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京都の四条大宮に宿泊した私は,翌日,司馬遼太郎記念館に行くために,大宮駅から大阪梅田駅行きの阪急電車に乗りました。司馬遼太郎記念館は,途中の淡路駅で乗り換えて,大阪地下鉄堺筋線で日本橋まで行き,さらに,近鉄の奈良線に乗り換える必要があるというように,結構不便なのでした。
しかし,朝6時過ぎにホテルをチェックアウトしたので,司馬遼太郎記念館の開館時刻である午前10時までには時間はたっぷりあったので,大阪梅田駅に行く途中の高槻駅で途中下車しました。
高槻市は,来年に日本将棋連盟の関西本部が移転するということで,近ごろは話題となっていますが,私は高槻市というのは,戦国時代に高山右近が統治してていたところということで,それ以前から名前を知っていたので,一度どんなところか行ってみたかったのです。
何も考えずにやってきたのですが,阪急電車の高槻駅はJRの高槻駅とは少し離れていました。日本将棋連盟の関西本部が移転する場所はJR高槻駅の近くだと聞いていたので,阪急電車の高槻駅からJRの高槻駅まで歩くことにしました。駅前にあった地図で確認すると,そこからさらに歩いて高槻城跡を見てくれば,阪急電車の高槻駅に戻るという散策をすることができるようでしたので,そうすることにしました。
日本将棋連盟の関西本部はJR高槻駅のすぐ近くにできるという以上のことは知りませんでした。歩いていれば見つかるだろう,それに,高槻市の市バスに将棋のアニメが描かれているものがあるということだったので,運がよければ見ることができるかな,とも思いました。そして,JRの駅前で遭遇しました。
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武家屋敷が広がっていた高槻城三の丸跡から,江戸時代の小将棋や中将棋の駒が多数発掘されていて,初代高槻藩主・永井直清は文化に造詣が深いこともあって,古くからこの地では広く将棋がたしなまれていたことがうかがえます。
また,1892年(明治25年)生まれの中井捨吉八段にはじまり,現在でも,福崎文吾九段,浦野真彦八段,長沼洋八段,伊奈祐介七段などが高槻市出身だそうです。
そこで,1年後の2024年の秋に,高槻市を「将棋の聖地」として,関西将棋会館を高槻市に移転するということになりました。
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JR高槻駅前は大きな新しいビルが立ち並んでいて,こんなところに空き地があるのかな? と思いながらさらに歩いて行くと,建設中の場所に着きました。どうらやここに将棋会館が作られるようです。本当に駅から近く,とても便利なところ。よくこんな場所が空いていたものです。新しく開館したら,また,来てみたいと思いました。
さて,次に行ったのが,高槻城跡でした。高山城跡は,現在,再開発されていて,公園が整備されていました。高槻藩,江戸時代の殿様は,紆余曲折の後,最後は永井氏が治めたのですが,この地は,今も高山右近が愛されているように感じました。
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高山右近は,1552年(天文21年)かその翌年に生まれ,1615年(慶長20年)に亡くなった武将で,代表的なキリシタン大名として知られました。
父の高山友照は三好長慶に仕え,大和国宇陀郡の沢城(現在の宇陀市榛原)を居城としていましたが,三好長慶が没すると三好氏は衰退し,1568年(永禄11年)に足利義昭が室町幕府15代将軍となったころには,和田惟政が高槻城に入り,高山父子は和田惟政に仕えることとなりました。
1571年(元亀2年)に和田惟政が荒木村重に敗れて討死したのちは,子の和田惟長が城主となり,高山父子は相談役となりましたが,これを良く思わない和田家臣たちが和田惟長に高山親子の暗殺を企てたことで,ついに,1573年(元亀4年)に和田惟長らと斬り合いになり,敗れた和田惟長は生国・近江国甲賀郡へ逃れましたが,同地で死亡。この後,高山父子は荒木村重の支配下に入り,高槻城主となりました。
1582年(天正10年)本能寺の変で信長が没すると,高山右近は羽柴秀吉の幕下にかけつけ,山崎の戦いでは先鋒を務め,明智光秀を敗走させたことでその功を認められて加増されましたが,バテレン追放令が秀吉によって施行されると,キリシタンであった高山右近は信仰を守ることと引き換えに領地と財産を全て捨てることを選び,天正16年(1588年)に前田利家に預けられて加賀国金沢に赴きました。さらに,1614年(慶長19年)に加賀で暮らしていた高山右近は,徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて,加賀を退去し,長崎から家族と共に追放された内藤如安らと共にマニラに渡ったのですが,老齢の高山右近は病を得て,翌年に息を引き取りました。
1962年,高槻天主教会堂跡の近くに,高山右近臨終の地であるフィリピン・マニラ郊外アンティポロにある聖母大聖堂を模して建てられたカトリック高槻教会の新聖堂があって,高山右近記念聖堂と命名されています。
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高槻藩は,高山右近が大名の地位を追われたのちは,新庄直頼,内藤信正,土岐定義,松平家信,岡部宣勝,そして,松平康信が入るというように,藩主が短期間で変わり安定しなかったのですが,最終的に,山城長岡藩より永井直清が入ってようやく藩主が定着し,永井氏13代の支配を経て明治時代を迎えました。
高槻市は大阪市のベットタウンなのでしょう。JRも阪急電車も高槻駅は通勤,通学の人で一杯でした。歴史をリスペクトする,きれいな,なかなかいい町だなあと思いました。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは











