以前このブログで「月刊天文ガイド」と「天文年鑑」について書きました。それらに加えて,私が面白いと思うのは,昭和40年代に出版された天文書です。こうし古い天文書の多くは,現在,ヤフーオークションに出品されていたりするのですが,その多くのものは内容が古く,懐かしいというだけでそれ以外には価値がなくなってしまいました。私も実家で探していたら,今はもう,手に取ることもなくなっていたそのころに出版された多くの本が出てきました。
しかし,それらの書籍のなかには,今でも入手困難な,そして価値のある人気本がいくつかあります。
その1冊に,「望遠鏡」(広瀬秀雄著・中央公論社自然選書)があります。
著者の広瀬秀雄教授は1909年生まれです。 教授は日本の星食観測データを整約すると系統的な狂いが出ることから、日本での観測位置を移動させる必要があることを指摘し,この指摘は,1948年5月に礼文島で見られた金環日食の際に,実際に観測隊を移動させて,事実であることが証明されたことで知られています。
広瀬教授は私が小学生だった頃の東京大学の先生ですが,1947年に出版された「シュミットカメラ」という著書が有名です。私は,この本を,偶然,神田の古本屋さんで見つけたことがあります。本というよりも,触ると破けしまいそうなざら紙の束でしたが,それでも数万円しました。これは戦後まもなく出版された幻の本です。
そこで,広瀬教授とシュミットカメラとのかかわりについて調べてみたら,日本天文学会の出版する「天文月報」のバックナンバーに,教授が書かれたさまざまな記事が見つかりました。私が思うに,教授の研究は,視野の広い天体カメラが欲しいというその一念だったのでしょう。そのために,シュミットカメラという新しい技術を習得する書物を読み研究したのです。だから,その後,木曽の観測所に巨大な105センチのシュミットカメラが設置されたときは,本当にうれしかったのではないかと思います。
この「望遠鏡」という本には,これらのことが随筆風に,しかし,情熱的に書かれています。
もう1冊の価値ある本は「反射望遠鏡の作り方」(木邊成麿著)です。
木邊成麿(きべ しげまろ)さんは1912年生まれの真宗木辺派錦織寺(野洲市木部)の門主です。木邊さんは門主でありながら,日本有数の反射凹面鏡研磨家で,木邊さんの磨くレンズは「木邊鏡」と呼ばれて非常に有名でした。 「反射望遠鏡の作り方」は,その独特な製本と赤い表紙の品のある本で,この本を何度も読んで,立派な鏡を作成した人の中には,池谷・関彗星の発見で有名な池谷薫さんがいます。
実際は,この本は,「反射望遠鏡の作り方」ではなくて,その内容のほとんどは「反射鏡の作り方」なのですが,当時は,ガラスを磨いて反射鏡を作り,自分で作った望遠鏡で星を見る,ということに,多くの天文少年が憧れたものでした。
このように,昭和40年代は,貧しくとも,本当に夢のある時代でした。人々の生活が豊かになっていくにつれて,夜空も明るくなって,星が消えていきました。同時に,こうした少年たちの夢も消えていったのでした。
それにしても,あの頃に出版された本というのは,内容は古くなっても,品格があって,しかも,大切に書かれていました。私は,今よりももっと多くの本を買ったり読んだりした思い出があるのですが,それらの多くのものはすでに手元になくて,本当に残念に思っています。
天文学自体に触れた本は,内容が古くなって,今では,全く役に立ちません。そして,近年は,あまりに天文学の発展が早すぎて,本として出版される間もないので,よい本が少ないこともまた残念です。 今にしてみると,あの頃は,本当にいい時代だったなあ,と思います。
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明け方,まだ寒い時期に,こう,天の川が昇ってくるでしょう。
望遠鏡をのぞけばまさに別世界だよね
池谷薫
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☆ミミミ
そんなわけで,なかなかよい本のない現在は,一般の人が最新の天文学に触れるのなら,ブルーバックスの「新・天文学辞典」を片手に,国立天文台のサイトにある「国立天文台ニュース」を読んだり,放送大学の天文学に関する講座を見たり,BSプレミアムの「コズミックフロント☆NEXT」を見るのが一番手頃だと私は思います。
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「月刊天文ガイド」創刊50年-少年の夢を再び