しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:私はサンアントニオを目指した

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 プエルトリコ料理はおいしかった。というか,私の口に馴染んだ。
 お肉は,ステーキのようなものではなく,鳥のササミのようなものであった。それと,バナナを料理に使うらしく,揚げたものがフライドポテトのようになっていた。ソフトドリンクは,ラムジュースであった。
 日本ではなじみがないけれども,東京にも,プエルトリコ料理店があるらしい。
 あまり細かいことはわからないので,プエルトリコ料理のことはこれくらいにしよう。

 ともかく,旅行初日は,思っていた以上に順調であったし,現地に住んでいる人が行くお店で夕食を御馳走になって,すっかりこの地になじむことができた。
 こうして,1日目は時間が過ぎていって,食事を終えて,ホテルまで送ってもらった。
 あすは,午前9時頃に迎えに来ると言って,友人は帰っていった。
 今回も楽しい旅になりそうであった。

 実は,こちらで友人と会って話をすると,友人から連絡がなくなったのは,実は、連絡を取りたかったけれど,娘さんが事故に会って怪我をしたので,看病をしなくてはならなくなった,だから忙しくて,しばらく連絡ができなかったのだというのが理由だった。
 そして,申し訳ないけれど,約束したニューメキシコ州には一緒に行くことができなくなった,と言った。

 私は,そのような事態はすでに想定済みであったので驚きはしなかったが,それならそれで,1行のメールでいいから,もっと早くそういう連絡くらいしてくれたらどうなのかと思った。
 私は,ニューメキシコ州には自分ひとりで行くからいい,と言った。そして,すでに予約をしてあるように,サンアントニオには明日まで滞在して,あさっての朝レンタカーを借りてニューメキシコ州ヘ行き,帰国前日の夜戻ってくる,と話した。
 そうしたら,サンアントニオで案内したいところがたくさんあるから,レンタカーを借りるのはもう1日遅くしてほしい。また,ニューメキシコ州に3日間だけ行って,改めて戻ってきてから,3日間サンアントニオを案内したい,と言った。そして,最終日は朝,空港まで送るから,ホテルは,今泊まっているところは私の家から遠いので,家に近い所に変更してほしいと言った。
 すでに最終日のホテルは予約してあると言うと、予約した空港の近くのホテルはキャンセルしてくれ,と言った。

 私は,そのとき,サンアントニオに6日間も滞在してどこへ行くのか,と思ったけれど,そして,事前にホテルを予約するときに場所はどこにしたらいいか,レンタカーは何日借りればいいか,と連絡したのに,何の返事もなかったのに,この場でそういう話を持ち出すことに,少しむっとしたが,アメリカ人に何を言っても説き伏せられそうだったので,とりあえず,レンタカーの予約の変更と,最終日のホテルの予約をキャンセルすることにした。
 私も人が好い。
 ホテルのキャンセルはネットで簡単にできる。レンタカーの予約の変更は,どうせレンタカー会社の場所を確認したかったので,明日の早朝,ホテルから歩いて直接変更しに行こうと思った。

 ホテルに戻って,まず,最終日のホテルのキャンセルをした。そのあとは,テレビを見たり,ブログを書いたりして,のんびりと過ごした。
 歳をとって,時差ぼけも何もよくわからなくなってきた。日本で普通に生活をしていても,夜,疲れてしまえば夜の7時でも寝てしまう。だかといって,そうすれば,夜中の3時に起きてしまう。そうなると,ボッーとテレビを見たりしてそのうちに寝てしまう,そんな感じになってしまっている。さらにいけないのが,時々,夜中に起きだして,星を見に行ったりするから,不規則な睡眠時間にさらに輪をかけることになる。
 だから,アメリカに来ても,これが時差ぼけなのかなんなのかわからないが,眠っても,すぐに目覚め,また,眠る,を繰り返すことになる。ただし,次の日,寝不足でお昼間に眠たくなる,みたいなこともないのだから,まあ,これはこれでよいのだろう。

 私が,近ごろこころがけていることは,その日に何かをしなくてはいけないとか,何かのテレビ番組を見なければいけないとか,そういった自分の決め事は極力減らそうということだ。
 私の理想は,朝起きたとき,今日しなければいけないことというのが皆無であるという状態である。だからといって,私には,暇を持て余すとか,そういうことはない。とりあえず今何もすることがなければ,クラシック音楽を聴きながら,本を読めばいいのである。
 この日も,まあ,このようにだらだらとアメリカでの第一夜を過ごすことになったのだが,ここで,この旅で唯一のささやかなトラブルが発生した。それは,携帯用のシェーバーが動かないことであった。乾電池切れ? いや,そんなことはない。きっと壊れたのだろう。来る前に動作の確認をしておけばよかったと後悔した。
 なにせ,持参したものはすべてぎりぎりだったので,当然,シェーバーの予備など持ってきているわけもなく,まあ,こちらで買えばいいや,とは思ったが,到着早々これではと,先が思いやられた。
 そうそう,もうひとつあった。
 日本から持っていった携帯電話を国際サービスに切り替えても,電波を拾わない。つまり,携帯電話が繋がらないのであった。 

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 このようにして,私は友人と会うことができた。
 カバンをピックアップして,さっそくアメリカ流にハグをして,お土産を渡して,そして,友人の車を停めた駐車場に行った。黄色の目立つマツダの車であった。彼女は,自分の車を「バナナボート」だと言った。この,黄色い車はやたらと目立つので,駐車場で探すのに困らなかった。今度車を買うときは,私も目立つ色にしよう,と思った。
 しかしながら,後に,ポリスに因縁? をつけられて反則切符を切られたのは,この車が目立つこともその理由ではないだろうか,と後日私は思った。

 ともあれ「まず,どうしたい?」と聞くので,ともかく,ホテルにチェックインをしたい,と言った。
 そこで,車をダウンタウンへ走らせて,予約をしてあったホテルに行って,ホテルの駐車場でしばらく待ってもらって,チェックインをした。
 サンアントニオは,予想していたよりもはるかに広くきれいな大都会であった。
 いつもそうなのであるが,アメリカの都会は,はじめてその場所に行ったときには,何が何だよくわからない。インターステイツで道路標示にしたがって走って行くとスッーと都会に入ってしまうのであるけれど,都会はどこも車を停める場所に困り,しかも,土地勘がないので,方角やらがよくわからない。
 今回は,自分が運転しているわけもではなかったので,その点ではよかったのだか,私は,どこへ行っても,今自分がどこにいるのかがわからないと不安なので,地理的な情報もなく,ただ連れて行ってもらっている,というのも,同じようにストレスなのだ。
 この友人は,しかし,iPhoneを車の電源プラグに接続して,それをカーナビとして使用しているので,どこへ行くにも,まず,行き先をiPhoneで検索した。
 私は,おいおい,地元だろう,道も知らないのかと思った。きっと,彼女の頭には,地図などないのに相違ない。

 さて,ホテルにチェックインをしたあとで、「次に,何をするか」と聞かれたが,今日は,まあ,夕食をとるくらいのものであろうと思った。
 「夕食は何がいいか」と言うので,何があるのかと聞くと,メキシカン,アメリカン,プエルトリコなどなど何でもあるのだという。それぞれの料理を説明してもらう。どうやら,メキシカンというのは辛いようだ。私は,辛いのが苦手なので,プエルトリコがいいと言った。そこで,プエルトリコ料理のレストランに行くことになって,またしても,彼女はその場所を検索して,カーナビのいうがままに,車を走らせて,プエルトリコ料理店に到着した。
 あとは,友人にお任せである。
 実際,こうして,お任せで旅行をするときに,もっとも利点になるのは食事である。ひとりでは,こういった地元のレストランには行かれない。今回も,友人に会えたなら,食事が一番の楽しみであった。友人は店員となにやら楽しげにおしゃべりをしながら,何らかの飲み物と食事を注文したのだった。

