しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:見るのに覚悟がいるドラマ。でもおもしろい

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 大河ドラマ「平清盛」を続けます。
 第15回「嵐の中の一門」で,常盤御前が登場しました。常盤御前は源義経の母です。
 私は,子供のころ,よく京都の鞍馬寺に連れていってもらったので,そこで,「義経背比べ石」というものを身近に見ていました。また,市バスが五条大橋を渡るので,「京の五条の橋の上,大のおとこの弁慶は長い薙刀ふりあげて,牛若めがけて切りかかる。牛若丸は飛び退のいて...」という歌があることを聞いて,牛若丸と弁慶という名を知りました。しかし,そうした知識は童話的であり断片的でした。1993年に放送された大河ドラマ「炎立つ」で,源義経が東北の藤原三代に匿われたことが取り上げられていて,どうしてこの地に源義経が関わっているのか? と驚いたことすらありました。
 また,旧中山道を関ヶ原宿から柏原宿まで歩いていたとき,途中に「常盤御前の墓」があって,これもまた驚きました。どうしてここに常盤御前?
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 1138年(保延4年)生まれの常盤御前は, 近衛天皇の中宮・九条院(藤原呈子)の雑仕女でした。
 雑仕女の採用にあたり,藤原伊通の命令によって都の美女千人を集められ,その百名の中から十名を選んだ中で,聡明で一番の美女であったといいますが,これもまた,「平清盛」で描かれました。
 やがて,源義朝の側室になり,今若,乙若,牛若を産みました。
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 第28回「友の子,友の妻」では,源頼朝の助命と常盤御前について描かれています。
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 平治の乱で捕らえられた源頼朝が平家盛の幼いころに姿が似ていたことから,母の池禅尼が哀れんで清盛に頼朝の助命を訴えたとありますが,ドラマでは,これをもとにしています。
 また,常盤御前は子供たちを連れて雪中を逃亡したのち,平清盛の元に出頭し,子供たちが殺されるのは仕方がないことだけれども,子供たちが殺されるのを見るのは忍びないから先に自分を殺して欲しいと懇願しましが,その様子と常盤御前の美しさに心を動かされた平清盛は源頼朝の助命が決定していたことを理由に,今若,乙若,牛若を助命しました。「義経記」や「平治物語」では,平清盛が常盤御前によしなき心を抱き,子供の命を盾に返答を強要したという内容が記されています。
 その後については、侍女と共に源義経を追いかけたという伝承があり,常盤御前の墓とされるものは岐阜県関ケ原町をはじめ,各所にあります。 
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 源頼朝や常盤御前の生んだ子供たちの命が救われたことが,やがて,平家滅亡につながるので,このあたりをうまく描く必要があります。でないと,ドラマは成立しません。「平清盛」では,こうした資料をもとにして,うまく物語が作られています。

 さて,平清盛に助命を認められた今若,乙若,牛若は,それぞれ別の寺院に送られました。
 今若はのちの阿野全成,乙若はのちの義円,そして,牛若がのちの源義経ですが,彼らの姿は「鎌倉殿の13人」にうまく描かれています。
 無知な私は,源義経については知っていましたが,阿野全成と義円が源義経の実の兄弟ということすら知りませんでした。
 このように,「平清盛」を見てから,改めて「鎌倉殿の13人」を見ると,まさに,伏線回収。その奥深さにのめり込むことになりました。これでまた,日本各地を旅する楽しみが増えたというものです。

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 第10回「義清散る」では,佐藤義清なる人物が詳しく語られるのですが,「佐藤義清=西行法師」だなんて,私には「何だ,そうならはじめにそう解説してくれよ」という感じでした。そう知っていればずいぶんと想い入れもできるのですが,知らずに見ていてもそれがわかりません。
 旅をしていると,吉野山の西行庵をはじめとして,西行法師ゆかりの場所がいろいろなところにあるのですが,私は,これまで,西行法師は和歌の達人,というイメージしかありませんでした。これを機会に調べてみると,もっともっとドラマのある人物でした。
 佐藤義清以外にも,「平清盛」では,明子,時子といった平清盛の妻や,鳥羽天皇の中宮皇后・待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ),美福門院得子(びふくもんいんなりこ)といった女性が出てきますが,もともと女性の顔の違いが認識できず,みな同じ顔に見えてしまう私にはすぐには区別がつきません。また,待賢門院璋子の子である崇徳天皇は顕仁(あきひと)という名だし,後白河天皇も雅仁(まさひと)だし,美福門院得子の子である近衛天皇は躰仁(なりひと)ですが,幼名だけで語られても,一度では理解不能です。せめて「後の〇〇天皇」といった字幕でもあればいいのですが…。

