●どのジャンクションを降りればいい?●
車に乗り込んで,レンタカーセンターの近くのジャンクションからインターステイツ17に入った。このまま道なりに北上すれば,この日の目的フラッグスタッフにたどり着く。今回の旅ではフェニックスの観光をしなかったが,飛行機の窓からみたフェニックスの町は,19年前に来たときとはまるで違う大きな街になっていた。
19年前にフェニックスに来たときは5月で,日本ではゴールデンウィークだったが,すでにすごく暑かった。このときの旅の目的地はグランドキャニオンとモニュメントバレーであった。ロサンゼルスからラスベガスを経由して車で向かった。そして,その帰りにフェニックスに寄ってメジャーリーグベースボール(MLB)のダイヤモンドバックスのゲームを見た。そのときのゲームは先発がランディ・ジョンソン(Randall David Johnson)であった。
ランディ・ションソン投手は左腕歴代最多となるサイ・ヤング賞を5度受賞,歴代2位の通算4875奪三振を記録したMLBを代表する投手である。
そのとき,フェニックスではボールパークの近くの安モーテルに宿泊したが,その場所はそれほど治安がいいとも思えなかった古びた場所であった。フェニックスというのは,砂漠の中に作られた人工の町。道路は碁盤の目のように造られていて,近道だと思って走った斜めに突っ切る道路が,東西,南北の道路と交差するたびに信号待ちを繰り返し,やたらと時間がかかった。また,お昼間にすることもないので出かけた動物園は,開園が夕方の5時から(お昼間は暑いのでやっていない)だった。私が覚えているのはその程度である。
それに比べて,今回来たフェニックスは,アメリカの他の大都市同様,車が多すぎで道路は渋滞し,ダウンタウンには大きなビルやらモールやらが集まっていた。
私は,インタ―ステイツを走りながら,当時を懐かしむと同時に,都会ということろには興味がないから,早く郊外に出ればいいと思いながら,渋滞するインターステイツを走っていった。
やっとフェニックスの郊外に出ると,次第に車線も減ってきて,片側2車線の,昔のままのアメリカのインターステイツになった。その先にコンボイが横転してその後処理で道路が1車線閉鎖されているという道路標示があったので心配したが,近づくとはやり道路はのろのろ運転となった。しかし,それほどのことはなく,予定より30分ほどの遅れで済んだ。私がロサンゼルスからフェニックスまで乗ってきた便は到着が,というより出発が30分程度遅れたから,結局,1時間ほどの遅れで,フラッグスタッフにたどり着いたわけだった。
しかし,インターステイツ17がフラッグスタッフに入ったとき,どのジャンクションを降りればいいのかがわからない。そのうちに道路標示からフラッグスタッフがという地名が消え,その先のアルバカーキなどという標示に変わってしまったので,慌ててインターステイツ17を降りた。しかし,実はインターステイツ17はフラッグスタッフの手前で東西を走るインターステイツ40に吸収され,インターステイツ40を東にアルバカーキ方面に1マイルほど行ったところで降りればよかったのだった。
そんなわけで,私は早まってフラッグスタッフのダウンタウンの手前でインターステイツを降りてしまったが,そこで道がさっぱりわからなくなった。以前ならここで困ってしまったものだが,今は iPhone の Google Map をカーナビにして,私の宿泊するモーテルに簡単に着くことができた。
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2019夏アメリカ旅行記-2年越しの夢の実現を⑤
●簡単なレンタカーのチェックアウト●
到着したフェニックスの空港は閑散としていた。アメリカでは国際線の到着しない空港はその大きさの割に閑散としている。日本のように飛行機を利用しない人が遊びにくるようなところでないからだ。
