しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:服部百音

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 ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番のあとに休憩がありました。
 休憩後,第2番のまえに演奏されたロッシーニの歌劇「ブルスキーノ氏」序曲が,疲れ果てた私には癒しとなりました。第2番と楽器編成が似ているという理由もあったのでしょうが,この選曲は絶妙でした。
 ロッシーニが作曲した1幕からなるオペラ・ファルサ(Opera Farsa=笑劇)「ブルスキーノ氏,または冒険する息子」(Il signor Bruschino, ossia Il figlio per azzardo)は,現在は,序曲のみが多く演奏されています。序曲は序奏部を持たない小規模なもので,弦の弓で譜面台を叩くという奏法がコミカルなものでした。なお,この演奏会は,簡単なパンフレットが配られただけで,曲の紹介がかかれた小冊子はありませんでした。

 さて,ほっと一息ついたあとに,ショスタコービッチのヴァイオリン協奏曲第2番がはじまりました。服部百音さんの衣装が黒色に変わりました。
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 3楽章からなるヴァイオリン協奏曲第2番は,1966年から67年にかけて作曲されたもので,60歳になった晩年のショスタコービッチらしい,思索的,哲学的内容をいっそう深めた作品です。
 室内楽的な明確な輪郭があり,全合奏の部分は極めて少ないのが特徴です。また,ヴァイオリンの独奏パートはまとまって休むことがほとんどなく,各楽章の中間部にそれぞれカデンツァを置いています。
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 第2番は,第1番のような派手さがないし,演奏される機会もほとんどなく,私も,これまで演奏会で聴いたことはありませんでした。また,ネット上にも詳しい解説が見当たりませんでした。そこで,今回,私は,何度も聴いて,予習をしました。
 第2番は,はじめて聴いたときには,聴き手を引き込む迫力がありません。しかし,聴きこんでみると,かなり魅力的な作品でした。
 陰鬱な雰囲気ではじまるオーケストラにソロ・ヴァイオリンが落ち着かない主題を乗せていく第1楽章の主調は嬰ハ短調で,これは,ヴァイオリンの曲にはあまり適さない調性ということです。暗く曖昧な第1主題と軽妙な第2主題の音色の変化が対比し,展開部からカデンツァに現れる重音ののち,第2楽章へと続きます。このあたりが,ショスタコーヴィッチ好きにはたまらなく魅力的に感じられるところです。薄暗がりの中に真っ赤な糸がうねりながら光って見えるような第2楽章のヴァイオリンのソロによる主題の提示は,暗い色調の曲に乗る艶っぽい音色が特徴で,唐突に過激なカデンツァがはじまり,朗々とホルンのソロが響きますそして,アタッカで演奏される第3楽章は,諧謔的で光と影がギラギラと入り乱れるような曲想で,かなり長めのカデンツァがあり,終盤は,打楽器とヴァイオリンが掛け合う展開になります。
 この曲は,幾多の試練を乗り越えた晩年のショスタコービッチの,ロシアの狂気に戦い疲れたむなしさとあきらめが表現されているように,私は感じます。「第1番に比べ第2番はそれなりにうまくやってはいるが,どうしても訴えかける力が弱いような気がするのである」という,ある評論を読みましたが,この曲は,人に訴えようと思ってはいないのだ,と私には感じます。ショスタコーヴィチ自身ための,ロシアへの決別であり,多くの犠牲者への鎮魂の曲なのです。

