しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:藤井聡太

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 「藤井聡太竜王名人が関西将棋会館のレストラン「イレブン」で食事を注文するのもこれが最後」 になるかもしれない,王座戦挑戦者決定トーナメントの決勝戦が2023年8月4日に行われ,「史上最高の1分将棋」とよばれた大熱戦のすえ勝利して,永瀬拓矢王座への挑戦権を手に入れました。王座戦5番勝負に勝てば,将棋のタイトル全冠制覇達成です。
 この対局は,二転三転,まさに手に汗握るハラハラドキドキの終盤戦でした。
 ①105手目。藤井聡太竜王名人が▲1五香と打てば終わっていたものを▲1六香と打ったためにもつれました。
 ②135手目。藤井聡太竜王名人が▲6四角と打てばよかったのに▲3三歩としたので3筋に受けの歩を打つことができなくなり,負けていれば敗着でした。
 ③150手目。豊島将之九段の指した△6五玉が決定的な悪手で,これで勝負が決まりました。しかし,1分で正解手を見つけるなんて無理な話なので,豊島将之九段が気の毒でした。
 ①②③とも,正解手はかなりの「筋悪」で人間には浮かびません。

 ③150手目の正解手は△5四玉だったということですが,この後が難解でした。
 解説者も説明できなかったので,私も,局後,将棋AI最強の「水匠5」を使って,遊んでみました。△5四玉以下,「水匠5」が1番手にあげた指し手を進めていきます。すると,以下のように,このあと延々と90手くらいも進んで,やっと後手が勝利します。
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3四龍,4四銀,4五角,6五玉,7七銀,6六歩,4四桂,7八金,5四銀,6四玉,6三銀成,6五玉,5六角,同馬,3五龍,5五歩,5六歩,6九角,4八玉,7七金,2五角,同角成,同歩,7六玉,4二と,6七歩成,3八玉,6八角,4六歩,4二飛,2七玉,4四歩,5三成銀,4五桂,4二成銀,3七桂成,同玉,4五金,5四角,6五歩,4五角,5九角成,4八金,4五歩,4九金打,5三角,4四香,3四歩,同龍,2二桂,4五龍,4九馬,同金,3四金,7七桂,4五金,同歩,5七飛,4七金,1四桂,9八角,8七銀,同角,同玉,9八銀,7七玉,6九桂,7六玉,7七歩,同と,5七桂,2六銀,3八玉,2七金,3九玉,2八角,2九玉,1七角成,8七金,同と,同銀,同玉,9七飛,8六玉,8七歩,7五玉,7八飛,6四玉,9八飛引,3八銀,…
  ・・・・・・
 なお,互いに最善手を指していくと持将棋になるといっているYouTubeや,そう書いている記事もありますが,私が使った「水匠5」ではこのように後手勝ちになります。
 こうして遊んでいるうちに,何か不思議な気がしました。それは,「水匠5」が最善という手を指し進めていっても,はじめの評価値以上に次第に後手が悪くなっていくのです。こういうものを体験すると,将棋AIが示す評価値は,一体どういうものなのだろう? という疑問がいつもながら湧いてきます。
 この対局の中継はいくつかの媒体で行っていたのですが,ABEMAが表示している形勢判断とそれ以外のものに大きな差があることが指摘されていました。使っている将棋AIが異なるのか,コンピュータの性能が異なっているのか。いずれにしても,1分という考慮時間ではコンピュータでも読み切れないということなのでしょう。
 おそらく,実際の対局で豊島将之九段が△5四玉という正解手を指したとしても,その後,人間が最善手をずっと指し続けることは不可能です。この難解な将棋では,最善手は1手だけでそれ以外を指せばすべて逆転,といった局面が続いていたので,結局は,どこかで悪手を放った方が負け,という結果になったことでしょう。
 どうしたらこんな複雑で難解な局面が作れたのか。