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 機内では何もすることがないので,出される食事を食べ,飲み物を飲み,ひたすらデトロイトの到着を待った。
 現在は,エコノミークラスでもすべての座席の前に液晶のディスプレイがあって,ゲームもできるし映画も見られる。映画は,非常に多くのプログラムがあって,日本映画も見ることができるから,ひたすら映画を見ていても,なんとか12時間を過ごすことができるわけである。
 若いころは,到着後の時差ぼけを心配したりして,様々な工夫をしたものであるけれど,もう,何もしなくなった。眠たたければ寝るし,眠たくなければ起きている。それでも,やはり,12時間は長い。
 日本から西海岸へなら9時間くらいで行くことができるし,そのくらいの時間だと,長いという印象はない。残りの3時間が辛いのだ。やはり,日本からアメリカに行くにはシアトル便がいい。

 ともあれ,だらっと機内で過ごしながら,それでもすることがなくなって,「陽だまりの彼女」とかいう映画をみていたら,やっとのことでデトロイトへの到着が近づいてきて,機長の機内放送があった。
 なんと,デトロイトの気温はマイナス5度だという話であった。ずっと忘れていたのだけれど,そのときに,アメリカは大寒波だったということを思い出した。聞いていた乗客からため息が出た。
 やがて,アメリカ東部標準時夏時間午前11時20分,デトロイト到着した。そうそう,3月は,すでに夏時間である。

 いつものように飛行機を降りて,そのまま標示にしたがって狭い通路とエスカレータを通り,入国審査のゲートについた。少し待って,入国審査も難なく終わった。
 次は,一度預けたカバンをバゲイジクレイムでピックアップして通関しなければならない。
 このあたりもとてもアメリカらしいのであるけれども,カバンの出てくるラインがふたつあって,係官に聞くと,どちらから出てくるかわからないという。私は,このいい加減さが好きであるが,ふたつのラインをきょろきょろしながら,カバンが出てくるのを探した。やがて,カバンが出てきたのを見つけ,通関した。
 この時,これまでは,単に書類を渡すだけであったが,なんと,この通関の係官がよほど暇なのか,入国検査の時と同じような質問をした。こんなことは意味がないし,あんたのする仕事じゃあないだろうと思った。

 こうして8か月ぶりにアメリカに入国して,デトロイト空港の国内線に乗り換えるためにターミナルに着いた。空港の広い窓から見た外の景色は,一面真っ白な銀世界の大地であった。
 昨年の夏に来た時は,ここのターミナルには無料の wifi はなく,wifi の繋がるカフェのあたりだけネットに接続できたということをブログに書いたが,今回来てみると,空港はどこも無料で wifi が繋がるようになっていた。私は,コンセントが近くにある席に座って,ブログとフェイスブックの更新をした。
 そんなこんなでだらだらと過ごしていたが,午後1時55分発のサンアントニオ行きの搭乗案内があったので,飛行機に乗り込んだ。機内に入るとき,一瞬だけ外気に触れた。ものすごく寒かった。

 サンアントニオ行きは小さな飛行機で,ビジネスクラスは1人と2人の3人,エコノミーは2人と2人の4人が1列という,まるでバスのようであった。狭く,高速バスよりも乗り心地の悪い飛行機であった。それでも,なぜかアメリカの国内線の3時間と20分はあっという間だった。そうして,午後4時20分過ぎにサンアントニオの空港に到着した。
 サンアントニオは小さな空港であった。
 デトロイトとは打って変わって,気温は15度であった。
 飛行機を降りて,バゲイジクレイムヘ行き,カバンが出てくるのを待っていると,そこにあったベンチに友人が待っていることに気がついた。
 思えば,8年ぶりの再会であった。

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☆1日目 3月13日(木)
 このように,出発までにいろんなことがあってあわただしく,今日から出発だという高揚感もなく,出発の朝が来た。
 いつものようにして,座席指定特急に乗って,セントレア・中部国際空港に着いた。
 空港の国際線のフロアにつながる入口に,デルタ航空の自動チェックインの器械が設置してあって,デルタ航空の係員が説明をしていた。アメリカでは当たり前の自動チェックインだが,日本では,まだ,なじみがないから,普及活動に忙しそうであった。
 私は係員に声をかけて,デルタスカイチームのカードを提示すると,係員が代わって操作をしてくれて,搭乗券の発券がすんなりと終わった。ついでに,自動チェックインについてのアンケートの依頼があった。
 私は,これだけのことをするのにも,日本という国の過剰な「おせっかい」を感じた。
 アメリカなら,自動チェックインの機械が置いてあるだけで,みなそれぞれが自分で操作をしている。アメリカ人の行動が小学生のように無邪気ならば,その反対に,日本人は成人式や入社式にまで親がついてくる過保護社会である。

 その後,カバンを預けて,出発までの時間は,まず,空港を散策した。
 今回は,はじめに,ちょっとしたお土産を買った。
 サンアントニオについても,現地の友人が迎えにきてくれる保障はなかったが,私は,来ることを確信していたから,日本製の浮世絵の書いてあるコースターと手鏡を買った。
 空港の2階の広場では,いろんな航空会社のマイレッジにポイントが交換できるというサービスのついたクレジットカードの勧誘をやっていて,しばらく話を聞いていたが,契約するにはこの日に申し込む必要があるといわれた。
 いくらお得な話であったとしても,出発間際にクレジットカードを作るなどいうことは,たとえ私であってもしない。以前,ブログに書いたように,しばらく使っていないという理由で,何の事前の連絡もなく勝手に解約させられたセゾンカードのように,クレジットカードも入会するするときはいい話を持ちかけてくるのに,会社の都合で勝手にその約束を反故にされるというのが,この国の会社のやり方だから,私は,この国の会社は全く信用していない。みせかけだけの「おもてなし」はごめんだ。

 その後,空港のラウンジに行った。意外にもラウンジにはwifiが繋がるようになっていたので,快適であった。
 この国で最も必要なインフラの整備は,フリーwifiの設置である。
 やがて,搭乗の時間が近づいてきたので,出国のセキュリティを通った。パスポートを手にしたままX線のゲートを通ってしまったので,なんらかの反応があったらしく,パスポートをチェックされた。
 こうしたチェックを受けるたびに,空港ごとに違いがある。
 9/11が起こったころは,飛行機に乗る時点でも,再び,チェックがあって,ゲートの入口が長い列になっていたのを思い出した。そのときは,漬物を持っていた人が取り上げられたり,などということもあったのを思い出した。
 今は,アメリカのセキュリティも,以前よりもずっと簡略化されているように感じる。
 搭乗ゲートのあたりもwifiが繋がるようになっていた。
 やがて,搭乗の案内があって,座席の関係で一番最後の案内放送で,やっと私は,ボーイング747の乗客となった。搭乗したのは日本時間で午前12時30分であった。これからデトロイトまで12時間である。

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 やがて,出発が間近になったころ,入院した父は持ち直し,旅行に出かけても,急に帰国をしなけらばならないという心配はないように思えた。
 もっとも,急に帰国ができるようなところでもないが…。 
 私は,旅行に行くことに決めて,旅行保険をネットで契約した。旅行保険の特約に,家族に何かがあったときの急な帰国の保障というものがあったが,すでに入院している場合はその契約ができないとあったので,そうか,そんな状況で旅行に出かけるなんていうのは非常識なんだなあ,とそのとき思った。
  ・・
 この年の冬,アメリカは異常気象であった。
 アメリカのほとんどの地域は大寒波で,積雪がすごく,温暖なカリフォルニアでは,豪雨があった。さすがに,テキサス州やニューメキシコ州,アリゾナ州といったところはそうでもないように思ったが,飛行機がデトロイトに予定通り飛ぶのかな,と心配になった。
 持って行く服もよくわからなかった。まあ,適当に,非常用の防寒具を持っていくことにして,もし,だめなら,現地で購入しようと思った。そんなこんなで,持って行くものを選別し,できるだ少なくなるように適当に準備をしたら,3泊程度の小さなカバンひとつで十分になった。
 今回は,MLBを見るわけでもなく,コンサートに行くわけでもないので,なんらチケットの予約もなく,飛行機と3日間のホテルの予約だけだったから書類もない。あとは,現地でiPod-tough1台だけあればなんとかなるであろう,と思った。便利な時代である。

