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私がこのごろとても不思議に思うのは,どうしてこの世界に生き物がいる「必要がある」のだろうか,ということです。私の結論は,この世界を作った創造主(宗教的なものではありません)が,せっかく作ったのにそれを共感してもらう人がいないとさびしかったから,ということです。…というのは冗談ですが,地球上に生息する生き物は,いったい,どうして生きている,生きていなければならないのでしょうか。別に地球上に生き物がいなくても,何も困らないではありませんか。
視点を変えてみましょう。生き物は,生きていて何が楽しいのでしょうか。トラやライオンのご趣味は何なのでしょうか。エサをとったり,繁殖をするのは,おそらくそれを作った創造主が与えた本能で,そうしないと滅びてしまうからそうなったという仕組みにすぎないわけです。そういう仕組みが偶然そなわったから存在している,というだけのことでしょう。
それに加えて,高等な生き物では,生きているという状況に加えて,そこに感情やら知性やら,そういった,いわば余計なものが,これもまた偶然備わってしまったために,さらにややこやしくなっているのですが,そういうことだって,すべては,何らかの化学反応の結果生じた結果にすぎないのでしょう。
とまあ,私は,そんなことを考えるようになってきました。
そうした生き物の不思議を他人ごととしてとらえているうちは,それでもまだ冷静に空言ととして考えることができますが,そこに,個,つまり,生きている自分というものが宿っているから,さらにさらに事態はややこやしくなるのです。
それは,たとえば100人の人がいて,何らかの事故が起きて,その結果,99人が生き延びてひとりが亡くなるという状況が発生したとき,その亡くなったひとりがもし自分だったら,たとえ生き残った人が何人いようと関係なく,それですべてが終わりなのです。自分が亡くなってしまえば,この世界があろうがなかろうが,生き物が存在しようがしまいが,そんなことはすべて超越してしまって,もはやどうでもいいわけです。たまたま生き物というものができたこの世界に,その生き物に自分が宿ったがためにそれを認識している,というだけの話にすぎないからです。
と,単に,生き物は化学変化の多くの偶然が重なってできちゃっただけなのに,人は,その生き物に宿っている時間を退屈しないで過ごすために,ごちゃごちゃといろんなことをして,世の中の仕組みを作ったり生きることを正当化する哲学をこしらえたりしているというのが,この世界というわけです。
そうした生き物である人間は,世界がどうしてできたのかという不思議を納得させるために,いろんなことを考えました。それらを「天地創造」といいます。しかしまあ,それもまた,単に人間が考えただけのものがたりですけれど。
「旧約聖書」には,
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1 In the beginning God created the heavens and the earth.
2 Now the earth was formless and empty. Darkness was on the surface of the deep. God's Spirit was hovering over the surface of the waters.
3 God said, "Let there be light," and there was light.
4 God saw the light, and saw that it was good. God divided the light from the darkness.
5 God called the light "day," and the darkness he called "night." There was evening and there was morning, one day.
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1 はじめに神は天と地とを創造された。
2 地は形なく,むなしく,闇が淵の表にあり,神の霊が水の表を覆っていた。
3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
4 神はその光を見て,よしとされた。神はその光と闇とを分けられた。
5 神は光を昼と名づけ,闇を夜と名づけられた。夕となり,また朝となった。第1日である。
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と書かれてあります。
また,中国の思想書「淮南子」の天文訓には,
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道始生虛廓 虛廓生宇宙
宇宙生氣
氣有涯垠 清陽者薄靡而為天 重濁者凝滯而為地
清妙之合專易 重濁之凝竭難
故天先成而地後定
天地之襲精為陰陽
陰陽之專精為四時 四時之散精為萬物
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最初に虚空があり,虚空のうちに宇宙が生まれる。
その宇宙のうちに,気が生ずる。
気には重さがあり,軽くて透明なものは,うすくたなびいて天となり
重く濁ったものは沈み固まって地となる。
軽くて透明な気は集まりやすいが,重くて濁っている気は固まるのが遅い。
だからまず天ができあがり,地はそのあとにできる。
天の気は集まって陽気となり,地の気は集まって陰気となる。
この陰陽二気のうち,純粋なものは春夏秋冬の四季を構成し,そこからあふれでた気は万物を構成する。
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とあります。
この書の影響を受けたといわれる「日本書紀」には,
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古天地未剖 陰陽不分 渾沌如鷄子 溟涬而含牙
及其清陽者 薄靡而爲天 重濁者 淹滞而爲地
精妙之合摶易 重濁之凝竭難 故天先成而地後定
然後 神聖生其中焉
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昔,まだ天と地が分かれておらず,陰陽の別もまだ生じていなかったとき,鶏の卵の中身のように固まっていなかった中に,ほの暗くぼんやりと何かが芽生ていた。
やがてその澄んで明るいものは,のぼりたなびいて天となり,重く濁ったものは,下を覆い滞って大地となった。
澄んで明るいものは,ひとつにまとまりやすかったが,重く濁ったものが固まるのには時間がかかった。それゆえ,まずは天が出来上がり,大地はそのあとでできた。
その後,そのなかに神がお生まれになった。
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となっています。
このように,昔から人はこの世界の創造について,さまざまに思いを巡らせてきたのですが,どれもよく似た感じです。おそらく,実際も,な~んにもないところに,なんらかの「ゆがみ」やら「ひずみ」やらが偶然できて,それが物質となり,物質がさまざまに化学反応を起こして,やがて,生き物という摩訶不思議なものができちゃって,それがさまざまな反応を繰りかえすうちに,創造主すら予期しなったこんな複雑な世界になった,というだけのことでしょう。
ということで,この問題に対する私の結論は,世界なんてそんな程度でできちゃったっていうことなのだから,それらはすべて,生き物の力を越えたところにあるどうにもならないもの,ということです。そのうち,世界自体がなくなってそれで終わりです。それが早いか遅いかだけで,未来永劫なんてありえないのです。
物質の化学反応でできちゃったのが生き物なのだから,生きている意義なんて本当は何もない。だから,人と競っても,名を残しても仕方がない。ただ,それではむなしくなってしまうから,生きているってすばらしいよみたいな哲学をこしらえたり,人と比べることに喜びを見出してみたり,競争して勝つことに快感を得たりと,いろいろ理屈を作ってそれぞれが生きがいとやらを見つけているのです。
私個人の独断と偏見でいえば,出世欲と権力欲はその中でも最も下等な生きがいです。でも,人に迷惑さえかけなければそれでいいではないですか。それでその人が救われるのなら…。
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今日は,生きることは所詮死ぬまでの暇つぶし,だから,堅いこといわずに,生きている間を,みんなせいぜい楽しみましょう,というお話でした。
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Hunter's Moon 2020.
今年の中秋の名月は10月の月です。
ちなみに,2020年の10月は満月が2回あります。
次の満月 Blue Moon は,地球と月の距離が最遠となります。

