しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

タグ:火星・冥王星・ローウェル天文台

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●アメリカ天文学の聖地●
 ローウェル天文台では広く一般に公開されているので,だれもが宇宙の歴史や現代科学の研究に接することができる。街の中にこうした施設があるので,私はフラグスタッフに住む人をうらやましく思う。また,フラグスタッフは夜空の暗さを守るためにさまざまな規則が設けられている。
 私はチケットを購入して,まず,はじまったばかりのレクチャーを聴いた。その後,ガイド付きウォーキングツアーに参加して,構内を見学することになった。
 まず,レクチャーでは,ローウェル天文台の過去と現在の研究活動に関する説明があった。そしてウォーキングツアーで,天文台の施設を見学した。24インチ屈折望遠鏡は圧巻だった。また,ドームの外では太陽望遠鏡が設置されていて,黒点を見ることができた。ただし,この時期,というか,近年,太陽には目立った黒点が見られず,この日も太陽面にはまったく黒点がなかった。
 このウォーキングツアーでは冥王星を発見した13インチ天体写真儀の見学は含まれていなかったので,がっかりしたが,調べてみると,13インチ天体写真儀は時間を指定して公開されていることがわかったので,指定された時間にドームに行ってみた。
 時間が近づいても私のほかにだれも来なかったので心配になってきたころ,スタッフが現れた。結局,私がこれを見るためにわざわざ日本からやって来たといっても誇張でない13インチの美しい天体写真儀は,私ひとりの独占となった。スタッフの人にいろいろ質問したり,記念写真を写したりと,思っていた以上の体験ができて,大いに満足した。

 夕方になったので,ひとまず天文台を出て,夕食をとってから,ふたたび,天文台に来ることにして,近くあったファミリーレストラン「IHOP」で夕食をとった。
 「IHOP」というのは「International House of Pancakes」の頭文字が店名になっているファミリーレストランで, アイホップといえばパンケーキ,フレンチトースト,ワッフル,卵料理とベーコンというアメリカンフードが食べられるお店である。
 再び天文台に来てみると,先ほどとは違い,非常の多くの人が天文台に来ていて,車を停めるのも苦労するほどであった。
 この天文台では,天気がよければ,毎晩,ローウェルが火星を観測した望遠鏡で天体を見ることができるのだ。ドームには,多くの人が望遠鏡をのぞくために長い列ができていた。また,ロタンダ 博物館では,一般を対象にして,天文学のレクチャーを行っていた。館内はびっしりと人で埋まっていて,かなり難しい内容のレクチャーなのに,関心をもって聞き入っていた。
 この天文台にかぎらず,アメリカのこうした施設は,どこも,こうした一般を対象としたさまざまな企画が行われていて,平日であっても多くの人が参加しているのにいつも驚く。これもいつも書いていることだが,日本の,テストで点をとるだけが目的の勉強とは本質的に文化に取り組む姿勢が違うように感じる。
 こうして,私は,おおいに満足して天文台の見学を終えた。

 天文台から宿泊先のモーテルの戻る途中,フラグスタッフのダウンタウンを散策することにした。このダウンタウン,駐車場はどこも有料で,しかも,なかなか停めるスペースがないのだが,夜になると無料で開放される。私はある駐車場にスペースを見つけて車を停め,駐車場の説明書きを読んでいると,通りかかった人が「無料だぞ」と私に話しかけてきた。アメリカ人というのは,いつもこうして親切だったりするのだ。
 この,かつてルート66が通っていたのどかな町は,夕方,星空を守るために薄暗い電灯がともり,なかなかすてきな雰囲気になっていた。私は,ずっとこの町に来たかった,その願いがかなって,しかも,この日はやりたかったことをみんなすることができたことも併せて,こころからうれしくなったことだった。