 ついに,出発日の前日になった。私が確信していたように,この日,突然,サンアントニオの友人から,到着する便と時間を教えてくれという連絡があった。そんなものはすでに連絡がしてあるではないか,と思ったが,改めて連絡をした。確証はなかったが,空港に迎えに来てくれるのであろう,と思った。
 私が,出発前に,それ以外にやったことといえば,「地球の歩き方」で,サンアントニオとニューメキシコ州の観光地を調べたくらいのものであった。
 夏に行った東海岸は,きちんと調べておかないと見どころがたくさんあって,うまく旅行ができないが,このあたりは,特にたくさんの見どころもなく,この程度の準備でどうにでもなるだろうと思った。アメリカは広く,地域によって,本当に状況がちがう。
  ・・
 それにしても,地図を見ていただくとよいと思うが,テキサス州の中央部にあるサンアントニオからニューメキシコ州まで,なんと距離があることだろうか。しかも,その間,な~んもないじゃないか。

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 サンアントニオのホテルは,地図を見ながらエクスペディアで探して,ダウンタウンの中でも一番の観光地であるアラモの砦の近くに見つけた。
 実は,そのホテルを見つける前に,リバーウォーク・エリアという名前に錯覚して,「スーパー8・サンアントニオ」というホテルを予約してしまったのだが,その場所を改めて調べてみると,ダウンタウンから東南東5キロくらいの場所で,車もないのにそんな場所のホテルを予約したら,大変なことだとわかった。

 そこで,予約を取り消して,すでにブログに書いたように,リバーウォーク・デイズイン・サンアントニオというホテルを予約し直した。
 このホテルはキャンセル不可ということであった。しかも,ホテルのグレードの割に宿泊代が高い(12,000円くらい)のに驚いた。予約をする時点では,もちろんサンアントニオのことは知らなかったので,その場所が治安上問題がないかどうかさえ,わからなかった。
 グーグルアースのストリートビューを見てみると,高速道路のガード下みたいな,くすんだ雰囲気だったので,ちょっと嫌な気がしたけれど,サンアントニオのダウンタウンは治安がよいと書いてあったので,まあ,いいか,と思った。
 この場所なら,空港からも容易に行くことができそうであったし,サンアントニオ最大の名所アラモの砦が徒歩圏内ということが決め手となった。実際は,立地条件のよさで,人気のホテル,したがって,それがキャンセル不可の理由であった。

 次に,最終日のホテル,エクステンディッドステイ・アメリカ・サンアントニオを空港の近くに予約した。
 空港の近くといっても,シャトルバスの送迎がなければ歩いて空港に行くなどということは,すべてが広すぎるアメリカでは考えられないが,私は,最終日までレンタカーを借りたので,その点は問題なかった。
 非常に安価(6,000円くらい)であった。

 最後にレンタカーの予約をした。今回は営業所の最も多いハーツにした。
 レンタカーの営業所を詳しく調べてみたら,リバーウォーク・デイズイン・サンアントニオから徒歩圏内に営業所があったので,そこでレンタカーを借りて,空港で返却するということにした。
 旅行保険を直前にネットで予約する以外は,これで,全ての準備は終わりであった。
 これで,現地で友人に会えなくても,何の問題もなくなった。

 そうして,日々が過ぎていって,ついに,2月も下旬になった。
 しかし,そのころ,父の体の具合が急に悪くなって,入院させることになってしまったのだった。
 この時点で,ああ,春の旅行はキャンセルだな,と思った。せっかく予約した航空券は無駄になったな,と思った。空港券のキャンセルはできなかった。到着日と次の日の宿泊を予約したキャンセルできないホテルも無駄になったな,と思った。
 しかし,まだ,出発には時間もあったので,旅行のことは,まあ,その時に考えようと思った。
 その頃には,サンアントニオの友人からも,何の連絡もなくなった。こちらから連絡をしても,全く返事もこなかったのだった。

