メニューを見せてもらうことに成功した。そして, 私はモーニングセットを注文した。モーニングセットとやらは,写真のようなもので,まあ,マシな朝食にありつくことができたわけだった。
このようにして,ともかく朝食を終えて,お金を払うとき,はじめてこの島に来たと言ったらドーナッツを勧められたので,ひとつ買うことにした。
昭和のころの日本みたいなところだった。
私はこれまでさまざまところを旅行したが,モロカイ島ほど食事に困ったところはなかった。なにせ,島なので,この島になければどこへも行くことができないのだ。
私は日常も食事は質素だし,旅行に行く目的もグルメではないから,おなかが満たされればそれで十分なのだが,そんな私でも困るほどだった。
それにしても,モロカイ島に限らず,アメリカは食事に関してはとにかく最低である。その点,ヨーロッパはすばらしい。ホテルでも,すばらしい朝食が提供される。物価が高いというアイスランドでも,お金さえ出せは満足な食事をとるところはいくらでもあった。むしろ日本のほうがよほど貧弱だ。食後の紙コップにコーヒーなんて,海外では考えられないことである。日本人は,こうして,ある大切な一線を無意識に容易に越してしまうことがある。
話は横道にそれるが,私がときに国内を旅行するときに,伝統的な日本食の朝食が提供されるような温泉宿は別として,バイキング形式の朝食が提供されるような場で,ずいぶん多くの日本人が朝からご飯と味噌汁,玉子焼きに納豆に漬物といった食事をしているのに,私は驚くのだ。こういう人が海外旅行をすれば,そりゃ戸惑うことであろう。
2020春アメリカ旅行記-早朝のモロカイ島⑤
●コキオ・ケオ・ケオ・イマクラトゥス ●
ハラウ渓谷から先は,4WDの車に乗って内陸部に向かって行く道があるそうで,その先は,古代から形を変えないハワイの熱帯雨林・カマコウ自然保護区があり,珍しいハワイ固有種の動植物が生息していたり,また,ワイコル展望台からはワイコル渓谷の見事な姿が目の前に広がるという。また,島の北東の海岸線に沿って,非常に高い岸壁であるノースショア・パリがあって,岸壁の高さとしては世界一で,1,100メートルから1,200メートルにもおよぶということだったが,私は行くことができなかった。
ハラウ渓谷からの帰り,行きに走ったのと同じ南海岸に沿ってカメハメハ5世ハイウェイ(Kamehameha V Hwy)と名づけられた州道450を戻ってきた。
この道は片側1車線の田舎道で,というより,モロカイ島の道路はどこも片側1車線であったが,舗装された,そして,ほとんど車も通らない快適なドライブコースであった。
ハラウ渓谷からカウナカカイまでは27マイル,約43キロメートルで,途中,いくつかの見どころをがあるということだったので,それらを順にと思って,行きはどこにも止まらずにハラウ渓谷までたどり着いたのだが,実際は,見どころといっても,海岸線にそった美しい,というか自然いっぱいのビーチと,たったひとつ小さな教会があっただけだった。
教会の前に駐車スペースがあったが,車は停まっていなかった,というより,人影ずらなかった。
車を停めて教会の小さな入口に向かった。入口は閉まっていたが,施錠はされておらず,戸を開けて中に入ることができた。
その教会はセント・ジョセフ教会(St.Jpseph's Church)といい,1833年建立のモロカイ島最古のキリスト教会であるカルアアハ教会に次いで,1876年にダミアン神父が建てたモロカイ島で2番目に歴史のある教会であった。
教会の建物の傍らには,首にレイがかけられたダミアン神父の像が立っていた。
また,この教会の玄関前の左右にハイビスカスが植えられていたが,ここのハイビスカスはコキオ・ケオ・ケオ・イマクラトゥス (Koki'o Ke'o Ke'o Immaculatus)というモロカイ島固有種のハイビスカスだそうだ。このハイビスカスの白い花が咲くのは,まさに「夕方の朝顔」というように夕方で,それ以外の時間はその花弁を閉じてしまうから,残念ながら,私の行った時間にはその姿をみることはできなかった。
一般に,ハイビスカスというと,ワイキキを中心に世界でよく知られるハワイアンハイビスカスを指すが,これはハワイの在来種と外来種をかけ合わせて造られたもので,固有種そのものはあまり知られていない。実は,ハワイ固有のハイビスカスは何種類かあって,そのなかでもっとも広く分布しているのがコキオ・ケオ・ケオ・イマクラトゥスである。ケオとは咲く花のごとく白のことである。
樹高は8メートルから10メートル,花のサイズは4センチメートルから8センチメートルほどで,固有種のなかではもっとも大きな花を咲かせるという。白い花弁と赤い花柱との鮮やかなコントラストが特徴的であり,花にはとてもよい⾹りがある。