 将棋は,序盤の定跡はほぼ決まっていて,いささかマンネリ気味で,新戦法といったところで,大局的に見れば流行り廃りがあるだけのようなものです。最新形といっても,江戸時代にすでに同じような形があったりします。
 しかし,中盤から終盤にかけてのねじり合いになると,どの将棋もそれぞれが個性をもち複雑化していくのが不思議です。これこそが将棋の魅力です。そうなると,もはや,コンピュータが進化しようと関係なく,事前研究も意味がなく,指している人間の実力と指運のみの世界となっていきます。ただし,今は,将棋AIの進化のおかげで,見ている側に,その時点での最善手がわかるようになった,というのが最大の利点です。だから,素人が見ていてもおもしろさがよりわかるわけです。おそらく,将棋AIがなかった時代なら,この対局の△5四玉という手も指摘されず闇に葬られていたに違いありません。
 ともあれ,藤井聡太竜王名人は,八冠になるように神が授けているかのように,今期の王座戦は,奇跡が続きます。極めつけは対村田顕弘六段戦でしたが,今回の対豊島将之戦もまた,それに匹敵するものでした。再び奇跡が起きるのか? 今後の展開が今から楽しみです。

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number (2) 雑誌「Number」#1044の将棋名勝負特集!「藤井聡太と最強の一手。」を読みました。
 雑誌「Number」はスポーツを話題にする雑誌ですが,2020年の夏に恐る恐る将棋特集をしたら「望外」に売れて,それで気をよくしたのか,時折,将棋特集をするようになったように思います。
 私は,子供のころ,将棋を指すことに夢中になったことはありますが,現在は完全な「観る将」です。というのも,このごろは将棋ソフトが強すぎてまったく歯が立たないことに加え,将棋を指す時間がもったいないと思ってしまうからです。というのは言い訳で,本当は,私は,将棋というゲームを指すことの本当のおもしろさがわからないのでしょう。
 そんな私でも,藤井聡太竜王の活躍もあって,今はプロの棋士の将棋を見ることは楽しいのですが,それよりも,棋士という一風変わった人たちの生きざまに興味があります。そこで,今回の雑誌の特集も一気に読んでしまいました。

 その中で印象に残ったのは,まずは,「竜王を手繰り寄せた”異常”な終盤。」という記事の中の
  ・・・・・・
 藤井は将棋の神に愛され過ぎではないかとさえ思います。
  ・・・・・・
という文章でした。それは,終盤で,奇跡的とさえ思えるように,盤上の全ての駒の配置と持ち駒がいつも藤井聡太竜王が勝つようになっていることを指しているのですが,私は,藤井聡太竜王の将棋を見ていると,終盤で想定されるさまざまな可能性をあらかじめ読んだ上で,そうした配置になるように,まるで,序盤から長手数の詰将棋をつくるかのごとく将棋を組み立てていると感じるので,奇跡的ではないと思っています。将棋の神に愛されているというより,だれよりも将棋の神を愛しているのでしょう。
  ・・
 今回の将棋特集では,藤井聡太竜王だけでなく,さまざな棋士の話題が豊富でしたが,私がおもしろかったのは,「藤井聡太の”最強の一手”とは?」と題した若手棋士の鼎談と,もうひとつは「毒と理想のはざまで。」という永瀬拓矢王座を取り上げた記事でした。私は,こうした若い棋士たちが藤井聡太竜王の出現で脚光を浴び,その中でもがいている様に魅力を感じます。
 それとは別の意味で,「不屈の王の最後の呟き。」という大山康晴十五世名人を取り上げたもの。時の絶対王者だった大山康晴十五世名人,晩節の悲愴は,私がずっと印象に残っているものですが,最晩年になっても,まだ,若手の前に壁となり立ちふさがっていたその姿を,当時の私は,いい加減にしてよ,と思っていたのが正直な気持ちでした。それが今となっては,晩年の大山康晴十五世名人といったって弱冠68歳のことで,今の私の年齢と大差ないことに,別の衝撃をうけるのです。

 さて,今回の特集は,読みどころ満載だったのですが,この記事を書いた人の多くは,将棋ジャーナリストといわれる人たちで,新聞の観戦記なども書いています。
 毎日連載をしている新聞の観戦記は,何十年もまったく変わらず,というより,昔は結構読みごたえがあったのに,新聞の活字が大きくなったのに面積が変わらないものだからめっきり字数が少なくなってしまい,今や,1日の分量が400字詰め原稿用紙たった1枚程度で,30年前にくらべると約半分。また,このブログの10パーセントから20パーセント程度でしかありません。これでは,書きたいことのほとんどは書くことができないから,「観る将」の人には指し手の解説だけではおもしろくないし,棋士の心理描写を書くだけでは棋譜を記録として読んでいる往年のファンには評判が悪いというように,だれを対象として何を伝えたいのかわからないという中途半端なものに成り下がっているように感じます。
 この特集でこれだけ魅力的な記事が書ける将棋ジャーナリストといわれる人たちの文章力が,薄っぺらな将棋の観戦記ではほとんど発揮できないことのほうが,私には気がかりです。もったいない話です。