 この第2番の,第1楽章と第3楽章のカデンツァに現れる,ロシアの狂気をあざ笑うかのようなお道化たメロディは,どこかで聴いたことがあるのになあ? 何だったかなあ? と非常に気になって,ショスタコーヴィッチのさまざまな曲を聴いて,やっと探し当てました。それは,1966年に作曲されたチェロ協奏曲第2番のメロディでした。
 チェロ協奏曲第2番とヴァイオリン協奏曲第2番を何度も聴き比べてみると,このふたつの協奏曲は,まさに,兄弟のようなものでした。ちなみに,ヴァイオリン協奏曲第2番の第1楽章の最後とチェロ協奏曲第2番,そして,交響曲第15番のフィナーレは,ショスタコーヴィチお得意の,それぞれ,同じような木管楽器と打楽器との掛け合いの妙で,これが,私にはたまらなくいい。
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 と,聴きながら想いを巡らせていると,第3楽章の後半部で「事件」(ハプニング)が起きました。服部百音さんが酷使していたヴァイオリンがついに音を上げて,弦が切れてしまったようでした。突如,コンサートマスターのマロさんのヴァイオリンと交換して,続きを弾きはじめたところで,井上道義さんが演奏を止めました。そして,少し戻して,演奏を再開し,無事に何事もなかったように終了しました。ヴァイオリンが変わって,音色が変化したのが,私にはとてもおもしろかったです。
 ちなみに,服部百音さんの使用楽器は,日本ヴァイオリンより特別貸与の1740年製グァルネリ・デル・ジェス(Guarneri del Gesù)。マロさんの使用楽器は(株)ミュージック・プラザより貸与されている1727年製ストラディバリウス(Stradivarius)です。
 私は,一度,NHK交響楽団の定期公演で,ヴァイオリン奏者の弦が切れて,ヴァイオリンを後ろへ後ろへと回し交換する姿を見たことがあるのですが,今回は,ソリストのヴァイオリンの弦が切れる,というもので,これははじめて見ました。ただし,ピアノの弦が切れた,というのは見たことがあります。こうした「事件」と,その的確で冷静な対処を見ると,いかにプロの演奏家がすごいのか,ということを再発見します。

 井上道義さんは,ブログに次のように書いています。
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 何と! 最後の最後にあり得ないタイミングで弦が切れ, コンサートマスターのマロさんの楽器を一瞬のうちに手渡され,彼の楽器の素晴らしい音さえ一瞬で引き出し,よい意味で「忘れられない事件」として,2,700人のお客さんの記憶に残すことになったのです。
 道義は,あの時,無理やり続けるかやり直すかという一瞬の判断の分け目で後者を取りましたが,それは,モネが「何かあったらやり直すから」と宣言していたせいでもありました。
 彼女との共演では,以前も肩当てが落ちたこと1回,弦が切れたこと1回と,いつも何かが起こる。
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 終了後,服部百音さんは,燃えきれていないような表情を見せて,井上道義さんがそれを慰めるような姿が見えました。しかし,大観衆の拍手で,すべてが救われました。
 今回のコンサートで,人生の仕事のひとつをやり終えることになる,というようなことをXに書いていた服部百音さんでしたが,あまりに完璧にやり終えて気が抜けてしまうよりも,こうした「事件」があったことで不完全燃焼となり,より上を目指そうという意欲が沸き起こったのではないかな,と私は思いました。
 すばらしい演奏会に立ち会えて,大満足でした。

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 ずいぶん前のことなので,チケットを入手したときのことは忘れたのですが,私の席は,前列2列目,そこまではよかったのですが,ステージに向かって左から3番目,つまり端っこでした。こりゃ最悪だ,と思ったのですが,考えてみれば,カーテンコールのとき,一番近くで見ることができるではないか,ということで,思い直しました。
 大阪フェスティバルホールはすばらしいところですが,オーケストラのコンサートではちょっと広すぎます。
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 この日の前日2024年6月29日に,サントリーホールで同じ演奏会がありました。私が大阪のフェスティバルホールで聴いたのはその翌日となりますが,これが,正真正銘,井上道義さんのNHK交響楽団を指揮する最後となるわけです。NHK交響楽団のコンサートマスターはマロさん。曲目は,前回書いたように,ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番と第2番。この2曲を挟んで,ロッシーニの歌劇「ブルスキーノ氏」序曲でした。

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 41歳のショスタコービッチが,1947年から1948年にかけて作曲された4楽章からなるヴァイオリン協奏曲第1番は,12音技法を使うなどの前衛的な書法により1948年2月に共産党による作曲家批判を受けたため,発表を控えました。その後,スターリン死後の雪解けの雰囲気の中,交響曲第10番の初演が成功し,ジダーノフ批判が一段落したと考えられた1955年に発表されました。
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 コンサートがはじまりました。
 服部百音さんは,あざやかなブルーの衣装で現れました。ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番は,ショスタコーヴィチの傑作のひとつであり,ヴァイオリン協奏曲の傑作のひとつです。私も好きな曲です。しかし,この曲を聴いていると,貴族趣味のベートヴェンやブラームスの優雅なヴァイオリン協奏曲とは全く異質の,これはまさに現在行われている戦争そのものだと感じられます。
 それにしても,この曲,悲しすぎます。現在のロシアの狂気によって失われた多くの犠牲者に思いを巡らせます。

