昨年2021年12月11日の朝日新聞読書欄で紹介された道尾秀介さんの小説「N」。大矢博子さんの文章から,はじめの部分を引用します。
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連作短編集,という形式の小説がある。収録された短編の登場人物や舞台などが共通しており,通して読むと長編になるものをいう。各編の中に終盤へ向けての布石や伏線が仕込まれるので収録順に読むのが前提だ。
ところがその前提を大きく覆す作品が登場した。道尾秀介の「N」である。なんと,収録された6章をどの順序で読んでも長編になる-しかも順序によって物語が〈変わる〉というのだから驚くまいことか。
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この文章を読んで,興味をもたない人があるのだろうか? 私もそれ以来ずっと気になっていたのですが,やっと読むことができました。
6章の小説は, まず,冒頭部分だけが掲載されていて,興味をもったものから読むことができるという趣向です。それらの小説は,無関係に思われるのですが,それが少しずつリンクしていて,どれから読むかによって印象がまったく違うというのです。
凝ったことに,紙の書籍は1章ごとに天地が逆に製本されています。
ということで,この小説は,多くの人が興味を示したようで,ウェブ上にもたくさんの感想が載っていました。しかし,どうしてでしょうか。そのどれも,およそ同じような表向きの紹介文が書かれてあるだけで,細かな分析や解説は,ネタバレであろうとなかろうと,皆目,そうした類のものが見当たらないのです。
私も,納得のいかないところは読み返してみたり,何度もページを戻したりして,苦労して読んだのですが,ここで細かく分析できるほどの理解ができませんでした。おそらく,作者はかなり手が込んだたくらみや意図があるのでしょうが,難解すぎて,また,複雑すぎて,それを味わえない私を情けなく思いました。また,自分の理解不足を棚に上げて書くことではないのでしょうが,それぞれの小説が,少し書き方が荒いというかわかりにくいので,戸惑ってばかりでした。こうした趣向があるからこそ,どの章から読んでも話がつながるわけですが,別の章を読んだときに出てきたはずの伏線を私は忘れてしまっているのです。
しかし,一度読んでしまった後で,再びじっくりと読んでみたとしても,あるいは,今度は,別の順番で読んでみたとしても,それでは,すでに他の話を知ってしまっているから,作者の狙いは果たせなのです。
ということで,正直言って,残念ながら,私には,宣伝文句ほどのものは味わえませんでした。
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むしろ,こういう趣向で書こうとするのなら,ひとつの事件を,それに携わった人それぞれの立場で別の小説として書いていく,というようなもののほうがずっとおもしろかったのに,と思ったことでした。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは