しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:節操のない国

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 会社は多くの従業員が生活をかけて働いているのだから,その会社で作っている製品が時代遅れになって売れなくなったからといって,簡単に会社を解散するわけにはいきません。そこで,時代の流れを見極めて,その時代にあったものを作るように転換を図る必要があるわけです。
 会社が存在しているのは,その会社でなければ作れない技術力があるという必然的な理由があるはずです。そこで,その技術力が生かせるような転換を図るのならそれは問題はないのですが,そうしたことができないとなると,会社は難しい局面になります。たとえば,カメラのフィルムを作っていた富士フィルムが化粧品を作るというのは同じ技術力が生かせるからそれなりに意味がり,成功しました。しかし,そろばんが売れなくなっても,そろばんを作っていた会社が電卓を作るというのはおかしな話です。

 しかし,製造業ではなく販売業となると,今度は,売れるなら何を売ってもいいとばかりにまったく違うものを売ったりすることになるし,サービス業であれば,サービスを求める人がいるのならこれまでとはまったく違ったものでもサービスする,ということになります。ところが,販売業やサービス業の場合,売れることが第一,という表面的な業績が求められているから,本当にその業種のプロでない場合もまた多くあるのです。そこに,もうかりゃいいという素人商法が存在するのです。
 だから,居酒屋が老人ホームを経営する,ハンバーガー屋がラーメンを売る,学習塾が福祉施設をはじめるということになっていくわけです。そのうち,病院が葬儀場を経営する,みたいなことも起きるかもしれません。
 食べ物やさんのように,たとえそれが素人商法であろうとも,お腹が膨れて食欲が満たされるといったような目的がはっきりしていれば,そして,おいしいという判断ができるものならまだしも,学習塾のようなものになると,なにをもってその塾の評判が高いのかはあいまいで,しかもすぐに結果がでないだから素人商法が成り立ってしまうのです。消費者にはそれが素人商法かどうかを見極める目が必要ですが,それがまたむずかしいのです。


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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 この国は生きていてある意味,疲れます。自粛だのお願いだと突き放し,結局,何がいいのかいけないのかさっぱりわからないからです。それでも,生まれて以来ずっと暮らしているから,塩梅がなんとなくわかるから何とかなるけれど,外国から来た人は,さぞとまどうことでしょう。つまり,いいことといけないことの境界がわからないのです。
 車で走っていても,交差点は勝手に様々な線やら色で塗りたくってあって,それが道交法で定められたものなのかそうでないのか定かでありません。
 それは,この国の特性なのでしょう。何ごともやったふりであり,責任逃れであり,曖昧であることを旨とするという国民性から来るものでしょう。

 そうしたことが最も顕著にわかるのが,日本語の表記です。こんなあいまいな言語は他にありません。漢字の異体などアルファベットにはありませんし,書き順など,どうでもいいではないですか。さらに,送り仮名のつけ方もコロコロと変わるし,使っていいとかいけないとかも時とともに変わります。私の子供のころは,「表わす」であり「表す」はいけない,「お母さん」はだめで「おかあさん」と書くようにと教わりましたが,いつの間にか変わりました。
 こんな自国語の書き方すらころころと変わるような言語,ほかにあるのでしょうか。
 このごろは,戸籍をデータベース化しようとしても,名前の読み方すら定まっていないということでもめています。フリガナをつけても,フリガナは単なる慣例にすぎず,戸籍にはないからです。つまり,親が「トヨダ」さんで子供が「トヨタ」さんでもいいらしいのです。