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●ローウェル天文台の様々な施設●
 ローウェル天文台はフラグスタッフの町が一望できる高台にあって,構内には,望遠鏡の他にいくつかの施設を運用しているが,天文台といってもそれほど広い場所ではない。
 この天文台で最も有名なのはローウェルが火星を観測した口径24インチ(61センチメートル)の屈折望遠鏡とトンボーが冥王星を発見した口径13インチ(33センチメートル)の天体写真儀である。これらのものについてはすでに書いた。
 これらの他に,公開はされていないが,最新の望遠鏡となる口径50センチメートルのTMT(=Titan’s Mmonitor Telescope )がある。TMTはローウェル天文学者ヘンリー・ローの研究である土星最大の月タイタンに関する天候を監視し,地球の初期の惑星の状態と進化について研究するためのものである。タイタンは地球に似たいくつかの特性を共有するので,タイタンの大気と表面の状態の詳細なデータを収集することによって,地球の初期の惑星の状態と進化に関する手がかりを提供している。
 また,ローウェル天文台の構内には,1916年に完成し1970年代半ばまで図書館として機能したロタンダ博物館があり,この博物館には多くの重要な展示がされている。それらは,トンボーが1930年に発見した「惑星X」に関するもの,1912年にV・M・スライパーによる銀河膨張の発見に関するもの,アポロ計画のために作成された月の精密地図,ローウェルの火星研究の資料や計算器を含む測定器である。また,ドームの天井から吊り下げられているのはロサンゼルス・ライト・カンパニーが1918年に建設したステンドグラス「サターン・ランプ」である。
 パトナムコレクションセンターの図書館やコレクションエリアでは,建物のロビーの展示エリアだけは一般公開されている。そこには,ローウェルが15歳になったとき母親が彼に与えたの最初の望遠鏡,V・M・スリッファーが宇宙の膨張する性質の最初の証拠を捕捉するために使用した分光計,パーシヴァル・ローウェルの手描きの火星儀には運河を含む詳細が書かれている。また,ローウェルの科学者によって,天体の物理的特性を測定するために使用された機器や数十年から何世紀にもわたる古典的な科学書がある。このロビーの目玉はパーシヴァル・ローウェルが使用した1911年のスティーブンス・デュリエア自動車である

 ローウェル天文台は,フラグスタッフ以外にも新しい観測の拠点が作られた。
 1959年,フラッグスタッフの南東約12マイルに位置するアンダーソンメサに新しい観測地が作られた。そこにある口径72インチ(1.8メートル)のパーキンス望遠鏡は,ボストン大学(BU)とジョージア州立大学との共有である。ワーナー・アンド・スワシー・カンパニーによって1931年に建てられたこの望遠鏡は,もともとはオハイオ州デラウェア州にあるオハイオ・ウェスレーヤン大学(OWU)のパーキンス天文台にあったが,1961年にアンダーソンメサに移転し,1998年にローウェル天文台が購入した。この望遠鏡はボストン大学との共同使用である。
 また,口径42インチ(1メートル)ジョン・S・ホール望遠鏡は,アストロメカニクスによって制作され,1970年にアンダーソンメサに設置された。1990年に元ローウェル天文台長ジョン・S・ホールにちなんで命名されたこの望遠鏡は,ローウェル天文台の天文学者が彗星,小惑星,太陽のような星の研究のために使用している。2004年,この望遠鏡はジョン・M・ウルフ財団とローウェル天文台の友人からの資金で,CCD,光電光メトリーおよび分光法が活用されるようにリニューアルされた。
 NSFが支援する太陽星スペクトログラフ(SSS)は、太陽と太陽のような恒星の長期比較研究に使用されている。
 国立学部研究天文台(NURO)の口径31インチ(80センチメートル)望遠鏡は,アストロメカニクスによって建設された。もともとはNASAが所有し,1964年に米国地質調査所(USGS)の月マッピングプロジェクトのためにアンダーソンメサに設置されたものだが,1972年にローウェル天文台が購入し,1990年に改装され,ローウェルの科学者によって,月と惑星の観測のために使用している。
 海軍精密光学干渉計(NPOI)はローウェル天文台,米国海軍天文台(USNO)フラッグスタッフステーション(NOFS),および米国海軍研究所(NRL)の共同研究である。施設の建設は1992年にはじまり,1994年にエンジニアリング試験が始まりました。
 また,ローウェル天文台は米国海軍天文台と海軍研究所のパートナーとして,海軍精密光学干渉計(Navy Prototype Optical Interferometer=NPOI)を運用している。海軍精密光学干渉計は非常に高精度の測定が可能な非常に専門化された望遠鏡である。干渉計は,単一のミラーを使用する代わりに最大6つのミラーの配列を使用する。地球上や宇宙での位置を決定し時間を監視するための基準システムとして使用する空を横切る星の正確な相対的位置を測定する。
 口径24インチ(60センチメートル)ローウェル天文台近地球物体探査(LONEOS)シュミット望遠鏡は小惑星やその他の地球近くの物体を探すために使用された。このシュミット望遠鏡は,1939年にJ.W.フェッカー社によって建てられ、1950年代にパーキンス天文台に与えられ,1990年にローウェル天文台によって購入された。1992年に改装され、1997年にローウェル・アストログラフを開催したドームで最初の光を見たが,望遠鏡の使用は2008年のLONEOSプロジェクトと一緒に終了した。
 フラグスタッフの南東40マイルにあるハッピージャックには,口径169インチ(430センチメートル)のディスカバリー・チャンネル望遠鏡(DCT)があって,ローウェル天文台の主力機器となっている。この望遠鏡はボストン大学,メリーランド大学,トレド大学,北アリゾナ大学とパートナーシップを結んでいる。

