しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

タグ:高知

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数年前までは,高知県というのは,遠い遠いところでした。それでも,何らかの縁があって,何度か来たことがあるのですが,それらは,車で淡路島を渡ってきたり,あるいは,深夜バスを利用したりと,結構苦労しました。それが,このごろは,FDAで県営名古屋空港から高知龍馬空港まで1時間足らずという時代になり,とても身近なところとなりました。
今回は,高知県だけでなく,愛媛県まで足を延ばすことができたし,これまで何となく行ってみたいと思っていたところも訪れることができました。
こうして,すっかり堪能した私は,夜6時ころに高知龍馬空港に戻ってきました。
高知龍馬空港へのアクセス道路は,右側の車線が高速道路に入る右折車が右折帯からはみ出していて,直進ができないので要注意です。これは欠陥だ,といつも思います。

空港のターミナルビルで夕食を取りました。せっかく高知県へ来たのだから,地のモノを食べました。旅の楽しみのひとつは食事ですが,食事に関しては日本が一番です。
食事を終えて,時間までラウンジで過ごし,予定の飛行機で高知龍馬空港を出発して県営名古屋空港に戻りました。帰りの機内も一杯でしたが,私の横の座席は空いていて,とても快適でした。
帰宅して,これで,高知県はほどんどの場所に行きつくしたなあ,と思っていたら,来年のNHK 朝のテレビ小説の主人公がやなせたかし,ということを知って「香美市立やなせたかし記念館」に行っていないじゃないか! と,驚きました。どうしていつもこうなのだろう? これで,また,行く口実ができたというものです。
いずれにしても,高知県はいいところです。なぜか落ち着きます。

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やなせたかしさんは,1919年(大正8年)現在の東京都北区に生まれ,高知県香美市香北町で育った漫画家です。2013年(平成25年)に亡くなりました。
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「香美市立やなせたかし記念館」愛称「高知アンパンマンミュージアム」は,やなせたかしさんのゆかりの地である高知県香美市に1996年(平成8年)に開館しました。施設は,「アンパンマンミュージアム」「詩とメルヘン絵本館」「やなせたかし記念館別館」及び「やなせたかし記念館公園」で構成されています。ここもまた,高知県に行ったときにはいつでも訪れる機会があったのに,なぜかパスしていたところなのです。

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今日から,2023年10月19日から10月21日,2泊3日で出かけた四国旅行について書きます。
このブログを見直してみたら,昨年も同じ時期に四国に行っていました。昨年私が四国に行ったのは,かずら橋を渡ろう! というのが動機だったのですが,なかなか楽しい旅になりました。
ところで,今年度の前期NHK朝の連続テレビ小説「らんまん」の主人公は牧野富太郎博士で,高知県がその出身地でした。ドラマはおもしろく,非常に興味をもって見たことで,私は,牧野富太郎博士ゆかりの場所についてずいぶん詳しくなりましたが,昨年の今ごろは,牧野富太郎博士のことなんて,まったく興味がなく,せっかく高知県に行ったのに,高知県立牧野植物園も,牧野富太郎博士の生まれた佐川の町も,行くことがありませんでした。植物園? そんなところに行ってどうするの? と思っていた始末でした。そして,我が身の無知を恥じました。
そんなわけで,今年は,牧野富太郎博士ゆかりの場所を訪ねる旅に出たというわけです。

いつものように,FDAで県営名古屋空港から高知龍馬空港まで行って,そこでレンタカーを借りることにしました。宿泊先は,1日目は高知市内,そして,2日目は松江市の郊外にして,安価なところを見つけて予約をしました。
そして,1日目は高知県立牧野植物園と佐川町に行き,高知市内で泊り,翌日は,四国の瀬戸内海側に足をのばそうと思いました。2日目に松山市の郊外に泊ることにしたのは,前々から気になっていた,JRの下灘駅に行って夕日を見たい,と思ったからです。とはいえ,夕日が見られるかどうかは天気次第なので,期待半分,あきらめ半分でした。
と,いつものように,その程度のいい加減な計画で,あとのことは行ってから考えることにしました。

