しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:津軽半島

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【Summary】
In July 2024, I traveled along the Tsugaru and Shimokita peninsulas, focusing on Cape Tappi. Despite passing through areas like Minmaya, Takanozaki, and Kanita without fully exploring them, I found them charming. I hope to revisit these places, including Minmaya’s Yoshitsune Temple, Okutsugaru-Imabetsu Station, and the Tairadate Furofushi Onsen.

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 青森県に2024年7月4日から7月7日まで行ったときは,津軽半島と下北半島を海岸沿いに時計回りに走りました。とりあえずの目的地は龍飛崎でしたが,その後,どのくらいの時間で行くことができるかわからなかったので,見どころがあっても,通過してしまった場所もありました。それと同時に,新たに,魅力的なところをたくさん知りました。
 そんなわけで,今日取り上げる津軽半島の東側のほとんどは,単なる通過点になってしまいました。それでも,三厩,高野崎,蟹田と通りましたが,どこも素朴で,私には郷愁ただよういいところでした。

 ということで,このときは通過してしまったのですが,この場所は,また,行きたいと思うところが少なからずあります。
 まず,三厩には義経寺があります。ここまで源義経が逃げ延びたという伝説があるのですが,その真実はともかく,ここから蝦夷の地にわたるには,津軽海峡が横たわっているというのが衝撃的に思えます。
 次に,北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅があります。どうしてこんなところに新幹線の駅が? とよく話題になるのですが,私が見たいのは,新幹線ではなく,ここから在来線の貨物列車が青函トンネルを通るために新幹線軌道を走っていく姿です。
 さらに,平舘不老不死温泉に泊まってみたいということです。

 蟹田駅を過ぎると,急に家が増えて,津軽半島の郷愁がなくなってしまうのですが,それ以外のところは,私にとって,まさに理想的な「旅」という目的にかなうところです。また,機会があれば,ゆっくりと訪れてみたいです。

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【Summary】
The Tsugaru Railway runs from Goshogawara City to Tsugaru-Nakasato in central Tsugaru Peninsula. Unlike the often-closed JR Tsugaru Line, it rarely stops service and features a famous stove train in winter. In March 2024, I visited during an unusually mild winter, but still enjoyed the snowy scenery. Along the route are notable spots, including Goshogawara, the "Shayokan" (Osamu Dazai's childhood home) in Kanagi, and Ashino Park. The area is rich in Tsugaru culture, making it worth revisiting.

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 津軽半島の中央部を,五所川原市から津軽中里まで走るのが津軽鉄道です。
 知っている人には当然ですが,私は,行くまで,津軽鉄道とJR津軽線の区別がわかりませんでした。JR津軽線は,青森駅から津軽半島の東岸を北に蟹田駅まで行き,そこから北西の山の中を三厩駅までつないていて,津軽鉄道とは別のものです。そして,現在,蟹田駅から三厩駅までは,豪雨の影響で不通になっていて,代行バスが走っています。そこで,津軽鉄道とJR津軽線を混同して,津軽鉄道が不通になっていると誤解してしまいます。
 地元の人に聞くと,JR津軽線は「すぐ止まる」けれど,津軽鉄道は「止まらない」といいます。そういう認識のようです。そして,津軽鉄道には,冬の間,有名なストーブ列車が走ります。
 私は,このストーブ列車に乗りたいとずっと思っていたのですが,冬の青森県なんぞ,大雪で行くのも大変だしなあ,と躊躇していました。しかし,ストーブ列車が3月末まで走っていることを知って,さすが3月ならいくら何でも大丈夫だろうと,昨年2024年の3月に行ってみたのでした。この年は暖冬で,私の行った3月は雪があったのですが,2月でも雪がない日があったということでした。今年2025年とはえらい違いです。いくら雪が大変とはいえ,雪原を走る津軽鉄道に乗りたくて行ったのに,雪がない,というものまた,困った話だったようです。

 津軽鉄道は,ストーブ列車だけでなく,沿線にも見どころが多くあります。
 まずは,五所川原市です。この町はいかにも津軽,という感じのする味わい深いところです。そして,太宰治が生まれ育った,現在は「斜陽館」として公開されている建物が,金木という町にあります。そこを北に行くと,芦野公園があって,太宰治の銅像があります。この辺りが,津軽三味線発祥の地でもあります。
 また,終着の津軽中里駅周辺も,いかにも雪国,とった風情のあるところです。
 また行ってみたいものだと思います。スクリーンショット 2025-01-12 191935b


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【Summary】
Over the past two years, I traveled to Aomori four times and became fascinated by its charm, especially the Tsugaru Peninsula. I visited iconic places like Tsurunomai Bridge, Kodomari, and Cape Tappi. Though I covered many spots, I later learned about Takayama Inari Shrine, known for its red torii gates, and hope to see it in a snowy landscape someday.

