######
2024年6月30日に,大阪のフェスティバルホールで,井上道義指揮NHK交響楽団の演奏会を聴いたことは,すでに書きました。
せっかく大阪に行くのだから,午後4時からの演奏会の前にどこかへ行ってみようと,岐阜羽島駅から「こだま」の自由席で新大阪駅に着いたのは,まだ,早朝8時過ぎでした。
今回,私がぜひ行きたかったのは適塾でした。
・・・・・・
適塾(てきじゅく)は,正式名称を緒方洪庵の号である「適々斎」を由来とする適々斎塾(てきてきさいじゅく),別称を適々塾(てきてきじゅく)といい,緒方洪庵が江戸時代後期1838年(天保9年)に大坂船場に開いた蘭学の私塾で,幕末から明治維新にかけて,福澤諭吉,大村益次郎,箕作秋坪,佐野常民,高峰譲吉など多くの名士を輩出しました。現在の大阪大学医学部の前身です。
適塾は現存し,わが国唯一の蘭学塾の遺構として,また,江戸末期の大阪の船場町屋の遺構としても貴重なものとして,1976年(昭和51年)から実質5年を掛けて解体修理を行い,修復を機に広く一般に公開しています。
・・・・・・
私が適塾を知ったのは,1977年に放送されたNHK大河ドラマ「花神」でした。
・・・・・・
一人の男がいる。
歴史が彼を必要とした時,忽然として現れ,その使命が終ると,大急ぎで去った。
もし,維新というものが正義であるとすれば,彼の役目は,津々浦々の枯れ木にその花を咲かせてまわることであった。
中国では「花咲じじい」のことを「花神」という。
彼は「花神」の仕事を背負ったのかもしれない。
彼,村田蔵六。のちの大村益次郎である。
・・・・・・
からはじまるこのドラマは傑作でした。
「花神」は,周防の村医者から倒幕司令官に,明治新政府では兵部大輔にまで登りつめた日本近代軍制の創始者・大村益次郎を中心に,松下村塾の吉田松陰や奇兵隊の高杉晋作といった,維新回天の原動力となった若者たちを豪快に描いた青春群像劇で,司馬遼太郎さんの小説「花神」「世に棲む日日」「十一番目の志士」「峠」「酔って候」から「伊達の黒船」といった作品を脚本家の大野靖子がドラマ化したものです。
第1回は,長州の村医者出身の村田蔵六が蘭学修行のため大阪にある緒方洪庵の「適塾」の門を叩くところからはじまります。好学家で優秀だった村田蔵六は,特段野心があるわけでなかったのですが,時代がそれを許さず,技術者,そして軍人として故郷長州の動乱に巻き込まれていくのです。
私は,かつて一度,適塾を訪れたことがありますが,あまり記憶がありません。
公開されていなかった,と書いたブログもあり,入れなかった,という人もありますが,それがいつのことだったのか忘れましたが,私は内部も見学できました。その後,私も歳をとり,少しは知識も増したので,もう一度行ってみようと,数年前,大阪に行った折りに訪ねてみましたが,そのときは改装中で公開されていなかったので,今回,ぜひ,と思っていました。
この日は,改装されて新しくなった建物に入ることができました。そして,感激しました。歳をとって涙腺の緩くなった私は,この時代の若者の姿をイメージするだけで泣けてくるのです。
司馬遼太郎さんの小説「花神」に「蔵六は,塾のものとはあまりつきあいをしない。彼は物干し台が好きであった」と描かれている物干し台も現存し,緒方洪庵の像の背後に見ることができます。
◇◇◇

◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは
◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。