私は飛行機を降りて,レンタカーのカウンタを探した。アメリカどこの空港でも必ずレンタカーという案内標示がある。ところが,このフェニックスの空港には,パーキングという案内標示はたくさんあったが,レンタカーという案内標示はかろうじて1か所で見つけただけで,あとは探してもなかった。
ともかく空港を出てみると,レンタカーシャトルバスの乗り場が見つかって,そこにレンタカーセンターと書かれたバスが停まっていた。レンタカーの具体的な会社名が書かれていなかったから,おそらく,レンタカーセンターにはすべてのレンタカー会社が入っているのだろう。私は,バスの運転手にそれを確認してバスに乗り込んだ。
私は場数を踏んでいるからどうにかなるが,生まれてはじめて独力でアメリカに行って,私のようにレンタカーを借りようとすると結構大変だなあと思うことがよくある。アメリカでは当然なことでもそれが日本とはまるで違うからどまどうのである。
シャトルバスは空港から結構な距離を走って(と思ったが,帰りにも乗ってみたがそれほどの距離でもなかった),レンタカーセンターの大きなビルの入口に着いた。
私がいつも借りるハーツのレンタカーは事前に会員になっていてネットで予約もしてある。こうするとカウンタに行く必要がなく,そのまま駐車場に行けばいいというシステムである。これもまたはじめのころはわからなかった。
案内標示にしたがってレンタカー会社の車が停まっている駐車場に行くと,多くの車が並んでいた。以前は自分の借りる車の上に自分の名前が表示されていたが,今は,このエリアに停まっている同じランクのどの車を借りてもいいことになっている。そうしたシステムもまた,はじめてだとさっぱりわからないであろう。アメリカでは行くたびにシステムが改良されて変わっていく。こちらで好きな車を選べるので,これは貸すほうも借りるほうもウィンウィンである。
私はそのなかからカローラを借りることにした。日本車は車内装備が日本と同じだからわかりやすいのである。アメリカのメーカーの知らない車だと,イスの調整,ガソリンの給油口などがどこにあるのかわけがわからないことがある。
駐車場の出口に係員のいるボックスがあって,免許証と国際免許証を提示すると契約書類をくれて,それで終わりである。カーナビを借りるときも,そのボックスで受けることになる。以前は,カーナビも借りる必要があったが,今は,iPhone の GoogleMap があればそれがカーナビになるから,カーナビを借りる必要もない。グローカルミーという Wifi ルーターさえあれば,世界中どこでもインターネットに接続できるのだ。
このように,思えば私の数十年にわたるアメリカ旅行はハイテクの発展の歴史であったような気がする。以前に比べてずいぶんと便利になったものだ。
2019夏アメリカ旅行記-2年越しの夢の実現を④
●19年ぶりのフェニックス●
ロサンゼルス国際空港はあまりに入国者が多いから,ESTAによる入国者の場合ほぼ流れ作業で,キオスクという機械で手続きをして印刷された用紙を手渡してパスポートに滞在期限のスタンプをもらうだけでさばいているので,むしろ暇そうなニュージーランドなどで入国するよりずっと簡単であった。私はこのあと,国内線のターミナルに行って,アリゾナ州フェニックスまで行く国内線に乗り換えることになる。
国際線ターミナルから国内線ターミナルまではエアポートシャトルバスもあったようだが,次のフライトまでの待ち時間が3時間程度もあったから,私はのんびり歩いて国内線の第2ターミナルまで行った。そして,混雑する第2ターミナルの搭乗ゲート階を避けて,その上の階にあるラウンジ・デルタスカイクラブで時間をつぶした。
私はこれまでさまざまな空港を利用したが,どこも入国検査場はごった返しているから,入国を終えるとホッとする。
国内線に乗り換える場合も,乗り換えない場合も,まず到着した空港で入国の手続きをするのは同じだから,到着早々次のフライトへのトランジットはひと手間減るわけでもないが,逆に,帰国するときのトランジットは,はじめに搭乗手続きをする空港でセキュリティを通ればトランジットをする空港で再びセキュリティを通る必要がないからひと手間少なく楽である。