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●クライド・トンボーと冥王星●
 クライド・ウィリアム・トンボー(Clyde William Tombaugh)は,1906年に生まれ1997年に亡くなった天文学者である。1930年に冥王星を発見した業績で知られている。
 トンボーはイリノイ州のストリーターで生まれ,高校時代に西カンザスに家族と移り住んだが,そこで農場が雹で壊滅し大学進学を諦めざるを得なかった。しかし,彼は独学で学問を続け,1926年にはじめて天体望遠鏡を自作,その後2年の間に2基の天体望遠鏡を自作して彼自身の腕を磨いたという。
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 トンボーは,ローウェル天文台で台長のヴェスト・スライファーのもと,天王星や海王星の軌道に影響を与えていると考えられた未知の惑星の捜索に携わった。
 新惑星の探索は,撮影時刻の違う同一星野を見比べ,動きがある星はないかを確認することだった。ローウェルが9番目の「惑星X」があると予測した周辺の星野を丹念に精査し続け,1930年2月18日についに「冥王星」と名づけられることになる新惑星を発見した。
 トンボーはのち,カンザス大学に入学,修士号を取得し,再びローウェル天文台に戻った。トンボーはローウェル天文台での観測で,数百の変光星,800近い数の小惑星,2個の彗星のほか29,000にも及ぶ銀河を発見している。
 第二次世界大戦中はアリゾナ州立大学でアメリカ海軍に航法を教えたが,戦後、天文台の財政難のためローウェル天文台に戻れなかった彼は,ニューメキシコ州のホワイトサンズ・ミサイル実験場で働いたのち,ニューメキシコ州ラスクルーセスのニューメキシコ州立大学で教員を務めた。
 彼の遺灰の一部は2006年に打ち上げられた太陽系外縁天体探査機ニュー・ホライズンズのコンテナに納められ,冥王星に到達した。

 1928年から1929年にかけて,パーシヴァル・ローウェルが考えた太陽系の9番目の惑星の名前である「惑星X」の探索をする目的で使われ,のちに冥王星を発見することになるのが,口径13インチ(32.5センチメートル)の天体写真儀である。また,この望遠鏡のドームは,1896年に24インチ(61センチメートル)望遠鏡ドームのために考案したのと同じ基本計画に従って,楽器メーカーのスタンリー・サイクスによって,1928年に設計され建設されたものである。
 望遠鏡とドームを作る主な資金は,パーシファル・ローウェルの弟であり,ハーバード大学の学長アボット・ローレンス・ローウェルから贈られたものである。
 この写真儀は14インチ×17インチ(35センチメートル×42.5センチメートル)のガラス乾板をもち,約1時間の露出で写真を撮影し,写された写真はコンパレータを使用して精査された。なお,ガラス乾板は現在ワシントンD.C.の航空宇宙博物館に貸し出されている。
 
 「惑星X」の発見後,ヘンリー・ギクラスが同じ13インチ天体写真儀でこの天体の運動を調べた。また,「惑星X」の発見に加えて,この13インチ天体写真儀はローウェル天文台の天文学者によって,彗星や小惑星,測定可能な適切な動き(角度運動)を持つ星を研究するためにも使用された。13インチ天体写真儀は,のち,天文台の別の場所アンダーソンメサに移されたが,1990年代初頭に再び現在の位置に戻された。この冥王星を発見した13インチ天体写真儀は今も一般の関心を集め,世界中から10万人の訪問者がやってくる。私もそのうちのひとりである。
 13インチ天体写真儀とドームは1920年代後半に創設されてから90年経ち,ドームの一部の部分が腐り,望遠鏡の部品の一部が摩耗し,他の部分は洗浄または剥離して再塗装する必要があったので,近年修復された。修復には,まず,望遠鏡をこの場所から撤去し修復,そしてドーム内の構造工事と展示の改修,ドームの修理が行なわれた。ローウェル天文台の技術スタッフは,ドーム材の一部を交換し,施設全体を耐候性にする計画を立てた。また,望遠鏡の制御機構,写真乾板ホルダー,その他のアクセサリーの修理や清掃も行った。望遠鏡とドームの改修には155,000ドルの費用がかかったという。