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  ながからむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ
    待賢門院堀河
  身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ
    西行法師
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というような,佐藤義清と待賢門院璋子の関係を暗示して,効果的に取り上げられている和歌も,この和歌を知ってはいても,こんなシチュエーションで詠まれたのか! と驚きました。いや,実際は,そんなシチュエーションで詠まれたものではないでしょうが,そんなシチュエーションを思い起させる歌だということでしょう。
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 「ながからむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ」は百人一首にある歌ですが,これは待賢門院璋子が詠んだものではなく,待賢門院璋子に出仕した待賢門院堀河が詠んだものですが,いずれにしても,関わりがあるのです。そう学べば,学生時代,百人一首の勉強にもう少し身が入ったものを,高等学校で習う百人一首は,参考書には文法については必要以上に詳しく書かれているのに,それを詠んだ人物や時代背景にはほとんど記述がありません。もし,その時代や人と人との関りを知っていれば,さぞかしおもしろかったのになあ,と悔しい思いをしました。
 このように,「平清盛」は,一度見るだけではわからないことが多いので理解不能ですが,時間のある今,何度も見直したり,わからないところは徹底的に調べながら見ていると,それがまあ,奥が深いドラマだ! ということがわかり,とても興味深いのです。また,真実かどうかは別として,その時代の逸話をさまざまな古文書から探し出して,それらをドラマの中にこれだけ多くちりばめられているのもすごいものだと感服しました。

 将棋の棋力がない人が難解な藤井聡太八冠の将棋の本当のおもしろさが理解できないように,このドラマを評価するには,ものすごく多くの知識が必要なのでしょう。そうでないのに,容易に批判するのは,自分が無知であるということを吹聴し,天に向かって唾を吐くようなものです。脚本家はそれをすべて計算づくで,浅学のあなたにはわからないんでしょう,とほくそ笑み,批判する人を値踏みしながら優越感に浸っていたのかもしれません。
 一方,現在は過保護な時代で,また,視聴率を気にするあまり大衆に媚びを売っています。大河ドラマでは,さまざまな関連番組が放送されたり,解説本が出版されたり,ドラマの冒頭でもていねいなあらすじの説明がありと,無知な私が見ても,理解不能ということはないのですが,以前は,そうではありませんでした。
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 話は飛躍します。
 こうしたドラマに限らず,リヒャルト・ワーグナーのオペラや,シェイクスピアの劇など,人類の財産ともいえる多くの芸術は,「平清盛」とは比べられないほど,もっと難解で,多くの知識がなければ,理解できません。それでも,それを評価し,楽しんでいる人がいるわけです。私はそれがとてもうらやましいです。せっかく生まれてきて,人類の財産である芸術作品のよさを味わえる能力さえ身についていないて,人生はなんと短いこと!

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 昨年,隠岐諸島に行ったとき,知夫里島で,文覚上人の墓,というものを見て以来,文覚上人なる人物に興味が湧いたことから,NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で市川猿之助さんが演じた文覚上人をまた見たくなりました。そこで,保存していた総集編を見直してみのですが,まったく出てきませんでした。そこで,「鎌倉殿の13人」の全話を見るにはどうしたらいいか,と思っていたら,NHKオンデマンドで見ることができるということがわかったので契約して,やっと見ることができました。
 文覚上人を登場させなくても,「鎌倉殿の13人」という物語は成り立つのでしょうが,脚本を書いた三谷幸喜さんが,その時代について調べているうちに,文覚上人は非常に興味をもった人物であるらしく,また,大河ドラマは真実を描いていない,などという学者気取りの人をあざ笑っているかのように,それをおもしろおかしくドラマに取り入れていたのが,脚本家の矜持というものでしょう。大河ドラマは歴史を題材としたあくまでドラマであって,でないと,単に受験勉強用の学校の歴史教材になってしまいます。
 せっかく契約したのだからと,NHKオンデマンドに存在する他の番組を調べていたら,「鎌倉殿の13人」以外にも過去の大河ドラマが多数存在していました。そこで,今日は,そんな過去に放送された大河ドラマのお話です。