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 これまでに書いてきたのが現在の人工知能をとりまく状況です。
 そうしたことを知ったうえで身の回りを見渡したとき,この国でやっている報道の分野もまた,あまりに遅れたものであることに気づくでしょう。
  ・・
 私はテレビは暇つぶしの娯楽としか思っていないので,民放のワイドショーはもちろんのこと,ほとんどの報道番組は見ません。
 以前はNHKのニュースは見ていたのですが,コロナ禍以降,何を知らせたいのか全く意味不明で,これもまったく見なくなりました。やっていることは感染者の数ばかりで,こんなことを相も変わらず1年以上も放送しているようです。不安を煽るだけで,何が伝えたいのかまったくわかりません。さらに,アナウンサーのまるで小学校の教師のような説教口調が気に障ります。少しはCNNでも見習えばいいのにと思います。

 オリンピックやパラリンピックもまったく興味がないので,1秒も見ませんでしたし,私は日本のプロ野球も高校野球も関心がありません。
 私がこれまでスポーツ中継で見ていたのはMLB中継と大相撲中継でした。しかし,MLB中継は英語での放送しか見る気がしません。これもまた日本のアナウンサーや解説者の話が聞きたくないからです。NHKのスポーツ中継のアナウンサーは昔から独特なもの言いで,私はきらいです。そんなアナウンスはないほうがいいくらいに思っています。またどんな番組も途中でニュースを挟む意味がわかりません。今は,MLBのライブ放送がYouTubeで英語で放送されるようになったので,もっぱらそれを見るようになりました。ABEMAもすべて英語のまま放送すればいいのに,どうしてわざわざ日本語のアナウンサーをつけるのか,私には理解ができません。
 大相撲は従来から北の富士勝昭さんの解説以外は見る気になりませんでした。しかし,横綱稀勢の里の引退後,今は,大相撲そのものにまったく興味がなくなってしまったので,遠ざかりました。先場所など,もし見ていたら不快になっただけでした。
 インターネット中継が発達して,もはや,従来のNHK放送そのものがものすごく時代遅れのものに思えます。そんなものに月2,000円以上もする受信料をほぼ強制的に取り立てる意味がわかりません。

 さて,ここから,やっと将棋の話です。
 これまでに書いてきた科学技術の発達で,将棋もまた「将棋AI」とかなりの関わりをもって行われるようになって来ました。
 藤井聡太三冠の活躍で,ABEMAでは将棋の放送をひとつのウリとしています。将棋の放送では,解説者と聞き手が「将棋AI」を使いながら,素人に,難しい将棋をわかりやすく説明をしてくれます。しかし,この解説というのが意外とむずかしいのです。出来不出来の差が大きすぎます。
 解説者によって内容の難易度がさまざなのはよいとして,あまりに不勉強な棋士が解説者として出演するといやになります。特に藤井聡太三冠の将棋はとても高度なので,解説者が将棋の内容を理解してその意味をわかりやすく伝えてくれたときはものすごく感動しますが,その反対であると飽き飽きします。という以上に,せっかくのすばらしい棋譜のよさが伝わらず,台なしになってしまいます。
 このように,「将棋AI」によって,解説者の実力がたちどころにわかってしまうのです。
 解説で登場する棋士の中で私がすばらしいと思うのは,たとえば,広瀬章人八段,戸部誠七段,高見泰地七段,及川拓馬六段などです。とりわけ,高見泰地七段はすばらしいです。先日の叡王戦第5局の終盤における「藤井聡太のAI超え」といわれた▲9七桂の解説など絶賛に値します。
  ・・・・・・
「エッ,そこですか? これは考えていなかった」
「アッ,そうか。(次の)▲8五桂が詰めろになっている可能性はないですか?」
「藤井将棋はこれがあるというか。超手数の詰めろになっている可能性があるというか。普通の人とは見る世界が違っていますね」
  ・・
「コンピュータは▲9七桂をちょっとといっていますが,自分からするとすばらしい手というか。人間にとってはいい手だなあと思いましたね」
  ・・・・・・
 指した当初,「将棋AI」は▲9七桂を悪手と認定したのですが,実際は,5分以上「将棋AI」にさらに深く読ませると,▲9七桂はやはり最善手だったそうです。それを2分の考慮時間で指した藤井聡太三冠はもちろんのこと,その手のすばらしさをコンピュータより先に指摘した高見泰地七段の解説はみごとでした。解説が高見泰地七段でよかったと思いました。

 それに対して,年配の棋士の中には,まったく勉強していないというのが明白で,単におじさんの小遣い稼ぎのようなものがあります。そうした棋士の人柄がいいとか話がおもしろいということと解説とは別問題で,私はそうした棋士の漫才が聞きたいわけではないのです。あれでは藤井聡太三冠の読みの深さがまったく伝わらず,埋没していまいます。それだけならともかく,さらに,古い価値観で正しい指し手を批評するような人は,むしろ害があるくらいです。
 解説者というのは,対局者以上に勉強が必要で,自分の勝敗とは関係がないとばかり,適当にやられては困るのです。

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 7月3日に行われた第92期将棋棋聖戦第3局で藤井聡太棋聖が勝ち,3連勝で棋聖位を防衛しました。  
 私は今から50年以上前からの将棋好きです。将棋を覚えたころは,特に,升田幸三実力制第四代名人の大ファンでした。しかし,私が興味をもったときはすでに全盛期を過ぎていて,時折見せる無類の強さと圧倒的な構想力はあっても,あっけなく負けることも多く,「勝てばもっけもの」というスタンスで応援していました。また,その次の世代にファンになった米長邦雄永世棋聖は,ライバルであった中原誠十六世名人に歯が立たず,このときもまた,同じように「勝てばもっけもの」という感じでした。
 また,大相撲も好きで,横綱柏戸,そして,横綱北の富士のファンでしたが,やはり,最強とは程遠かったので「勝てばもっけもの」で応援していました。
 そこで,ファンになった棋士や力士は勝ち負けを越えて,将棋や相撲を楽しんでいたように思います。

 ところが,歳をとったせいなのかどうか,将棋に限らず,大相撲でも,このごろの私は,ファンになった棋士や力士ができると,勝負の内容よりも結果が気になって,逆に楽しむことができない性格が強くなってしまい,それが自分でも嫌になります。
 数年前の横綱稀勢の里がそうでした。そして,現在の藤井聡太二冠の将棋がまさにその状況です。
 それでも,明らかに格下の棋士との対戦なら安心して観戦できるのですが,現在の藤井聡太二冠の3つのタイトル戦である,今回の棋聖戦と,王位戦,叡王戦,中でも,対戦成績が極端に悪い豊島将之竜王との対戦になった王位戦と叡王戦など,王位戦第1局の完敗も引きずって,ライブ中継を楽しむことができないのです。
 そんなわけで,結果を知ってから楽しむ,という,邪道に走ってしまうことになるのですが,棋聖戦第3局は,終盤戦のはじめのところだけ ABEMA 中継を短時間見て,こりゃ負けだと思っていただけに,翌日の朝結果を知ってびっくりしました。それは,新横綱となったときの稀勢の里関が千秋楽で大逆転優勝を飾ったときもそうでした。このときも,中継は見られず,あとで結果を知りました。
 勝負というのは,時折,こうした,考えられない結果が起きるのです。そこが魅力で,本来は,そういう勝負の姿を生でハラハラドキドキしながら観戦することこそが魅力なのでしょうが,私にはそれができません。情けない話です。