このコキオ・ケオ・ケオ・イマクラトゥスに中国原産のブッソウゲをかけ合わせたものが,ハワイアンハイビスカスとよばれる園芸品種なのである。
ところで,海外に行くと,多くの場所に教会がある。それは,日本の寺と同じだろうが,私は,宗教に疎いので,教会が何たるかという本当のところはよく知らない。どの宗教の信者であろうと,それがどういうものかという知識くらいは,訪れるのなら知っておくべきだろうが,それが書かれたものを読んだことも勉強したこともないから,よくわからない。
そもそも,日本でも,多くの神社仏閣に行くことがあるが,その目的は観光であって,それが何宗かということすら認識がないのだが,それではいけないと近ごろ思うようになった。
2020春アメリカ旅行記-早朝のモロカイ島④
●まるでサンダーバードの秘密基地●
ハラワ湾からの帰りである。モロカイ島には信号機がひとつもなかった。それで何の問題もないのである。
私がこの旅で持参していたのは古い,というか2015年から2016年の「地球の歩き方」ハワイ編Ⅱであったが,このシリーズ,2020年に起きたコロナ禍で,全く売れなくなった。たしか2021年の新刊は発売されていないように思うが,やがてコロナ禍が収まって再び人々が海外に出かけたとき,そこに書かれた内容のどれだけが使用できるのであろうか? そのとき,この本にある多くのホテルやレストランはまだ営業をしているであろうか?
おそらく,また,この自粛のリバウンドで,多くの人が海外に出かけることであろうが,そのときは,2020年の秋に日本で起きたGo To Travel のように,さまざなまツアーが発売され,どこもごった返すに違いない。私はそのとき,再びどんな旅に出かけるのだろうか?
いずれにしても,今,私がなつかしい,また行ってみたいと思う場所のそのほとんどは人のほとんどいない大自然と,そして,歴史のいっぱい詰まったオーストリアだけなのである。
話を戻す。
このときに持参した「地球の歩き方」ハワイ編Ⅱに載っていた「モロカイ島を満喫する旅のモデルプラン」3日間コースの2日目は次のようにあったから引用してみる。
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【2日目】
東モロカイへドライブに出かけよう。カウナカカイからはノンストップで往復2時間30分ほどの道のりだが,東モロカイの美しいビーチで泳いだり,有名な教会を見学していると,時間が経つのはあっという間。
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それが今日の写真のビーチであるが,まるで,ここはサンダーバードの大西洋の孤島の秘密基地でった。
ここクミビーチはヤシの木に囲まれた白砂のビーチで,ほとんど人がいないから,プライベートビーチ気分が味わえるところだ。考えてみれば,オアフ島やマウイ島のえらく高価なリゾートホテルのプライベートビーチなんぞより,ずっとここのビーチの方が贅沢な気がする。もちろんライフガードもいなし,シャワーやトイレもない。当然,自働販売機すらないから,飲み物食べ物を持参する必要があるが,それにも増して,このすばらしさは類をみない。
このあたりにロックポイント(Rock Point)とよばれるモロカイ島のサーフスポットがあり,サーフィンに適したよい波が立つ場所だというが,サーファーのひとりも見かけなかった。また,遠くにはマウイ島やカメが浮かんでいるように見える無人島モクホオニキ(Mokuhooniki Island)が見える。
さらに,絶滅危惧種の鳥ネネに遭遇するチャンスもあるという。私はこれまで世界各地で奇跡的にいろんな鳥を見てきたが,残念ながら,このときはネネを見ることができなかった。いや,気がつかなかった。
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ネネ(nene)は,ハワイ州の州鳥である。人間がハワイにやってくるよりもはるか昔にハワイにたどり着いたカナダガン(Branta canadensis)がハワイで独自に進化したものと考えられている。
ハワイ島のマウナロアやマウイ島のハレアカラなどの高山の溶岩が多いスロープに住む。
全長は64センチメートルほどで体重は大きなものでは2キログラムになるという。
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Snow Moon.
The explanation behind February's full Moon name is a fairly straightforward one.
It's known as the Snow Moon due to the typically heavy snowfall that occurs in February.
