歳を経るとだれもが「今どきの若いモンは」と言います。
私の若いころはそうした年寄りの多くは今よりもずっとプライドが高く頑固だったので,かなり迷惑しました。世はアナログ時代のころのこと。たとえ屁理屈であろうと口で言ったモンが勝ちでした。だから,能力がなくても偉そうな態度をしていればよかったのです。
やがて1990年代になってコンピュータのOSにWindows95というのが現れて,そうした頑固じいさんは時代に乗り遅れました。プライドの高さがそれに災いし,人にも聞けず,コンピュータ時代についていけなくなったのです。ついに彼らの化けの革がはがれました。その結果,イソップ物語の「キツネとブドウ」の話のように,自分の弱さを隠すためにコンピュータを使っている若者をバカにしくさりながら,やがて時代の孤児となっていきました。
時代は変わり,そうしたころの若者もやがては歳をとりました。そして,スマホが現れ,SNSが幅を利かせはじめて,ふたたび同じ悲劇が訪れました。その結果,やはり,今日の頑固じいさんも時代の孤児となっていくのです。
プライドが高くとも頑固でなければ新しい技術を自分で習得するからまだマシなのですが,頑固じいさんはどうにもなりません。やがて定年を迎えて,家では粗大ごみとなり,朝から図書館の新聞取りに並び,民放のワイドショーを見て得ただけのくだらぬ知識を自分の意見のようにひけらかし,つねに妬(ねた)み,僻(ひが)み,不機嫌で愚痴をこぼす嫌われ者の年寄りとなっていくのです。
こうして歴史は繰り返すのです。
私のまわりにもそうした年寄り初心者がたくさんいます。
私が残念に思うのは,若いころは尊敬に値した優秀な友人たちの多くがそうした頑固じいさんになってしまったことです。
数年前,私が彼らにSNSやスマホを勧めても話に乗ってこなかったくせに,今になって関心を示し,ある者はそれに対して否定的な意見を声高らかに話し,また,ある者はそれとは逆に使いこなせないのに傍若無人にSNSを乱用しはじめているのです。
頑固じいさんは損をするのです。そして,昔も今も「年寄りは困ったモンだ」と陰で言われるのです。