国際交流とか,異文化間コミュニケーションとかいうことが,楽しそうに語られることが多いが,実は,異文化を理解することは非常にたいへんなのだ。
私もよく,外国で知り合った人に日本に遊びに来て,と誘うのだが,実際にその人の立場になって考えると,その誘いに乗るにはかなりのリスクがいるだろうと思う。特に,言葉が通じなければなおさらである。
もし,この知らない日本という国に誘われてひとりでやってきても,誘った相手がどういったもてなしをしてくれるかということは想像ができないだろう。
日本人同士であれば,たとえ少し離れたところに住んでいる友人であっても,遊びに行けばどのようなもてなしをしてくれるかという予測はつくけれど,外国人では,そこのところがよくわからないわけだ。
私は,このことを,今回の旅で身に染みて感じた。
私のように旅慣れていて,たとえ相手に会えなくても何とかなるというのであればともかく,相手の誘いに乗って,航空券を手配し,あとは現地で相手にお任せ,のような旅を考えていると,大変なことにもなりかねない。だからといって,相手に何をしてくれるのだ,とか,そういったことを直接聞くこともできないから,さまざまな誤解やら憶測を重ねていくことになるわけだ。
もし,逆の立場であったなら,つまり,私が外国から友人を招くのなら,まず,相手に,どのような旅がしたいか,何を体験したいかを聞いて,それをもとに計画を立てて,その計画を送り,そのあとでホテルや列車の予約をすることになる。そして,準備万端整えて,友人の来日を待つことだろう。だから,私が,今回,そういったことを相手にも期待していたのは事実であった。
ところが,今回のような旅になるのなら,はじめに,すべて自分で計画を立てておいて,その中の1,2日だけ,向こうで再会を楽しむということにした方がストレスもなく,ずいぶんとよかったに違いがない。これは,自分の非とか相手の非とかいうことではなく,文化の違いなのだった。
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それと同じように,国と国との外交というのは,たやすいことではないのである。
私は,「おもてなし」という言葉は好きではないけれど,こうした,日本の曲折した「おもてなし」文化というのは,日本を外側から見れば,ある意味,人の好いだけの行為にみられるのではないだろうか。もっと悪く言えば,単に相手になめられるだけの行為になってしまうこともあるに違いない。
旅の1日目,私は,夕食をとりながらも,その支払いをどうするかばかりを考えていた。結局,この日は,御馳走になってしまったのだけれど…。この後で,博物館などに行ったときに,その入場料をどう払うのかということもよくわからなかった。さらに,現金ならば,割り勘ができるけれども,クレジットカード社会のアメリカでは,そういうことをどうすればいいかさえ,見当がつかなかったし,相手にどのようにこのことを聞けばよいかもわからなかった。
ところが,この後,意外な展開を示す。