 それにしても,現代の将棋はあまりに難しすぎます。
 私が覚えたころの将棋のタイトル戦は,大山康晴十五世名人の影響で,居飛車と角道を止める振り飛車の対抗形ばかりで,まず,王将を囲って,そのあと囲いの反対側で戦いを起して,先に相手の陣地にたどり着いたところからさあ詰ますぞ,という感じになるのです。そこで,終盤の詰むや詰まざるやの攻防こそ現在の将棋と同じような難しさはあっても,それまでのしのぎ合いはのんびりしたものでした。
 それが,現在の将棋は,序盤から詰むや詰まざるや,のような感じになってしまうので,ずっと難解な詰将棋かパズルを解いているような感じです。素人が気軽に楽しむ,ということからは超越してしまっています。今回の棋聖戦第3局はその中でもさらに難解で,私には,到底理解できないものでしたが,翌日,YouTube にアップロードされた多くの番組を見ていて,何か,ものすごく感動しました。話題になっている96手目△7一飛のただ捨て,震えました。それだけでなく,この対局は終盤でどちらも最善手以外を指したら負け,しかも,最善手は将棋AI が示してもその意味がプロ棋士でもわからない,そして,それが本当に最善手かどうかも定かでないというほど複雑なものだったというから,これこそが将棋の魅力なのでしょう。これを見ると,私がぐちゃぐちゃここで書いていることや,勝ち負けにこだわるなんて,次元が低すぎて情けなくなります。
 こうした人間業とは思えない現代の将棋を指すトッププロの対局は,将棋AIと,わかりやすい多くの解説があるからこそ,だれしもがその魅力を味わうことができるのでしょう。すばらしい時代です。私も,勝負の結果など超越して,この魅力をライブで堪能できるようにならないともったいないのですが…。

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 3月23日に行われた第34期竜王戦ランキング戦2組,藤井聡太二冠(王位・棋聖)対松尾歩八段戦をABEMAで観戦しました。おそらく藤井聡太二冠が勝利するだろうと,はじめのうちは「ながら見」をしていたのですが,それがそれが,手に汗握る好局となり,途中からは見入ってしまいました。
 評価値が80パーセントであっても,藤井聡太二冠の将棋は,つねに,正解手を指せば80パーセント,それ以外は逆転といった,クレパスを避けながら歩くような感じ,あるいは,薄氷を踏んで歩くということになるので,最後までハラハラどきどきです。
 この勝負もまた,57手目にただでとれる飛車をとらずに▲4一銀と銀をただで捨てるという手を指さなければ勝負がどう転ぶかわからなかった,という緊迫した局面になりました。

 この対局は,解説の藤森哲也五段の話術がとてもおもしろくて,好局に花を添えました。藤森哲也五段曰く,将棋AIが示す正解手▲4一銀は「人間界では思いつかない手」だそうです。プロが思いつかないというのだから,それを藤井聡太二冠が指せば,それは神話になります。
 ということで,ここが最大の見どころとなりました。
 この手以外にも,同じように,こんな手は並みの人間には指せない,というものが,実際に出てきたものと読みの中だけで出てきたものを合わせてふんだんにあって,酔いしれました。おそらく,こんな将棋を見せつけられたら,ほかの棋士は脱帽でしょう。頭の中,というか,才能が違い過ぎるのです。
 藤井聡太二冠の将棋はABEMAで中継されるので,そうした並はずれの棋力を生で体験することができます。だから,これを見たほかの棋士はその力の差を実感してしまうので,実際に対局するとき,戦う前から脱帽し,勝てなくなってしまうのでしょう。

 と,ここまでは将棋のお話でしたが,私がそれ以上に興味があったのは,コマーシャル契約をしたサントリーと不二家の商品の扱いでした。まず藤井聡太二冠のカバンから出てきたのは不二家のチョコレート「ON」でした。これをむしゃむしゃ。箱はしっかり横に置かれていました。そして,▲4一銀を指して優位が確定したころに取り出されたのがサントリーの「伊右衛門」。飲み終えると,ラベルがカメラに見えるようにさりげなく置かれました。そして,それ以外の飲み物はコップに注がれて,カバンにしまわれました。
 今後,藤井聡太二冠はこうしていつも,不二家以外のお菓子とサントリー以外の飲み物を食べたり飲んだりするのに気をつかわなければならないのかな。将棋だけでも大変なのに,こんな余計な気を使わなければならないのも大変なことだなあと思ったことでした。もういっそのこと,ぽこちゃんの着ぐるみでも着て,あるいは,伊右衛門の恰好でもして対局したらいかがでしょうか。
 新年度はまず不二家が主催する叡王戦でタイトルとらなくっちゃね。しかし,タイトルを保持している王位戦は「お~いお茶」がスポンサーなんですけど,どうするのでしょう?


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 2020年9月27日のブログに「今後「不良老人」はいかに生きるか⑥-塞翁が馬の2020年」と題して,
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 (2020年)1月。やがて来る不安な将来もまだ予感できなかったころ,昨年に続いて,私は朝日杯将棋オープン戦の名古屋対局で,藤井聡太・現二冠の対局を観戦しました。その後,当時七段だった若き天才棋士はタイトルをふたつも獲得し,再び時の人となりました。私は,タイトルを獲得するまでは,ということで熱を入れて応援していたのですが,そろそろそれも卒業したいと考えています。私の性格では,将棋も相撲もそうですが,勝負ごとに対して熱をあげて応援するのは,ひいきの人が負けたときに疲れ落ち込むだけで楽しむことができないのです。私は勝負ごとの観戦を趣味にするのは不向きなのです。
  ・・・・・・
と書きました。

 それ以降,私は4か月余り,将棋を見るのをやめてしまいました。ちょうどそのころ,藤井聡太二冠は王将戦の挑戦者決定リーグでは苦戦し,B級2組の順位戦では全勝を続けていたようです。また,NHK杯将棋トーナメントは木村一基九段に公式戦初の負けを記し,その一方,銀河戦では優勝をしました。
 藤井聡太という棋士の強いのは,本人はすべて全力投球をしているのでしょうが,たまに負けても重要な対局だけは星を落とさないということなのです。これまでの対局で,唯一,後に響くという意味で負けてはいけないのに負けたのは,2019年2月5日のC級1組順位戦,対近藤誠也・当時五段との一戦だけです。
 そして,2021年の1月に,再び朝日杯将棋オープン戦の名古屋対局がありました。そこで,私もそろそろ将棋の観戦に復帰することにしました。ただし,自粛しているわけではないのですが,今年は観戦に行く気にならなかったで,ABEMAで見ました。今日の1番目の写真は昨年のものです。
  ・・
 私が少し冷却期間を置いたのは将棋を観戦するのに疲れてしまったためでした。将棋に限らず,この時期から,私は自分の楽しみであるほとんどのことに対して冷却期間をつくりました。それはある思いから「精神的な断捨離」をすることにしたのが理由でした。それはまた,本当に好きなことなら,そのうちに再びその気になるだろうと思ったからです。
 そしてやはり,昔から好きだったことは順に復活しました。新装開店という感じでしょうか。

 さて,今回の朝日将棋トーナメントの豊島将之竜王との対局は,画面の表示では,途中まで藤井聡太二冠の評価値がよく,一時は81パーセントに達したのですが,3七角と打った時点で逆転してしまいました。しかし,その直後,8六歩,8七歩という連打が「コンピュータ越え」の手筋で,8七歩を豊島将之竜王が同金と取ったのが悪い手で再び優勢となった,という流れのように,AIは分析していました。
 私は,以前ならそれで満足していたことでしょう。しかし,冷却期間を置いてリニューアルした私が感じたのは,確かに評価値だけを見ればそういうことなのでしょうが,人間の考えることというのは,それでは割り切れないということでした。こころのないAIが判断した手がこころのある人間には最善とは限らないということです。
 そして,8六歩という,AIが第一候補してあげていなかった妙手が指されたとき,瞬間にその意味を理解して感動し,その感動を視聴者に伝えた解説の高見泰地七段はすごい,と思いました。私もそこに感動しました。こういう解説があるからこそ楽しめるのです。そしてまた,豊島将之竜王も人間だったと思いました。

 冷却期間に思ったのは,つくづく私は将棋が好きなわけではないということでした。将棋が好きなわけではなくて,昔から,ある特定の棋士の将棋が好きなだけなのです。それは,今から50年ほど前なら升田幸三実力制第四代名人,その後は米長邦夫名誉棋聖,そして,それに続いて佐藤康光九段,今は藤井聡太二冠です。それ以外の棋士の将棋にはおよそ興味がないのです。こういうのは,本当の将棋好きというのとは違うのでしょう。
 と,ここまで書いていて思い出したことがあります。
 50年ほど前,将棋は新聞の将棋欄で見るくらいしか方法がありませんでした。そこで,A級順位戦で対局する升田将棋だけを見たさに朝日新聞を購読していた私は,対局者が升田幸三・当時九段でなければ,ほとんど将棋欄は読み飛ばしていました。しかし,升田将棋以外で2局,対局者がだれだったのは忘れてしまいましたが,強烈に記憶に残っている対局があるのです。そのひとつは,相横歩取りで,後手が7六飛と歩を取り返したときに当時の定跡であった7七銀ではなく7七歩と打って,意表を突かれた後手はその後の指し手がわからずあっという間に負けてしまったもの,もうひとつは,角換り腰掛銀で,軽率にも3二金を上がらずに6三銀と上がったことで苦戦し,わずか数十手であっけない終局を迎えたものです。
 ずいぶんと昔のものなので,正確には思い出せないのですが,おぼろげな記憶からイメージした図面を作ってみました。今となってはどこかに埋もれてしまっている対局ですが,当時はA級順位戦の将棋でも,今と違って,時折,とんでもない駄作がありました。それは,いかにも人間臭く泥臭く,ある意味,魅力的でした。
 将棋に限らず,半世紀前の日本は,何もかも,そんな状態の国でしたが,いまのような,規則規則で縛られる時代,何でもコンピュータで緻密に計算される時代,人間が機械のようになってしまった時代に比べたら,別の意味でよほど楽しかったこともたくさんありました。それも今となっては懐かしい思い出です。


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 スポーツ総合雑誌「Number」は読みごたえのある記事と美しい写真がウリで,私もこれまでMLBを特集したものを数冊購入したことがあります。そのスポーツ総合雑誌が藤井聡太二冠ブームに乗っかって将棋を特集したということで話題になっています。
 めったに雑誌を購入しない私ですが,どんな内容か興味をもったので,発売前にAmazonで予約して手に入れました。

 これまでもこのブログに書いているように,私は,小学校のころから将棋,というよりも,むしろ将棋界に興味をもっていたので,およそのことはわかります。若い棋士や将棋ライターよりもむしろ詳しいくらいです。
 大山康晴十五世名人対升田幸三実力制第四代名人最後の名人戦となった1971年(昭和46年)の第30期将棋名人戦をどきどきしながら新聞で読んだ経験もあります。また,中学生のころは「Number」に載っていた板谷四郎九段の開いていた板谷将棋教室に入り浸りで,板谷四郎八段に2枚落ちで教わったこともあるし,石田和雄九段に声をかけてもらったこともあります。

 おそらく,多くの人は,藤井聡太二冠の活躍で興味をもった将棋界のことを知りたくて,この雑誌を手に取ったことと思います。しかし,私は,多くの人が知りたいと思っているようなことは珍しくないので,むしろ,この本には,それ以外の「何か」私が興味をひかれる記事があるだろうかという思いで,読んでみました。
 その中で,買ってよかった,と純粋に思った記事の筆頭が,先崎学九段の書いたエッセイ「22時の少年-羽生と藤井が交錯した夜-」でした。先崎学九段の書く文章はいつも本当におもしろいのですが,単におもしろいだけでなく,人のこころの繊細さが緻密に描かれているのがすばらしいのです。特に,この雑誌に書かれてあった文章は秀逸でした。
 藤井聡太二冠が棋士になって半年くらいしたときのこと。とある企画で羽生九段と対局するのですが,そこで,藤井聡太二冠があることをするのです。私はそんなことがあったことをまったく知りませんでした。
 このエッセイの最後がいいです。
  ・・・・・・
 あの日のことはすべて,春の夜の夢だったのではないかと,たまに思い出す。
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 このエッセイのほかに,私が興味をもって読んだのは,鈴木忠平さんの書いた「羽生を止めろ。-七冠ロード大逆転秘話-」でした。
 この文章に書かれた1995年(平成7年)の第53期将棋名人戦第1局が京都洛北の宝ヶ池プリンスホテルで行われていた日,ちょうど私はそのホテルにいたのです。対局は広い庭園の中にある茶寮で行われていました。直接対局を見ることはできませんでしたが,茶寮の開いた窓から,白い着物を着た若き挑戦者森下卓八段の姿が見えました。思えば,あの将棋名人戦は,森下卓八段一世一代の大勝負だったのです。なぜか,あのときの,私が感じたなんともいえない雰囲気を今も思い出します。

 私がこの雑誌を買ってよかったと思うもうひとつの理由があるのですが,それは私のささやかな秘密にして,あえてここには書かないことにします。
 いずれにしても,たかが将棋,されど将棋。長年,将棋界を興味をもってみていると,この世界で起きた悲しいことばかりを思い出します。それはおそらく,勝負に生きる人は,その敗者の姿も美しく,かつ,記憶に残るものだからなのでしょう。