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 前回書いたように,私は,航空券の手配をした。そして,サンアントニオの友人に手配した航空便の日にちと時間を連絡した。それは,出発はまだ半年も先のころのことであった。
 個人でアメリカ旅行をするのなら,航空便の手配以外には,出発までに必要なことは,ESTAの登録と国際免許証の取得,そして,旅行保険の契約くらいである。
 ESTAの有効期限は2年間で,国際免許証の有効期限は1年間,ともにこの旅では,昨年の夏の旅行から1年も過ぎていないので,ともに有効期限内であった。だから,私が出発までに必要だったことは,旅行保険の契約のみであったが,これは,出発当日の空港でもできる。
 したがって,特にすることもなく出発までの月日が過ぎていった。

 私には,誘われて行くことを決めたとはいえ,実際に現地へ行ったときに,サンアントニオの友人がどういったもてなしをしてくれるのかが,全く見当つかなかった。
 実は,私は,一般的なアメリカ人という人たちがよくわからない。彼らのほとんどは,善意の塊ではあるけれど,約束とか義理とかいうものの感覚が日本人とは全く違う。簡単にいうと,彼らはその日暮らしなのである。以前,ブログに書いたことがあるが,彼らは小学生がそのまま大人になったと考えれば最もわかりやすい。
 したがって,私は,出発までにその友人と全く連絡ができなくなって,結局は私ひとりで旅をすることになる,という最悪の事態を考えて,予定を立てることにした。
 旅行2か月前に再び連絡をしたときは,親切な返事が来た。
 そのころ,私が聞きたかったのは,サンアントニオに到着したら,どのあたりの場所にホテルの予約をすればいいのか,ということと,私の希望は,サンアントニオよりもニューメキシコ州だから,そこへ出かけるにはどうすればいいかということであったから,そのことに対するアドバイスを依頼した。
 そして,再び来た返事には,ニューメキシコ州へは同行するから,距離が遠くても代わる代わる運転をすれば大丈夫ということであった。そして,それ以外のことや滞在中の詳しい予定は,後日連絡するということであった。
 ところが,その後,突然,友人から全く連絡がなくなってしまった。何度かこちらから連絡をしてみたが,返事は全く来なくなった。
 私は,やっぱりと思った。
 しかし,出発前になれば,突然連絡が来るのではないか,という予感もしたし,その確信みたいなものもあった。でも,それは当てにしないことにした。
 そこで,私は,友人の都合は抜きで,次のように予定を立てることにした。

 まず,到着した日と次の日はサンアントニオの市内の観光をすることにした。
 調べてみると,サンアントニオのダウンタウンは徒歩圏内であったから,治安も心配がないようであった。また,空港からダウンタウンへはシャトルバスがあるということだった。だから,空港からダウンタウンにも容易に行けるから,ダウンタウンにホテルを予約すればこの2日は車がなくても大丈夫であった。
 そして,3日目の朝にサンアントニオでレンタカーを借りで,ニューメキシコ州へ行くことにした。
 サンアントニオから,一直線にニューメキシコ州へ行って,最終地点はサンタフェ。
 サンタフェからの帰りは国内便でサンアントニオに戻ることにした。
 しかし,サンタフェからは便利な国内線もなかったので,その隣町のアルバカーキーまで行って,そこでレンタカーを返却して,そこからサンアントニオまで国内便で戻ろうと考えた。
 なにせ,再び運転してサンアントニオに戻るには距離が遠すぎるのだ。
 しかし,それはもったいない,私が運転するからそんな予約は不要だという返事が,連絡が全く来なくなる前に一度はあったものだから,その時点で,国内便の予約は断念してしまっていた。

 ということだったので,到着した日と次の日はサンアントニオの市内にホテルを予約して,3日目から最終日まではレンタカーを予約,この間のホテルは当日でもなんとかなるのでしない。そして,遠距離のドライブだが,ともかく,ニューメキシコ州の行けるところまで車で行って,再び車でサンアントニオに戻るという計画を立てた。
 最終日は帰国便の出発が早朝なので,サンアントニオの空港の近くにホテルを予約することにした。
 結果的に,私の立てたこの計画は完璧であった。現地に着いてから,友人に振り回されて予定がめちゃくちゃになってしまうまでは…。
 でも、これらのことは友人が悪いわけじゃない。彼女にもいろんな事情があったのだし,それを責めているわけではないので、誤解なきよう。

