しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:金沢

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【Summary】
After attending the Orchestra Ensemble Kanazawa concert, I checked into a nearby hotel and visited Kanazawa Castle and Kenrokuen's weekend light-up event. Though crowded and poorly managed, I explored the area out of curiosity. After a quick visit to Higashi Chaya District, I returned to the hotel for the night.

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 井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏会が終わって,今日宿泊する東横イン兼六園香林坊にチェックインしました。ホテルからお昼間に行った金沢城はほど近い場所です。いつものように,夜は特にすることもありません。私はテレビをつけることもないし,温泉旅館で夕食をとるとき以外は,旅先で出歩いたりお酒を飲むこともありません。
 金沢城と兼六園の一帯は,週末だけライトアップをしているということだったので,夕食を兼ねて行ってみることにしました。まず,近くにあったデパートの階上のレストランに行きました。空いているだろうと思ったからでしたが,やはりそうでした。
 話は逸れますが,今や,私が若いころの価値観は完全に崩れていて,オワコン化してしまったものも少なくありません。新聞や雑誌はもちろんのこと,テレビ,デパートなども同様です。こうした泥舟からはさっさと撤退したものがビジネスで生き残るのでしょう。

 その一方で,ライトアップはすごい人でした。これはこれで,何か対策をしなければ,単に人の頭を見るだけに終わります。東京の美術展なども同じで,コロナ禍のころが懐かしいです。立ち止まるな,という係員の声が聞こえるのですが,ライトアップを見にきて,立ち止まらないで何を見るというのでしょうか? あほみたいな話です。
 私は,そんなことは承知で,どういうものか興味半分で来てみたのですが,予想通りでした。お昼は有料の兼六園ですが,どういうわけかライトアップは無料です。入園料を2,000円くらいとってみれば,もっと優雅なライトアップになると思われますが,それはそれで,今や,夢の国でなく,金持ちだけの国と化したディズニーランドと同じことになります。とはいえ,金持ちなのに,ディズニーランドごときに行くこと自体,その人が成金のような気がしますけれど…。
 せっかく,時雨亭で,オーケストラ・アンサンブル金沢の原田智子さんがヴァイオリンの演奏をしていたのに,音楽を味わえるものでもなく,気の毒な限りでした。
 そんなライトアップもほどほどに,私は,散歩がてら,ひがし茶屋街まで足をのばして,そうそうに引き上げて,ホテルに戻って寝ました。

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【Summary】
Honda-no-Mori Park, established in 1978, spans 5.9 hectares on the former site of the Honda family's samurai residences during the Kaga Domain era. It features cultural institutions such as museums, a Noh theater, and is known for its serene and lush environment.

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 金沢城,兼六園と続く,さらに南東の地区に,本多の森公園(ほんだのもりこうえん)があります。
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 本多の森公園は石川県営の都市公園で,多くの文化施設が整備されています。公園開設は1978年(昭和53年)で,敷地面積は5.9ヘクタール(約5ヘクタールがプロ野球のグランド程度)。本多の森公園は加賀藩期の家老本多家の武家屋敷が軒を連ねていたところで,戦後は金沢美術工芸大学の用地でしたが,現在は,石川県立美術館,石川県立歴史博物館,加賀本多博物館,石川県立能楽堂,石川県立伝統産業工芸館,石川護国神社,国立工芸館などがあります。
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 公園内には常緑広葉樹林が多く散歩道が整備され,とても心落ち着くところでした。金沢城,兼六園と観光客でごった返していたのですが,この場所は一転して,ほとんど人のいないすばらしい場所でした。
 私は,休日の東京の様を連想して,レストランはどこも激混みだと思って,この場所にあったキッチンカーでカレーを買って,そのあたりのベンチで昼食をとりました。その後,石川県立歴史博物館へ入りました。
 なかなかすばらしい場所でした。もし,金沢市に住んでいたら,この場所はお気に入りになっていることでしょう。

 さて,こうして金沢市の観光を終えて,そろそろコンサートの時間が近づいてきたので,金沢駅に戻ることにしました。
 金沢市の中心街を香林坊(こうりんぼう)といいます。変わった名前で,どこかの寺ではないのかとはじめて来たときは戸惑いました。
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 町名の由来は,戦国時代,比叡山の僧であった香林坊が還俗してこの地の町人向田家の跡取り。向田香林坊(むこうだこうりんぼう)となり,以来目薬の製造販売に成功して「香林坊家」として繁栄したという説が有力です。
 江戸時代には商店街として共に発展,明治時代になり金沢城に旧制第四高等学校が開校したことから学生向けのカフェや映画館などが集積することとなり,北陸最大の繁華街となりました。
 一時期衰退しましたが,現在は,若者の街から大人の街へと変貌しつつあります。
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 この日は土曜日ということもあり,昼食をとるところもないのでは,と私はキッチンカーのお世話になったのですが,金沢市街は,意外や意外,食事をとる場所はいくらでもあるのでした。
 確かに,現在の金沢市は外国人観光客でごった返しているのですが,彼らのほとんどは,行く場所が限られていて,そこを少し外すと,昔の小京都金沢がまだいくらでも残っているのでした。

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【Summary】
Kenrokuen Garden, created in 1676 by the Maeda clan, was later restored and opened to the public in 1874. Though crowded, it felt more relaxing than Kanazawa Castle. However, I found Seisonkaku Villa, built in 1863 as a retirement residence, more appealing, especially its serene "Tsukushi Veranda Garden."