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 1番目の写真は2018年に行われた朝日杯将棋オープン戦名古屋大会での大盤解説会場の様子です。このときは,まさかその2年後に,木村一基対藤井聡太というタイトルマッチが見られるとは夢にも思いませんでした。
 その翌年,無冠の帝王だった木村一基九段が涙の初タイトル王位を獲得しました。そして,その流れを受けて,2020年に行われた王位戦で,藤井聡太新王位が誕生となったわけです。
 2番目から4番目の写真は,勝敗を決した王位戦第4局の将棋史に残る伝説の封じ手△8七同飛車成,twitter上で「同飛車大学」とトレンド入りした話題の局面です。
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 昨年の木村一基王位の誕生から今年の藤井聡太王位の誕生というあらすじは,フィクションとして書いたらおそらくありえないと酷評されるような,いわゆる劇的以上のものでした。
 もし,昨年,木村一基王位が誕生していなかったら,今年の今ごろは豊島将之竜王の名人,王位,叡王のトリプルタイトルマッチだったかもしれず,また,豊島将之竜王にこれまで1勝もしていない藤井聡太棋聖がどういった戦いをしていたかもわからず,と,まったく違った流れであったことでしょう。

 思えば,加藤一二三九段が1983年に念願の名人位を獲得し,翌年,新鋭の谷川浩司に敗れたとき,また,米長邦雄永世棋聖が1994年にこれも念願の名人位を獲得して,翌年,これもまた新鋭の羽生善治に敗れたときのように,将棋の神様は,実績あるベテランに1度だけ御褒美をあげて,その翌年,世代交代の任を担わせるのです。
 名人戦ではありませんが,今回の王位戦もまた,それと同じ流れになりました。つまり,昨年の涙の初タイトルは,今年の王位戦を盛り上げるための序章にすぎなかったわけです。
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 現在の藤井聡太二冠は,角換り腰掛銀のスペシャリストである豊島将之竜王とか,1手損角換りのスペシャリストである丸山忠久九段とか,あるいは,横歩取りのスペシャリストである大橋貴洸六段とか,そういった藤井聡太二冠以上の知識のある得意戦法をもつ棋士と対峙したときに負けることがあります。
 つまり,藤井聡太二冠に勝つには,ある戦法のスペシャリストになって自分の研究範囲に持ち込み,序盤から中盤にかけて意表の1手を指してリードを奪い,藤井聡太二冠に極端な長考を強いるしか方法がないのです。終盤の読み比べであるとか,得意の受けで凌ぐのが持ち味,というタイプの棋士には勝ち目がないのです。だから,私は,藤井聡太挑戦者は木村一基王位には勝てると思っていましたし,実際,結果はそうなりました。

 明るい話題の少ない今,マスコミは絶好のネタとして,二冠獲得の翌日,藤井聡太二冠誕生の話題を多くのテレビ番組が取り上げていました。
 普段から民放はまったく見ない私ですが,この話題をどう伝えるかに興味があって,すべて録画をして,藤井聡太二冠関連のものだけを後で探しだして見てみました。番組には,ゲストとしてさまざまな棋士が登場していました。将棋を知らない視聴者に将棋の魅力を伝えようと,それぞれの棋士はずいぶん苦労をしていました。その姿はほほえましいものでした。
 番組の制作者が,将棋を知らない視聴者を相手にわかりやすく説明しようとしていることは理解できるのですが,しかし,それにしても,将棋は「指す」であって「打つ」ではありません。また,「定跡」であって「定石」ではありません。こんな基本的なことも正確にキチンと伝えられていない,その程度のワイドショーの司会者やスタッフは勉強不足で,いつもながら思いやられます。知らないことがあれば,専門家であるプロの棋士をゲストによんでいるのだから,事前に確認すべきです。将棋の棋士はものすごい才能をもった人たちですが,そんな専門家をお笑いタレントのように扱っていること自体,専門性にリスペストを払っていない証拠です。
 報道は正確さと言葉が命なのです。しかし,こうしたことから考えると,おそらく,このようなワイドショーで伝えているニュースは,みなこの程度のレベルなのでしょう。きっと,新型コロナウィルス関連のニュースもこの程度のいいかげんさで伝えているのです。
 私には,そのことを再確認したことの方が,ずっと興味深いものでした。

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チームバナナ優勝!

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