これまでに買ったもののうち一番高かったのが140万円の中古の自動車だと書いたことがありますが,そんな感じで,私にはお金の使い道がわかりません。そんな生活をしてきた結果,歳をとった今になって,チリも積もれば山となるみたいに,けっこう自由になるお金があることに気づきました。しかし,依然として欲しいものがないのです。
家を買おうと思っても,周囲を見回してもあの家なら欲しいなあ,あそこなら住んでみたいなあ,と思うところが全くありません。アメリカやオーストラリアの住宅と比べたら,この日本という国では住みたい場所すらないのです。日本では賃貸マンションで十分です。固定資産税もかからないし,リフォームの必要もありません。ご近所付き合いも楽です。
大きな車を買ったところでこの国では走る道すらありません。車がかわいそうです。日本の高速道路をものすごいスピードを出して走っている恥ずかしい車を見ると,憐れみさえ感じます。車で思う存分走りたいのなら,アメリカやオーストラリアへ行けばいいのです。
そんな,物質欲のない私が唯一興味のあるモノはカメラと望遠鏡なのですが,だからといって,重いカメラを使う気にもなりません。そんなものをもっては旅にも出られませんから今の持ち物で十分です。大きな望遠鏡を買っても星が見られる空すらありません。
さまざまに購買欲を煽るような商法がありますが,そのほとんどは不要のものです。携帯電話は格安SIMカードで十分ですし,教育産業もしろうとがドリルの答え合わせをしているだけだから無意味です。そもそも日本の学校教育自体が時代遅れです。
だからといって他にお金の使い道もありません。おいしいものを食べにいっても使うお金なんてたかがしれていますし,それほど食べられるわけでもありません。お酒を呑みにいっても分煙でないお店が未だに多く,そもそもわざわざ出かけていって他人のタバコの煙を吸うなんてまったく馬鹿げています。国内を旅行してもどこもすごく混雑しているだけです。観光地に出かけても,観光客からいかにしてお金をおとさせるかしか考えていなのでしらけます。日本旅館に泊まっても他人と一緒に,特にこのごろはマナーの悪い外国人と一緒に温泉に入る気にもなりません。
ということで,私は国外に旅に出るのですが,海外旅行といったって,ツアー旅行でもしなければ,これもまた,それほどお金が要るわけでもないのです。10万円も出せば往復の航空券は大概手に入るし,現地に着いてしまえば,国内を旅行するのとなんら変わりません。
この日本という国に住んでいると,誠にお金が要らないのです。
新学期になると,有名な〇〇大学に何人入ったとか,そういうバカげた記事をたくさん見かけますが,たとえそうした〇〇大学に入って,そのあげく官僚になって高給をもらったって忖度に明け暮れる毎日,近頃かまびすしい「あの様」です。大きな組織に入って管理職になって巨額の収入を得たところで,もらったお金の使い道がないどころか,むしろ責任という重しを背負うだけのなさけない人生です。
たった一度の貴重な人生,お金よりも自由であることが一番です。
人は望んで生まれたわけではないのですが,生まれてきた以上は生きる価値があります。ならば,神様がお迎えに来るまで,少しでも楽しく生きられればいいのです。それは,自分に対しても他人に対してもです。だから,他人が楽しく生きられるような存在であるような生き方をすることもまた,大切な勤めです。
なのに,なにか勘違いしている輩がいるのです。
それは,他人には厳しければいい,というバカな輩です。その「厳しさ」にはふたつの側面があるのです。そのひとつは自分の優位さを誇示するために他人に厳しくするという面と,もうひとつは他人を育てるためと称して他人に厳しくするという面です。そのなかで,自分の優位さを誇張するために他人に厳しくるような輩には騙されてはいけません。そうした輩とは関わらず距離を置くべきです。もうひとつの,他人を育てるための厳しさなど,その育てられる標的にされた人にとってみればいい迷惑だし,いらぬお世話です。そんなおせっかい焼きの輩とも距離を置くべきです。
どっちみち一度の人生,暇つぶし。自分に対しても他人に対しても楽しく生きることがもっとも大切な「不良老人」の生き方です。