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 金沢城の南東に百間堀通りを隔てて,広さが約12ヘクタール(約5ヘクタールがプロ野球のグランド程度)の兼六園があります。以前行ったことがあると思うのですが,全く記憶にありませんでした。
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 1676年(延宝4年)加賀藩5代藩主・前田綱紀が金沢城に面する傾斜地にあった藩の御作事所を城内に移し,その跡地に別荘「蓮池御殿」(れんちごてん)を建ててその周りを庭園化したのが兼六園のはじまりです。
 1759年(宝暦9年)宝暦の大火で焼失しましたが,15年後の1774年(安永3年)から1776年(安永5年)にかけて,10代藩主・前田治脩(はるなが)によって再興され,庭園が整備されました。
 また,1822年(文政5年)11代藩主・前田斉広(なりなが)の依頼に応じて,白河藩主松平定信が兼六園と命名しました。
 明治時代になって,1874年(明治7年)から正式に一般公開されました。
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 かなり混雑していたのが難点でしたが,張りぼてだと感じた金沢城に比べたら,くつろげる場所でした。

 とはいえ,私は,兼六園の庭園以上に,成巽閣(せいそんかく)に興味をもちました。ここは入館料が必要なので,観光客がぐっと減るのが,また,よいのでした。
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 現在,歴史博物館として一般公開されている成巽閣は,1863年(文久3年)に加賀藩12代藩主・前田斉泰が母・真龍院の隠居所として建てれらたものです。
 金沢城から見て巽の方角(東南)にあること,京都の鷹司家が辰巳殿とよばれていた事にちなんで, 建築当時は巽御殿(たつみごてん)とよばれていましたが,後に成巽閣と改められました。
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 成巽閣は,武家書院造と数寄屋風書院造をひとつの棟の中に組み入れた巧みな様式をもつ建造物で,また,大名正室の御殿ということで,優しい様相を呈しているといわれます。
 私が落ち着いたのは,御居間である「蝶の間」に面した「つくしの縁庭園」でした。
 京都などには多くの庭園がありますが,ここの庭園はそれに勝るとも劣らないものでした。

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 本場所は東京はもちろん,名古屋,大阪,福岡と見にいったので,今回は巡業に行こうと思い立ちました。何事も一度はやってみないと納得がいきません。チケットを買ったのは10月14日の金沢巡業でした。
 私がチケットを購入した後で,もっと自宅から近いところで巡業があることを知って,何も車で3時間もかかる金沢まで行く必要もなかったのですが,これまで満足に金沢を観光したこともなく,また,東海北陸道を走ったこともなかったので,初秋の小旅行も兼ねることにしました。ある事情で直前まで行くことができるかどうかわからなかったのですが,結局,予定通り行くことができました。そしてまた,自宅を出発するときは天気がすぐれなかったのですが,北に向かって走るにつれて天気もよくなり,さすが,自他ともに認める晴れ男は今回もまた健在でした。

 前日の午後出発して,途中で白川郷を見学してから,金沢に着きました。夜は金沢市内を観光しましたが,金沢市は高知市や徳島市のような規模の街,ただし,加賀百万石というだけに,文化の香り高いすばらしいところで気に入りました。しかし,考えてみれば,ここは日本海側,これから春にかけてずっと天気も悪く,住み心地がよいとは思えません。
 翌日は早朝にホテルを出て,さっそく会場である金沢市総合体育館に向かいました。
 途中でどこかで朝食をと思ったのですが,どこにもマクドナルドや吉野家の一件どころか喫茶店すら存在せず,結局,やっと見つけたコンビニになってしまいました。
 開場は8時でしたが,7時過ぎにはすでに列ができていました。力士の乗ったバスが次から次へ到着しました。

 まあ,大相撲とはいえ,これはまさに旅芸人一行様です。きわめて日本らしい娯楽です。これはよい意味で,こういうの私は嫌いではありません。むしろ,どっちが勝った負けたというピリピリとした本場所よりもずっと楽しめます。要するに,観客としては楽しければよいわけです。
 私にはめずらしくもないけれど本場所の行われない地方ではこれが楽しみなのだろうなあ,と思いました。会場内は力士とファンで溢れていて,サインもねだり放題だし,写真も撮り放題,こりゃ,好きな人にはたまりません。もし私も「スー女」なら,本場所よりも巡業のほうがずっと楽しそうです。

 この日から横綱白鵬が参加ということで,4横綱の土俵入りがありましたが,休場の続く本場所よりもずっと豪華です。おそらく,来場所鶴竜が引退するでしょうから,こうした姿もこれが見納めでしょう。
 「花相撲」ですから,勝負の結果などはどうでもよいのですが,こうした巡業での本気度というのはどういうものなのでしょう。私にはそれがずっと気になっています。お互いの阿吽の呼吸というか,どこまでどう演技をしているのか気になります。
 しかし,琴勇輝関は本場所では封印をした「ホーッ」も出るし,最後の取組は横綱白鵬対横綱稀勢の里だし,こんなの,本場所では見られませんから,巡業のほうがはるかに豪華でした。

 なかなかチケットの買えない本場所はもうやめにして,これからは巡業が近くに来たらこちらを楽しもうかな,と思いました。癖になりそう。

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