しかし,オーストラリアでトランジットしてニュージーランドに行く場合はオーストラリアでは入国手続きをしなくても空港の通路を通ってそのままニュージーランド行きの便に乗ることができるからとても楽(=3番目の写真)だ。今ニュースで話題の香港の空港でトランジットしてオーストラリアに行くときは,香港で入国しなくても再びセキュリティを通らなくてはならず,面倒(=4番目の写真)である。香港はトランジットが楽とよく書いてあるが,私はそうは思わない。
このように,トランジットをするときは空港によっても国によってもシステムが違うのだ。
ラウンジに着いたのはお昼過ぎだった。前回書いたように,着陸直前の機内であわただしく配られた朝食ではあったが,ともかく食事を終えたので,ラウンジで再び何かを食べる必要もなかったのだが,食べ物がずらりとならんだラウンジでおいしそうなサンドイッチがあったので,思わず手を出してしまった。
やがてフェニックス便の搭乗時間になったので乗り込んだ。小さな古い機体だった。なかなか離陸できず,機内でずいぶんと待った。しかし,この日の私はフェニックスに着いてからはレンタカーで2時間ほど走ってフラッグスタッフまで行くだけの予定だったから,多少の遅れは特に問題なかった。
ところで,飛行機が離陸するために飛行場を滑走路まで走ることを英語で「taxi」という(=2番目の写真)のだが,「taxi」にこんな意味があることを日本の学生はほとんど知らない。
今日の1番目の写真のように,飛行場では離陸する順番待ちの飛行機がまるで人が順番待ちをするように並んでいて壮観なのだが,窓際にでも座らなければ,乗っている人はなかなかそれが見られない。私は窓側の席だったから窓からずっとそれを見ていた。
やがて,乗っている飛行機の離陸の順番になった。1時間と少しのフライトののち,砂漠のなかに忽然と,以前見たことがあるフェニックスの町が見えてきた。19年ぶりのフェニックスだった。
2019夏アメリカ旅行記-2年越しの夢の実現を③
●一体何が楽しみなのだろう。●
エコノミーの狭い座席で海外旅行をするのが苦痛になってきた私は,デルタ航空とフィンランド航空に乗るときは,エコノミーコンフォートを利用するようになった。カンタス航空はアップグレードの仕方を知らないのでエコノミーで妥協しているが,大概隣の席が空いているから狭いと思ったことはあまりない。
2月に行ったハワイは,ファーストクラスが約4万マイルで手に入ったので,往復ファーストクラスを利用した。今回もそうしようと思ったが,ファーストクラスにアップグレードするには8万マイルほど必要だったので躊躇してそのひとつ下のプライムエコノミーという席が4万マイルほどだったので,試しにそれを利用することにした。
やがて時間になったので搭乗した。
私はてっきり往復とも窓側の席を予約してあると思い違いをしていたのだが,座席に行くと,私の隣の窓側の席にはすでに私より少し若いくらいの女性が座っていたのであわてた。私の勘違いで窓側席をとったのは帰国便だけだった。聞くところによると,彼女はロサンゼルスに住んでいて帰るところだという話だった。
今回のプライムエコノミーも,そのまたひとつ下のエコノミーコンフォートも,最前列は足元がすごく広いので,窓側に座っても隣の人の迷惑にならず移動して通路に出ることができるから,窓側席をとっても問題がない。最前列の欠点と言えば,ディスプレイが前の席の背中の部分にないから見にくいということと手荷物を置く場所がないということだが,私は機内で映画を見ないし,荷物も少ないのでこれもまた問題はない。
