しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:行っておいてよかった

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 私が近年ハワイに行ったのは,2020年2月でした。それ以降,海外旅行に行けていません。
 それ以前は,毎年のようにハワイに足を運ぶようになっていましたが,ハワイなんぞ,東京へ行くよりもずっと気楽でした。セントレア・中部国際空港からデルタ航空に乗って8時間ほど。ホノルルからはハワイアン航空に乗り替えて,ハワイ島,マウイ島などの島に渡り,空港でレンタカーを借りれば,常夏の島は私のものでした。ハワイは,国際免許証もいりません。そんなこんなで,気楽に外国を味わうことができたのですが,そんなころが懐かしい日々です。
 私はまだ当分は行く予定もないのですが,巷では,どうやら,今年のゴールデンウィークは,ハワイが人気,らしいです。多くの人は,2年も辛抱していたので,いてもたってもいられないのでしょう。とはいえ,そうした人たちの行くハワイは,砂をカリフォルニアから運んだワイキキビーチと銀座と変わらない日本人御用達のホノルルのダウンタウンでしょう。

 私は,そうした,多くの人の夢見るハワイ,とくにオアフ島とは違って,日本人観光客のほとんど無縁なハワイを堪能していたのですが,そうした旅の思い出から,行っておいてよかったと思うところも少なくありません。
 それは,このブログでこれまでも書いたように,カウワイ島では,ワイメア,ワイルア,ハナレイなどの大自然であり,マウイ島では,標高3,000メートルを越すハレアカラ山や古都ラハイナ,さらには,ハナであり,ハワイ島では,何といっても,標高4,000メートルを越すマウナケア山,カイルアコナからの夕景,そして,昭和の日本のようなヒロの町でした。
 しかし,本当に行ってよかったと今でも思うのは,モロカイ島でした。
 この,日本人の皆無な,何もない,しかも,さびれた島は,特に何をする,というものもなく,島をすべて観光しても,2,3日あれば飽きてしまいます。しかし,私には,その素朴さがたまりませんでした。

 中学生のころ,畑中幸子という人の書いた岩波新書「南太平洋の環礁にて」という本を読んだことがありました。
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 2か月に一度しか機帆船が廻ってこず,椰子からとれるコプラで経済を支えている小さな孤立した珊瑚礁の島プカルア。単身この島に棲み込むこと1年半,自給自足のきびしい自然の中で,島民と生活を共にしながら,彼らの生計のあり方や社会構造をさぐり,外部の近代社会とのつながりがどのようなものであるかをみきわめようと試みる。
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というこの本が書かれたのは,1967年のことでした。
 また,森村桂さんの書いた「天国に一番近い島」。こちらは1966年。
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 1年中花が咲き,マンゴやパパイヤがたわわに実る夢のような島。
 亡き父が幼い頃に話してくれた「天国にいちばん近い島」。思いがけず南洋の島ニューカレドニアへ旅立った「私」は…。
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というものですが,映画化もされました。
 現実はともかく,私は,こうした本が妙に好きで,とはいえ,憧れたのは,単にそんな南太平洋の島の浜辺でボーッと海を見ている姿だけだったのです。
 そうした島とは違いますが,そんな憧れをもっていた私の行きついた,何もない小さな島でボーッと海を眺めることが実現できたのが,このモロカイ島だったのでしょう。
 地球儀を思いうかべ,太平洋の真ん中の小さな島にいる自分を想像するだけでも,こんなしあわせが他にあったのだろか。いまでも,そう思うと,大勢の日本人が押し寄せるワイキキビーチではなく,だれもいないモロカイ島の海岸こそが,もっとも私には贅沢な旅の行先だったように感じます。

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 日本からは,私の出かけていたアメリカ,オーストラリア,ニュージーランド,フィンランド,オーストリアなどは,どこへ行くにも約10時間と,便利なのか不便なのかわからねど,ほどほどの場所に位置しています。
 日本から桁違いに遠いのは南アメリカやアフリカですが,私には縁がありません。
 同じように,私の住む愛知県からは,北海道も九州も四国もほどほどに遠いのですが,飛行機や新幹線を使えば直接行くことができます。また,東京,大阪などは,近いので,簡単に行くことができます。そこで,ともに,便利といえば便利です。
 しかし,和歌山県,群馬県,茨城県などは,直接行く手段がなく,また,動機がなければあえて行くこともないので,意外と盲点となります。私もこれまで行く機会がほとんどありませんでした。
 
 国内移動は,乗り替えさえ気にしなければ,新幹線や飛行機と決めてしまえばそれだけのことですが,「インチキ富裕層」の私は有り余る時間だけが取り柄の暇人だから,移動にはなるべくお金を使いたくないので,どこに行くにもひと工夫をすることになります。
 そこで,今回は,そんな私が国内を旅するときの交通手段のお話です。

●北海道
 若いころ,青函連絡船に乗って函館から青森へ帰ったことがあります。これがたいへんでした。なにせ,津軽海峡を渡るだけで片道3時間,これだけで,飛行機なら名古屋と札幌間を往復できます。 
 青函連絡船のない現在は,北海道へ行くには空路ですが,昔と違って格安航空があるので,結構安価に行くことができます。
 もちろん,到着後はレンタカーで,ほんのちょっぴりだけ,アメリカ旅行をするような気持ちになれます。
●東北
 東北は,空路でも陸路でも行くことができて,格安航空もあるのですが,それ以上に安価に,だと,東京から夜行バスという方法が存在しますが,名古屋から東京まで夜行バス,そしてまた,東京から夜行バス,というのは,結構大変です。
 私がまず行きたかった岩手県の花巻でした。その次は,福島県の大内宿でした。
 ともに,東京に別の用事があって行ったときに,そのついでに行きましたが,花巻へは夜行バスを利用しました,また,大内宿へは上野から東武鉄道で行きました。ともに,なかなか楽しい旅でした。
 今行きたいのは山形県の立石寺と天童ですが,今は東京へ行く予定もないので,行くときは,直接,空路,FDAを利用することにします。
●北陸
 北陸は愛知県からとても近いです。東海北陸道,あるいは,北陸自動車道を走れば,あっという間に日本海。富山県までは日帰り圏内となります。
 ただし,ものすごく細長い新潟県がたいへんです。私は,特に,佐渡島に行きたいのですが,いったいどういう方法がいいのか,現在,思案中といったところです。
●四国
 意外と行きにくいのが四国,特に高知県や愛媛県の西部です。
 私の住む地方からは,四国八十八か所巡礼をやっている人はバスを使うといいます。大阪まで行けば,その先はバスを使えば,比較的簡単にいくことができるようです。
 私が以前数回行ったときは,交通手段は毎回異なっていて,鉄道やら深夜バス,さらには車を使いました。
 空路もあるようですが,何か,飛行機を利用するには近いので,もったいない,そんな気がしてしまいます。鉄道は,淡路島を通らず,山陽線を経由して瀬戸大橋を渡るというように,くるりと迂回する必要があり,時間がかかるので,意外と不便です。
 いまのところ,行く予定はないのですが,次に行くとすれば,私は,車で行くことになるでしょう。
●九州
 九州はやはり空路です。到着後はレンタカー,これが九州巡りにはもっとも快適だと思われます。
 以前書いたことがありますが,福岡の空港は都心からとても近く便利なところにあるのです。
 九州は,これまで何度か行ったことがあるのですが,その中でも,数年前に熊本からレンタカーで九州を1周したので,今はそれですべて行った気になっていて,十分満足しているので,近いうちにまた行くことはないでしょう。
●沖縄
 私は,日本の都道府県のなかで,沖縄県だけは行ったことがありません。アメリカには50州すべて行ったのに,です。だから,沖縄県はとても遠いところに思えてしまいます。行ったことがないので,何ともいえませんが,沖縄本島には特に行きたいという気持ちがわかないのです。おそらく,行かず嫌いなのでしょう。以前の,その魅力を知らず,ずっと行かなかったハワイと同じです。
 もし,私が沖縄に行くとすれば,離島は魅力的に思えるのですが,沖縄本島の那覇までは航空運賃は安くても,そこから離島までが高く,また,船は船で面倒に思えるので,行くのが難しいのです。
 これまで何度も行こうと考えて,結局,ハワイのほうが楽だ,簡単だ,安い,という結論になってしまっていました。コロナ禍の現在,沖縄の離島にハワイに行く代わりに出かける人が多いそうですが,私の場合,ハワイと行っても,めざすのが多くの人の行くハワイとは違うので,きっと行っても失望するだけだと,自分を言い聞かせています。離島それぞれがもっと大きいといいのですがねえ。