 などということを思いながら,新聞を読んでみると,おもしろいことに気づきます。
 それは,数字の書き方やら,単位の書き方など,統一性がないということです。たとえば,公文書でも「2月12日」と書くか「2月12日」と書くか,あるいは,「2月12日」とするか,曖昧なのにもかかわらず,単に自分の流儀で規則を決めて,書き直しを命じたりするバカな上司すら存在します。また,句読点も,横書きでは「、」と「。」なのか「,」と「.」なのか「,」と「。」なのか,曖昧なままです。ちなみに,高等学校の教科書は「,」と「。」となっています。なのに,「、」と「。」だとかたくなに主張する高等学校の教師がいたりします。
 というように,このことこそが,この国がぐっちゃぐちゃであることの反映のように思えます。
 このように,この国は,きちんと決めるということができない人たちの集まりなのです。ならば,そのぐっちゃぐちゃを甘んじて受け入れたほうが,ずっと居心地がいいわけで,私もそうしているのですが,それを受け入れない輩,つまり,きちんとできないのにきちんとしようとする輩がいることが,一番の問題だったりするのです。たとえば,「お礼」でも「御礼」でもいいのに,これは「御礼」でないといけないとか自分で勝手にきまりを作って,それを強制する上司がいたりするわけです。私はばかじゃなかろうかと思うんですが…。
 それもまた,ぐっちゃぐちゃな国民性の反映です。


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 今日は趣向を変えて,英語のお勉強でもしましょうか。
 お題は The boy who cried wolf です。
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 There was a shepherded-boy in a village.
 Day after day, all he had to do was to look after his sheep.
 He was so tired of it and felt like teasing the other.
 Suddenly the shepherded-boy cried out, “A wolf! There’s a wolf!” 
 The villagers heard him and rushed over to him.
 And the shepherded-boy gave a big laugh at them.
 A few days later, shepherded-boy cried out again, “A wolf! There’s a wolf!”
 Once again the villagers heard him and rushed over to him.
 The shepherded-boy got a good laugh out of them.
 But one day, a wolf really came and attacked the boy’s sheep.
 The shepherded-boy was in fevered haste, cried out for a help, “A wolf! Wolf! I mean it!”
 But this time no one came for a help.
 No one believed the shepherded-boy telling the truth.
 Poor boy, his sheep had all eaten by the wolf.
  ・・
 羊飼いの少年が退屈しのぎに「おおかみが来た!」と嘘をついて騒ぎを起こします。
 だまされた大人たちは武器を持って出てくるのですが,徒労に終わります。
 少年が繰り返し同じ嘘をついたので,本当におおかみが現れたとき,大人たちは信用せず,だれも助けに来ませんでした。
 そして,村の羊は全ておおかみに食べられてしまったとさ。
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 今の社会の状況を見るとき,私は,この寓話を思い出します。
 別にうそをついているわけではないのでしょうが,この国の指導者たちは,専門家の意見を聞き,多くの人が知恵を絞って,十分に吟味して方針を決めるわけでもなく,また,長期的な展望もなく,その場しのぎで指示を出したり,自分の意見をその日の気分で話したり,やたらと横文字を使って庶民を上から目線で小バカにしたりして,しかも,それがめまぐるしくころころと変わるから,そのうちだれも信じなくなってしまった,ということなのでしょう。
 そして,毎日「勉強しろ,勉強しろ」と口うるさい母親のいる息子のように,報道は,検証もしないで,根拠もなく,視聴率ほしさのあまり,興味本位で煽るから,もううんざりして,だれも相手にしなくなってしまったのでしょう。
 だから,たとえそれが本当に重大なときであっても,だれもそう受け止めなくなっているのです。
 テーブルの上に酒を並べておいて,酔っぱらったお前が悪いと言われても…。