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 ここ2年ほどの間,2023年5月18日から5月20日まで,2024年3月6日から3月8日まで,2024年4月15日から4月16日まで,そして,2024年7月4日から7月7日までと4度も青森県を旅行しました。はじめのうちは,何があるのだろう,と思っていたのですが,行けば行くほど,その魅力にはまってしまいました。
 どこもおもしろいところなのですが,その中でも,私は,津軽半島に多くの興味がわきました。そこで,今日は,津軽半島の西側について書きます。
 
 まずは,鶴の舞橋です。ここは,日本一長い三連太鼓橋としてゆうめいなところです。遠くには岩木山も見ることができて,とても美しいところです。
 さらに北に行き,十三湖を過ぎると,太宰治の小説「津軽」にゆかりのある小泊に着きます。ここには小説「津軽」の像記念館があります。小さな素朴な町ですが,なかなかよいところです。
 そして,津軽半島の最北端,龍飛崎に至ります。龍飛崎は断崖となっていて,高台にある展望台からは,西は日本海,北は津軽海峡,東は陸奥湾という雄大な風景を見ることができます。

 このように,念願だった場所にはすべて行くことができたのですが,実は,あとで,高山稲荷神社というところがあるのを知りました。ここは,朱色の千本鳥居という美しい風景を見ることができるのです。できれば,いつか,雪景色の姿を見てみたいものです。

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Wolf Moon 2025.

早朝の火星と1月の満月「ウルフムーン」。
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地図で見て,私が子供のころからずっと気になっていたのが十三湖でしたが,行く機会がありませんでした。2024年3月に津軽鉄道のストーブ列車で津軽中里駅まで行ってその町で宿泊したとき,津軽中里から十三湖まで行くバスがあるという話だったので,行ってみたいと思ったのですが,断念しました。
それは,雪が積もっていたこともあって,この先に人が住んでいるのだろうか,とさえ思えたし,ネットで調べても,弘南バスのサイトには時刻表があっても地図がなく,地名が書かれてあっても,それがどこのことなのかわからなかったからです。
今ならわかります。
実際は,五所川原営業所発小泊案内所行きの津軽半島の中央を走るバスが1日に6本運行されていて,それに乗ると,十三湖へ行くには,その東岸にある有名な「しじみ亭奈良屋」という食事処の近くの今泉というバス停まで,中里駅前からわずか14分で行くことができるのでした。また,五所川原営業所発市浦庁舎前行きの津軽半島の西岸を走るバスが1日に8本運行されていて,このバスは津軽中里駅は通りませんが,五所川原営業所で乗車すれば,十三湖の北岸の中之島公園というバス停を経由します。
このように,弘南バスを使っても十三湖に行くことは可能だったのです。

今回はレンタカーだったので,弘南バスを利用することもなく,鶴の舞橋を見たあと,カーナビで十三湖を探して,車を北に向けて走りはじめました。あたりは,津軽平野らしい雄大な平原が続いていましたが,冬には一面の銀世界となります。この広々とした感じが津軽半島の魅力です。やがて,十三湖に着いたのですが,道路は十三湖を周遊するようにつながってはいるものの,湖が見えません。
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十三湖は海水と淡水が混合した汽水湖で,南北7キロメートル,東西5キロメートル,周囲31.4キロメートルと,十和田湖,小川原湖に次いで,青森県で3番目に大きな湖です。岩木川をはじめ,13の河川が流れ込むことから十三湖といわれています。
宍道湖と日本一を競う漁獲量を誇る十三湖のシジミは「十三湖産大和しじみ」として有名です。
また,オオハクチョウ,コハクチョウの渡来地として知られているほか,幻の鳥といわれているオオセッカや天然記念物のオオワシなど飛来する鳥や生息している鳥が多く,バードウォッチングも楽しめます。
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ということですが,十三湖のどこに行けば雄大な風景が眺められるのか,皆目見当がつきません。