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 では,今日は,念願かなって写すことができた中岡慎太郎,坂本龍馬,ジョン万次郎の像です。

 まず,1番目の写真が室戸岬にある中岡慎太郎の像です。
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 中岡慎太郎は1838年(天保9年)土佐藩郷士の子として生まれた幕末の尊攘派志士です。1861年(文久元年),武市瑞山の編成した土佐勤王党に入り,藩主を護衛し上京して尊王運動に奔走しましたが,藩論が公武合体に傾くと脱藩して長州に走り,以後,長州藩で活動しました。
 海援隊の坂本龍馬と並び,中岡慎太郎は陸援隊を結成し,薩長同盟の成立に尽力し,武力討幕の計画を立てていましたが,京都・近江屋で坂本龍馬と謀議中襲われ,殺害されました。ときに30歳でした。
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 2番目の写真が桂浜にある坂本龍馬の像です。
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 坂本龍馬は1835年(天保6年)土佐藩郷士の子として生まれた幕末の尊攘派志士です。本名直柔,別名才谷梅太郎,通称龍馬。
 江戸で剣術修行中に知った武市瑞山,久坂玄瑞らの影響を受けて尊王攘夷運動に入り,1862年(文久2年)年脱藩して江戸で幕府の軍艦奉行勝安房守(勝海舟)の知遇を受けました。
 薩摩藩の援助を受けて長崎で洋式銃砲の取り引きを行う貿易商社亀山社中を設立,1866年(慶応2年)薩摩藩と長州藩の間を斡旋して両藩を和解させ,薩長同盟を成立させました。1867年(慶応3年)に脱藩の罪を許され土佐藩に戻り,亀山社中を海援隊と改め藩と密接に結びました。
 討幕派と佐幕派の調停,融合をはかろうと,朝幕連合政権による新体制樹立を謀議中,中岡慎太郎とともに京都・近江屋で刺客に暗殺されました。ときに33歳でした。
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 最後の写真が足摺岬にあるジョン万次郎の像です。
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 中浜万次郎は1828年(文政11年)生まれの幕臣です。ジョン万次郎ともいい,John Munnとも書きます。
 土佐国中ノ浜の漁師悦助の二男に生まれ,1841年(天保12年),出漁中台風に遭い,南の鳥島に漂着。アメリカの捕鯨船に救助され,アメリカに渡り,勉学ののち捕鯨業に従事し,1851年(嘉永4年)に琉球を経て薩摩に到着します。長崎奉行所で取り調べを受けたのち,土佐藩に送致され,島津斉彬や山内豊信に珍重されました。
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 幕末に貴重な人材として,マシュー・C・ペリー来航のときは幕府に出仕して通訳に従事し,その後,軍艦操練所に勤務し,「咸臨丸」の遣米使節に随行しました。明治政府成立とともに徴士(明治初年に藩士や地方の有力者の中から召し出されて政府に登用された者)となり,東京大学の前身である開成学校教授,のち,普仏戦争視察団としてヨーロッパへ派遣されたりと活躍しました。

 中岡慎太郎と坂本龍馬は僚友としてわかるのですが,どうして,もうひとつの像がジョン万次郎なのかと私は思っていました。それが,ジョン万次郎は足摺岬の地に生まれたということを知って,納得がいきました。
 現在,足摺岬には,ジョン万次郎の生まれ育った家が再現されていて,見学することができます。また,博物館もあります。
 稀有な人生を送った人ですが,漂流してアメリカに渡り,たまたま能力が優れていたために,その機会を生かすことができたことで,その奇跡が起きたのだと思います。もし,台風に遭わず漂着しなかったら,そうした能力も埋もれ,ただの漁師としてその一生を終えたのでしょう。
 「カムカムエヴリバディ」で松重豊さん扮する伴虚無像さん言う「日々鍛錬し,いつ来るともわからぬ機会に備えよ」というセリフがあったのですが,それこそ,その人の生まれつき与えられた能力あってこそなので,そうした人材が幕末の日本に存在したということこそがこの国にとって幸運なことでした。

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 私が若いころは,本州と九州は関門トンネルがありましたが,今とは違って,北海道と四国は本州とは橋やトンネルで結ばれておらず,船で渡る必要がありました。
 四国に行くには宇高連絡船というものがありました。宇高連絡船は,岡山県玉野市の宇野駅と香川県高松市の高松駅との間で運航されていた旧・日本国有鉄道,現在のJR四国の鉄道連絡船で,実際の距離は11.3海里,21キロメートルほどでした。
 1988年(昭和63年)4月10日,というから,今からちょうど34年前の今日,本四備讃線,つまり,瀬戸大橋が開業しました。そして,宇高連絡船は,1991年(平成3年)3月に廃止となりました。
 瀬戸大橋ができたころは,車で通行するのにはずいぶんと高速料金が高価だという評判で,そのことだけが記憶に残っています。
 
 船を使わなければならなかったとはいっても,高松あたりは昔から身近なところで,岡山を含めた観光コースとして,私も,宇高連絡船を利用して,何度か行きました。また,高知市は「四国V字」といって,高松,高知,松山と巡る修学旅行のコースでした。
 しかし,四国のそれ以外のところは,なかなか行く機会がありませんでした。私が長年行きたかったのは,徳島市,室戸岬,足摺岬,宇和島市でした。
 そこで,私がまず目指したのが徳島市へ行って阿波踊りを見ることでした。まずは,列車で行きました。そして,2度目は淡路島を経由して,車で行きました。ずいぶんと簡単に行くことができるのだなあと思いました。
 次に目指したのが室戸岬でした。
 室戸岬は,徳島市から,あるいは高知市から,ここもまた,車を使えば,比較的楽に行くことができました。それでもなかなか行く機会がなかったのが足摺岬でした。
 そんな足摺岬でしたが,2020年のコロナ禍がはじまる直前に,やっと行くことができました。その折に,四万十川や宇和島市にも寄ることができたことは,すでに書きました。

 室戸岬には中岡慎太郎,高知市の桂浜には坂本龍馬,そして,足摺岬にはジョン万次郎の像があります。坂本龍馬像は有名ですが,おそらく,その次に有名なのは中岡慎太郎像でしょう。私は,若いころにこのふたつの像があると聞いて,ぜひ,見たいものだと思っていましたが,足摺岬にジョン万次郎の銅像があるのを知ったのは,比較的最近のことです。
 しかし,正直,そのころは,ジョン万次郎って,だれ? という感じでした。
 その後,いろんなことを知ってから,ぜひ,この三つの像をすべて見たいものだという想いが募ってきたのでした。


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 私は,2016年の秋,2018年の秋の2回,ニュージーランドのテカポ湖(Lake Tekapo)へ行きました。
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 テカポ湖はマッケンジー盆地(Mackenzie Basin)の北端に位置し,プカキ湖(Lake Pukaki)とオハウ湖(Lake Ōhau)と平行する湖です。マッケンジー盆地に位置する3つの湖の中で最大面積の湖で,面積は83平方キロメートルあり,海抜700メートルに位置しています。湖水は氷河が削った岩石の粉が溶け込んでいるために青緑色をしています。
 湖周辺は人気の高い観光保養地であり,湖の南に位置する人口300人程度のテカポ湖村には数軒のリゾートホテルや飲食店があります。長距離バスの停留所が設置され休憩地にもなっているため,外国人観光客も立ち寄る機会が多いところです。
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と,Wikipediaにはありますが,私の目当ては星空でした。

 ここは,本当にすばらしいところです。ただし,有名になりすぎたために観光客が異常に多かったこと,そこで,なかなかホテルが予約できなかったことが難点でした。コロナ禍の現在は,どうなっているのでしょう。また,日本人観光客相手の星空ツアーは存続しているのでしょうか?
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 私は,2度ともクライストチャーチ(Christchurch)から車で行ったので,テカポ湖からさらにマウントクック(Mount Cook)まで足をのばすことができました。
 ニュージーランドは日本と似ていて,地震災害が多く,また,天気もさほどよくありません。私が行ったときは,クライストチャーチの大地震の復興途中でした。幸い奇跡的に天気には恵まれて,目的の星空を見ることができました。

 今にして思うに,テカポ湖へ行く途中ののどかなカントリーロードや,小さな町がとても懐かしく思い出されます。いつか,そんな町でゆっくりしたいものだと…。でも,実現しそうにはありません。
 本当に,行っておいてよかったところです。
 それにしても,同じ島国なのに,どうして,日本には,どこへ行ってもこんな風景がないのでしょう。