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 私にいわせれば,大都市しか「知りもしないくせに」,日本の多くのマスコミは,アメリカについて,よくもまあいけしゃあしゃあと,いろいろと書いているものです。また,コメンテーターと称する人も,知っているのはハワイやロサンゼルス,ニューヨークといった大都会だけで,それもまた,生のNFLのゲームすら見たこともないのに,自分のわずかな経験をもってアメリカを語っているわけです。そもそも,日本だって,東京しか見ていないくせに日本を報道した気になっているのだから,言わずもがな,です。仕事でアメリカに駐在している日本人も,所詮は派遣された会社によってランク分けされた在米日本人格差社会という檻の中にいるだけで,本当のアメリカの姿など知りません。日本からの留学生も,アメリカの大都会で大学と宿舎を往復しているだけです。
 アメリカの実態は,フットボールと大農場と,そして,軍人。だから,日々,都会では仕事そっちのけでフットボールのゲームに夢中になり,郊外には広大な大農場が広がり,そこに住む人は海を見たことすらなく,アメリカだけが世界だと思っています。そしてまた,荒廃した地方都市で仕事に溢れた人たちは,生まれてから死ぬまで夢もなく,トレーラーハウスでその日暮らしをしています。日本人には想像のできない特権と力をもつアメリカの軍人は,軍の待遇を悪くする民主党を嫌い軍を優遇する共和党を支持する…。地方の隅々を旅して,私はそんな一面を知りました。
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 そうしたアメリカの郊外をドライブしたり,住んでいる人と語らったり,MLBやNFLのゲームを見るうちに,アメリカは「担任のいない小学校」のようなところだと思うようになりました。だから,大の大人がしょうもないモノをクレジットカードで破産するほど買い込んだり,実際に破産したり,MLBやNFLのスタンドでは,大きな砂糖のかたまりのような綿菓子や大きなバケツに入ったポップコーンを食べあさったりピーナッツを食い散らかしたり,NFLのゲームのある日は家族サービスを免除されたオジサマ方がスタンドでチェアリーダーをうっとり見つめています。また,日ごろから,食後はかならず甘~いババロアや巨大なアイスクリームを食べたりと,そんなことを平気でしているわけです。要するに,欲望のおもむくまま生きているのです。
 だから,クラスのリーダーがドラえもん(Doraemon)のジャイアン(Big G)みたいなやつでもそいつを支持して,ジャイアンがやっちまえ,と命令すればそれに従ってのび太(Noby)をいじめたりするわけです。そして,しずかちゃん(Sue)にはデレデレなのです。実に単純な世界です。
 難しいことは何もないのです。アメリカは「担任のいない小学校」と考えれば,その行動はすべて簡単に理解できます。

 …と思っていたのですが,では日本は? と考えて,ハタと思い当たりました。日本は「担任のいる幼稚園」です。だから,担任の先生がこうするんですよ! と言えば,それが正しかろうと間違っていようと,規則であろうとなかろうと,疑問も持たず逆らいもせず従うのです。しかし,正式な規則を越えたそんなご指導は先生次第なのです。そして,先生のご指導に従わないやんちゃな子がいれば,「先生に言いつけるわよ」というマセた,かつ,まじめなだけの女子がそれをたしなめるわけです。
 そして,先生がお休みしたり,いなかったりすると,それまで従順だったのは単に先生に叱られるのが怖いからだけなので,急に傍若無人となり,やんちゃな子は自分をとりもどしてやりたい放題。いじめはするし,ゴミは捨てるし,要するに,みんな幼稚園児だから,自分の考えなど何もないし,規則もあってないようなもの。先生の目が気になるときだけお友達のまねをしていい子になったふりをして,おててつないで歩いているだけなのです。こちらもまた,実に単純な世界です。
 難しいことは何もないのです。日本は「担任のいる幼稚園」と考えれば,その行動はすべて簡単に理解できます。

 はたしてどちらの世界が住みやすいのでしょう? どちらが少しは成熟している社会なのでしょう?
 いずれにせよ,幼稚園児は小学生には逆らえませんけどね。


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 朝日新聞に次のような投書がありました。
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 お年玉つき年賀切手を貼ったはがきを80通出したら1月3日にそのうちの2通が「10円不足」で戻ってきたので,郵便局に問い合わせたところ「寒中見舞い」は賀状ではなく通常はがきの扱いになるため10円不足するとのこと。局員が内容を読んで文面を精査し,はがきの中から選別して戻してきた「勤勉さ」には驚いた。
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というものです。
 これはかなりゆゆしきことです。見過ごすことはできません。つまり,検閲です。こういうことを何の疑問ももたずにするということが最も問題なのです。この国では,はがきの文面を局員は自由に読んでもよいということなのでしょうか?

