しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

タグ:牧野富太郎

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横倉山自然の森博物館の見学を終えてから受付で聞いてみると,私のめざす杉原神社は,横倉山自然の森博物館の横の道路をどんどんと上っていくと駐車場があって,その一番上の第3駐車場に車を停めて,そこから20分程度歩くということでした。私は,駐車場に車を停めたらすぐと思っていたので,それを聞いただけでめげましたが,ここまで来た以上,行くしかありません。
第3駐車場までもまた,かなりの距離と標高があって驚きました。とても歩いて登れるものではありません。やがて,広い駐車場に着いたのですが,ほかに車は見当たりませんでした。そこから杉原神社へ行く道があるということなのですが,それが見当たりません。掲示されていた地図と見比べると,「安徳天皇陵墓参考地」と書かれた鳥居の先だと気づきました。それにしても,杉原神社という案内があってもいいのに,と思いました。

山の中の道をずいぶんと歩いて行くと,やがて,杉原神社が見えてきました。そこは「らんまん」で見たものと同じでした。それにしても,テレビのロケでも,ここまで来るには山道を歩くしか方法はないわけで,役者さんは大変だなあ,と思いました。
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標高800メートルの横倉山は800年以上の昔から土佐の国唯一の修験道の霊場として神聖な地とされてきました。樹齢約500年から600年の巨杉が多いことからその名になった杉原神社は平家の守護神である熊野権現を祀っていて,1897年(明治30年)ごろに改築された本殿周囲の彫刻は精巧でみどころのひとつとなっています。
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平家の守護神というのは,前回書いたように,この地に,81代安徳天皇が難を逃れ,横倉山に落ち延び,病によってこの地で1200年(正治2年)に23歳で亡くなったという伝説から来るものです。
そこで,かつて,臣下の者と共に鞠を興じた土地に「安徳天皇陵墓参考地」があるということですし,また,随伴した88名の将を祀る祠や墓がひとつにまとめられて杉原神社のわきに祀られた平家之宮がありました。
「安徳天皇陵墓参考地」は杉原神社からさらに20分ほど行った先,すでにめげていたことと,私は,このような迷信話には興味がない,という言い訳をして,「安徳天皇陵墓参考地」には足を延ばしませんでした。

さて,2泊3日の今回の旅の1泊目は高知市内にしてありました。宿泊先は,教職員共済組合の高知会館。温泉地にしようかとも思いましたが,8月に行った隠岐諸島で,ご馳走を食べすぎて少々食傷気味だったこともあって,安価に泊れればいいや,として選んだものでした。この商売っ気のない宿泊先は,宿泊者もほとんどおらず,それはそれで気楽で悪くないものでした。
夜は,高知市内の繁華街に出かけようと思っていたのですが,めんどうになって,高知会館にあったレストランにしました。広いレストランだったのに,客は私ひとり。こういうの,とてもいいです。

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「らんまん」で主人公の万太郎が天狗に出会った場所が横倉山の杉原神社です。
かなり山奥なので,行くのが大変だと思っていたのですが,地図で見ると,佐川の町から近く,また,杉原神社の近くまで車で行くことができるようでした。ところが,国道33号線を走っていっても,意外に遠いのです。それでも,なんとか横倉山自然の森博物館という道路標示を見つけたので,標示に従って,国道33号線からはずれて走っていくと,次第に山の中に入っていきました。そこに横倉山自然の森博物館が忽然と現れました。
ずいぶんと手前に駐車場があったのですがやり過ごし,さらに行くと,博物館横に再び駐車場があったので,車を停めることにしました。駐車場にあったのは1台のバスだけでした。どうやら,中学生の団体さんのようで,嫌な予感がしましたが,ちょうど帰るところでした。
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横倉山自然の森博物館は,県内唯一の安藤忠雄氏の建築。
日本植物学の父,牧野富太郎博士の重要な研究フィールドでもあり,博士の書いた植物画や,横倉山で発見された化石などを見て学ぶことができる。
3階では,アニメ映画「竜とそばかすの姫」の巨大フィギアと,映画の舞台のモデルとなった越知町や仁淀川流域のパネルも展示中。
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という味もそっけもない案内がウェブサイトにありました。
私は,「らんまん」で出てきた杉原神社あたりに行きたかっただけだったのですが,せっかく来たのだからと横倉山自然の森博物館に入りました。横倉山自然の森博物館は結構見ごたえがありました。また,牧野富太郎博士にちなんだ企画展をやっていたので,十分堪能できました。牧野富太郎博士にちなんだ企画展では,牧野富太郎博士と妻・寿衛さんの写真があって,ドラマとダブって,ちょっと感動しました。

横倉山自然の森博物館にあった横倉山についての展示によると
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横倉山は赤道近くのサンゴ礁を伴う小さな大陸だったところで,4億5,000万年前の「コノドント」(Conodont)とよばれる化石や,クサリサンゴ,三葉虫といった多くの化石が発見されています。
「コノドント」は、カンブリア紀初めから三畳紀の終わりごろ,つまり,6億年前から1億8,000万年前の岩石に含まれている化石で、19世紀にロシアで発見されました。 大きさは1ミリメートルにも満たない小ささで、クシの歯やヤギの角に似た形をしていたため、発見者は魚の歯が化石になったものだろうと考えました。また,横倉山には樹齢数百年のアカガシの原生林や世界的にも珍しい「コオロギラン」(Stigmatodactylus sikokianus)など,さまざまな植物が自生しているので,牧野富太郎博士の研究のフィールドでした。
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ということでした。

史実では,1185年(文治元年)に壇ノ浦の戦いで入水した81代安徳天皇ですが,実は,難を逃れ,横倉山に落ち延び,病によってこの地で1200年(正治2年)に23歳で亡くなったという伝説があって,それに触れられた展示もありました。
そういえば,先日行った徳島県の祖谷(いや)にも,壇ノ浦で亡くなった安徳天皇や平国盛,時子たちは実は影武者で,祖谷の地に逃げ延びたという,「もうひとつの平家物語」とよばれる逸話が伝わっていると知りました。このように,四国では安徳天皇がお好きなようなのですが,こうもあちらこちらに安徳天皇が出没していては,本人の身がもちませんし,成仏もできないことだなあ,と私は思いました。

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 2023年10月14日のNHK交響楽団10月A定期を聴きに東京へ行く計画を立てたのですが,残念ながらコンサートは中止になってしまいました。しかし,それ以外の予定はそのまま実行することにしました。
 今回は,コンサートの余韻を十分に味わうために1泊することにしていました。
 そこで,1日目の10月14日は,ディープな東京散策として,谷中霊園から旧吉原の樋口一葉記念館,そして,芝の増上寺で徳川家の墓とまわり,2日目の10月15日は,かねてからの懸案であった房総半島を1周することにしました。私は,人の少ないところのほうが楽しいのです。

 まず行ったのが,谷中霊園でした。新幹線で東京駅に着いて,そのまま乗り換えて上野駅まで。そこから歩きました。JR日暮里駅の方が近いのですが,私は,早朝の上野公園を歩くのが好きなのです。
 谷中霊園には,多くの有名人の墓がありますが,私の目的は,牧野富太郎博士の墓と江戸幕府最後の15代将軍・徳川慶喜の墓でした。上野公園を過ぎて,さらに北西に向かって歩いて行くと,谷中霊園が見えてきました。まず,徳川慶喜の墓の表示があったので,そちらを先に行くことにしました。
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 徳川慶喜は,明治維新によって,幕府崩壊とともに一般人になったのですが,公爵に叙せらたことで神道への宗旨替えをし,明治政府が作った新しい墓所である谷中霊園に埋葬されました。
 その後,徳川宗家は徳川慶喜とは別の徳川家達に移り,徳川慶喜の流れをくむ家系は墓じまいをするということで話題になりました。
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 徳川慶喜は神式で埋葬されたため円墳状の墓で,隣には,その妻・美賀子の墓が並んでいます。
 この場所は,江戸時代は感応寺(現在の天王寺)の境内でした。大政奉還を果たした徳川慶喜は,明治維新で謹慎が解かれると駿府(現在の静岡市)に隠棲し,10男11女をもうけ,1897年(明治30年)に東京に戻り,巣鴨で暮らしましたが,巣鴨駅の建設の喧騒から逃れるために,1901年(明治34年)に小石川に転居しました。大正2年に風邪を患って満76歳で亡くなりました。

 牧野富太郎博士は,今年度前期のNHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公・槙野万太郎のモデルです。墓は,徳川慶喜の墓からさほど遠くないところにありましたが,見つけるのがたいへんでした。
 1862年(文久2年),土佐国佐川村(現在の高知県高岡郡佐川町)に生誕した牧野富太郎博士は植物学を志し,1884年(明治17年)に東京に出ました。1912年(大正元年),50歳のときから1939年(昭和14年)まで,東京帝国大学理科大学講師を務めました。
 1926年(大正15年)から没するまで大泉に居を構え,自邸の庭を「我が植物園」としてこよなく大切にしていました。そこは,現在の牧野記念庭園で,私が先日訪れたことはすでに書きました。
 1957年(昭和32年)に94歳で死去し,天王寺墓地に葬られました。墓の横には,牧野富太郎博士が愛し,新種の笹に「スエコザサ」と名づけた妻・寿衛さんの墓がありました。
 墓の正面には「結網学人牧野富太郎 TOMITARO MAKINO Dr.Sc. APRIL 26.1862−JAN 18.1957 墓」,側面に「昭和三十二年一月十八日歿 浄華院殿富嶽穎秀大居士 行年九十六歳」,裏面には年譜が刻まれていました。隣のすえさんの 墓の横側には
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 家守りし妻の恵みやわが学び
 世の中のあらん限りやすゑ子笹
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という自作の句が刻まれていて,泣けてきました。

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 NHK連続テレビ小説「らんまん」を楽しく見ています。「らんまん」は
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 高知県出身の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルとしたオリジナルストーリー。
 幕末から明治,そして激動の大正・昭和といった混乱の時代の中で,一途に情熱的に突き進んだ神木隆之介が演じる主人公・槙野万太郎と浜辺美波さんが演じる妻・寿恵子の波乱万丈な生涯を,美しい草花の情景とともに描きます。
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というもので,史実とは異なる点も少なくないのですが,それはそれで,すばらしいドラマとなっています。
 この時代,牧野富太郎のような在野の学者が少なからず存在していました。私は,植物学のことはこれまで興味がなかったのですが,このドラマを見ながら,子供のころにあこがれていた,この時代の天文学者やアマチュア天文学者もまた,こんな感じだったのだろうと想いを巡らせたりしていました。

 2023年9月9日にNHK交響楽団の定期公演を聴きに東京へ行った折に,念願の練馬区立牧野記念庭園を訪れることができました。
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 牧野記念庭園は,牧野富太郎博士の邸宅の跡地として,1958年(昭和33年)年から一般公開されています。牧野博士は1926年(大正15年),当時は野趣豊かであった大泉の地に居を構え,1957年(昭和32年)に満94歳の生涯を終えるまで,自邸の庭を「我が植物園」としてこよなく大切にしました。
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 池袋駅から西武鉄道に乗って大泉学園駅で降りると,駅前は多くの牧野富太郎さんの絵で一杯でした。
 私は,東京も人だらけの都心は嫌いですが,深大寺とか桜新町とか葛飾柴又とか,そうした郊外の町はどこもすてきです。こういうところなら住んでみたいといつも思います。途中でおそば屋さんに寄ってお昼をとって,さらに歩いて行くと,目的地に着きました。さすがにテレビの影響か,多くの人が訪れていましたが,混雑,という感じではありませんでした。

 庭園には、約300種類の草木類が生育していて,さらに,2023年(令和5年)にオープンした書屋展示室が圧巻でした。また,コーヒー好きだった牧野富太郎博士愛飲のブレンドコーヒーを味わうこともできました。
 そうした中で,私がもっとも感激したのが「スエコザサ」に囲まれた牧野富太郎博士の像でした。これだけで,すっかり参ってしまいました。
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 1927年(昭和2年),牧野富太郎博士は仙台市の三居沢(さんきょざわ)で新種のササの仲間を発見しました。そして,「植物研究雑誌」第5巻第2号で,これまで自分を支え続けてくれた妻・壽衛(すえ)さんへ感謝を込めて,和名を「スエコザサ」,学名を「Sasa suwekoana Makino」と発表しました。しかし、病に伏していた壽衛は雑誌が発行される5日前の1928(昭和3年)2月23日に永眠してしまいました。
 なお,「スエコザサ」は新種ではなく「アズマザサ」(Sasaella ramosa Makino)の変種とわかったので,現在の学名は「Sasaella ramosa(Makino) Makino var.suwekoana (Makino)Sad.Suzuki」です。
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 東京都台東区谷中の天王寺にある妻・壽衛さんの墓碑には,牧野博士自作の句
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 家守りし 妻の恵みや 我が学び 世の中の あらん限りや すゑ子笹
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と刻まれているそうです。泣ける。DSC_0929DSC_0928IMG_0552IMG_0551DSC_0887DSC_0902IMG_0555DSC_0890DSC_0905


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 NHK連続テレビ小説「らんまん」を楽しく見ています。6月いっぱいで松坂慶子さんが演じた主人公槙野万太郎の祖母たきが亡くなったことで前編が終わって,これからの3か月が後編です。私は,見ていて辛くなるドラマは嫌いだし,主人公がいじめられるのもダメですが,このドラマは,登場人物はいい人ばかりなので,こころ穏やかに見ることができます。
 なお,実際の牧野富太郎博士はひとりっ子だったし,祖母とは血のつながりがなかったということなので,このドラマの槙野家の家族は創作ですが,ドラマだから,これでよいのでしょう。

 そんな楽しいドラマですが,このドラマを見るたびに,私は,忸怩たる思いに駆られます。
 それは,このところ,2020年2月,2022年10月,2023年1月と3回高知県へ出かけて,さまざまな場所に行ったのにも関わらず,ドラマの主人公である牧野富太郎博士にちなんだ場所をすべて見落としてしまっていた,というかパスしてしまっていたということです。
 牧野富太郎という名前は子供のころから知っていました。学校で借りた伝記を読んだのです。しかし,特に興味をもったわけではありませんでした。元来,私は「生物」という教科が好きではありませんでした。それがこんなに偉大な人だったとは…。失礼しました。
 だから,高知県立牧野植物園なんて,私が高知県へ行ったころは,こんな場所に大きな植物園があって,だれが来るのだろう? と思ったほどでした。しかし,高知県立牧野植物園の横を通ったときに臨時駐車場があったほどだから,いったいどうして? とさえ思いました。こうして,何度も行く機会があったのにそれを逃してしまいました。また,牧野富太郎博士の生まれ故郷である佐川の町も通ったことがあるのですが,きれいな町だなあ,と思っただけでした。
 日本の旅はこころでするものといつも書いている私が,実は,このように,自分が無知であったために,価値のあるものを見逃していたのです。これを恥じます。

 高知県立牧野植物園だけでなく,高知県佐川町には牧野富太郎ふるさと館,また,東京にも練馬区牧野記念庭園があるということなので,今はドラマが放映されている最中なのでおそらく多くの人が訪れているだろうから,ドラマが終わったころに,ぜひ行って見たいものだと,楽しみにしてます。
 ああ,情けない。

#1#2#3#4#5


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Buck Moon 2023.

梅雨の晴れ間。
久しぶりに満月が見えました。
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