 今回の演奏を聴いていると,服部百音さんの演奏はまさに命懸け。これから第3楽章のカデンツァが待っているというのに,すでに第1楽章から,これ以上はないというほどの精魂込めたもので,これで,次の第2番まで体力が保てるのか,それ以上に,楽器がもつのか,と思えるほどでした。弓の糸がひっきりなしに切れました。
 これだけ激しい演奏はこれまで聴いたことがありません。これは,芸術というよりも,まさに戦いでした。
 ヴァイオリン協奏曲第1番演奏が終わったとき,演奏者以上に,聴いていた私が疲れ果てました。

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 2024年6月30日に,大阪のフェスティバルホールで,井上道義指揮NHK交響楽団の演奏会を聴いてきました。主な曲目は,服部百音さんがヴァイオリンを弾くショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番と第2番でした。服部百音さんのXにはこうあります。
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 当初周りから散々,不可能だろうといわれたショスタコ協1番&2番を一夜で同時にやる×2日連続×ライブ録音の企画がもうすぐはじまって終わる。私が20歳の時に企画してから4年。大変な思いも沢山した。けれど,信じられない程沢山の人とチームの力が重なり団結した企画だった。実現した事そのものだけでも,皆さんのショスタコへの尊敬と愛情を大きな形にする事が出来た。と思っています。
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 私は元気です。 舞台でね!
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 ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番は,以前,井上道義さんが指揮をした読売交響楽団との劇的な演奏,服部百音さんが第3楽章「バッサカリア」の最後の長いカデンツァが終わり,汗を拭おうとしてヴァイオリンの肩当てを落とし,第4楽章のはじめの3音が弾けなかったというものですが,これをテレビで見たことがあるので,このような演奏をライブで聴けるのか! という期待がありました。また,ヴァイオリン協奏曲第2番は,服部百音さんは,この演奏会の前に5月の広島交響楽団のコンサートでも弾いていて,それは,この演奏会に向けての調整? だったように思いました。
 ところが,この演奏会ではとんでもないことが起きたのですが…。それは次回に。

 2024年末で引退する指揮者井上道義さんは,現在,自分のやりたいことをすべてやり終えようと,精力的に各地でゆかりのあるオーケストラの指揮をしています。NHK交響楽団との共演は,定期公演では,2024年2月の第2004回が最後だったので,これで終わり,と思っている人もいるでしょうが,実際は,今回の演奏会こそが,最後となります。
 実は,井上道義さんが再びNHK交響楽団を指揮するようになったのは,近年のことです。井上道義さんのブログにこうあります。
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 今だから書くが,井上は80年代中頃に,N響と小澤事件を思わせる大喧嘩して20数年間指揮しなかった。
 「井上がN響定期? 絶対有り得ない!」と事務長に言われて帰ってきたことあったとは梶本音楽事務所時代のカジモト社長の懐古調のセリフ。
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 若いころは振らせてもらえなかったのに,今ごろになって,頻繁にNHK交響楽団が招へいしてくれるのは…,みたいなことを書いていたのを読んだことがあります。何か,すごく根にもっている感じがします。

 ショスタコーヴィチは2025 年に没後半世紀となるのですが,このコンサートはそれとは関係ないと思われます。井上道義さんは,自分のレパートリーの中心にショスタコーヴィチを据えていて「ショスタコーヴィチは自分自身である」と語っているし,服部百音さんもまた「これほど自分自身に矛先を向けている作曲家はいない」と語り,ショスタコーヴィチとその作品を自らの核としてきたからです。この両者,服部百音さんは,17 歳のときに井上道義さんと初共演して以来,「音楽の真実を教えてくれる先生」として敬愛しているようです。最高の組み合わせです。
 そのようなわけで,このコンサート,これを聴かずにおれようか,ということで,私は,ものすごく楽しみにしていました。それにしても,ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲 第 1 番と第 2 番。第1番はよく演奏されますが,第2番とは! 私はこれまで聴いたことがありませんでした。