それにしても,9月までの酷暑とはうって変わって,今年の10月は気持ちのよい毎日が続いています。
特に,9月までがひどすぎたので,その差が大きく,私は,精神的にも肉体的にもバテバテだったのが,完全に復活しました。人が住む環境はこうでなければ…。
であるのですが,このところ,やたらと観光客が増えてしまい,それだけが残念です。私は,コロナ禍のころも変わらず旅をしていたのですが,あのころはどこもガラガラ,しかも,国がいろんな割引をやっていたから安価に旅をすることができたのが懐かしいです。飛行機も半分くらいは空席だったから,とてもサービスがよかったのですが,今は満員です。さらに,私の嫌いな,団体ツアー客と外国人のインバウンド,そして,なぜか群れて行動するオートバイライダーたちが復活してしまい,これからは旅をする場所を考えなければ,と苦慮するこのごろです。
私は,なるべく人の少ない,そして,自然の多い場所に出かかけてのんびりしたいのです。
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2023年10月19日。
さて,今回も,快晴の県営名古屋空港から飛び立ちました。
座席は,向かって右側の窓側席にしました。名古屋から高知までは,左側だとずっと海。ただし,室戸岬はよく見えます。そして,右側はずっと紀伊半島の景色が見られるのです。
定刻より5分ほど遅れて,高知龍馬空港に到着しました。

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DSC_5652DSC_5654DSC_5747DSC_5743 関勉さんの書いた「彗星ガイドブック」は1976年の発行です。関勉さんは高知市に住むアマチュア天文家で,毎晩のように望遠鏡で星空を見て,新しい彗星を探す「コメットハンター」として知られました。
 その昔,コメットハンターとして知られた本田實さんの影響で彗星に興味をもち,1961年にはじめての彗星である「関彗星」を発見。その後合計6個の彗星を発見しています。なかでも1965年の池谷・関彗星は肉眼でもはっきりと見えた大彗星として日本に天文ブームを巻き起こしました。

 古きよき1970年代,アマチュア天文愛好家たちは,池谷・関彗星の影響で彗星捜索をするか,藤井旭さんの影響で天体写真を写すかという潮流ムがありました。そこで,こうした本が出版されたのです。
 私は星の見えない都会に住んでいたために,そうした活動を羨ましく思っていただけでした。もし,もっと星のよく見える場所に住んでいたら,同じように真似事をして,そして挫折をしていたことでしょう。
 そもそも人まねでうまくいくわけがないのです。何事も,自分で考えて自分のやり方を確立することが大切なのです。そうしたことを一部の天才は生まれながらにして知っていて,それ以外の凡人は常に天才のやっていることをまねて挫折する,それが人間です。まねをしたところで,将棋の藤井聡太七段やフィギアスケートの羽生結弦選手にはなれないのです。

 それはそれとして,当時貧乏学生だった私は,関勉さんにせよ,藤井旭さんにせよ,どうしてあのような大口径の望遠鏡や高級カメラなどの高価な機材を手に入れることができるのだろうと,そのことがとても不思議でした。そして,きっと,大人になればだれもがお金持ちになれて,あのような機材を買うことができるのだろうと思って,大人になるのを楽しみにしていました。
 しかし,現実はそんな甘いものではなかったのですが,当時私がうらやましいと思って人たちも,みんなそれぞれ大変な苦労をしていたのです。

 今,こうした本を見返してみると,そういった苦労がわかって,そのことが一番おもしろいのです。そしてまた,今となってみれば,当時のアマチュア天文愛好家のやっていたレベルのことの多くは,今では簡単にだれでもすることができるようになりました。ただし,それとともに,日本の空から星がなくなりました。
 すでにこのブログに書いたことがありますが,私は,昨年,高知県に行って,関勉さんの活躍した場所を見てきました。そして,当時はもっと条件がよかったのでしょうが,今では満足に星が見られるとも思えず,こんな条件の悪い場所で活動しているのかと,夢から醒めるような気がしました。
 だからといって,この人たちの人生が無駄であったということではないわけで,おそらく好きなことを思う存分のに成し遂げてとても充実したものだったのだということもよくわかりました。
 常々書いているように,人生はすべて暇つぶしなのです。その自分の暇つぶしで他人を不幸にする人もいる反面,自分らしくいかに楽しく充実しておくることができたか,そして,願わくばそのことで多くの人に夢を与えたりできれば,それこそが,その人のしあわせなのです。

