しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:特別編・日本の天文台

2019-10-17_08-43-11_1972019-10-17_08-33-10_7382019-10-17_08-35-08_7782019-10-17_08-51-16_183

☆☆☆☆☆☆
 岩手県奥州市水沢に国立天文台水沢VLBI観測所があります。国立天文台の中で,現存する一番古い観測所のひとつで,1899年(明治32年)に設置されました。
  ・・
 明治時代,天体観測の面でも欧米各国の科学技術を導入して,正確な緯度を測定する事業を行うために設置された緯度観測所が前身です。現在も,国際緯度観測事業を行いつつ,測地学観測の観測所として機能しています。
 緯度観測所では,日本及びアジアにおける国際測地学研究の拠点として,測地学に関連する研究及び測定を行いました。この観測事業の実施を行った木村栄教授が近代測地学の世界的業績であるZ項を発見した場所として有名です。
 現在,これらの観測に用いられた機材開発技術を応用して,月測地学探査に必要な機器開発を実施し,月探査計画での観測データ解析も行っています。また,相対基線法による超長基線電波干渉法(Very Long Baseline Interferometry=VLBI)観測で精密な銀河マップを作製することを目的に,日本各地にあるVLBI観測点を専用ネットワークで結んだ観測点の解析センターの役割を担っています。これらのデータ解析には精密な時刻測定が必要なため,国内では数少ない協定世界時(UTC)を刻む原子時計を運用し,データ解析に活用し,研究観測から得られたデータは,日本電信電話の時報(117),情報通信研究機構のJJY,NHKのラジオ放送の時報などに活用されています。

 2019年から,ブラックホールの影を世界ではじめて撮影に成功したチームに参加した本間希樹教授が所長を務めていますが,2020年度の天文台関連の予算が半分程度に減額されることとなって電波望遠鏡の停止や人員の補充が行われないなど研究への影響が懸念されていましたが,他の研究により予算が確保され電波望遠鏡の維持は可能となったそうです。また,2021年には必要最低限の研究が可能な予算要求がほぼ満額で決定されたといいます。

 私は,この観測所のことは昔から知っていましたが,光学望遠鏡があるわけでないからまったく興味もなく,どこにあるのかも知りませんでした。
 2019年,宮沢賢治にちなんだ花巻に興味をもち,また,ブラックホールの写真撮影に成功した本間希樹教授が所長ということで行ってみたくなって,東京から深夜バスに乗って出かけてきました。行ってみて,私はこの地が大好きになりました。また,水沢VLBI観測所で行っている研究にも興味をもちました。
 奥州市は遠いところでしたが,今は,県営名古屋空港から花巻空港までFDAが飛んでいるので,行くことは容易になったので,また,訪れてみたいものです。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_5593DSC_5594DSC_5609DSC_5595

☆☆☆☆☆☆
 花山天文台は京都市山科区の花山山山腹に位置する天文台。京都大学大学院理学研究科附属の施設で,1929年(昭和4年)に設立されました。 天文台のある山は標高221メートルの花山山で「かざん」あるいは地元では「かさん」とも読まれています。
  ・・
 京都大学における天文学研究は1897年(明治30年)に設立された京都帝国大学理工科大学にさかのぼります。当初は大学敷地内において観測を行っていて,佐々木哲夫によるフィンレー彗星 (15P/Finlay) の観測はこの時期のことです。
 1921年(大正10年)に理学部物理学科が分割されて宇宙物理学科が設置されましたが,大学付近における市電の開通などに伴い観測環境が悪化したので移転が検討されるようになりました。
 花山山にある土地が地主から大学に寄付されたので,2年の工事によって天文台が建設され, 1929年(昭和4年)に花山天文台が設立されました。初代天文台長は山本一清でした。
 京都帝国大学附属の花山天文台は,東京帝国大学附属の東京天文台(現・国立天文台)と並んで日本における天文学研究の拠点でしたが,京都と東京では天文学用語が異なっていることもしばしばでした。東京で「惑星」とよんでいたのに対して,京都では「遊星」,また,1930年(昭和5年)に発見されたPlutoについて,東京では「プルート」を用いたのに対し,京都では野尻抱影が提唱した「冥王星」を早くから受け入れていました。

 設立から長い間,観測施設施設として利用されてきましたが,京都市の人口増加に伴って光害や大気汚染などの環境の悪化により,1968年(昭和43年)に新設されたの飛騨天文台設立にその地位を譲りましたが,現在でも「教育施設」として重要な役割を果たしています。
 花山天文台は,2013年「京都を彩る建物や庭園」に選定され,2014年に「京都を彩る建物や庭園」に認定されました。

●口径45センチメートル屈折赤道儀
 この望遠鏡は,1927年(昭和2年)理学部宇宙物理学教室で購入し,1929年(昭和4年)に花山天文台が創設されたとき移設されました。
 当初は口径30センチメートルのレンズがついていましたが,1969年(昭和44年)に性能向上のため,カール・ツァイス製の45センチメートルレンズに換装され,これによって,焦点距離が675センチメートルと伸びたので鏡筒が長くなってしまいました。
 そこで,架台とのバランスが崩れるのを防ぐために,対物レンズから入った光を末尾の反射鏡で受けて折り返し,鏡筒の真ん中付近に接眼レンズを設けるというユニークな工夫がされているので,一般的な屈折式の望遠鏡とは少し違った外観となっています。
 これがまあ,京都らしいというか,私は好きです。
●口径70センチメートルシーロスタット
 1961年(昭和36年)に設立された太陽館に設置されて,太陽の分光スペクトル観測望遠鏡として活躍しています。現在は大学院生の研究指導や理学部学生に対して課題研究と課題実習の実習教育を実施しています。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_4916IMG_4933IMG_4921DSC_3403

☆☆☆☆☆☆
 日本の天文台について,これまで三鷹,飛騨,岡山と,3回書きましたが,その続きです。
  ・・
 木曽観測所は,長野県南西部に位置する木曽町三岳の標高1,120メートルの尾根伝いに広がった緑豊か な台地に建設されています。
 木曽観測所は,1974年(昭和49年)に東京天文台の観測所として開設されました。1988年(昭和63年)に国立天文台に改組されたのに伴って,国立天文台の組織から離れて,現在は,理学部附属天文学教育研究センターの観測所となっています。
 木曽観測所の設立目的は,口径105センチメートルシュミット望遠鏡による銀河系内外の諸天体の観測的研究,並びに夜天光の観測を行なうことでした。

●口径105センチメートルシュミット望遠鏡
 木曽観測所のシュミット望遠鏡は,補正板口径が105センチメートル,主鏡は150センチメートル,焦点距離は330センチメートルで,F比は3.1です。
 木曽観測所では,シュミット望遠鏡の広い視野を活かした様々な観測プロジェクトが実施されていました。
 木曽観測所におけるシュミット望遠鏡の観測プログラムは,パロマ天文台のシュミット望遠鏡である「サミュエル・オシン望遠鏡」(The Samuel Oschin telescope)のように全天域を隈無く観測するのではなく,掃天探査を要する研究テーマを主とし,個別の研究 テーマをこれに加える形で月ごとに編成されました。
 建設当時は写真乾板が観測の主流だったのが,最新の固体撮像素子技術を導入して微光天体を高感度かつ精密に測定する必要が生じたため,1987年にCCDカメラの開発が開始され,さらに,2012年には超広視野モザイクCCDカメラに置き換わりました。また,2019年からは,さらに超広視野のCMOSカメラ「Tomo-e Gozen」が本格運用を開始しました。
 私は,このシュミット望遠鏡にとても親しみがありました。そして,ついに,2019年の公開日に,その実物に触れることができました。

 こうしていろいろと書いていると,何もかも,このコロナ禍の前に夢が実現したことに幸運を覚えます。
 見学してわかったことは,この望遠鏡もまた,老朽化したものをなんとか生き延びさせて活躍の場を与えようと苦労していることです。しかし,シュミット望遠鏡という形式自体が今では古いことと,赤道儀という架台の形式もまた,時代に取り残されていることから,現状を維持することがたいへんだということです。
 そうしたことも,何だか,30年以上前に買って,今も使っている私の古びた望遠鏡と同じように,親近感を抱きます。

◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSCN3355DSCN3358DSCN3381DSCN3362

 「岡山の反射望遠鏡」というのも,子供のころの私には憧れの望遠鏡でした。
 国立天文台の岡山天体物理観測所は,岡山県浅口市と岡山県小田郡矢掛町にまたがる竹林山山頂付近にあります。1960年(昭和35年)に「東京大学附属東京天文台岡山天体物理観測所」として開所し,2018年(平成30年)に観測プロジェクトが終了しました。
 現在は,国立天文台ハワイ観測所岡山分室によって管理されていて,共同研究グループによって機器の保全及び利用がなされています。

 標高372メートルの竹林寺山頂に位置しているこの場所は晴天率が高く,また,気流が安定していて,光・赤外観測にはうってつけの場所であったというのが設営された理由でした。また,標高が低いために山頂への道路等も既に整備されていたために運搬や調整などにおいて支障をきたさない点が評価されたといいます。
 私は,こんな都会に近いところに作ったらすぐに空が明るくなってしまうのに,と思ったものですが,実際行ってみると,思ったよりも山奥でした。そして,この山頂は,実際,不思議なくらい雲が切れて晴天率が高いのです。
 しかし,それでも,今は空も明るくなって,標高が高くないのは,利点というよりも,今となってはそれはデメリットでしかないようです。
  ・・
●口径188センチメートル反射望遠鏡
 主砲はイギリスのグラブパーソンズ社製の口径188センチメートル反射望遠鏡で,クーデ焦点に置かれた高分散エシェル分光器 (HIDES=HIgh Dispersion Echelle Spectrograph) を使った恒星の分光観測が精力的に行われたそうです。
 今はどうか知りませんが,私が行ったときには,ガラス越しに望遠鏡の姿をみることができました。
  ・・
●口径91センチメートル反射望遠鏡
 口径91センチメートル反射式望遠鏡は日本光学工業(現在のニコン)製の国産1号機となる大型反射式天体望遠鏡でした。
 私は一度でいいからその姿を見たかったのですが,こちらは見学ができません。

 こうした施設が作られたころは,今とは違って海外に観測施設を作るなどというのは夢のことだったので,日本国内でなんとかと工夫を凝らしたのですが,結局,日本国内で満足に天体観測ができるような場所はほとんどなかったと思われます。
 そしてまた,今となっては,ここに設置されたような望遠鏡は古く,最新の観測には役に立たなくなってしまいました。
 現在は,この地に,民間からの資金援助により,京都大学大学院理学研究科宇宙物理学教室・附属天文台,名古屋大学大学院理学研究科光赤外線天文学研究室,国立天文台岡山天体物理観測所,および,ナノオプトニクス研究所との連携研究により,国内最大の3.8メートルの新技術天体望遠鏡が建設されて,京都大学理学研究科附属天文台が中心となって国内の大学連携により共同運用がされ,突発天体や星形成領域の観測をしているそうです。 


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSCN0411DSCN0412DSCN0380DSCN0421

 「三鷹の東京天文台」と並んで,「京都大学の飛騨天文台」もまた,若いころに,飛騨天文台に口径65センチメートルの屈折望遠鏡が設置されたという写真が「天文年鑑」の表紙を飾ったときに知って,それを見にいきたくなったものです。
 そのころ,というのは,今から50年ほど前のことですが,アマチュアの使う天体望遠鏡は,口径65ミリメートルの屈折赤道儀というのがポピュラーでした。その10倍の口径の,同じような形の巨大な屈折望遠鏡が存在するということに当時の私は興味をもったわけです。

 飛騨天文台は,京都大学大学院理学研究科附属です。高山市の大雨見山の山上にあります。
 それまで,京都大学の観測拠点は,京都市の花山天文台や生駒山太陽観測所だったのですが,京都市の近代化に伴って精密観測が困難になってきたために,1968年(昭和43年)に移設されたものです。
  ・・
●65センチメートル屈折望遠鏡
 65センチメートル屈折望遠鏡は,1972年(昭和47年)に完成しました。
 飛騨天文台の安定した空気層環境で,長焦点を利用して惑星や彗星の核など,太陽系天体の精密を要する目的で設置されたということです。
  ・・
●ドームレス太陽望遠鏡
 ドームレス太陽望遠鏡は太陽研究のための望遠鏡で,口径60センチメートルのドームレス・クーデ式太陽専用望遠鏡として,カールツァイスによって製造されました。国内では屈指の大きさの太陽像を得ることができるものです。
 太陽はその表面で起こる様々な高エネルギー爆発現象の物理構造を詳細に解析できる唯一の天体で,宇宙の天体活動を理解する基盤となります。
 1979年(昭和54年)に完成したドームレス太陽望遠鏡は,地上観測で望み得る最高の空間分解能が得られるように設計されていて,高分解単色太陽像の撮影などを通して太陽活動現象のメカニズムを解明すると共に,宇宙電磁プラズマ現象の謎に迫ろうとしています。

 飛騨天文台は国立公園内にあります。一般には公開されていないのですが,見学会が行われていて,2010年(平成22年),私もそれに参加して,待望の望遠鏡を見ることができました。
 いろいろと解説してもらったうちで,この天文台が太陽観測に力をいれていることがわかったのですが,それまでは,太陽なんてまったく興味がなかったので,知識もありませんでした。説明を聞いて,太陽もおもしろいものだということを知りました。
 しかし,見学会では,65センチメートルの屈折望遠鏡の実物は見られましたが,その時点で,その望遠鏡がどのように使われているのかは説明もなく,よくわかりませんでした。実際のところ,今の時代,こうした旧世代の望遠鏡の活躍する場は限られている,というか,全くないように思いました。
 この国では,昔から東京大学と京都大学はライバル関係にあって,その内情は私にはよくわからないし,それを書くことが目的ではないから深入りしませんが,現在,東京大学の天文台は国立天文台として広く研究が行われているのに対して,飛騨天文台などは京都大学の付属施設として研究が行われているわけで,その関係が私にはよくわかりません。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8415IMG_7899IMG_7965IMG_7911IMG_7951

 以前,諸外国の天文台について書きました。今日からは,日本の天文台についてです。まずは,三鷹市にある国立天文台です。

 私にとって,三鷹という地名は東京天文台と同等でした。
 子供のころに見た図鑑に載っていたのは,「三鷹の東京天文台」にある(あった)大きな屈折望遠鏡と電波望遠鏡でした。子供のころの憧れというのはずっと先まで大きな影響力を与えるものです。そこにいつかは行って,実物を見てみたいものだと念願していました。
 あれから機構が改革され,東京天文台は,国立天文台となりました。そして,星が満足に見えない三鷹に,現在あるのは,日本の天文学のナショナルセンターです。かつての私の憧れの機材は,今は文化財となりましたが,私は,研究用の現役機材よりも,こちらのほうに興味があるのです。

 三鷹というところにはじめて行ったときは,落ち着いた町だなあ,という印象でした。天文台はJRの三鷹駅からはずいぶんの距離がありましたが,歩いていると,天文台のあたりは,東京外国語大学,国際基督教大学,深大寺,植物園などがあって,すばらしいところでした。
 日本において,天文台は1878年(明治11年)に本郷で東京大学観象台としてはじまり,1888年(明治21年)には東京大学東京天文台として港区麻布板倉に移されました。現在の三鷹大沢への移転は1914年(大正3年)から1924年(大正13年)にかけて行われ,その後,1988年(昭和63年)に文部省所管の「国立天文台」と改められ,国際協力事業の積極的な推進をめざし,さらに国立大学の共同利用機関として位置づけられ現在に至っています。
 今では,研究用の観測基地は世界中に広がり,三鷹はそのセンター的な役割を担っています。

 大正,昭和に建設された施設のうち現存のものは,文化財として,常時,または,期日を決めて公開されていて,見学することができます。
  ・・
●第一赤道儀室
 1927年(昭和2年)に設置されたカール・ツァイス社製の口径20センチメートル,焦点距離359センチメートルの赤道儀は,速度調整機構付重錘式時計駆動といって重力により赤道儀内の錘が下に下がることを利用して天体を追尾するものです。
 この望遠鏡では,天気がいいと黒点を見せてもらえます。私も何度も見ることができました。
  ・・
●大赤道儀室
 私の憧れだったのが,1929年(昭和4年)に設置された有名なカール・ツァイス社製の口径65センチメートル,焦点距離1,021センチメートルの屈折望遠鏡です。この望遠鏡が大赤道儀室にあります。
 現役時代は,ドームの床全体がエレベータ式で昇降するつくりだったそうですが,退役後は固定されていて,もはや,星を見ることはできません。2001年(平成13年)に「天文台歴史館」となりました。
  ・・
●太陽塔望遠鏡
 1930年(昭和5年)に建設された地上5階、地下1階建ての建物で,ドイツのベルリンにある「アインシュタイン塔」と同じ目的で建造されたため「アインシュタイン塔」といわれます。
 一般相対性理論から予見される重力効果を観測する目的で作られたのですが,重力効果を観測することはできませんでした。しかし,太陽黒点観測や太陽スペクトル観測などに成果を挙げ,1968年(昭和43年)に研究観測を終了しました。
 通常は公開されていないので残念だったのですが,幸運なことに,私は2018年(平成30年)の特別公開で内部を見ることができました。
  ・・
●太陽電波望遠鏡
 先に書いたように,私が子供のころに見た図鑑に載っていた電波望遠鏡ですが,現在は存在しません。その跡地に案内板だけが設置されています。
 一度,見たかったものです。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

このページのトップヘ