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 2020年の3月以降,海外旅行の機会がなくなってしまいました。私は,2020年2月に行ったハワイ・モロカイ島が最後になっています。
 それまでは,ほぼ10年間,毎年7回程度海外旅行をしていました。私がコロナ禍が起きる2年前まで旅をしていたのは,アメリカ,オーストラリア,ニュージーランド,フィンランド,オーストリアでした。
 今日の写真は,上から,アメリカ,オーストラリア,ニュージーランド,フィンランド,オーストリアで私が写した,ツアー旅行では行くことがない郊外の様子です。
 まず,私がこれまでやっていた旅行についてまとめます。
  ・・
●アメリカ
 アメリカを旅するのに車は必須です。車なしでも何となるのは,サンフランシスコ,ニューヨーク,ボストンなどの都会に限られます。
 そこで,私は,空港に着くとすぐにレンタカーを借り,空港で返していました。
 車の運転は,日本とは違って,道路がきちんと整備されていることや道路標示がわかりやすいこと,そして,運転マナーがすごくよいことなどで,日本よりずっと楽でした。
●オーストラリア・ニュージーランド
 このふたつの国は似ています。
 車は日本と同じ左側通行で,人口も少ないので,レンタカーを借りれば,簡単に旅ができます。
 運転マナーはオーストラリアのほうがよくて,ニュージーランドは荒い印象があります。どちらも郊外は片側1車線ですが,そもそも車が少なく,また,数キロメートルごとに追い越し車線があるので,ゆっくり走っても煽られることもありません。
●フィンランド・オーストリア
 私は,これまで,このふたつの国で車を借りたことはありません。なぜか,車を借りて移動する気持ちにならないのです。しかし,実際は,レンタカーでもさほど問題はないような気がします。
 いずれにしても,公共交通機関を使えば,車がなくても,さほどの不便を感じない国でした。
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 それ以外には,これまで,アイスランドとカナダで車を借りて旅をしたことがありますが,あまりに人も車も少ないので,何かあったときにどうしようかと,むしろそのことが心配になりました。

 ということで,こうした国々は,日本よりもずっと快適な旅ができたのですが,今は,それも不可能なので,とても懐かしいです。
 では,現在の時点で,海外旅行が可能なのかどうか,少し調べてみました。
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 まず,日本への帰国時です。
 自宅待機は,2022年3月以降は,3回目のワクチン接種が完了していて,厚生労働省が定めた「指定国」以外であれば,必要ないということです。私が上記に書いた国々は「指定国」ではありません。
 ただし,日本帰国時にPCR検査があります。
 相手国を出国する前72時間以内に実施しなければならないPCR検査では,定められたフォーマットがあって,このフォーマットに適合した証明書でないと,無効となります。また,このフォーマットの様式を満たす証明書を発行する病院によっては,検査が可能な曜日や時間が限られていたり,事前に検査の予約をする必要があるというように,簡単ではありません。
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 次に,相手国に入国する場合です。
●アメリカ
 出発前1日以内に採取した検体によるPCRか抗原検査の陰性証明書の取得と,日本を出発する空港で航空会社へ提出する英文の宣誓書が必要です。
●オーストラリア
 出発3日以内に受けたPCR検査,もしくはフライト出発時刻の24時間以内に受けた抗原検査の陰性証明書の取得,オーストラリアへ出発する72時間前までにオーストラリア内務省のサイトでデジタル渡航者申告が必要です。
●ニュージーランド
 5月以降は,出国前の検査で陰性で,到着時と5日目もしくは6日目の2回の抗原検査も陰性であれば隔離を免除されるようになる予定です。
●フィンランド・オーストリア
 ヨーロッパは比較的緩く,3回接種証明書があれば入国できるようです。
 しかし,それよりなにより,ウクライナ情勢でフライトが制限されていて,ロシア上空を迂回して航行する必要があるので,長時間かかります。フィンランド航空は北極上空を通り,14時間ほどかかるそうです。

 私は,今はまだ出かける気はないので,調べたのはこれくらいです。
 いずれにしても,無症状でも検査で陽性と判定されるリスクがあります。仮に,日本出国前に実施する検査で陽性ともなれば,旅行はすべて直前でキャンセルとなり,航空券,現地のホテルのキャンセル料が必要となってしまいます。また,日本への帰国前に現地でのPCR検査で陽性の場合,日本に帰国できなくなります。また,コロナ禍以前は,最安値であった航空運賃は高くなっていて,しかも,平常時のようなフライトではなく,便数も限られているそうです。
 というように,仕事でどうしても,ということでなければ,これほどめんどうでリスクがある海外旅行は,まだ当分はできそうにありません。残念な限りです。


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 旅慣れてきて,楽に海外旅行ができるようになってきたころ,コロナ禍になりました。それまでは,1年に30回程度の離着陸を経験していた私の飛行機利用も,ここ2年は,2021年に1度北海道へ行ったときに利用したきりになっています。
 再び,旅行が可能になる日が来るのか,そしてまた,そのときに私が再び海外旅行をする気になるのかはわかりませんが,ここで,私が楽に海外旅行ができるようになった2年前のときの方法を思い出してまとめておくことにします。

●空港
 まず,空港について書きます。
 以前,ハブ空港について書きました。日本では,東京は,成田空港がハブ空港扱いだったのですが,その後,東京は不便な成田空港から都心の羽田空港にハブ空港の役割がどんどんと移行しています。これで,東京に住む人にはずいぶん便利になったようですが,手狭な羽田空港ではハブ空港としては十分でなく,また,そのために,成田空港の位置づけもあいまいになってしまいました。
 私の住んでいる愛知県には,セントレア・中部国際空港があります。しかし,私が行きたかったところ,つまり,アメリカ,ヨーロッパ,オセアニアのうち,セントレアから直行便でいくことができたのは,ヨーロッパ各地にはフィンランド航空で直行便のあるヘルシンキを経由すればいいので便利だったのですが,アメリカには,デルタ航空で直行便のあるハワイとデトロイトだけ行くことができただけなので,何度も書いていますが,これでは,アメリカの西海岸とオセアニアに行くには不便でした。
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 そこで,セントレアをあきらめて,アメリカ西海岸へは羽田空港からのデルタ航空を利用してシアトルかロサンゼルスへ,また,オーストラリアには成田空港からのカンタス航空でブリスベンか,もしくは,羽田航空からのシドニーということになりました。ニュージーランドもブリスベンでトランジットします。
 セントレアからは,羽田空港や成田空港に行く国内線のフライトがあるにはあるのですが,10,000円以下で乗れるのは午前7時50分ごろ発のJAL便と午前7時55分ごろ発のANA便,そして,午後8時40分ごろ発のJAL便だけで,それ以外は20,000円以上もするのでは,羽田空港や成田空港でトランジットするのも待ち時間が多すぎてたいへんでした。
 となると,航空便を利用する以外には,名古屋から東京まで新幹線で行って,成田空港へは東京駅からバス,羽田空港なら品川から京急電車に乗ることになります。成田空港へ成田エクスプレスなどの列車でいくのは,遅れたり不通になるリスクが大きすぎ,実際,そんな経験をしているのでやめた方が無難です。
 いずれにしても,交通渋滞とか気象によるフライトの遅れ,さらには電車の架線事故などがあるので,名古屋にしても東京にしても,日本の空港に着くまでが最も緊張しました。これが,1番の旅の不確定な要素だったのです。

●フライト
 次にフライトについて書きます。
 私はデルタ航空はマイレージがたくさんあるので,毎回,それを使って自分でアップグレードしたり無償でアップグレートされたりしたので,機内は楽に過ごせました。フライトは,帰りは時差ボケしても問題がないのですが,行きのほうが大変なので,アップグレードすると快適な旅ができます。
 フライトは,東に向かうときのほうが時差ボケがひどいものです。そこで,アメリカに行くときに苦労するわけですが,行きのフライトは,無理に寝ようとすると到着後ずっと睡眠不足に悩まされることにもつながるので,結局は何も考えず自然体で過ごすのが一番だというのが,何度も旅をした私の経験から得た結論でした。
 ヨーロッパに行くときに利用していたフィンランド航空は,10,000円ほど余分に出費をすれば常にエコノミーコンフォートにアップグレードできたので,これを利用しました。夜がなくなってしまう東に向かうことに比べると西に向かうのは昼が8時間ほど長いだけなので特に時差ボケの心配もないから,エコノミーコンフォート程度のアップグレードで充分楽だったのです。
 オセアニアに行くときは時差の心配もないので,フライト自体は楽です。オーストラリアやニュージーランドには主にカンタス航空を利用していました。カンタス航空は,サービスも乗り心地も悪くはないのですが,座席のアップグレートの方法もよくわからないし,マイレッジも席種によってついたりつかなかったりと,未だによくわかりません。というか,マイレッジに限らず,私にはオーストラリアというところがいい意味でも悪い意味でも大雑把で,かつ,あいまいでよくわかりません。その点,フィンランド航空の方がずっときちんとしています。血液型で差別をしてはいけないのですが,いわゆる,オーストラリはO型性格の国であり,フィンランドはA型性格というか,そんな気がしています。航空会社の違いというのは,そうしたその国の人の個性を反映しているかのようで,これもまた,なかかな興味深いものです。
 では,日本はどうかって? そう,日本の航空会社は,いい意味でも悪い意味でも日本人らしく,みせかけだけはサービス満点,しかし,しなくていいような無駄の塊で合理的がまったくなく,しかも,下心満載の「おもてなし」,ここでもまた日本らしい,つねに「やったふり」です。


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 エアーズロックに登ったのは2019年春のことでした。
 「エアーズロック」(Ayers Rock)という名称は,1873年,イギリスの探検家ウィリアム・ゴス(William Christie Gosse)が発見し,当時の南オーストラリア植民地の首相ヘンリー・エアーズ(Henry Ayers)にちなんで名づけたもので,オーストラリア先住民のアボリジニはピチャンチャチャラ語(Pitjantjatjara)で「ウルル」 (Uluru) といいます。
 エアーズロックはオーストラリアのほぼ中央に位置する世界で2番目に大きい1枚岩で,比高335メートル,標高868メートル,周囲は9.4キロメートルです。
 なお,世界で最も大きい1枚岩は,パース(Perth)から約1,000キロメートルの距離にある「マウント・オーガスタス」(Mount Augustus),アボリジニのワジャリ族 (wadjari) の人々からは「バリングラ」 (Burringurrah) とよばれているもので,エアーズロックの約2.5倍の大きさがあるそうです。

 若いころに1度行ったオーストラリアですが,特に何もなく,それ以来ずっと行くこともありませんでした。
 南半球の星空を見たいと2016年にニュージーランドに行ったときに,オーストラリアのほうが近いということで,その翌年に久しぶりにオーストラリアに行って以来,毎年のように出かけるようになったのですが,私の頭にはエアーズロックはまったくありませんでした。
 それが,友人がエアーズロックに行ってみたいということで,2019年に出かけることになったのですが,もし,そんなことがなければ,私ひとりではおそらく行くこともなかったことでしょう。
 そもそも,あの雄大なオーストラリアの,それもまた,ど真ん中によくもまあ,行ったものです。

 今にして,行っておいてよかったとしみじみ思うのは,これもまた,コロナ禍で,私にはそれまでは本当に近かったオーストラリアがものすごく遠いところになってしまったことに加えて,2019年10月26日以降,エアーズロックに登ることが禁止になってしまったということもありました。
 エアーズロックにまったく興味のなかった私は,エアーズロックに登ることができるということすら知りませんでした。現地に行く少し前に登れるということをはじめて知ったのですが,まさか,登るとは思いませんでした。
 実際,私たちが行ったときは,まだ,登頂は禁止になっていなかったのですが,それでも,いろんな条件で登ることができない日のほうが多いということでした。その条件というのは,雨が降ったり前日に降ったりしたときは岩が滑るから禁止,風が強いときは禁止,35度を越す暑いときは禁止,さらに,アボリジニの人たちの儀式がある日は禁止,というもので,ネットで調べたところでは,年間で登ることができるのはわずか60日程度ということでした。3月といえば,オーストラリアはまだ残暑厳しいころでシーズンオフでもありました。

 私は「モッテいる」人間です。自分でも恐ろしいくらい強運の持ち主です。
 ということで,今回もまた運に恵まれて,前日まで10日にわたって登頂ができなかったこのエアーズロックに,私が行ったちょうどその日,偶然,登頂することができたのでした。
  ・・
 私が行ったときはまだ暑く,観光客はあまりいなかったのですが,エアーズロックの登頂が禁止となる直前の2019年の8月ころは,オーストラリアは冬で暑くなく,この岩に登ろうと,世界中から大挙して人が押しかけたことは,言うまでもありません。それが今日の最後の写真です。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 なぜあんな遠いところに気軽に出かけたのか,今思うと大胆なことでした。
 その国のこともほとんど知らなかったし,想いもなかったのに,オーロラ見るならここしかないということばだけでその気になって,しかも,英語圏でもないのに,ホイホイと車を借りて走り回ってきました。
 しかし,今日載せた写真はたまたま晴れているけれど,いつも頻繁に変化して天気が悪いからオーロラどころか星さえ見えず,雨ばかり。物価は異常に高くて,人は不愛想だったし,しかも,私が適当に予約したゲストハウスがかなりひどい所で,到着早々気持ちが落ち込みました。だから,行ってきたあとも行ってきてよかったという実感がありませんでした。
 この国にはそんな思い出しかないのです。
 ところが,今になって,行ってきてよかったなあ,また行きたいなあと,しみじみ思い出してしまうのです。
 それがアイスランドです。
  ・・
 この大西洋の孤島,地図で見ても,よくもまあ,こんなところに行ったものだと思います。私が行った中で最も遠い距離にある国です。
 しかし,実際は,私の住む愛知県のセントレアからフィンランドのヘルシンキまで直行便で行ってそこで乗り換えるだけで着くことができるので,アメリカのどこかの場所には,まず東京へ行って,そこからシアトルだのロサンゼルスだのまで行って,さらにトランジットしないと着けないから,アイスランドのほうがずっと簡単に到着できるのです。

 この国に再び行きたいと思うようになったのは,人が少ないのでストレスがないということと,雄大な自然が最高に美しいということです。
 このご時世,どこかしこも人だらけで,自然は破壊され,どんな場所もゴミだらけ廃墟だらけ,しかも,山の中のどこまで行っても人家があり,山小屋も混み合っていて,人の手が加えれていないところはどこにもないという,まったく救いのない日本には,行きたいと思うところも逃げ出す場所もありません。しかも,いつもどこでも,他人の目を気にしていて,主体性もなく,いい加減な情報を信じる人たちがうようよしていて,どうしようもない。おそらく,私がアイスランドを懐かしいと思うのはその反動なのでしょう。
 というわけで,私が一度行ったときに期待外れだと思ったことを逆手に取れば,というか,はじめからそうしたことのすべてを想定内のことにすれば,アイスランドは何と魅力的なところだったのか,と思うようになりました。そう思うと,私が日本で予約しておいたゲストハウスのひどさから逃げ出して現地で見つけて1泊したポツンと1軒家のペンションはなんとすばらしかったことか,と懐かしくなりました。

 考えてみると,私は,これまで大西洋を横断したことがありません。
 アイスランドの首都レイキャビックの空港にアメリカの航空会社デルタの飛行機が停まっているのに驚いたのですが,アメリカからアイスランドは最も近いヨーロッパなのです。
 であれば,もし,次回があるのなら,いっそのこと,アメリカから大西洋を横断してアイスランドに寄って,アイスランドからは,シベリア上空を通り帰国して,地球1周としゃれこんでみよう。そんな気持ちになってきたら,ますます行ってみたくなりました。

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 デジタル朝日の&Travelに「フィンランドで見つけた“幸せ”」と題したライターの内山さつきさんの文章が載っていました。少しだけ引用してみましょう。
  ・・・・・・
 「アイノラ」のことを思い出すとき,シベリウスのピアノの小品「樅の木」(The Spruce)がいつも静かに心の中を流れている。…
 そのメロディーに耳を傾けていると,かつての「アイノラ」に流れた家族のあたたかく美しい時間,そして,作曲家として成功した後も,ついに完成することのなかった幻の作品を追い求め続けた,シベリウスの沈黙のその内側へと思いをはせずにはいられないのだった。
  ・・・・・・
 フィンランドの作曲家シベリウス(Jean Sibelius)が1957年に91歳の生涯を閉じるまで暮らした場所はヘルシンキの北へ40キロメートルほど行ったヤルヴェンパー(Järvenpää)というトゥースラ湖(Tuusulanjärvi)のほとりの町にあります。ヘルシンキからは電車で行くことができます。この場所をシベリウスの妻アイノ(Aino Sibelius)さんにちなんで 「アイノラ」(Ainola)といいます。
 シベリウスは妻アイノさんと1904年にここに建てた住まいに移り住みました。