ともかく道路に沿って走っていたら,十三湖道の駅というものを見つけたので,まず,そこに行くことにして,ちょうどお昼時だったので,昼食として,しじみラーメンセットを食べました。あとで知ったことには,先に書いた「しじみ亭奈良屋」のほうがよかったかも,と思いました。
十三湖道の駅から十三湖が眺められると思ったのですが,それは誤解でした。せっかく十三湖に来たのに,なかなか湖が見えないのです。
さらに走って,十三湖の北側に回り込むと,やっと湖が見えてきました。ここが十三湖観光の中心らしく,みやげ物屋などもありました。十三湖中の島ブリッジというものがあって,渡ると中の島へ行くことができるのですが,さびれ感満載で,ほとんど人はいませんでした。
地図で見ると,ここからさらに西に,海に向かって道路が続いていて,十三湖の湖水が日本海に流れ出るところに十三湖大橋が架かっていて,そこから湖に沿って南へ行くと集落が存在するというので,走ってみることにしました。どうやら,その場所が,中世,十三湊(とさみなと)として栄えた場所だったようです。

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湖が日本海に開いてゐる南口に,十三といふ小さい部落がある。この辺は,いまから七,八百年も前からひらけて,津軽の豪族,安東氏の本拠であつたといふ説もあり,また江戸時代には,その北方の小泊港と共に,津軽の木材,米穀を積出し,殷盛を極めたとかいふ話であるが,いまはその一片の面影も無いやうである。
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中里から以北は,全く私の生れてはじめて見る土地だ。津軽の遠祖と言はれる安東氏一族は,この辺に住んでゐて、十三港の繁栄などに就いては前にも述べたが,津軽平野の歴史の中心は,この中里から小泊までの間に在つたものらしい。
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やがて,十三湖が冷え冷えと白く目前に展開する。浅い真珠貝に水を盛つたやうな,気品はあるがはかない感じの湖である。波一つない。船も浮んでゐない。ひつそりしてゐて,さうして,なかなかひろい。人に捨てられた孤独の水たまりである。流れる雲も飛ぶ鳥の影も,この湖の面には写らぬといふやうな感じだ。十三湖を過ぎると,まもなく日本海の海岸に出る。
  太宰治「津軽」
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十三湖は最果て感あふれる何か切ないところでした。

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午前9時30分,青森空港に着陸しました。青森空港は,アメリカの地方都市と同じような空港で,隣にレンタカーターミナルがあって,そこまで歩いていくと予約してあった車を借りることができます。 さっそく,車を借りて出発しました。
今回の旅のテーマは,前回書いたように「津軽半島で太宰治に浸る」でしたが,中でも最も行きたかったのは,津軽半島の小泊にある小説「津軽」の像記念館でした。それとともに行きたかったのが,鶴の舞橋,十三湖,「階段国道」,そして,この日の宿泊先である地下に北海道新幹線が通っているという「龍飛崎温泉ホテル竜飛」でした。
しかし,いつものように,私のいい加減なところは,事前にそれらがどこにあるか調べてこなかったということにあります。まず,何となく最も近いと思われた鶴の舞橋から行けばいいのかな,きっと,青森空港から東に向かって走っていけば目的地に着くだろうと思って,東に向かって車を走らせました。
前回の青森旅行から帰ってくるまで,私は,鶴の舞橋というものを知りませんでした。そして,知っていればいくらでも行くことができたのに,と後悔していました。そこで,この旅でまず行ってみたいと思っていたのです。

そして,まず見つけたのが,浪岡城跡でした。浪岡? 聞いたことがある地名だな,と思いました。そうです。ここは,横綱稀勢の里,現在の二所ノ関親方の師匠であった横綱隆の里の故郷でした。それにしては,浪岡町には,横綱隆の里をしのぶものは何もありませんでした。
いい加減に走っていても仕方がないので,浪岡城跡の駐車場に車を停めて鶴の舞橋をカーナビで調べました。私が思っていた(感じていた?)とおり,鶴の舞橋はここから近くでした。浪岡城跡は時間があれば帰りに寄ることにして出発しました。
カーナビに従って走っていくと,まもなく鶴の舞橋に到着しました。
広い駐車場があって,パラパラと観光客が来ていました。車を停めて,さっそく橋を渡りました。
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鶴の舞橋は1994年(平成6年),岩木山の雄大な山影を湖面に美しく映す津軽富士見湖に,日本一長い三連太鼓橋として架けられました。
全長300メートルもの三連太鼓橋はぬくもりを感じさせるような優しいアーチをしていて,鶴と国際交流の里・鶴田町のシンボルとして,多くの人々に愛されています。
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このように,鶴の舞橋は,比較的新しいもので,歴史的な史跡ではないようです。太宰治が「津軽」を書いた当時は存在しませんでした。