2020春アメリカ旅行記-早朝のモロカイ島③
●まさに地の果て,ハラワ湾●
クミミビーチで日の出を見て,さらに東に向かって進んでいった。ここまで来るときに見つけた家は1軒であったが,こうした場所に住んでいるのに,何か驚きとともにうらやましさを感じた。
やがて,海岸線に沿って道がなくなり,高台に向かって登り坂になった。道路が狭くなり,曲がりくねっていてカーブが続いたのだが,「地球の歩き方」に「車がすれ違えないほど狭い場所がある」と書かれてあったので気になったが,さほどのことはなかった。もっと狭く,路肩が崩れたような道が日本にはいくらでもある。
日本の道路は,工事などしなくてもいいのにやたらと工事を繰り返したり,また,道路をいろんな色で塗りたぐったり,ポールを立てたり,蛍光板を光らせたりと,豪雨にでもなれば,それらが意味なく光り,危険極まりないような整備? をしているところがある反面で,センターラインすら消えかかっているのに,一向に引き直さなかったり,山の中では崩れたままになっているような道路が山ほどある。
それに比べたら,ずっと整備されているし,意味のない看板もないから美しい。
くねくね道を登っていくと,やがて丘の上まで来て,そこは,ククイの木がうっそうとするラニカウラ・ククイの森(Lanikaula Kukui Grave)があった。広い駐車スペースがあったので,一旦車を停めて外に出てみた。
再び出発すると,マナエ・グッズ&グラインズ(Mana'e Good & Grinds)という小さなストアが1軒あって,早朝とはいえ,店は開いているようで,車が1台停まっていた。
あとで思うに,このお店は食事もできるようだったので,ここで朝食をとればよかったのだが,なぜかこのとき,そんな心境にならず,写真の1枚すらないのが惜しまれる。私は,結構図々しく何でもチャレンジするのだが,突然,消極的になってしまう悪癖があって,後で後悔する。
このあたり,何もない山の中のようで,実は,牧場があって,人が住んでいる。そして,この店がこの辺りにあるたった1軒のストアなのだった。
マナエ・グッズ&グラインズを通り過ぎると,プウ・オ・ホク牧場(Puu O Hoku Ranch)があった。意外なことにここは平原が広がっていて,牧場と道路の境は有刺鉄線で囲われているにもかかわらず,突然,数頭の野生のシカが次々と道路に飛び出してきた。シカは有刺鉄線をものともせず隙間を器用に通り抜けたようだったが,こんなところでシカを轢いたらエライことになると思った。モロカイ島に野生のシカが生息しているのにも驚いた。
牧場ではウシがのどかに牧草をほおばっていた。これが,昨晩食べたハンバーガーにあったモロカイ島産の肉なのだろう。
やがて,牧場を越えると,道路は下り坂となり,車が1台しか通れない道幅となり,海に落ちていくような急坂を下ると,眼下にハラワ湾(Halawa Bay)が見えてきた。
ハラワ湾のまわりはひとひとり見えなかった。調べてみると,かつては集落があって栄えたということだが,今はもう秘境以外の何モノでもない場所だった。道路もほとんど車が通った痕跡がなかった。
遠くには滝が見え,不思議なことに,湾の向こうに民家が1軒あったのだが,そこに行く道がみつからなかった。ここは,まさに地の果てであった。こうだから,旅はやめられない。いくら多くの日本人がハワイに行くとしても,こんなところまで来た人が何人いたことだろうか。
なぜかうれしくなって,私はしばらくの間,ハラワ湾を眺めていた。
2020春アメリカ旅行記-早朝のモロカイ島②
●モロカイ島の人のいないビーチ●
モロカイ島にあるビーチは,この日私が走っている島の南東海岸にあるワンアリイビーチ(One Alii Beach),プコオビーチ(Pukoo Beach),クミミビーチ(Kumimi Beach),東の果てのハラワビーチ,そして,次の日に行く予定をしている島の西海岸のポハクマウリウリビーチ(Pohaku Mauliuli Beach),パホハクビーチ(Papohaku Beach),カプカヘフビーチ(Kapukahehu Beach)くらいのものである。
モロカイ島にあるビーチをオアフ島のワイキキビーチと比べてはいけない。ここにあるのは砂浜だけで,売店すらない。ピクニックテーブルやトイレ,シャワーという設備があるビーチも存在するが,そもそも,だれも泳いでいないしさびれている。考えようでは,イスを持ってきて,砂浜に陣取ってボーッと海を眺めれば,太平洋のど真ん中で広々とした美しいビーチを「世界は私だけのもの」と独り占めすることができるから,これ以上の贅沢はない。