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●パーシヴァル・ローウェルと火星●
 パーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell)は,1855年に生まれ1916年に亡くなったボストン生まれの天文学者だが,同時に日本研究者でもあった。ボストンの大富豪の息子として生まれ,ハーバード大学で物理や数学を学んだ。もとは実業家だったが,火星に興味をもって天文学者に転じ,私財を投じてローウェル天文台を建設し,火星の研究に打ち込んだ。
 ローウェルは天文台の建設地としてアリゾナ州フラッグスタッフという天体観測に最適な場所を見出し,天文台は惑星研究の中心地となった。ローウェルは,フラグスタッフの地を見つけるまえに,日本に天文台を作ろうと候補地をさがしていたが,日本のシーイングの悪さが原因で断念した。
 ローウェル天文台の口径24インチ(61センチメートル)の屈折望遠鏡を「クラーク望遠鏡」という。この望遠鏡は世界で最も歴史のある望遠鏡のひとつである。1895年ローウェルはマサチューセッツ州ケンブリッジポートのアルヴァン・クラーク&サンズに最先端の24インチ屈折望遠鏡の建設を依頼し,1896年に20,000ドルの費用をかけて製造され,アリゾナ州まで列車で運ばれた。ローウェルはこの望遠鏡を使って火星の知的生命に関する理論を進め世界的な注目を集めた。
 しかし,ローウェルの最大の業績は,最晩年の1916年に9番目の「惑星X」の存在を計算により予想した事である。実際,1930年にその予想に従って観測を続けていたクライド・トンボーにより「冥王星」と名づけられる「惑星X」が発見された。今,ローウェルは24インチ屈折望遠鏡のドームの脇の廟に眠っている。

 火星は今でこそ探査機が訪れ,詳しく研究される時代だが,そうしたことができなかったその昔,この惑星は興味津々の対象であった。火星に運河が存在する,そしてまた,火星人がいるということが信じられたことがあった。
 ローウェルの生きた19世紀後半から20世紀前半,火星には運河が存在すると信じられていた。「運河」とされたのは初期の低解像度の天体望遠鏡によって眼視によって観測された火星の赤道付近の地域にある網目状の長い直線であった。「運河」は,1877年イタリアの天文学者ジョヴァンニ・スキアパレッリ(Giovanni Virginio Schiaparelli)がミラノ天文台の口径22センチメートルの屈折望遠鏡での観測ではじめて記述された。スキアパレッリは火星にあるこうした線を「溝」(canali)とよんだのだが,これが「運河」(canals)と英訳(誤訳?)されてしまったのだ。ローウェルはその影響を受けて,運河は火星の知的文明によって灌漑のために開削されたというスキアパレッリよりもさらに踏み込んだ考えをもち,火星人の存在を唱え「Mars」など火星に関する著書を書いた。しかし,スキアパレッリ自身は,ローウェルのスケッチの細部はほとんどが想像上のものと考えていた。
 また,運河の存在が転じて,火星人の存在が話題となっていって,イギリスのSF作家ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells)が1897年に発表した小説「宇宙戦争」(The War of the Worlds)に登場したタコのような火星人のイメージが世間に定着した。
 ローウェルの死後のことだが,1938年ハロウィーンの特別番組としてアメリカのラジオ局が「マーキュリー放送劇場」(The Mercury Theatre on the Air)を放送した。ウェルズの「宇宙戦争」に基づいたものだったが,この番組は,音楽中継の途中に突如として臨時ニュースとして火星人の侵略が報じられるという体裁になっていて,物語の舞台がアメリカに実在する地名に改変されていた。この生放送は多くの聴取者を恐怖させ,実際の火星人侵略が進行中であると信じさせたのは有名な逸話である。
 また,クラーク望遠鏡で行われた観測に基づくローウェルの著作は,ロケットの専門家ロバート・ゴダードやSF作家のH・G・ウェルズにも影響を与えた。

 後年,24インチ屈折望遠鏡は惑星や月,彗星などの研究に利用され,V・M・スリッファーは24インチ屈折望遠鏡を分光器と組み合わせて使用して,宇宙の膨張に関する革命を起こした。
 また,1960年代,アメリカの月への有人飛行を支援するために,24インチ屈折望遠鏡を使用して月の詳細な地図が作成した。アポロ宇宙飛行士はこれらの地図を研究し,月に行くための訓練の一部としてクラーク望遠鏡を使用した。
 1980年代になると,24インチ屈折望遠鏡の主な用途は教育利用に変わった。それ以来,200万人以上の一般の人が昼間に行われるツアーに参加したり,夜間の天体観測に訪れるようになった。2014年から2015年にかけて,120年前に作られたクラーク望遠鏡は修復され,すべてのナットとボルトが洗浄され大規模な修復を受けたほか,内側と外側に新たに塗装が施され,今日の姿がある。

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●ローウェルが設立した天文台●
 「化石の森国立公園」から戻って,次にローウェル天文台に向かうことになった。これをもって,念願のフラグスタッへ来て,観光1日目にして,私はここに来た目的のすべてを達成することになる。
 旅慣れてくると,こうした要領がよくなってくるのだが,それはそれで,次第にときめきもなくなる。何も知らなかったころは驚きの連続で,どこまでもまっすぐに続く道を走るだけでも感動したものだが,それもあたりまえになってしまった。このごろは,アメリカを旅行しても,数日間東京に行ってきたのと違いがないみたいになってきた。帰国した後で,本当に行ってきたのかという実感すら乏しくなってきたのが,さびしい限りである。

 インターステイツ40を西に走ってフラグスタッフまで戻ってくると,オールドルート66という茶色の道路標示があったので,そのジャンクションでインターステイツを降りた。
 アメリカでは,観光名所の案内標示はすべて茶色で統一されているからわかりやすい。フラグスタッフの町はメインロードがオールドルート66が走っていたところなのだ。
 オールドルート66はダウンタウンを西に進んでいくと突き当りを左折していくが,その交差点を左折せず直進すると狭い道になって,そのまままっすぐに進んで行くと坂道になる。その坂を登っていくとその先にあるのがローウェル天文台である。ローウェル天文台のシンボルである口径24インチ屈折望遠鏡の収められた白いドームは坂の下からも見ることができる。
 ここに来るまで不安だったのが,果たしてローウェル天文台は自由に見学することができるのだろうか? 念願だったクラウド・トンボーが冥王星を発見したという望遠鏡は見ることができるのだろうか? ということであった。ネットで事前に調べた限りでは,朝から夜まで終日一般に公開されているらしいのだが…。

 ローウェル天文台(Lowell Observatory)は,1894年パーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell)が私財を投入して設立した天文台である。現在はローウェル天文台財団(Lowell Observatory Foundation)が運営している。歴史的に有名なローウェルが使用した口径24インチ(61センチメートル)の屈折望遠鏡と,クライド・ウィリアム・トンボー(Clyde William Tombaugh)が冥王星の発見に使用した口径13インチ(32.5センチメートル)の天体写真儀があり,ともに一般を対象として公開されている。
 私は,トンボーが冥王星を発見した天体写真儀をこの目で見たくて,この天文台に足を運んだわけであるが,むしろ一般に有名なのは,ローウェルが火星を観測したほうの24インチ屈折望遠鏡で,こちらの望遠鏡のほうがさまざまな本に紹介されている。日本人がこの天文台に行ってブログなどに載せている望遠鏡もほとんどがそちらのほうである。この後で詳しく書くが,私が実際に参加した天文台のガイドツアーも,ローウェルの使用したほうの望遠鏡がメインだし,予備知識がないと,トンボーが使ったほうの13インチ天体写真儀はうっかり見逃してしまうかもしれないから,わざわざこの地を訪れて,ローウェルの使った望遠鏡だけを見学してきた人も少なくないと思われる。

 ローレル天文台に行く坂道の途中に展望台があって,そこからフラグスタッフの町を一望することができた。さらに進んでいくと天文台の門があって,それを過ぎると,その先に広い駐車場があった。結構多くの車が停まっていたが,スペースを見つけて車を停めた。天文台の入口まで歩いていって中に入った。
 扉を開けるとそこに受付があった。見学料を払うと,この日に行われているイベントにすべて参加できるということであったので,さっそく料金を払った。ちょうどガイドツアーがちょうどはじまったところで,受付のとなりの小部屋でレクチャーをしていたので,私も参加した。参加者は十数人といったところだった。レクチャーではビデオを見ながら天文台の説明をしていた。私はものすごく興味があったからとても楽しく聞き入っていた。やがてレクチャーが終わると,いよいよウォーキングツアーがはじまった。

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