津軽富士見湖は,元来は岩木山を水源とする白狐沢からの自然流水によってできたものを,1660年(万治3年)に4代藩主津軽信政が柏村地方の用水補給のための堤防を築き用水池にしたものです。その後,たびたび堤防が決壊しましたが,1960年(昭和35年)に現在の堤防が完成し,水深約7メートル,満水面積281.28ヘクタールとなりました。
そこにかけられた鶴の舞橋は,岩木山を背景にした姿が鶴が空に舞うように見えるとも,橋を渡ると長生きができるともいわれます。また,夜明けとともに浮かび上がる湖面の橋,夕陽に色づく湖と鶴の舞橋,さらには,季節による異なった美しさなど,一年を通してすばらしい姿を見せます。
粋な橋を造ったものですが,なにせ,木造。維持がたいへんそうで,現在も,大改修の最中でした。

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 津軽といって思い出すのは,ストーブ列車で,よくテレビの旅番組で出てきます。一面の雪原を列車が走り,車内にはストーブがあって,スルメを焼いているのです。それを見て,私は,乗ってみたいと思ったり,こんな寒いところは御免だと思ったり,あるいは,おそらく日本のことだから,ものすごい団体ツアー客でごった返しているのだろう,と思ったりと,複雑な気持ちになるのです。
 ともかく,そんなイメージしかなくて,具体的にそれがどこをどう走っているのか,私はさっぱり知りませんでした。そもそも津軽鉄道というのだから津軽半島に違いなのですが,私は大いに誤解をしていて,岩木山あたりの大平原を想像していました。そして,そんなだだっ広いところをどうやって旅するのだろう? などとと思っていたわけです。情けない話です。

 今年2023年の春に青森県に行ってみると,そんなわけがなく,岩木山あたりなんて大平原どころか山岳地帯だから,冬になっても大雪原なんかになるわけもなく,実際は,五所川原市から北に延びる平野のことだったのです。これなら簡単に旅できるわい,と思いました。ただし,極寒の地。真冬に旅ができるかといえば,正直,よくわかりません。青森市まで行ってしまえばあとはどうにでもなる気がしないでもないのですが…。
 それにしても,私はこれまで,氷点下30度の冬のフィンランドへオーロラを見にいったり,真冬の北海道・大雪山へスキーに行ったりしているのに,どうしてこうも青森県の冬に怖気づいているのでしょう? こんなの,行ってしまえば何とかなる… ような気がしないでもありません。思い切って,来年の2月にでもいってみようか,などと,考えたりもしていました。

 さて,そんな津軽半島ですが,何かがある,といえばあるし,何もない,といえば何もないわけで,果たして津軽鉄道に乗って終点の津軽中里までいったところで,その先,龍飛岬までどうやって行くの? とも思うし,未だ??? という感じがしていました。
 本当に,日本の旅というのは,行ってみない限り,読めません。
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 「小泊行きのバスは,一日に一回とか聞いてゐましたけど,」とけいちやんは立つて,台所に貼りつけられてある時間表を調べ,「あしたの一番の汽車でここをお立ちにならないと,中里からのバスに間に合ひませんよ。大事な日に,朝寝坊をなさらないやうに。」ご自分の大事な日をまるで忘れてゐるみたいであつた。
 一番の八時の汽車で五所川原を立つて,津軽鉄道を北上し,金木を素通りして,津軽鉄道の終点の中里に九時に着いて,それから小泊行きのバスに乗つて約二時間。あすのお昼頃までには小泊へ着けるといふ見込みがついた。日が暮れて,けいちやんがやつとお家へ帰つたのと入違ひに,先生(お医者さんの養子を,私たちは昔から固有名詞みたいに,さう呼んでゐた)が病院を引上げて来られ,それからお酒を飲んで,私は何だかたわいない話ばかりして夜を更かした。
    太宰治「津軽」
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 太宰治,いいなあ。

キャプチャ 津軽


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