しかし,そんな姿を見慣れてしまうと,日本のゴミだらけで汚い,そして,人があふれているビーチなど,まったく興味がなくなってくるのもまた,当然のことであろう。
私は,途中どこへも寄らず,まずは東端の先端まで行こうと走っていたが,ちょうど日の出と重なったので,海から昇る日の出を見ようと,車を停める場所を探した。幸い,広い空き地があったので車を停めると,運よくちょうど太陽が昇るところであった。
オアフ島のことはあまり知らないが,ハワイ島では,東海岸にあるヒロの郊外に出ると海から昇る朝日が見られる。マウイ島では,東の海岸はどこも断崖絶壁でたとりつくのが難しいから,ハレアカラ山の山頂からの朝日をみることになる。カウアイ島では東海岸は開けているから朝日を見る場所が少なくないが,天気がいまひとつだったので,私は見た記憶がない。
ハワイではどの島も夕日が沈むのを見ることができる場所は多く,どこでも美しい夕焼けが見られるが,日の出が海から昇るのを見られる場所は意外とないものだ。
一般に,日の出というのは,太陽が地平線や水平線から出てくる瞬間こそ神々しいのだが,それ以外はとくに美しいこともないと思う。それでも,雲ひとつないよりも,むしろ適当に雲があって,日が昇る前に太陽の光が雲に反射して赤く染まるほうが魅力がある。
このとき,私が知らずに車をとめたところはクミミビーチであった。ここはヤシの木に囲まれた白砂のビーチで,スノーケリングポイントとして有名ということだったが,当然,こんな時間には私以外に人はだれもいなかった。幸いなことに,適度に雲があって,すばらしい夜明けを独り占めすることができた。
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The Lunar X.
「月面X」はクレーターの凹凸の光と影により月面にXの文字が浮かびあがる現象です。
2020春アメリカ旅行記-早朝のモロカイ島①
●わずか1年前のことだったのに●
☆2日目 2020年2月21日(金)
数年前までは,海外旅行に出かけると,時差ボケがきつかった。特に,東の方向に行くときは,到着して2,3日は,夜寝られずに困った。しかし,このごろは,日本にいても,睡眠時間が少なくなったし,海外に出かけても,機内でだらだらと過ごすとそのまま時差ボケもなく過ごせるようになった。しかも,異常な早起きは,日本にいても,海外に出かけても同じである。
そこで,2日目の朝も,午前4時前には目覚めた。まだ夜が明けていなかったので,再び,庭に出て,星空を写すことにした。 さそり座は夏の星座であるが,この時期,明け方の空には夏の星座が輝いている。さそり座からいて座にかけての銀河は写し甲斐がある。それでも,ハワイは北半球だから物足りないが,これが赤道を越えると,魅惑の南半球の星空が広がるわけだ。再びその姿を見ることができる日が来るのだろうか?
やがて夜が明け, モロカイ島2日目の朝が来た。
今回の旅はわずか2泊3日だから,実質,2日目と3日目,2日間の観光となる。
東西に長細い右を向いたアユのような形をしたモロカイ島は,中央の南の部分が若干の平地となっていて,そこに島唯一の町カウナカカイ(Kaunakakai)がある。私の泊っていたコンドミニアムはカウナカカイ近くの南の海岸にあるから,2日目のこの日は島の東側,3日目の次の日は島の西側を巡ることにした。
東に向かって南の海岸線を走っていく。東の先端まで道が伸びていて,先端近くの海岸がクミミビーチ(Kumimi Beach),そこから島の東の端までは山を登っていって,北東の果てにハラワ渓谷(Halawa Valley)がある。まだ夜は明けきっていなくて,白んだ空を右手に海岸線を望み,片側1車線の道路を走っていくが,車は走っていなくて,たった1台すれ違ったのはこの辺りに住む人のピックアップトラックだけであった。こんなところに住んでいて,何をするのだろうと思った。生まれたらここに住んでいた,というのはどんな気持ちだろう。でも,なんだか私は憧れる。
コンドミニアムから20マイル,約32キロメートルほど走ったころ,先ほど表現した右を向いたアユでいえばエラのあたりで夜明けになった。太陽が昇りきる前に,どこかに車を停めて写真を撮ろうと思った。なかなか場所が見つからなかったが,なんとか海を眺められる駐車スペースがあったので,車を停めた。幸運にも,今まさに太陽が海から昇るところであった。