######
単にボケ防止と暇つぶしにNHKラジオ第2放送「まいにちドイツ語」を聴いている私ですが,ラジオ講座のテキスト以外に,前回書いた「英語と一緒に学ぶドイツ語」「英語から覚えるドイツ語単語」とともに購入した本があります。それは,講談社現代新書の「はじめてのドイツ語」という本です。この本はすでに絶版となっているのですが,古書を買うことができます。
アマゾンコムにつぎのようなコメントがあったのが購入したきっかけでした。
・・・・・・
(格変化という点で)ドイツ語は英語やラテン系諸語に比べてひとつ難しい要素が増えているといえなくもないのですが,本書ではこの名詞の格変化とそれと密接に関係する動詞による格支配および基本文型についての説明が充実していて、かつ、非常にわかりやすい!
(中略)とかく難しいといわれるドイツ語をぐっと身近なわかりやすい存在に引き寄せてくれている。
・・・・・・
実際に手に取って読んでみると,私には非常に難しい本で,期待していた内容とは違いました。
再びコメントを読んでいくと,次のものがありました。
・・・・・・
文法重視で「はじめて」にしては難しく,最後まで読めませんでした。もっとドイツ人の習慣とか,コラムでもいいのでドイツ語やドイツ人が身近に感じられる内容が欲しかったです。
・・・・・・
私の感想は,むしろこれに近いものでした。
想像ですが,講談社の編集の人は,おそらく,ドイツ語を知らない人が興味を持つような平易なものを期待して執筆を依頼したのではないかと思います。が,完成した原稿は,そうではなかったと。とはいえ,だからといって,この本に価値がないということではありません。
ピアノの練習やスイミングスクールなども同じですが,そこには,自分の生まれ持った才能が歴然とした大きな壁となり,そのために,プロにになりたいという意欲が生まれる人から単に楽しみでいいと悟る人まで,その到達目標がさまざまになるわけです。そこで,自分の到達目標にあう教材が必要である,ということです。
不思議なのは,学校教育では,だれしもが学者になるようなカリキュラムになっているということです。だから,学生のころ,そうした内容の勉強をしてきた,というか,させられてきたことになります。ところが,テレビの教養番組のそのほとんどは,見ている人を小ばかにしたような低次元のものばかりなのです。このことは私の友人も同じことを言っていました。しかし,実際は,見ている人の多くは本当に何も知らない。であれば,学校教育というは,単に点数争いをしているだけで,何もものになっていないし身についていない,それだけならともかく,むしろ,嫌いにしているだけ,ということになります。そうならば,学校教育というのは大いなる時間とお金のムダ使いをしているわけです。まあ,日本の教育行政は,塾とか参考書などの教育産業の育成のためにやっているようなものですから。
・・
2018年,はじめてオーストリアに行ったときに隣に座った人がドイツ在住の日本人で,当然のことながらドイツ語ができるというのに,私は驚きました。大学に入ってはじめて学んだ第2外国語,こんなにおそく,それも週に数単位だけ講義を聴いたところでどうしようもない,と当時の私は思ったのですが,実際は,そのころに勉強をはじめてもものになることがあるんだなあ,というのが衝撃でした。多くの人にとって第1外国語である英語すらまともに使いこなせないというのに…。
しかし,ドイツに住んでいるというのならともかく,また,職業で使うという人は別として,それ以外の人でドイツ語を学んだところでそれが必要になるという人がはたしてどれほどいるのだろうか,とも思っていました。私も,ドイツ語圏のオーストリアに行ったとき,ほとんどは英語で事足りました。ただ,乗っていた列車が途中で不通になっていて,代替のバスに乗らなければならなかったときと,利用した公共交通機関のチケットに書かれたドイツ語がわからなかったときだけ,ドイツ語を知っていたらよかったのになあ,と思ったくらいです。しかしそれもまた,スマホを使えば簡単に翻訳できました。
だから,自己満足と暇つぶしで楽しく接することができればそれでいいのかな,どうせ,ボケ防止が目的だから,とまったくできるようにならない私は強がっていたのですが,実際は,それを越えて,これまで知らなかったドイツ語圏の文化やら歴史に触れることができたのが,すごく興味深く,ためになるのでした。言葉の勉強は実はその言葉を話す人たちの文化を知ることだったのです。ならば,学校教育でも,世界史とか地理とか音楽とか美術は,語学教育とからめたほうがずっと効率的だし魅力的です。
それでも,ドイツ語は,しみじみ,難しい言葉だなあ,というのが,今の私の気持ちです。ドイツ人のもつある種の厳密さが,自らの言語を窮屈にしているような,そんな気にさせられます。それは,日本語のもつあいまいさといい加減さの真逆な世界です。
だからこそ,この先もずっと楽しめそうです。なにせ,いくら取り組んでも,さっぱりものにならないけれど,これまで知らなかった世界があまりに広いことに気づいたからです。
◇◇◇
大雪。
昨日1月14日の早朝は大雪でした。
光を当てて写真を撮ると,こんなに幻想的になりました。
◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは