しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:福島宿

IMG_1629IMG_1624IMG_1610IMG_1617IMG_1618

 木曽路を訪れると,いつもは旧中山道を1宿間歩きます。今回はそうした予定はなかったのですが,宿泊先に向かう間に時間があったので,宿場間の移動は車にして,旧中山道の宿場歩きを楽しむことにしました。

 巴渕から南に行くと,宮ノ越宿になります。宮ノ越宿は中山道36番目の宿で,宿内家数137軒でした。うち本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠21軒で,宿内人口は600人ほどでした。
 前回来たときは,ここにあった義仲館に行きました。義仲館は源義仲の生涯を人形や絵画を使って紹介した展示がある博物館でした。
 今回は,宿場の中心あたりを少しだけ歩いてみました。前回行かなかった本陣跡が公開されていたので入ってみました。1883年(明治16年),旧中山道宮ノ越宿は大火にあい,90軒の家が燃えてしまいました。この大火で本陣の主屋部分も焼失しましたが客殿部分は焼失を免れました。木曽11宿の中でたった1宿残されたこの客殿部分は再生され,2016年(平成28年)から一般公開されているのです。
 私のほかに観光客はだれもいませんでした。本陣の中には宮ノ越宿の年代別の宮越宿割図の複製等が展示されていました。

 宮ノ越宿を出て,旧中山道を南に走ると,中山道の中間地点に着きました。ここが旧中山道六十七次のちょうど中間地点だった場所です。当時の人はこの碑をみて,「やっと半分来た…」と思いながら木曽の山々を眺めたことでしょう。
 中山道は山間部を通るため東海道に比べて歩くのが困難なようですが,実際に歩いてみると,東海道も箱根峠,鈴鹿峠に加えて,橋のない大井川などがあって,それなりに大変で,しかも,水嵩が増すと川止めになってしまい予定が立たないので,むしろ中山道のほうがその点では楽だったといいます。
 東海道と中山道は距離は中山道の方がずいぶん遠回りに思えますが,実際は40キロメートルくらい中山道が長いだけです。

 さらに南に民家のある旧中山道の狭い道路を進むと,いよいよ福島宿に到着します。
 福島宿は中山道37番目の宿場でした。福島宿の宿内家数は158軒,うち本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠14軒で宿内人口は約1,000人でした。
 この地は,戦国時代には領主木曽氏の城下町として,江戸時代には木曽代官山村氏の陣屋町として栄えました。
 福島宿の北側の入口には箱根,新居,碓氷,福島の四大関所のひとつ福島関所が設けられていました。福島関所跡は発掘調査により番所敷地及び門,塀,棚等の配置が確認され,1979年(昭和54年)に「江戸幕府の交通政策史上における遺構として極めて重要なものとして旧中山道に接する家中屋敷部分を含め関所跡」として「福島関跡」の名称で国の史跡に指定されました。
 現在は,発掘された遺構の一角に関所が復元され,資料館として往時の姿を物語る用具類などが展示されています。前回,私はそこに訪れたので,今回はパスして,さらに進みます。

 福島宿は,宿場であった上町,下町は1927年(昭和2年)の大火で焼失してしまったので,残念ながら現在は古い建物は残されていませんが,地形や道路から往時をしのぶことができます。また,上之段地区にだけ江戸時代末期の建造物が所々残っており,往時の面影をとどめています。
 町中の観光客の駐車場に車を停めて,上之段地区に向かいました。私は,このあたりの雰囲気が好きです。まず,高札場が出迎えてくれます。その先は,件数は多くはないのですが,古い木造家屋やなまこ壁の土蔵が残っています。また,新しい建物の中には景観に配慮した外装になっているものもあります。町のあちこちに水場があり,道端の水路にもきれいな水が勢いよく流れていて木曽の水の豊かさを感じることができます。
 往時の暮らしに思いを馳せながら散策し,町の雰囲気を味わうのに最高です。
 私は,馬籠宿やら妻籠宿のような観光地化されたところよりもむしろこうした場所のほうが好きですが,多くの日本人の旅というのは,食事をし土産を買い,ということが主になってしまうので,人が少ないところは次第にさびれていってしまうのが残念です。

💛

DSC_2132DSC_2135DSC_2098DSC_2101DSC_2117DSC_2122DSC_2133DSC_2134

☆☆☆☆☆☆
 私のきままかつ軟弱な中山道歩き。
 今回は,いつもと違って宿場間の街道歩きではなく福島宿の散策だけですが,そのまえに,木曽にある天文台の紹介からはじめます。
 私はこの先,中山道歩きを楽しむために,木曽谷にある宿場をどのように行こうか思案していました。それと同時に,日本でも星のきれいな場所がないものかとずっと考えていました。さらにもうひとつ,木曽にある天文台にまた行ってみたくなりました。
 木曽には105センチシュミットカメラ望遠鏡がある東京大学の木曽観測所という天文台があって,望遠鏡をガラス越しに見ることができます。これまで2度ほどすでに見にいったことがあるのですが,それをまた見にいきたくなったのです。