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 NHK総合「ブラタモリ」は近頃マンネリで,私にはあまりおもしろくありませんでした。しかし,#85の高知県は久々にとても興味深く見ることができました。どうやら,おもしろいかどうかは番組のできではなく,私の興味がある場所かどうかが問題だということです。
 私にとって高知県というか高知市は,今年の2月,ある事情で高知市のホテルを1泊予約することになってしまったので大急ぎで往復してきたというだけのことでしかないのですが,その折に私がこれまでずっと一度は行きたかった場所を訪れることができました。今回の「ブラタモリ」で取り上げられた場所が,まさにその私が行ったところばかりだったのです。

 幕末から明治にかけての歴史で活躍した雄藩を「薩長土肥」といいます。しかし,薩摩,長州,土佐,肥後では,幕末と明治初期にかかわった歴史上の存在位置と価値はずいぶんと違います。
 薩摩というところは,島津家が戦国大名でなくもっと歴史が古く,また,天守閣を作るくらいなら民にお金を使うほうがいいというようなその土地に根付いた考えをもっていたほどなので,国全体に揺るがぬ地位を持っていました。しかし,明治になって西郷隆盛が反政府側から担ぎ出されてしまったために,藩全体が悲劇を背負ってしまったところとなったことが行ってみてみて実感しました。
 長州もまた,島津家と同様に毛利家も戦国大名でなかったのですが,地理的な事情からまわりにたえず気を配らなくてはならず,そのために内政は保守的な支配層と急進派がしのぎを削るという構図になりました。そこに幕末の動乱時,急進派のなかに吉田松陰という核が生まれることで,倒幕の先導を配するに至りました。
 肥前は幕末には大したことをせず明治以降政府に人材を登用したことで同列に扱われているだけですから幕末には大した位置を占めていません。
 そうしたなかで,土佐という地は,山内一豊といういわば「落下傘大名」がその地を支配するために江戸初期にずいぶんと醜いことを行い,上士,郷士という差別を生み,その怨念の結果が幕末に坂本龍馬を排出したという経緯になるわけです。今回の「ブラタモリ」のテーマはまさにこのことでした。

 こうした政治家として単なるシロウトが政治をつかさどるという「落下傘大名」は,関ヶ原の戦いで勝利をした徳川家康がその論功行賞から各地に領土を与えたために生まれました。
 彼らは,いきなり縁もゆかりのない地を収めることが必要となったためにもとからいた地の武士たちをてなづけたり融和を図る必要があったのですが,大名の力量によって,それがうまくゆかず,その結果多くの悲劇が生まれました。その典型が土佐の山内家というわけです。
 そうした「落下傘大名」の領地であったところを旅行してみると,たとえば,肥後(熊本)では今でも加藤清正公は人気があり,反対に細川家はさっぱり,といった空気を直に感じることができます。

 こうしたことが現在も同じように続いているのがこの国の本質です。
 たとえば,学校の校長も縁もゆかりもない学校に突然赴任します。そうした場合,教師たちは「よそ者」である校長を距離を置いて傍観するわけです。そして,そこにも,後で書くような「6:3:1」の派閥が生れるのですが,そうした組織がうまくいくわけがありません。
 こういうのがこの国に根ざしているわけです。管理職として「落下傘」で赴任するものもまた,論功行賞ですが,この国の考える組織とか権力とか地位というものはすべてそうしたものなのです。要するにシロウトなのです。
 政治の世界でも後で書くいわゆる「6」の割合で群れる「主流派」たちは,「3」の割合の集まりを「野合」といって非難するのが常ですけれど,この国の集団というのはそもそも思想などでまとまっているわけではなく,単に「錦の御旗」を掲げたものが「正義」となって,そこに身の保全を図るものたちが群れているだけのことです。そんなことは後醍醐天皇の時代も明治維新の時代も同じです。そして,そうした「正義」にたかって多数派を作るわけで,そうした人々がおよそ6割いるのが日本という国なのです(これを「体制派」あるいは「主流派」と称します)。そこに,深い思慮をもつ人たちがおよそ3割いて,彼らは思慮があるから同じ意見をもっているわけではありませんからまとまれば「野合」と言われるのです。さらに,ぶれない人たちが1割いて,その結果「6:3:1」の構図となっているのです。それはそれでよいのですが,ときとして3割が6割に巻き込まれるような一大事が起きたときに残りの1割を弾圧しはじめ,そこから悲劇が訪れるのです。
 今回の「ブラタモリ」で訪れた高知という場所は,日本の歴史上のこうした姿を我々に思い起こさせてくれるところです。

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私は価値がわからない④-「6:3:1の法則」とは?

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