しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:角館

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【Summary】
Kakunodate, known for its samurai residences, preserves its Edo-period streetscape. The Ishiguro and Aoyagi families played key roles in local history. The Ishiguro family served the Satake clan, contributing to education and town leadership. Aoyagi House, the oldest in Kakunodate, displays historical artifacts. Notably, Odano Naotake’s Akita Ranga art, influenced by Western techniques, left a lasting impact on Japanese painting.

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 武家屋敷で知られる角館は,1620年に芦名義勝が古城山の南麓に町を造ったことがはじまりといわれますが,今もなお江戸時代から変わらぬ町なみを残しています。
 武家屋敷の中には公開されているところがいくつかあります。そのなかで,私が訪れたのは石黒家と青柳家でした。

  石黒家は佐竹北家の佐竹義隣に召抱えられた石黒勘左衛門直起を初代とし,財政を担当する用人として佐竹北家に仕えました。8代石黒直信は,幕末から明治初めにかけて家塾「紅翠亭」を開き学問の普及に尽力した人物で,9代石黒直幹は晩年には角館町長を務め,10代石黒直豊は角館図書館の初代館長を務めました。 さらに,12代石黒直次は最後の角館町長を務め,合併後は仙北市の初代市長となりました。現在もこの武家屋敷に子孫が暮らしているそうです。
 また,格式高い薬医門で知られる青柳家は,角館に現存する武家屋敷のなかで最古の建物で,茅葺きの母屋の座敷に入って建物を主体に内部を見学できました。 四季折々の草花あふれる3,000坪の敷地内には,母屋,武器庫,解体新書記念館,秋田郷土館,武家道具館,アンティークギャラリー喫茶・ハイカラ館,幕末写真館,時代体験庵などがありました。
 私が特に興味をもったのは,青柳家と姻戚関係である小田野直武が描いた「解体新書」の挿絵でしたした。西洋の陰影法を取り入れ,後の洋画界に大きな影響を与えた秋田蘭画は,小田野直武と秋田藩主・佐竹義敦によって完成されたということです。

 このように,この国の江戸時代というのは,想像以上に人々の文化的水準と知性が高く,地方まで,そうした教養が行き届いていたことに驚かされます。

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【Summary】
Kakunodate, now part of Semboku City, retains its Edo-period samurai town atmosphere, with preserved buildings and structures. The Ishiguro and Aoyagi residences are open for public viewing. Aoyagi's estate is notable for its historical exhibits, including illustrations by Odano Naotake. Although preservation began in the 1960s, balancing tourism and maintaining a tranquil atmosphere remains a challenge.I prefer smaller, quieter samurai residences like those in Kaminoyama (Aomori) or Aki (Kochi) over popular tourist destinations.

大曲から北北東に走って,角館に着きました。角館町(かくのだてまち)は,2005年(平成17年)に田沢湖町,西木村と合併したので,現在は仙北市の一部ですが,現在も仙北市角館町として地名はそのまま残っています。
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角館は,1620年(元和元年)にこの地を領していた芦名義勝(あしなよしひろ)によって造られた町で,1656年(明暦2年)に芦名家が残絶したのちは佐竹北家に受け継がれ,秋田藩(久保田藩ともよばれる)の所領として城下町が形成されました。
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災害がなかったことで,現在も江戸時代末期時の屋敷割や,母屋・門・蔵の屋敷構え,枡形など武家町の特性が残されているので,まるで江戸時代に舞い戻ったかのような雰囲気があります。

町のはずれに広い駐車場があったので,そこに車を停めて,町を散策することにしました。
今から45年ほど前に東北地方を1周したことがあります。そのときに,田沢湖と角館には行ったように記憶していたのですが,今回行ってみて,どうやらそれは私の勘違いのようでした。私は,角館にははじめて来たのでした。
江戸時代のまま残されているとはいえ,町の中の道路は舗装され車も通ることができるし,やはり,こうした観光地は,インバウンドで多くの外国人が来ているので,がっかりしました。とはいえ,広い道路は,拡張したわけではなく,江戸時代のままの広さということでした。町の中は車の通行を禁止すればいいのに,と思いました。

武家屋敷の中に,3か所ほど,内部が公開されているものがあったので,私はそのうちの2つ,石黒家と青柳家を見学しました。
石黒家は,佐竹北家の佐竹義隣に召抱えられた石黒勘左衛門直起を初代としています。家格は家老格の小野崎家(200石)に次ぐ150石取りで,財政を担当する用人として佐竹北家に仕えました。
8代石黒直信は,幕末から明治初めにかけて家塾「紅翠亭」を開き学問の普及に尽力した人物で,9代石黒直幹は晩年には角館町長を務め,10代石黒直豊は角館図書館の初代館長を務めました。
さらに,12代石黒直次は最後の角館町長を務め,合併後は仙北市の初代市長となりました。現在もこの武家屋敷に子孫が暮らしています。
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格式高い薬医門で知られる青柳家は,角館に現存する武家屋敷のなかで最古の建物で,茅葺きの母屋の座敷に入って建物を主体に内部を見学できました。
 四季折々の草花あふれる3,000坪の敷地内には,母屋,武器庫,解体新書記念館,秋田郷土館,武家道具館,アンティークギャラリー喫茶・ハイカラ館,幕末写真館,時代体験庵などがありました。
私が特に興味をもったのは,青柳家と姻戚関係である小田野直武が描いた「解体新書」の挿絵でしたした。西洋の陰影法を取り入れ,後の洋画界に大きな影響を与えた秋田蘭画は,小田野直武と秋田藩主・佐竹義敦によって完成されたということです。

角館で保存の動きがはじまったのは昭和40年代のことで,重要伝統的建造物群保存地区として選定されたのですが,保存には多くの困難も伴うと想像できます。観光客が来てくれないと維持もできないのですが,観光客多くなると,落ち着いた雰囲気もなくなってしまうので,それはそれで問題です。
こうした観光地もいいですが,私は,これまでに訪れた中で,青森県の上山や高知県の安芸などに残る小規模な武家屋敷のほうが,何もないけれど,落ち着きます。

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