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今年2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」。
はじめは,何だ,貴族が政権争いをしているだけのドラマじゃないか,以前放送された「平清盛」に比べて,画像がきれいすぎてリアル感に欠けるな,と思っていたのですが,それがまあ,おもしろいこと! 史実がほどんどないのをいいことに,何でもあり,やりたい放題であることもすばらしいし,漢詩や和歌や大鏡,小右記など,昔,高等学校で学んだ漢文や古文がいたるところに出てきて,それが効果的で,そしてまた,見ているほうの教養をためされているようで,愉快です。
ドラマはこうでなくてはいけません。
ということで,いよいよドラマの舞台が越前になることもあって,込み合う前がいいだろうと,2024年5月21日,越前市の「光る君へ 越前 大河ドラマ館」に行ってくることにしました。
我が家から越前市までは,名神高速道路と北陸自動車道を走れは,2時間もかかりません。朝6時すぎに家を出ました。ゴールデンウィーク後の平日だからと思うのですが,高速道路はいたるところで工事をしていて,1車線が閉鎖されている箇所が多かったのですが,渋滞することもありませんでした。唯一の誤算は,天気予報では晴れだったのに,深く雲が垂れ込んでいたことでした。
ゆっくり走って,午前8時過ぎには越前市に着きました。
越前市には紫式部公園というものがあって,私は,その公園の一角に「光る君へ 越前 大河ドラマ館」があるものだと勘違いをしていました。そこで,公園の駐車場に車を停めて,大河ドラマ館が開館する前に紫式部公園を見学することにしました。実際は,「光る君へ 越前 大河ドラマ館」は別の場所だったのですが,そのことは次回書きます。
紫式部公園は,大河ドラマで紫式部が主人公になるということとは関係なく,それ以前に越前市が町おこしで作ったもののようです。
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紫式部公園は,1981年(昭和56)に都市計画の決定を行い着手された,紫式部がこの地を訪れたことを記念して、文化的歴史的公園として整備したもので,施設としては紫式部像・紫式部歌碑・釣殿・泉池・自由広場・藤棚などがある寝殿造庭園の公園です。
文化勲章受章者の圓鍔勝三が制作した金色に輝く紫式部像や,総檜造りの釣殿を自由に見ることが出来ます。
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観光で来る私のようなものには,すばらしい公園ですが,地元の人には単なる散歩広場のようなものです。しかし,こんなすばらしい公園で毎日散歩できたらいいなあ,と思いました。でも,維持費が大変そうです。
気ままに紫式部公園を歩きました。
紫式部公園には「金色の紫式部像が池に映える姿が鑑賞できる場所が1か所だけあるので探してみてください」とパンフレットに書かれていました。その場所で写した写真が2番目のものです。
紫式部像のまわりに3つの紫式部の詠んだ歌碑がありました。
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●春なれど 白嶺の深雪 いや積り 解くべきほどの いつとなきかな
「年が明けたら唐人を見にそちらへ参ります」と言っていた藤原宣孝が,年が明け「春になれば氷さえ解けるもの。あなたの心もとけるものだとどうにか教えてあげたい」と言ってきたことへの返歌で,「春になりましたが,白山の雪はますます積もって解けるのはいつのことかわかりません」(春になっても私のあなたに対する気持ちは解けません)と詠んだものです。
藤原宣孝は,紫式部が帰京した後に結婚する相手です。紫式部が父である藤原為時に同行して越前に赴いたのは,藤原宣孝の求婚から逃げるためだったという説があるそうです。
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●ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に けふやまがへる
越前に下向した紫式部がはじめて迎えた冬のこと。初雪が降った日,日野山に積もった雪を眺めながら,都にある小塩山の松を思い出して詠んだ歌です。日野山の杉は雪が降って埋もれんばかり。都の小塩山の松にも降り積もっているのだろうか。
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●身のうさは 心のうちに したひきて いま九重に 思ひみだるる
これは,時が過ぎ,夫の藤原宣孝と死別したのち,藤原道長の娘で一条天皇の中宮である藤原彰子に仕えるようになったときに詠んだ歌です。
わが身の辛い思いは心の中に寄ってきて,今,宮中で心が幾重にも乱れることだ。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは
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