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 東京には多くのオーケストラがあります。それぞれのオーケストラの特徴を知りたのですが,そうしたことが書かれたものがなかなかありません。探しても,ランキングとか,どこが上手だとか,そういういかにも日本らしい比較ばかりです。私が知りたいのは,そういう話ではなく,それぞれがどういったことをウリにしているのか,というようなことです。
 もし,私が東京に住んでいたら,どのオーケストラを贔屓にするか,きっと迷うことと思います。定期会員のよさは,毎回,苦労してチケットを買わなくていいということなので,どこかのオーケストラの定期会員になるだろうけれど,その選択は,オーケストラが上手,下手とかはさておき,どの会場が便利であるかとか,プログラムが自分好みであるかとか,聴いたあとで満足できるか,そういうことで決めるだろうと思います。

 さて,2023年9月27日,豊田市のコンサートホールで,東京都交響楽団の演奏会があるというので,チケットを購入しました。行くことにした理由は,まずは,プログラムがブラームスのヴァイオリン協奏曲と交響曲第4番という私の大好きな曲目だったからです。ふたつ目は,ヴァイオリン協奏曲を演奏するのが,服部百音さんだったことです。そして,最後に,私が豊田市のコンサートホールの友の会の会員で,優先的にチケットが購入できることでした。
 指揮者はオランダ人のローレンス・レネスさん(Lawrence Renes)という人でしたが,私はよく知りませんでしたが,なかなかすばらしい指揮者でした。
 数年前に一度,東京で東京都交響楽団のコンサートを聴いたことがあります。以前,NHK交響楽団に在籍していたビオラの店村眞積さんとか,コントラバスの池松宏さんが首席で在籍していて,のびのびと演奏していたのが好印として残っています。たえず,テレビカメラの目にさらされているよりも,このほうがいいのだろうと,私は思いました。

 服部百音さんは,難しい曲を選ぶことが多く,それがストイックさにつながっているだろうと思うのですが,そうした無理がたたったのかどうか,体調を崩してしまい,しばらく入院していたので,とて心配しました。そして,ずいぶんとやせてしまいました。何かにつかれたようなストイックさから卒業して,力を抜いて演奏が楽しめるようになったとき,服部百音さんは,もう一段高みに達することができるだろうと,私は思っています。
 前回私が聞いたのは,名古屋フィルハーモニー交響楽団の定期公演でバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番という,これまで聴いたこともない難曲を演奏する姿でしたが,今回は,ブラームスという,非常にポピュラーな曲をだったので,より楽しみにしていました。考えてみれば,私は,ブラームスのピアノ協奏曲は何度もライブで聴いたことがあるのですが,ヴァイオリン協奏曲はほとんどライブで聴いたことがありません。長くてむずかしいから,らしいです。

 今回の演奏会では,服部百音さんの弾くブラームスは,やはり彼女らしく,力強く,躍動感があって,時折,指揮者と対決するような感じでした。また,交響曲第4番,これがまたとてもよかったです。
 ちなみに,アンコール曲は,ヴァオリン協奏曲のあとがクライスラーの「レチタティーボとスケルツォ」からスケルツォ,交響曲第4番のあとがブラームスの「ハンガリー舞曲」第1番でした。
 私は専門家でないので,演奏のよし悪しなんて技術的にはまったくわからないのですが,とにかく,聴いていて元気になれるものがいいと,このごろ思います。もう,この歳になると,何の憂いもなく,自分が楽しいとおもうことだけが,耳に入り目で見ることができればそれでいいのですが,そんな私でも,これはいい演奏だなあ,とこころから思いました。これほどすばらしい演奏会をひさびさに聴きました。
 また,今回の演奏会に限らず,他の演奏会のプログラムを見ても,東京都交響楽団は,私の聴きたくなる曲ばかりなので,もし,東京に住んでいたら定期会員になってもいいなあ,とも思いました。
 平日の夜,名店で,極上の食事を味わうような,こんな演奏家を楽しむことができたのは,この上なく幸せなことでした。

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 2023年5月12日,地元名古屋の名古屋フィルハーモニー交響楽団第512回定期演奏会を愛知県芸術劇場コンサートホールで聴いてきました。最高に楽しく,最高に難解で,最高に疲れたコンサートでした。
 名古屋フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会に行くのは数年に1度のことで,定期会員になろうと考えたこともあるのですが,NHK交響楽団の定期公演に比べて,私にはプログラムが凝っているように感じてちょっと敷居が高く,いつも見送っていて,時折,とても魅力的な曲目や指揮者,独奏者のときだけ出かけています。数年前には,私の好きなショスタコービッチの交響曲第15番がプログラムにあったので期待したのですが,コロナ禍で中止になってしまいました。
 井上道義さんが指揮をする今回の演奏会の曲目は,バルトークのルーマニア舞曲Sz.47a BB 61, バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番 Sz.112 BB 117,クセナキスの「ノモス・ガンマ」(Nomos Gamma),ラヴェルの「ボレロ」でした。
 今回は「継承されざる個性」というテーマだったのですが,私は,ヴァイオリン協奏曲第2番と「ボレロ」以外はまったく知らず,なんじゃこの曲目たちは,という感じだったのですが,その道の人たちには,有名,というか,井上道義さんは,これらの曲を演奏会でとりあげたことがこれまでにも何度もあるという,いわば,十八番であり,また,井上道義さんの指揮に限らず,「ノモス・ガンマ」「ボレロ」と続く演奏会も行われているようです。

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 「継承」が通季テーマなのに,誰も継承できない唯一無二の個性を発揮したプログラムを組みます。井上をリスペクトする服部百音とのバルトーク,スコア指定通りに円形配置で演奏するクセナキス,そしてそのままの配置での「ボレロ」。コンサートが歴史的事件となります!
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 「ノモス・ガンマ」と「ボレロ」を続けて聴けば「音楽史上最もクレイジーな曲」の第1位と第2位をいっぺんに体験したことになるのではないかと。これが人類の創造力の極北!!
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というのが,このコンサートのウリだそうですが,2024年末の引退を間近にした井上道義さんが,やり残したことをすべてやってやるぞ,という感じに私には思えました。だれもこんなコンサートマネできねえよ! と叫んでいるような…。つき合うほうは大変です。しかし,考えようでは,こうしためったに接することのできない曲を聴くことができるたのは貴重な経験でした。
 浅学の私は,こうした難しい曲はさっぱりわからないのですが,今回聴きにいった理由は,指揮・井上道義さん,ヴィオリン・服部百音さんという絶妙な組み合わせのコンサートをぜひ一度聴いてみたかった,ということに尽きます。が,できることなら,ショスタコービッチのヴァイオリン協奏曲が聴きたかった! とはいえ,井上道義さんが言うには,最も難解な協奏曲だと思うバルトークをぜひやりたい,と主張したのは,23歳の服部百音さん自身で,本人もオーケストラもとても大変だったけれど,いい出来だった,ということでした。
 この難解な曲たち,ゴールデンウィーク後の週末, どれだけのお客さんが入ることだろう? と思っていましたが,明日,土曜日は完売,この日は,当日券を求めて長蛇の列ができていました。

 まったく不勉強な私自身のために,まず,バルトークの作品番号について調べてみました。これは3種類存在します。
●「Sz番号」
 ハンガリーの音楽学者であるセールレーシ・アンドラーシュ(Szollosy, Andras)が作成したバルトークの音楽作品と音楽学論文の目録です。1921年生まれのアンドラーシュ・セーレーシは,バルトーク以後のハンガリー作曲界の最長老的存在です。リゲティやクルタークと同世代にあたります。
●「BB番号」
 バルトーク研究の権威でブダペスト・バルトーク研究所の二代目所長のラースロー・ショムファイ(László Somfai)によって作成された作品目録の番号で,厳密な作曲時期によって配列されます。BBはバルトーク(Bartók Béla)のことだと思われます。
●「DD番号」
 ブダペスト・バルトーク研究所の設立に貢献し,初代所長を務めたベルギーのカトリック司祭で音楽学者のデニス・ディーレ(Denis Dille)が作成した作品目録の番号で,多くはセールレーシ・アンドラーシュの分類から漏れている,主に初期に作曲されたものにつけられた番号です。
●「Op.」
 作曲者本人による番号ですが,つけ直しによって番号が重複しています。