プライムエコノミーは思っていた以上に快適だった。座席はエコノミーよりずっと広く,フットレストもあった。イスの横には写真のようなレバーがあって,はじめ使い方がよくわからなかったが,いじくりまわすうちになんとかなった。それは,背もたれの位置やフットレストの位置を調節するものだった。さすがにファーストクラスのようなフルフラットにはなれないが,新幹線のグリーン車程度の座席だった。また,食事は豪華だった。こんな席に座って海外旅行をしはじめると,この先エコノミーシートに乗る気がますますなくなる。
ところで,若いころの私は海外に住むことに憧れていたので,隣にいた女性がロサンゼルスに住んでいるということを聞くだけで羨ましいと思ったものだが,それがどうしたことだろう,今ではそういう憧れはまったくなくなってしまった。
日本に住むのが快適,というわけでは決してないのだが,日常というのはどこに住んでも同じで,要するに,基本的に楽しくない,ということを知ってしまったからだ。非日常を求めるには住むのではなく旅するに限るのだ。ただし,住みたくない,こんな国に生まれなくてよかった,という国はけっこうあるから,日本に住むのはまだましだ。
私はどの国であっても,都会には住みたくない。東京なんて問題外だ。昔は東京でしか手に入らない,体験できないというものも多々あったが,今はインターネットでどこにいても手に入るし,何かを体験したければそのときだけ出かければ事足りる。外出したとき食事をしようと思っても,東京に限らず,名古屋ですら繁華街のレストランはどこも混雑していて,何十分も何時間も待ちになり,しかも,座席はせまく,ゆっくりと外食を楽しむこともできないありさまである。
その一方で,田舎生活には憧れるが,住めば住んだで近所づきあいがめんどうそうだ。しかしそれ以上に思うのは,日本のような妙に開発されてよさのなくなった田舎はともかく,アメリカやオーストラリアなどの郊外に行くと,旅で訪れるのにはいいところでも,ここに住んでいる人は毎日何が楽しみなのだろうと思ってしまうほど,何もない。毎晩,星を眺めてくらすのだけが楽しみというわけにもいかないだろう。
閑話休題。
いつものように,機内では食事をしたあとはだらだらと過ごした。どっちみち海外旅行をすると時差で体内時計はめちゃくちゃになるから,気にしても仕方がない。いろいろなグッズを持ち込んで少しでも快適にと工夫をしている人を見かけるが,気にしないに限る。私はノイズキャンセリングのついたBOSEのイヤホーンを重宝していて,これでクラシック音楽を聴いていると,自然と気持ちよく寝てしまう。
今回のフライト最大の欠点は,着陸前に出てくるはずの食事の準備が遅かったということだった。着陸予定時間の1時間前になっても食事が出てこないのでやきもきしていたら,やっと配りはじめた。これでは30分遅い。配り終えたころにはすでに着陸態勢に入って,大急ぎで片付けはじめるありさまだったので満足に食べる時間もなかった。おそらくこれは,客室乗務員のチーフの段取りがよくなかったからだろう。
2019夏アメリカ旅行記-2年越しの夢の実現を②
●意味のないことが大好きな国●
☆1日目 2019年6月25日(火)
うかつにも,というか,いつもどおり,というか,私は,今回の旅で行こうと思ったところにどうやっていくかということを,2年も前にすでにこのブログに書いたことすら忘れていた。しかし,自分で考えることは変わらないらしく,今回,そのときに考えたのと同じ方法で旅をした。
デルタ航空のロサンゼルス便は成田から出るものだと思っていたが羽田に変更されていて,昨年羽田からロサンゼルスに行ってみたら,こりゃ楽だと思った。そこで今年も同じ方法でロサンゼルスに行くことになった。ところで,デルタ航空はついに成田から全面撤退して,すべてのアメリカ便は羽田発着になると先日発表になった。
昨年はセントレア・中部国際空港から羽田国際空港までANAを利用したが,羽田での待ち時間がずいぶんあったので,今年は高速バスを利用しようと思って,チケットを購入した。しかし,何事かが起きて高速道路が渋滞するかもしれず飛行機に乗り遅れたら後悔するなあとだんだん心配になってきて,思いなおして新幹線に変更した。私は暇なので,新幹線を利用するときは「ぶらっとこだま」というJR東海ツアーズの企画商品を利用することにしている。これを使うとわずか1,000円余分に出すだけでこだまのグリーン車に乗れる。ガラガラのこだまのグリーン車はストレスがなくていいのだ。