  ・・・・・・
 フィンランドを代表する作曲家シベリウスは,ドイツやロシアなどの作曲家から大きな影響を受けながら,フィンランドの伝統や自然に根ざした作品の創作に力を注ぎました。幼いころからピアノやヴァイオリンを学び,また,作曲も独学で身につけたシベリウスは,ヘルシンキ音楽院で学んだのち,ベルリンとウィーンに留学しました。
 フィンランドの民族的な要素を素材としたシベリウスの作品は,ロシアの圧政に苦しんでいたフィンランド国民によって支持され,国民の英雄として尊敬を集めました。
   ・・・・・・
 シベリウスは晩年作品を発表せず「ヤルヴェンパーの沈黙」(the silence of Järvenpää)とよばれているのですが,「アイノラ」で世界中から流れてくる自分の音楽を大きなラジオで聴きながら過ごしたといいます。
 私がこの地を訪れたのは2019年8月のことだったので,ここもまた,1年遅かったら行くことができないところでした。

 シベリウスは日本では愛好者が多いのですが,アメリカなどではそれほどでもないようです。
 フィンランドは世界一幸せな国といわれていますが,実際はロシアと長い国境を接しているために苦悩の歴史を背負っていて,しかも,緯度が高いことから寒く暗く,そうしたことがこの音楽を深いものにしているわけです。私はその染み入るような音楽がずっと好みでした。
 しかし,フィンランド,そして,この「アイノラ」に行ってみて,逆に切なくなりすぎて,聴くのをためらうようになってしまいました。それは,シベリウスが嫌いになったとかいうことではなくて,その苦悩を感じてしまったということにあって,それまでとは異なって,決して安易に聴くことができなくなったことにあります。
 そんな気持ちとは別に,「アイノラ」はとてもすばらしいところでした。
 私はフィンランドというと,まず,この「アイノラ」を思い浮かべます。本当に行くことができてよかったと思います。

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 私がずっと行きたかった四国の四万十川に行くことができたのは2020年2月のことでした。忍び寄るコロナ禍直前のことだったので,今から思うと夢のようです。
 四万十川はずっと気になっていたところだったのですが,私の住むところからは遠く,行くのに工夫が必要でした。お金をかければ簡単に行くことはできるのでしょうが,いつものこと,なるべく安価にと考えると,なかなか名案が浮かばないのでした。
 いろいろ調べて行くと,高知市まで高速バスで行くことができるのがわかりました。そこで。高知市からレンタカーを借りることにして,せっかく行くのならと,四万十川と同じように行きたかった足摺岬を加えて,同時に行くことにしました。

 やっと実現した四万十川は,予想以上にすばらしいところでした。
 今,私が日本国内でこれまでに行ってよかった,また行きたいと思うところは,東北地方とともに四万十川くらいのものです。
 素朴さがたまりません。また,私がこのときに宿泊したのは小さなゲストハウスでしたが,これもまた,四万十川の素朴さと相まって,忘れられないところとなりました。
  ・・・・・・
 四万十に 光の粒を まきながら
 川面をなでる 風の手のひら
     俵万智
  ・・・・・・
と詠った歌人の俵万智さんは四万十大使にということですが,この川を見て,その美しさに魅了されない人はいないでしょう。

 ところで,四国といえば,巡礼の地でもあります。
 私は今のところ,巡礼をする気持ちはまったくありませんが,足摺岬には第38番札所・蹉跎山補陀洛院金剛福寺があるので寄ってみました。そこで,この第38番札所の前の第37番札所・藤井山五智院岩本寺まではなんと84.0キロメートルあり,また,次の第39番札所・赤亀山寺山院延光寺までは53.1キロメートルもあるということを知りました。1日中歩き続けても着けません。以前,お遍路さんとお話をしたときに,高知県の西側がえらく大変だった,と言われた理由がよくわかりました。
 私は蹉跎山補陀洛院金剛福寺を訪れたときに,ぜひ,このふたつのお寺だけは歩いて訪ねてみたいと,このときは思ったものですが,今となっては,そんなことを思った自分が自分でないような気がします。
 いずれにしても,四万十川と足摺岬には,ぜひ,また,行ってみたいものです。


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 何度も書いているように,私は2016年度に放送された「旅するドイツ語」を見なかったら,おそらくウィーンに行くことはなかったでしょう。海外もいろんなところに行きましたが,ウィーンこそ,私が最も気に入った町となりました。
 しかし,思えば,ウィーンに行く前にフィンランドに行って,はじめて個人旅行でヨーロッパに行くことを知らなければ,気軽にウィーンに行けなかっただろうし,また,フィンラドに行ったのも,その前年,アラスカに行ってオーラを見なかったとしたら,それもありえなかったし,アラスカに行ったのも,アイダホ州で皆既日食を見なかったら行くこともなかったかもしれない,というように,すべてが糸で結ばれているのです。不思議な話です。
 「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないですが,「皆既日食がなければウィーンに行っていない」のです。

 さて,そのウィーンですが,私が知っていたのはクラシック音楽の都,というだけで興味はなく,高校時代に世界史を学んでいない私は,ハプスブルク家(Haus Habsburg)という存在もまったくといっていいほど知りませんでした。
 ウィーンでシェーンブルン宮殿(Schloss Schönbrunn)に観光で訪れたとき,同じ現地ツアーに参加した人が思わず言った「ウィーン会議」と「双頭の鷲」という言葉に打たれました。
 私にとっては「なんだそれは?」という感じでした。知らないことがあると無性に悔しくなる私は,帰国後,その言葉の裏にある意味をずいぶん勉強しました。

  ・・・・・・
 「双頭の鷲」(Doppeladler,Double-headed eagle)というのは頭をふたつもつ鷲の紋章のことで,東ローマ帝国や神聖ローマ帝国,それに関連したヨーロッパの国家や貴族などに使用されたものです。  
 「ローマ」の象徴としてローマ帝国の国章は単頭の鷲の紋章でしたが,その後も帝国の権威の象徴として使われ続け,13世紀の東ローマ帝国末期のパレオロゴス王朝(Palaiologos)時代に「双頭の鷲」の紋章が採用されたといいます。
 東ローマ帝国における「双頭」は「西」と「東」の双方に対するローマ帝国の支配権を表します。
 「ローマの後継者」の象徴として, また,「東ローマの後継者」の象徴として,東ローマ帝国の「双頭の鷲」は,その後も継承されました。そして,「西ローマの後継者」の象徴としてハプスブルグ家の紋章となり,さらに,オーストリア帝国,オーストリア=ハンガリー帝国,ドイツ国などに継承されました。
  ・・・・・・
 つまり,「双頭の鷲」というのは,日本でいえば「菊の御紋章」のようなものでしょう。
 私は,シェーンブルン宮殿に掲げられたこの「双頭の鷲」が,かつてのハプスブルグ家の権威と威厳を表わしていることに,ある種の怖さを見る思いでした。人間社会というのは,本当に魔訶不識なところです。

◇◇◇
太陽柱。

2月4日朝,太陽柱が見られました。
太陽柱(sun pillar)は地平線に対して垂直方向へ太陽から炎のような形の光芒が見られる現象です。
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 再放送ばかりのNHKBSPです。
 これもまた,いつごろの再放送でしょうか,昨年2021年9月上旬の早朝に「ヨーロッパ大横断・川の旅」という番組が放送されていました。オランダから9か国を巡って黒海まで,ライン川とドナウ川を豪華客船でクルーズするというものです。
 アメリカ資本の客船ということで,乗客は,アメリカ人のいかにも金持ちという年配の夫婦の人たちがほとんどでした。何でも「死ぬまでにやっておきたいことリスト」に入っているから参加したという話がインタビューされていたように,老後の楽しみ,のような人たちの船旅でした。
  ・・
 こうした船旅というのは贅沢な話で,私のような貧乏人には別世界のお話です。アメリカ人は,このヨーロッパの船旅のほかに,カリプ海やアラスカの船旅が「一度はやってみたいこと」のリストであるようです。
 船旅というのは,豪華客船に乗り込んで,連日,豪華な食事やショー,お昼間は甲板にあるプールで泳いだり,のんびりと景色をみたり,そして,名所になると船を停めて上陸するという,そんなツアーです。
 で,これを見ていて,私は思い出しました。

