【Summary】
The Nirayama Reverberatory Furnaces were built in the late Edo period to cast cannons. Originally planned in Shimoda, construction moved to Nirayama in 1854. They operated from 1857 to 1864 and were preserved despite weathering, becoming a UNESCO World Heritage Site in 2015.
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思ったよりも楽しかった,念願だった伊豆半島1周の旅もいよいよ最終段階になりました。
最後に,来るときに知った韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)に寄ることにしました。
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韮山反射炉(Nirayama Reverberatory Furnaces)は,築造当時の形で現存する反射炉の遺跡で,高さ15.6メートルの連双2基,合計4炉で構成されています。
日本に現存する近世の反射炉は,韮山反射炉と萩反射炉のみということですが,萩反射炉は試験炉で,実用炉は築造されなかったといわれ,実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては世界で唯一現存する遺構とされていて,2015年,「明治日本の産業革命遺産・製鉄,製鋼,造船,石炭産業」として登録されました。
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施設自体は,それほど大きなものではないのですが,さすが世界遺産というだけのことはあって,充実した資料館もあり,きちんと整備されていました。幕末から明治のころの日本は,こうした,今考えても途方もないようなことが行われていたことに,私は,感動しました。
1840年(天保11年)のアヘン戦争に危機感を覚えた韮山代官の江川英龍は,海防政策のひとつとして,鉄砲を鋳造するために必要な反射炉の建設を建議,1853年(嘉永6年)の黒船来航を受けて,江戸幕府直営の反射炉として築造が決定されました。
1853年(嘉永6年)に下田で築造開始し,翌1854年(安政元年)に下田に入港したペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入したため,築造場所が現在の場所に変更されました。
1855年(安政2年)江川英龍が死去すると跡を継いだ息子の江川英敏が築造を進め,1857年(安政4年)に完成しました。
1857年から1864年まで稼働し,1864年に閉鎖されたのち,風化が進みましたが,1908年(明治41年)に韮山村有志が反射炉敷地を買い陸軍省に献納したことにより,韮山反射炉保勝会が維持・管理を行ってきました。
よくも残ったものだ,と思いました。
こうして,予想以上に楽しかった伊豆半島の旅を終えて,三島駅まで戻ってきました。レンタカーを返して,駅弁を買い,新幹線に乗って帰宅しました。
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