 私がはじめてNHK大河ドラマにはまったのは,1973年に放送された「国盗り物語」でした。
 それ以来現在まで,最後まで見たもののあれば,途中で断念してしまったものもあります。途中で断念してしまったものには,つまらなかったものと,本当は興味があったけれど難しくてわけがわからなくなってしまった,というものがあります。そうしたもので,私がずっと気になっていたのが「勝海舟」「平清盛」「義経」の3作でした。
 「勝海舟」は,総集編だけ存在していてそれを見ることができました。総集編では物足りなかったのですが,とにかく,流れはわかりました。「義経」は,現在,NHKオンデマンドでは見ることができません。現在,すべてを見ることができるのは「平清盛」でした。
 私は,日本の歴史で,戦国時代と幕末にはすごく興味があったのですが,平安時代末期のことはそれほど興味もなく,大学受験で必要だった知識以外,ほとんど知りませんでした。「鎌倉殿の13人」も,放送する前はまったく興味がなかったのですが,見ているうちに引き込まれて,この時代に興味がわいてきました。
 「平清盛」は,主役が「どうする家康」でユニークな演技をしていた松山ケンイチさんということもあり,「鎌倉殿の13人」と今年放送される「光る君へ」の間の時代を描いたものということもあり,「平清盛」をきちんと見てみることにしたのですが,それがまあ,おもしろいこと!

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 「平清盛」は,2012年に放送された51作目のNHK大河ドラマです。
 平清盛の生涯を中心に、壇ノ浦の戦いまでの平家一門の栄枯盛衰を,源頼朝の視点を通して描いたものです。
 第1回から父・平忠盛が亡くなる第16回までが第1部,平清盛が平氏一門の棟梁となった第17回から保元の乱と平治の乱を経て公卿となった平清盛が嚴島に経典を納める第30回までが第2部,その後の第31回からが第3部です。内容豊富,ボリューム満点のドラマです。
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 このドラマは,放送当時,かなり不人気でした。その一方で,一部の人たちにはものすごく評価の高いドラマでした。私は,視聴率,などというものはどうでもよく,他人が見ようと見まいと,人気があろうとなかろうと,人は人で,どうでもいいのですが,それよりも,自分が興味があるのにわからない,ということが悔しかったのです。
 改めて見ると,このドラマが不人気だったのは,画面が汚いなどということを言った人がいるとかいないとかですが,実は,難しすぎたから,ということを再認識しました。このドラマを理解するには,山川出版社の「詳説日本史」なる高等学校の教科書程度の知識では不十分であり,書かれていないことばかりなのです。そもそも,この時代は,教科書程度の知識でも,保元の乱,平治の乱が,源と平の対決といった単純なものではなく,利害関係が複雑に入り交じっているし,人物の名前も似たようなものばかりだったので,受験勉強をしていたころの私は,さっぱりわかりませんでした。

 このドラマは,院政といって,白河天皇が幼少の子供に皇位を譲り法皇となって権力をほしいままにしているところからはじまります。次の堀河天皇は若くして亡くなったのでドラマ「平清盛」には出てこず,次のその鳥羽天皇がその不安定な地位に格闘しているというのが第1部です。
 第1部では,平清盛は白河法皇の落胤だった? とか,鳥羽天皇の本当の父は白河法皇だった? とか,崇徳天皇の父も鳥羽天皇ではなく白河法皇だった? とか,そのように伝わっている逸話などが取り入れられています。
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 「平家物語」の語り本系の諸本は,白河法皇の寵愛を受けて懐妊した祇園女御が忠盛に下賜されて,平清盛が生まれたとしています(=白河院落胤説)。また,読み本系の延慶本では,平清盛は祇園女御に仕えた中﨟女房の腹であったというように書いています。
 崇徳天皇は鳥羽天皇と中宮・待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)の第1皇子ですが,「古事談」には,崇徳天皇は白河法皇と待賢門院璋子が密通して生まれた子であり,鳥羽天皇も実父は祖父・白河法皇で,崇徳天皇を「叔父子」とよんで忌み嫌っていたという逸話が記されています。
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 こういう逸話を取り入れてドラマが作られているので,大河ドラマは史実に忠実でない,と批判する人がいたわけのですが,それが真実であろうとなかろうと,歴史の授業であるまいし,歴史を題材とした作り話,でいいじゃないか,と私は思います。このほうがおもしろいし,人間の本音を露骨に描くことができます。
 以下,次回に続きます。

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ISS.

2024年1月6日午前5時39分。
月齢23.9の月と金星の間を横切る国際宇宙ステーションです。
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