 2019年の夏,私はフィンランドのヘルシンキに旅をしました。はじめは予定になかったのですが,調べて行くうちに,フィンランドのヘルシンキからバルト海を渡ってエストニアのタリンまで往復,片道3時間の船旅ができることを知って,船旅を予約して楽しみました。私は,単なる船旅のつもりだったのですが,思い出したというのは,そのときに乗った客船がこの番組で出てきた豪華客船とほぼ同じだったということを,です。
 私は,そんな旅をする気持ちがあったわけでもなく,それは単に,タリンまで行く交通手段として選んだだけでした。だから,思っていたのは,日本の瀬戸内海フェリーとか,そういう類のものだったのです。
 しかし,私が乗ったのは,超豪華客船だったわけです。
  ・・
 船内には豪華なレストランもあったし,カジノもあったし,ショーもやっていたし,甲板に出れば,すばらしい景色を眺めることもできました。
 行きは,コンフォートクラスを選択して,ラウンジのようなところで過ごしました。そして,帰りはレストランで夕食を予約しておきました。その結果,期せずして,ものすごく豪華で贅沢な船旅が実現したのです。
 海外を旅行して感じるのは,こうした時間を楽しむという文化の違いです。コンサートホールひとつにしても,日本では,音楽を聴いた後にゆったりと食事を楽しむようなレストランすらなかったりしますし,列車でも,早く目的地につけばいい,とばかりに,今や,食堂車すらありません。学校や官公庁の建物もボロボロです。

 ヘルシンキとタリンを日帰りで往復することしか頭にありませんでしたが,後で考えると,こんな贅沢な船旅になったわけです。
 フィンランドとエストニアはユーロ圏内なので,別の国に行ったのに何の手続きも必要もなかったことも不思議といえは不思議だったし,単に船でバルト海を渡るつもりだったのに,実際は,憧れの豪華客船の旅を体験したのもまた,不思議なことでした。これもまた,本当にやっておいてよかったことです。今それをやろうと思ってもできないだけに,奇跡のようなものです。
  ・・
 このようなことのひとつひとつを思い出しても,一体私は,この数年で,どれだけ多くの奇跡のような旅をしたのでしょう。もし,次があるのなら,今度は,バルト海をスェーデンのコペンハーゲンやノルウェーのオスロまでの船旅を楽しんでみたいものです。

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 バスは,クイーンズタウン(Queenstown)から快調にワカティブ湖(Lake Wakative)の東湖畔を南下していきました。このあたりまで,あいにく天候がよくなくて,周りは霧,景色はほとんど見えませんでした。先に書いたように,まず無理だといわれていたのですが,私には行けるという確信がありました。それは,この日のミルフォードサウンド(Milford Sound)の天気予報が晴ということだったからです。
 行程の途中, ゲートがあって,このゲートが締まっているとミルフォードサウンドには行くことができず,そこで引き返すことになるということでした。ゲートに来ました。私は,祈る気持ちでいましたが,すんなりと通りすぎて,やった! と思いました。
 さらに進んでいくと,テ・アナウ湖(Lake Te Anau)を過ぎて,今度は険しい山岳地帯になりました。
 途中,氷河で浸食したU字谷の美しい景色が見られたり,「ケア」と鳴くからケア(Kea)と名づけらた鳥に遭遇したりと,ミルフォードサウンドに到着するまでにも,日本では見ることもできない絶景が次から次へと広がっていきました。ケアはマオリ語でのよび名で,ミヤマオウム(Nestor notabilis)のことです。
 こんな風景を見てしまうと,日本で「秘境」といわれる場所がすべてむなしくなってしまいます。
 やがて,最後の難関であるホーマー・トンネル(Homer Tunnel)に差しかかりました。
 ホーマー・トンネルはこの国道94最大の難所で,1935年から1953年まで実に18年を要して作られたそうです。狭いトンネルなので一方通行で,運が悪いとずいぶんと時間待ちをする必要があるのだそうですが,これもまた,運よくすんなりと抜けることができました。 国道94はホーマー・トンネルを抜けるとやがて下りはじめ,ついに,ミルフォードサウンド観光船の出るターミナルに到着しました。

 ミルフォードサウンドは晴れ渡っていました。ここは1年のうちで300日は雨で,年間降水量は6,000ミリメートル以上なのだそうで,こうして晴れていたのは奇跡的だということでした。 やがて観光船が来て,さっそく乗船しました。甲板の上に出ると,そこには写真などでよく見る風景が広がっていました。そのスケールはものすごいものでした。 ミルフォードサウンドは,ラドヤード・キップリング(Rudyard Kipling)という作家が「世界で8番目の不思議」(Eighth Wonder of the World)とよんだ場所です。
 ミルフォードサウンドはフィヨルドランドとよばれる地域にあって,690ヘクタールに及びます。1ヘクタールは100メートル四方なので,690ヘクタールは26キロメートル四方ということになります。ちなみに,東京ドームは4.67ヘクタールです。ミルフォードサウンドは世界遺産ですが,日本にあるようなチンケな世界遺産とは全く違っていて,正真正銘,これぞ世界遺産とよべる場所です。 周辺の地層は古く,一部は4億5,000万年前のものだといいます。4億5,000万年前というのはオルドビス紀(Ordovician)といわれる時代で,地球上に魚類が出現したころになります。また,このあたりのフィヨルドの海は2層に分かれていて,上の部分は山から流れてきた淡水,それより下は海水で,それらは混ざり合うことなく層をなしているそうです。
 船は1時間ほどでタスマン海(Tasman Sea)まで出ました。この先にオーストラリアがあります。船はここでUターンをして再びミルフォードサウンドの波止場に戻ることになります。途中にレディ・ボーエンとスターリング(Lady Bowen and Stirling Falls)というふたつの滝がありました。また,岩の上にはオットセイを目撃することもできました。
 それにしても,何と雄大な景色だったことでしょう。ここを見ずしてニュージーランドを語ることはできないと強く感じました。それとともに,偶然,天気がよい日にこの地を訪れることができた幸運を感謝しました。
 これが,奇跡に奇跡が重なった私の2度目のニュージーランドの旅でした。

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 2020年の春までの2,3年の間に出かけたところのそのひとつでも実現していなかったとしたら,今ごろはずいぶんと後悔していただろうなあと考えると,それらのすべてが実現したのは本当に奇跡的なことに思えます。
  ・・
 私は2018年の秋に2度目のニュージーランドに行きましたが,それは,1度目に行ったニュージーランドの南島にあるテカポ湖で写した星の写真の一部に雲がかかっていて満足できず,快晴の星空の写真が写したいという一念で出かけたものでした。
 それにしても,あとで考えると,というか,かなりいい加減な話なのですが,2度目に出かけたら今度は快晴の星空が見られるなどという確信があったのもまったく保障のないことだったわけです。私はそのことを,なぜかうっかりしていました。
 しかしまあ,幸運なことに,2度目の旅では本当に奇跡的に晴れて,雲ひとつない星空の写真を撮りたいという夢は実現してしまったのです。

 さらに,このときの旅ではもうひとつぜひ行ってみたいと思っていた場所がありました。それは,南島のミルフォードサウンド(Milford Sound)でした。
 しかし,調べてみると,ミルフォードサウンドもまた,行くにはかなり困難なところだったのです。近くに町がなく,最寄りの町であるクイーンズタウン(Queenstown)からは車で行くには遠すぎました。
 探しに探して,なんとか現地ツアーを見つけ出すことができたので参加しましたが,前回書いたオーストリアのハルシュタット同様に,今思い出すと,現地ツアーを見つけ出したことも奇跡的な話で,行くことが実現できたのが夢のような話だったのです。それは,遠いだけでなく,ミルフォードサウンドはいつも天気が悪く,気象条件によっては道路が閉鎖されて,途中で引き返さなければならないことが少なくないということだったからです。私が行ったのは10月で,気候が日本とは反対のニュージーランドはまだ初春。観光シーズンは11月だったのです。事実,私が行った日も途中までは雪混じりの天気で,出発するときには,まず無理だといわれていたのです。そんな事情だったのにも関わらず,幸運にも道路は閉鎖されておらず,しかも,到着したらすっかり晴れていました。
 たとえ行くことができたとしても,ミルフォードサウンドが晴れる確率は1割もないということでした。これもまた,オーストラリアのエアーズロックに登ることができたことと同様,奇跡的なことでした。もし,行くことができていなかったら,今ごろ,ずいぶんと後悔していたことでしょう。

