「バイオリニストは弾いていない」の著者・鶴我裕子さんは元NHK交響楽団の第1バイオリン奏者です。これまでの著書に「バイオリニストは目が赤い」と「バイオリニストに花束を」があるので,これが第3弾です。
出版されたときに書店で見つけて少し立ち読みしました。私はよほどのことがない限り紙媒体の本を買うのはやめた(置く場所がない)ので購入しませんでしたが,近頃図書館で見つけたので読んでみました。
本のタイトルは,N響を退団して以来人前ではバイオリンを弾いていないということからつけられたものでしょう。N響を定年で退団したのちもエキストラでステージに上がり続けている人も多いのですが,こうしてきっぱりと辞めてしまうのはとてもスマートでかっこいいです。
人生一度,仕事などできるだけはやく辞めて人生を楽しんでいる人は素敵です。
この本はすでにこれまでに雑誌などに連載されたものを集めたもので,前半部分はカワイ音楽教育研究会刊行の機関誌「あんさんぶる」に連載された「オーケストラのあいうえお」を加筆訂正したものです。あ=あいさつ,い=いえじ(家路),う=うべ(宇部),え=エコロジーという具合に,頭文字で始まる物事にまつわるエッセーです。
いえじ(家路)の文章では,N響のオーボエ奏者・池田昭子さんのことが書かれてありました。彼女はオーボエをイングリッシュホルンに持ち替えて日本では「家路」として有名なドボルザークの第9交響曲第2楽章を独奏します。私も幾度となくライブで聴きました。このときのプレッシャーは半端ないと思っていたのですが,彼女は全く緊張することもなく,いわば私を見て!見て!状態で,自分のパートが終わるころには,もう終わってしまうのね,とも感じるのだそうです。
将棋の藤井聡太四段もそうですが,人が見ていると緊張するとかそういった人には務まらない,いい意味で「鈍感」でかつ「天然」でないと,こういう仕事は務まらないのでしょう。私にはうらやましい限りです。
その次の話は東京芸大の東台寮で過ごした日々を綴った「東台寮フォーエバー」など自分の半生ですが,東京芸大在学中から活躍していたメゾソプラノ・伊原直子さんのエピソードなどがおかしく書かれていました。作家の瀬戸内寂聴さんもこういう話を書くのが上手ですが,雲の上の人たちの人間性というのはアジもイロもあります。これもまたうらやましい限りです。
この本の最後にある現役のN響奏者との座談会が絶品です。鶴我さんは現役時代からこういう話をエッセイに書いていて,それを読むとコンサートに出かけたときにその興味がより深まるのですが,なかなかこういう話を語る人が他にいないのが残念です。雲の上の人たちの内輪ネタほど,この人たちも同じ人間なんだなあと身近に感じられる面白いものはないからです。
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「バイオリニストは肩が凝る」-音楽への造詣とユーモア
今さら「火花」について-私には何も書けない。
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「バイオリニストは肩が凝る」-音楽への造詣とユーモア
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「バイオリニストは肩が凝る-鶴我裕子のN響日記」(鶴我 裕子著)。
著者の鶴我裕子さんは,我愛するNHK交響楽団で,2007年に定年で退団するまで,第1バイオリンを,後ろの方のプルトで,いつもお疲れのご様子で不機嫌そうに弾いておられた方です。また,文章が上手で,音楽雑誌や音楽会のパンフレットなどにエッセイを寄稿されてきたそうです。
この本は,鶴我裕子さんがNHK交響楽団の団員として,また,ひとりの女性としての日常を綴ったものですが,その軽妙な文章には長い演奏経験からくる音楽への深い理解と造詣,そして,ユーモアが滲み出ています。音楽に興味がなくても思わず,最後まで,一気に読んでしまえます。
人は見かけによらぬ,というか,私は,この本を読んで,鶴我裕子さんがどんなに音楽を愛した素晴らしき方であるかということを再発見し,自分の認識不足と無礼をひどく恥じました。鶴我裕子さん,ごめんなさい。お詫びにこの本を紹介しますからお許しください。
ぜひ,みなさんもこの本を一読されて,ひとりでも多くの人が音楽と読書のすばらしさに目覚めていただければと思っております。
音楽は,時間芸術と呼ばれます。生演奏で再現される芸術ですから,そこには,さまざまな事故(トラブル)が存在し,それがまた,感動的であったりもします。
私は,これまでに数え切れないほどNHK交響楽団の生演奏を聴きましたが,残念なことに? 一度,本番中に体重の重い団員がもたれかかった拍子に椅子の背もたれがバタンと音を立てて壊れたことと演奏中にピアノの弦が切れたくらいで,それ以外に大きな「事故」を目撃したことはありません。
漏れ聞くところによりますと,ここ数年での最大の事件は,2004年10月の演奏会です。新潟の大地震の影響で開始時間が5分遅れたあげく,1曲目の演奏中に指揮者のアシュケナージが指揮棒で自分の手を刺すという事故を起こし(指揮棒が手の中に5センチも残ったそうです),1曲目終了後に病院に搬送されて不在となり,指揮者がいても合わせるのが難しいといわれる2曲目チャイコフスキーの第4交響曲を,なんとコンサートマスターの堀正文さんが指揮者とバイオリンの両方を演じ,弾き振りをしたというものです。
ロマン派以降の大規模交響曲で指揮者なし,というのは前代未聞です。堀さんは,コンサートマスターのポジションで,座ったまま,バイオリンの弓を指揮棒代わりにして,要所要所を振りながらも自分も演奏し,NHK交響楽団の団員は,慎重に音を合わせながら,集中してひとつの音楽を作って行きました。終了した直後に,聴衆の大きな歓声がホール内に響き渡ったのはいうまでもありません。
このお話は,続編「バイオリニストに花束を」(鶴我 裕子著)に,お客さんから指揮者を募集したらと思った,とか,曲が始まる前に緊張しきったコンサートマスターの表情とか,終演後にこんなことはもう二度といやだと管楽器奏者が言ったとか,ユーモアを交えて詳しく書かれてあります。
なお,この本には,この演奏会の様子は放送されなかったとありますが,実際には,曲のクライマックスの5分間だけではありますが,珍しく鶴我裕子さんのアップ姿まで交えて,2012年に惜しまれつつ終了した「N響アワー」で,かつて,放送されたのを,私は見ました。まさにプロの実力,感動しました。