 そもそも今の時代,むかしのように郵便事業が成り立たないことはだれでもわかります。しかし,郵便事業が必要なこともわかります。だから,値上げは仕方がないことだというのもわかります。値上げをすれば,ただでさえ年賀状が減っているのにさらに減ることを恐れているのもわかります。ならば,値上げは年が明けてからにするとか,年賀状の差出し期間は年賀状に限らずすべてのはがきを値引きする,というのならわかりますし,そうすべきです。
 それを「年賀状」と限定するすから,ただ単に「まじめな」だけの仕事をする局員がこういうことを起こすのです。それくらいの思考やら発想しかないのが日本人の限界ですが,その結果,上記のような処理をする局員がいることが大問題なのです。これは犯罪です。

 これだけに限らず,憲法第九十九条(第九条ではありません)を無視する憲法違反の国会議員も,信号が赤に変わっても交差点に突っこんでくる無謀運転も,そして,残業を強要するブラック企業も,夏休みに補習を強制するブラック教師も,要するに,何もわかっていないのです。ルールを知らずに(あるいは知っていても守らずに)試合をしているようなものです。これは賛成とか反対という話以前の問題です。
 これが「国民主権,基本的人権の尊重,平和主義」を標榜するこの国に住む人の意識なのでしょうか。

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第九十九条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
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Article XCI.
The Emperor, upon succeeding to the Throne, and the Regent, Ministers of State, Members of the Diet, Members of the Judiciary and all other public officers upon assuming office, shall be bound to uphold and protect this Constitution. All public officials duly holding office when this Constitution takes effect shall likewise be so bound and shall remain in office until their successors are elected or appointed.

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 今から50年くらい前の1970年代なら満天の星空が見えた,と思うのは誤解です。そのころはすでに都会の夜空は明るくて,当然すでに天の川などまったく見えませんでした。私の年代ではもう忘れている人も多いでしょうが,バブルのころの環境は最悪で,パチンコ店のサーチライトなるものが,何を考えているのか夜空に光をぐるぐる回していました。もう,めちゃくちゃな状態でした。今考えてもこれは異常です。狂気です。どうして暗い夜空をサーチライトなどで光り輝かせる必要があったのでしょう?
 要するに,この国は昔も今もまったく節操というものがないのです。何事も金儲けがすべて,まわりがどう迷惑しようと,環境がどうなろうと,そんなことはど~でもいいのです。

 それでも,少し都会を離れれば,今よりはまだ,星空は輝いていいました。しかし私は都会の生まれなので,満天の星空など見たことがありませんでした。
 中学校1年の夏,学校から2泊3日で山に行ったときに見たのが,生まれて初めての「満天の」星空だったような気がしますが,そうした経験をすることができるのは本当にまれなことでした。それ以降,いつかは満天の星空を見たいものだとずっと思っていました。
 どこかへ行くたびに,ここなら夜になればさぞかし素晴らしい星空が見られるだろう,と想像しました。しかし,実際にそういった場所に出かけることができるようになってみると,それはすべて誤りであることがわかりました。今,テレビでは星の美しいところといって紹介される場所がいくつかありますが,テレビの画面をよく見ていると,そういった暗い場所でも遠くに街の灯りが輝いています。地平線付近が暗い場所など日本では見たこともありません。しかも,そういったどうにかまがりなりにも星の見られる場所には多くの人が殺到して,無秩序状態になっています。

 今の子供たちの中で天の川を見たことがある人がどれほどいることでしょうか。街中では1等星すら満足にみえなくなってしまいました。でありながら,私が最も不思議に思うのは,今晩はふたご座流星群が見られるだとか,彗星が明るくなるだとか,そういったニュースが流れることです。それらのニュースは,都会に住んでいても空を見上げればだれでも見られるような,そんな説明がされています。しかし,そんなもの,見られやしないのです。実際に流星群や明るい彗星を見たことのある人なんてまれなのです。
 この国のどこに満天の星空があるというのでしょう? そういう状態にしてしまったのは一体だれなのでしょう。

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