 ちなみに,サウンドというのはニュージーランドの英語で「入り江」のことです。
 最寄りの都会であるクィーンズタウンからミルフォードサウンドまでは直接距離は100キロメートルほどとそれほど遠くはないのですが,山また山で最短距離で行く道がなく,道路はクィーンズタウンからUの字に迂回していて,片道,有に4時間以上かかりました。そこで, ツアーは早朝7時出発で帰りは夜の7時到着ということでした。しかしそれでも,バスに乗っている時間が8割で現地の観光が2時間弱しかなかったのです。であっても,行く価値は十分ありました。

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 ウィーンに憧れ,行ってほれ込んでしまったオーストリアでした。行けるとも思っていなかったザルツブルグ(Salzburg)も望外に訪れることができて,さらにほれ込んで,2度目の2019年晩秋にはハルシュタット(Hallstatt)にも行くことができました。
 「地球の歩き方」を読んでみると,オーストリアには,さらにさらに魅力的なところがたくさんあるのですが,アメリカと違って,車を借りて走り回れるとはどうも思えず,かといって,公共交通機関を使って旅をするには,かなりの計画性が必要だなあ,と思っていました。そんな折にコロナ禍になってしまい,旅は中断したままとなっています。
  ・・
 「3度目の壁」。
 これまで,いいなあと思ってリピートしたところは世界中に数あれど,3度目のリピートをするほどの魅力のあるところは少ないものです。しかし,これまで2度行ったオーストリアはすばらしいところ,また旅ができるようになるとは到底思えないこのごろですが,もし可能になったとしたら,「3度目の壁」を越えて,真っ先に行ってみたい国です。
 また,私にはオーストリアは高値の花でもあります。それは,美しい女性を遠目で見るだけなのと同じで,なかなかその実態がわからないということです。その理由は公用語がドイツ語ということも理由です。気楽にオーストリアの山岳地帯の民宿に泊まれると思えないと,怖気づいていて,どうも英語圏のように気楽に旅ができないと思ってしまうのです。若いころにもっとまじめにドイツ語を勉強しておけばよかったと後悔しています。

 歴史的に見れば,オーストリアは大国でした。戦争に敗れ,小国となり,現在,オーストリアは自治権をもつ9つの連邦州(Bundesländer)からなる連邦国家です。
 州には独自の司法制度をもたず,また,立法も,外交・国防や金融財政から商工業・文化・医療などにわたるまでが連邦政府の専権事項となっているので,州といってもアメリカのような独立したものではありませんが,州民の郷土意識は強いといいます。
 9つの州は次のものです。
  ・・・・・・
 ①ブルゲンラント州(Burgenland)
 ②ケルンテン州(Kärnten)
 ③ニーダーエスターライヒ州 (Niederösterreich)
 ④オーバーエスターライヒ州 (Oberösterreich)
 ⑤ザルツブルク州(Salzburg)
 ⑥シュタイアーマルク州( Steiermark)
 ⑦チロル州(Tirol)
 ⑧フォアアールベルク州( Vorarlberg)
 ⑨ウィーン(Wien)
  ・・・・・・

 私がオーストリアで,ウィーン,ザルツブルグの次に行きたかったのが,このハルシュタットでした。ところが,ハルシュタットという名前は有名なのに,調べても,どこにあるのか,それが地名なのかさえ,なかなか把握できませんでした。私がハルシュタットに行こうとしてやっと見つけて参加した現地ツアーも,ザルツカンマーグートへの旅,とありました。今度は,ザルツカンマーグートって何だ? という感じでした。
 調べてみると,次にことがわかりました。
 ザルツカンマーグート(Salzkammergut)は地方の名前で,先に書いた9つの州のうちオーバーエスターライヒ州とザルツブルク州にまたがるオーストリアの観光地です。ザルツブルク市の東方に位置します。ザルツカンマーグートは「塩の御料地」の意味で。かつて,この地方の価値ある塩鉱がハプスブルク帝国の帝国直轄地だったことに由来しています。
 私が憧れた,そして行くことができたハルシュタットは,オーバーエースターライヒ州に属する小規模な基礎自治体「ゲマインデ」(Gemeinde)のことで,ザルツカンマーグート地方の最奥に位置する景勝地ということでした。ハルシュタット湖(Hallstätter See)の湖畔にあって,周辺は,ザルツカンマーグート地方のハルシュタットとダッハシュタインの文化的景観」として、ユネスコの世界遺産に登録されています。
  ・・
 「世界で最も美しい湖畔」といわれるように,期待どおり,素朴で美しいところでした。
 ウィーンから日帰りで行くには遠く,一時はあきらめていただけに,本当に行くことができてよかったと思います。それに加えて,私がこころに残るのは,その途中のバスの中から見たアルプスの景色でした。こんなに美しい山村があるのか,と思いました。

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◇◇◇
JWST reaches its final destination a million miles from Earth.

The James Webb Space Telescope has reached its final destination, almost a month after launch.
JW

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 2018年春,第76期将棋名人戦の第5局が名古屋大須の万松寺で行われました。その前日の夜,前夜祭が近くにホテルで行われ,参加費を払って行ってきました。
 一度は行ってみたいと思っていただけにその機会ができて,とても楽しい時間が過ごせました。
 その後はコロナ禍になってしまい,こうした機会もなくなって,本当にあのとき行っておいてよかったと思ったことでした。

 2018年というのは今からわずか4年近く前のことなのですが,それ以来,将棋界はずいぶんと様変わりしたものです。
 このときの対局者は名人が佐藤天彦さんで,挑戦者が羽生善治さんでした。この名人戦で勝って羽生善治さんが100回目のタイトル獲得となる筋書きだと思っていたのですが,その予想は外れました。
 まだこの時期は,今輝く藤井聡太現竜王のブームがはじまったころで,名人戦に登場するのはずいぶん先のことのように思えました。また,羽生善治さんは絶対王者でした。

 前夜祭は,はじめに参加した棋士の紹介にはじまり,懇談会,そして,最後に一緒に写真を撮ることができました。
 テレビでしか見たことがない棋士の人たちといろいろとお話ができたのがとてもうれしいことでした。
 これも将棋界ならではの話で,他のスポーツやタレントさんではこうはいきません。
 なかでも,藤井聡太竜王の師匠である杉本昌隆さんとお話ができたのはよかったです。

 将来,また,こんな機会が一日も早くできるようになればいいなあと思います。それとともに,この機会を逃さなかかったことに,今更ながらこれもまた幸運だったものだとつくづく思うのです。
 運は周りにいくらでもあるのですが,それを手に入れることができるかどうかは自分の行動にかかっているのです。


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 今から40年以上前は,日本将棋連盟の建物といっても,東京も大阪も1軒家のようなところだったようです。時の名人だった大山康晴が会長となって尽力して,ともに立派なビルができましたが,おそらく,それを作るのはすごく大変なことだったと思います。
 そうして作られた関西の将棋会館ですが,館内に将棋博物館があるというので,できたころに一度行ったことがあります。それはつい昨日のような気がするのですが,ずいぶん昔のことだったわけです。また,できたばかりの東京の将棋会館の地下には確か「歩」(あゆみ)とかいう名前のレストランがありました。

 今は,東京の将棋会館の地下のレストランはなくなり,関西の将棋会館の地下の将棋博物館もなくなったようですが1階にはレストラン「イレブン」があります。
 このごろは将棋メシといって話題となるので,このレストランも有名になりました。将棋連盟の建物内にあるとはいえ,将棋連盟が経営しているものはないということすら知りませんでした。私はてっきり社員食堂や大学の食堂のようなものだと思っていました。
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 話題になったので,一度は行ってみようと思ったのですが,休業日だったりして,なかなか実現しませんでした。それが昨年やっと寄ることができて,私は,そこで写真にある「珍豚美人」(ちんとんしゃん)を注文しました。これは豚のてんぷらにセサミソースをたっぷりかけ,つけ合わせとしてマッシュポテトとニンジンがついたものです。
 中途半端な時間に行ったので,だれか棋士の先生がいないかな,と期待したのですが,だれにも会うことなく,残念でした。
 また行って,今度は藤井聡太二冠の好物である「バターライス」でも注文したいなあと思っているのですが,このご時世ではなかなか実現しません。

 と思っているうちに,40年も経って老朽化し,また,手狭になったので,関西将棋会館が高槻市に移転することが決まったそうです。将棋で町おこしをしようと考えた高槻市に拍手です。しかし,レストラン「イレブン」は移転しないということです。また,東京の将棋会館もどこだかのビルに移転するようです。
 大阪にまったく詳しくない私は,高槻市なんて,大阪市からすごく遠いイメージなのですが,調べてみると,京都市と大阪市の中間あたりで,まったくそんなことはないのでした。私が知る高槻市は戦国時代のキリシタン大名である高山右近です。さらに調べてみると,この辺りはおもしろい史跡がたくさんあるようなので,また,世の中が落ち着いたら行ってみたいと思いました。きっとそのころには,移転なった新しい関西将棋会館ができていることでしょう。
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 高槻周辺はキリシタン大名として有名な高山右近の領地であったことから,熱心なキリスト教信仰の地として知られ,1581年(天正9年)には,領民の70パーセントを超える1万8,000人がキリシタンとなっていました。 高山氏よりも前に城主だった和田惟政も宣教師フロイスと親交があり,キリスト教を積極的に受け入れ,キリシタン文化の定着に寄与しました。
 高山氏の居城であった高槻城は,江戸時代には岡部氏を経て高槻藩永井家の居城となっていましたが,明治に入り廃城となり,高槻城の跡には「陸軍工兵第四大隊」が置かれました。
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将棋メシの話に関連して,以前東京に行ったとき,千駄ヶ谷の東京将棋会館近くの,これもまた,将棋メシで有名なレストランや食堂を巡ってみました。そして,「みろく庵」で食事をしてきました。私が行ったときは,まだ,「みろく庵」が閉店するまえだったので,そんなことは知らず,これもまた,行っておいてよかったと,後になって思ったことでした。

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 「日本に目を向ければ,私は,夏にぜひ見たいと思っていた行事がふたつありました。そのひとつは京都・五山の送り火です。もうひとつは次回書きます」と前回書きました。もうひとつは徳島の阿波踊りです。日本では,お盆といえば盆踊り,盆踊りといえば,なんといっても徳島の阿波踊りです。
 近年,テレビで毎年のように徳島の阿波踊りが中継され,それに魅せられて,一度は見たいものだと数年前から思っていました。しかし,後で知ったことには,徳島の阿波踊りが今のような観光目的の一糸乱れぬものになってしまったことにさまざまな意見があったようです。そしてまた,運営についても,いろいろな問題が起きていたらしいです。難しいものです。

 さて,話を戻しまして,一度は見てみたいものだと思っていた徳島の阿波踊りを,2016年についに見にいくことができました。
 行くのも大変だったし,徳島市内では宿泊する場所を見つけるのもまた難しいことでした。
 実際に行ってみてわかったのですが,午前中に到着すれば駐車する場所も何とかなるし,泊まるところもひとりならなんとななるのでした。しかし,そんなことは知らないので,列車で行って,郊外になんとかホテルを見つけて予約をしました。
 海外旅行には慣れているとはいえ,日本国内を旅行するほうが,いろんな意味でずっと面倒だし困難です。

 到着した徳島市は,暑いし,人は多いし,そりゃ大変でしたが,思った以上にすばらしいものでした。今日の写真はすべてそのときに私が写したものです。徳島の阿波踊りは写真の被写体には最高です。
 先にも書いたように,阿波踊りは年々洗練されて,名古屋のどまつりとか土佐のよさこいなどとは違い,一糸乱れぬ踊りとなっていました。私はどまつりとかよさこいはまったく興味はありませんが,岐阜県郡上市の郡上踊りには興味があります。郡上踊りは阿波踊りとはまったく正反対で自由参加の素朴さがとてもすてきです。これは子供のころに見たことがあります。
 阿波踊りで踊るグループを「連」といいますが,中でも上手な「連」を「有名連」といい,そこに入るのが徳島の人たちのステータスだそうです。また,「有名連」の中でも,「娯茶平」(ごじゃへい)という名前の「連」が最も人気があります。この「連」の連長さんは岡秀昭さんで,テレビの中継でもいつも解説を担当されていたので,私はひと目みたいものだと思っていました。

 そんな阿波踊りだったのですが,これもまた,昨年は中止となってしまいました。今年は規模を縮小して行うそうです。コロナ禍の前に行っておいてよかったです。

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 私は,子供のころ貧しい家で育ったので,家にはクーラーもなく,夏休みは,暑いお昼間は狭い部屋でごろごろするしかありませんでした。1日か2日,海水浴に連れていってもらった以外,特に何かしてもらったこともありませんでした。しかも,父親は。普段はまったく子供に関心もないくせに,海に行くのに宿題を持参させて,午前中は海の家で「お勉強」をさせられました。
 そんな毎日,夕方,玄関先でデッキチェアーに座って夕涼みをするのだけが楽しみでした。
 昆虫採集をしたくても街中では虫もいないし,星も見えないし,駆け回る野原もありませんでした。
 だから,夏がきらいでした。
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 学校から課せられた夏休みの宿題なんて,究極的な時間のムダでした。子供の目にも適当につくったとしか思えないドリルなんて,やったところで,ときめきがあるわけでもなく,簡単すぎて知っていることが書かれているだけで,ただページを埋める作業をしたものでした。
 自由研究といっても,どうするかという事前の指導があるわけでもなく,上手にやってきた仲間はほとんど親の手が入っていただけだったし,親が何もしてくれない私は,お小遣いだけでどんな研究ができるの? という感じでした。他人の親を羨む気持ちだけが育まれました。
 そんな宿題など一切やめて,小汚い山の家にでも泊まりこんで,1日中川遊びをしたり,魚釣りをしたり,夜は星を見たり花火をしたりするほうがずっといいと思っていました。そのほうがどんなに有意義なことだろうと…。
 今もそう感じます。

 そんな日本の夏。さらに私の気持ちを暗くするのが,終戦記念日と高校野球でした。
 この時期になると,きまって太平洋戦争の番組が放送されて,気が重くなりました。私が子供のころは,テレビで「同期の桜」というドラマが放送されていたりと,まだまだ戦争は身近な時代でした。
 また,夏の暑い日差しの中でどうしてお昼間に野球なんてやるのか,それもまた不思議でした。しかも,選手はグランドで監督に叱られ,練習ではしごかれ,そんな姿が放送されていました。そこには,青春という飾り文句に隠された忍耐とか根性とか。そして,坊主頭の強制とか。感動の押し売りとか。だから,私はスポーツを美談として語ってほしくないし,それは今も同じです。
 高校野球は,リベラルで知られる朝日新聞が手のひら返しをしている季節でもあり,そしてまた,朝日新聞となかよしのNHKが公共の電波を使って私立高校の宣伝をしている季節でもあります。

 それでも,大人になってからの夏は,嫌なことばかりでもなくなって,特に近年は海外旅行の絶好の時期でした。これまでずいぶんといろんなところへ出かけたし,いい思い出がたくさんできました。海外は日本のように蒸し暑いという気候でないのと,人々の明るさに救われました。
 日本に目を向ければ,私は,夏にぜひ見たいと思っていた行事がふたつありました。そのひとつは京都・五山の送り火です。もうひとつは次回書きます。
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 五山の送り火を,ずいぶん以前から一度でいいから京都で見てみたいものだと思っていたのですが,おそらくすごく混雑するだろうと,行くのをためらっていました。それが,一度行ってみて,その様子がわかってからは,毎年のように出かけるようになりました。 京都の夏はものすごく暑いのですが,それでも,お昼間を快適にすごす方法はたくさんあります。洛北に出かけてもいいし,街中を歩いても,冷たいものを食べる気の利いたところがたくさんあります。
 そして,日が沈むと鴨川べりは涼しい風が吹いてきます。そして,やがて,送り火が灯ります。
 私は,五山の送り火の中で嵐山で見ることができる船形だけはちょっぴりしか見たことがないのですが,それ以外はしっかりと見ました。写真もたくさん写しました。「妙」と「法」は山が低いので見るのが難しいのですが,鴨川べりを北に歩いていくとその姿が眺められます。
 そんな五山の送り火ですが,この行事もまた,このコロナ禍で縮小して行わざるをえなくなりました。今となっては,これまでに行っておいて本当によかったと思います。コロナ禍でも名所旧跡は行くことができますが,こうした行事は今後も同じようにできるとは限りません。
 果たして,コロナ禍が収束して,以前のように行うことができる日は戻ってくるのでしょうか。


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