 そんなことを考えながらいろいろと調べていくうちに,木曽駒高原に1件のペンションを見つけました。どうやらそこは夜になると空には満天の星空が見られるようでした。
 名古屋から木曽福島までは車で2時間半ほどで,1か月前に私が行ったオーストラリアのブリスベンから星を見るために宿泊した町バランディーンまでの所要時間とだいたい同じです。そこで,とりあえず行ってみて,条件がよけれはこれからは何度も出かけてみようかなと思い,予約をしてみました。
 今回は途中で天文台に寄ってから,予約したペンションに行って宿泊,もし晴れたら星を見て,次の日に木曽の福島宿を歩いてみる,という計画でした。
 出発したのは6月8日金曜日の午後1時でしたが,天文台の公開は午後5時までということだったので,この時間で十分に間に合います。

 木曽観測所は長野県木曽郡の標高1,130メートルの山の上にあります。1970年に発行された「月刊天文ガイド」の別冊「日本の天文台」には木曽観測所は載っていません。それは,この天文台が作られたのが1974年だからです。それでもすでに44年になります。この施設を舞台としたドラマ「木曽オリオン」が2014年に放送されました。
 この天文台は,東京天文台の5番目の観測所として開設され,1988年に東京大学大学院理学系研究科附属天文学教育研究センターの観測施設となりました。主力の望遠鏡は口径105センチのシュミットカメラ望遠鏡で日本光学(現在のニコン)が作ったものです。

 シュミットカメラ望遠鏡(Schmidt telescope )というのは屈折・反射望遠鏡です。まず,4次関数で表される非球面の薄いレンズで光を屈折させて球面収差を除去したのちに球面鏡の主鏡で反射させて,収差がほとんどないシャープな像を結ばせるものです。明るく広い写野を得られ,かつ,中心部から周辺部までピントが合うという特徴をもっていますが,像面が凸球面になるので像を記録する焦点板を湾曲させなければならないことが欠点です。
 世界にある口径が100センチメートルを超える大きなシュミットカメラ望遠鏡は,1960年に完成したドイツ・タウテンブルクのカール・シュヴァルツシルト天文台(Karl Schwarzschild Observatory )の口径134センチメートル,1949年完成のアメリカ・パロマー天文台の口径126センチメートル「サミュエル・オシン」望遠鏡(the Samuel Oschin telescope),1973年完成のオーストラリア・サイディング・スプリング天文台(Siding Spring Observatory)にある口径124センチメートルのUKシュミット式望遠鏡(UK Schmidt Telescope ),そして,1974年に完成した東京大学木曽観測所にある口径105センチメートルと4台しかありません。
 
 木曽観測所のシュミットカメラ望遠鏡は,完成した当時は焦点板に甲板を設置して写真撮影をしていましたが,2018年現在は,超高視野(9度)のCMOS動画カメラとなっているそうです。9度といえば私の使っている視野の広い双眼鏡と同じです。 
 私はこの望遠鏡が大好きなのですが,実際のところ,現在ではかなり冷遇されているように感じてしまいます。大口径の望遠鏡がつくれないシュミットカメラは今では時代遅れなのでしょう。それにまた,星を見るのに適した場所がほどんどない日本にあって,木曽というのはまだマシな場所だと思うのですが,開設以来,この望遠鏡の他には30センチという今ではアマチュアの使っている望遠鏡ほどの小さな望遠鏡しかない,というのも不思議な気がします。今や,日本国内にはこうした施設を作る意味がないのでしょう。ただし,敷地には新しく名古屋大学宇宙地球環境研究所のパラボラアンテナが4基設置されていました。
 久しぶりに行ってみて思ったのは,ドームも錆びが出てきて,ずいぶんと老朽化してしまったなあということでした。望遠鏡を見学するスペースも古びてしまっていて,訪問者も数日にひとりくらいのものでした。展示スペースもありましたが,訪問者が少ないので寂しそうでした。アメリカやオーストラリアに比べて,日本にあるこうした施設はどこも見学用の設備が非常にお粗末で,お金がないんだなあと実感しました。
 外に出るとあいにく天気が悪くなって少し雨が降ってきたので,帰ることにしました。この私の大好きな望遠鏡がいつまでも活躍して学問の発達に貢献するのを祈って,天文台を後にしました。

☆ミミミ
星を見るのも大変だ-ドラマ「木曽オリオン」に捧ぐ

このページのトップヘ