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 昨年の夏であったか,2013年のアメリカ旅行から帰った後,サンアントニオに住む友人から,遊びに来ないか,という誘いがあった。この友人というのは,2006年,私が,モンタナ州を旅して,イエローストーン国立公園へ行ったとき,現地ツアーに参加したのだが,そのとき同じツアーにいた女性であった。
 私は,それ以来,この女性は,私よりもずっと年上であると思っていた。なにせ,孫もいるおばあちゃんであった。
 私は,サンアントニオという町に興味はなかった。それに,2014年の夏は,アイダホ州に行くことを,すでに決めていた。
 アイダホ州の旅については,後日書くことになるであろう。
 サンアントニオというのはどこにあるかすら詳しくは知らなかったけれど,テキサス州だということだけは,なんとなくわかっていたから,夏には日本よりも暑くなるだろうし,行くなら,この際,春がいいのかなあ,と思うようになった。

 私には,アメリカ合衆国50州制覇,という夢があるけれど,残すはニューメキシコ州,コロラド州,そして,ネブラスカ州からずっと東にカンザス州,オクラホマ州,アーカンソー州,アラバマ州,サウスカロライナ州,ノースカロライナ州… と,もう,どうやって行くのかさえよくわからないところだけが残ってしまっている。
 そこで,この際,この旅でサンアントニオからニューメキシコ州へ足をのばすことで,この行っていないうちの1州を制覇しようと考えた。
 そして,その次の夏にアイダホ州からコロラド州へ行けば,そのあとは,アメリカ合衆国の中南東部とアパラチア山脈にそったいくつかの州を,一気に西から東に駆け抜ければいい。

 そんなことも考えて,私は,いつものように,デルタ航空のサイトで,サンアントニオに行く便を検索し始めた。
 ところが,それが,うまくいかないのだった。
 行きの便は,結構乗り継ぎのよいものがあるのだけれど,帰りがいけない。
 乗り継ぎがうまくいかず,デトロイトで1泊,なんていうのがざらなのであった。そこで,さらに,ニューメキシコ州へ行く方法を調べていくと,さらにいけない。
 第一,ニューメキシコ州には,アルバカーキくらいしか国際空港がないではないか。
 ニューメキシコ州といえは,私が知っていたのは,UFOで有名なロズウェルと宮沢りえの写真集でみんなが知ったサンタフェくらいだ。しかし,サンタフェはテレビの旅行番組でもよく出てくる結構有名なところである。なのに,そこへ行くのは容易でない。
 まるで,行けるものなら行ってみろ,とでもいっているかのようであった。

 要するに,ニューメキシコ州に行くには,どこかの大都市から延々と車を走らせるほかには手段がないのであった。ともかく,今回,サンアントニオに行くのなら,それが本当に可能かどうかは知らないが,そこから車を走らせて,ニューメキシコ州をめざす。そうしか,方法が浮かばなかった。
 しかし,すでに書いたように,サンアントニオを往復する便すら,まともなものがない。
 すっかりあきらめかけたころ,サンアントニオを早朝に出発して,その日のうちに日本への帰国便に乗り継げるものを見つけ出した。そこで,これ以上のことはよくわからなかったけれども,勢いで,その便の予約をしてしまったのであった。これを逃せば,もう,行く機会はあるまいと…。
 後で知ったことだが,サンアントニオにこだわらなければ,ニューメキシコ州へ行くには,アリゾナ州からの方がずっと便利であった。しかも,3月に行くのだから,アリゾナ州なら,MLBのスプリングキャンプを見ることもできたのであった。
  ・・
 まあ,ともかく,そんな次第で,私は,この春にサンアントニオに行ってきた。そして,結局,ニューメキシコ州にも行くことができた。ただし,車で3,000キロも走らなければならなかったけれども…。
 旅は,どこへ行っても,それなりに意義があり,楽しいものだから,当然,この旅も,よい思い出となった。
 ということで,今日から,2014アメリカ旅行記を書く。

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