 次に,今回の曲目についてです。誰もが知る「ボレロ」は省略ですが,こういう曲の指揮は,井上道義さんノリにノルのでお似合いでした。それにしても,最後に「ボレロ」がなければ,それまでの3曲で張り詰めたこころの持っていく場がなかったいというか,そんな感じもしました。
●ルーマニア舞曲
 この曲は,2つのルーマニア舞曲Sz.43 BB56 Op.8aの第1曲を編曲したものです。よく似た名前のピアノ版ルーマニア民俗舞曲Sz.56 BB68とそのオーケストラ版Sz.68 BB76があります。
 短い曲ですが,舞曲だから当然子気味よく,次のヴァイオリン協奏曲第2番を聴くためのこころの準備のような感じでした。
●ヴァイオリン協奏曲第2番
 1937年から1938年にかけて作曲した作品で,生前はバルトークの唯一のヴァイオリン協奏曲と思われていましたが,死後,ヴァイオリン協奏曲 第1番が再発見されたことで,第2番となりました。
 「ヴェルブンコシュ」(verbunkos)というハンガリーの民族舞曲が基になっているこの曲はとてもバルトークらしく,民族色豊かで,調性感が強かったり弱かったりとめまぐるしく変化したり,非常に美しい旋律が散りばめられていたりして,私は嫌いではありません。おそらく聴き込んでいくとその魅力にはまっていくだろうと思える曲です。緊張感がたまりません。
 服部百音さんのtwitterには「人生初の,そしてマエストロとは人生最初で最後のバルトーク」と書かれてありました。2022年12月8日に東京オペラシティコンサートホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団を聴いたとき,偶然,私の席からふた席ほど左隣りでお見かけした服部百音さんがステージにいるというのが私には一興でした。
 服部百音さんがTwitterで「カッコウ」の旋律があると書いていましたが,確かに第3楽章に「カッコウ」が何度も出てきました。また,ヴァイオリンソリストと指揮者の丁々発止の掛け合いがおもしろかったです。
●「ノモス・ガンマ」
 作曲したヤニス・クセナキス(Iannis Xenaki)は,1922年にルーマニアに生まれ,2001年に亡くなったギリシャ系フランス人です。今回演奏される「ノモス・ガンマ」は,宇宙の創生,ジャングルの大嵐,森羅万象…といった,ほとばしる熱気とは裏腹に数学を基盤にして作られた曲です。オーケストラは円形に配置され,8人の打楽器奏者が円の縁を取り巻く形で,フルートの隣がチェロのような通常ではあり得ない配置で演奏されます。
 この曲でクセナキスが追い求めたのは,徹底した自由の精神,ということだそうですが,演奏している人も,聴いている人も,何を思い,感じて聴いているのだろうと思いました。私は,何か,宇宙の創成に立ち会っているような,あるいは,未開の大地に放り込まれたような気がしました。そんな映画のバックミュージックにしたら似合いそうです。悪くない,というか,ものすごくおもしろかったです。
 なお,名古屋フィルハーモニー交響楽団のTwitterによると,「ノモス・アルファ」はチェロ協奏曲,「ノモス・ベータ」は室内楽の委嘱に備えて飛ばし,この「ノモス・ガンマ」はロアイヤン(Royan)というフランスの都市の音楽祭での委嘱で書かれた大編成オーケストラのための作品だそうです。

 S席,前から3列目,ヴァイオリンソリストの真ん前だったので,ヴァイオリン協奏曲第2番には最高の位置でしたが,「ノモス・ガンマ」と「ボレロ」は,むしろ,2階席や3階席,ステージ後方P席のほうがよかったかもしれません。ただし,私の座った席は臨場感は抜群でしたが…。井上道義さんは,S席が上席とは限らないコンサートだと書いていました。してやられた!
 いずれにしても,聴きにいってよかったコンサートでした。

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