出発当日は晴れであった。雨だと駅まで行くのに傘がいるのでめんどうだ。しかし,晴れていたのにもかかわらず,静岡では富士山を見ることができなかったのが残念だった。また,この旅に出るころやたらと関東地方に地震があったので,新幹線に変更したのはよいとしても新幹線も止まったらどうしようとそれだけが心配であったから,定刻に品川駅に着いたときはホッとした。
私は,羽田空港というところはモノレールで行くものだと思っていたが,調べてみると,品川駅から羽田空港に行くには京急,つまり京浜急行電鉄が一番便利だとあった。そこで,品川駅前の吉野家でお昼を食べてから品川駅の延々と続く通路を歩いて京急に乗った。お昼どきの品川駅はすごい人混みだったから,吉野家など行かずとも,名古屋駅で駅弁でも買って,それを新幹線の車内でまったりと食べたほうがもっと楽だったなあと後悔した。私は人混みが大嫌いなのである。
お昼どきにかぎらず,品川駅の混雑はほとほと嫌になる。品川駅に来るたびに,こんなところを毎日通って通勤をしている人が哀れでならない。
京急の駅は名古屋の名鉄の悪名高き名古屋駅みたいだったが,表示がわかりやすく,ことのほか便利であって,ほどなく空港に到着した。
羽田国際空港は国内線ターミナルと国際線ターミナルが離れているからトランジットするには不便な空港である。これもまた以前書いたが,この空港に限らず,日本の空港は,根本的な間違いをしている。空港というのは飛行機に乗るところという大原則を喪失しているのだ。ここは空港でなくテーマパークなのである。セントレアも同様で,飛行機を利用する人であっても,お昼どきには食事をする場所をさがすのさえ大変なのである。
飛行機を利用する人の利便性よりも空港に遊びに来る人が優先されるような日本の空港って何だろう,と私は思う。世界中から様々な人が来る国の窓口である空港という交通の根幹に,飛行機に乗らない人を無差別に集めてテロでも起こされたらどうするのだろう。これもまた,平和ボケの日本ならではである。
羽田空港には貧弱なカードラウンジだけはかろうじて存在するが,デルタ航空のラウンジであるデルタスカイクラブがない。空港のチェックインカウンタで聞いたら,東京オリンピックのころにはできるかもしれない,と言われた。先に書いたが,デルタ航空は成田空港から撤退してすべての発着を羽田に変更するので,そうなればおそらく羽田空港にラウンジを作ることになるであろう。
ところで,チェックインカウンタといえば,私は,ネットでフライトのオンラインチェックインをしてあったし,カバンもキャリーオンなので預けるつもりはなかったから,チェックインカウンタに寄らずそのままセキュリティを通ればいいと思っていた。しかし,パスポートチェックをするから一度チェンクインカウンタに行ってほしいと言われた。これではオンラインチェックインなど無意味でないか。国内線に搭乗するときも,今や紙の搭乗券すら不要だというのにそのほかに保安検査証と搭乗案内などという意味のない紙を2枚もくれるが,これもまた同様である。そもそも紙の搭乗券すらじゃまなのでスマホを使おうと思うのにその上余分なものをくれるおせっかいさったら,どう解釈すればいいのだろう。救いようがない。しかも,保安検査証が何の役に立つのか法的根拠があるのか不明だし,搭乗案内に印刷してある搭乗ゲートは変更があっても変更前のものが印字してあるからまったく用をなさないムダな紙なのだ。かといって個人情報が書かれてあるから処理に困る。
キャシュレス社会に頑なに現金で小銭を払ってレジで渋滞を起こしているような人同様,こういう時代錯誤なことを考える人が組織のなかにひとりはいるのだ。あるいはこんな紙を印刷する機械を考えて売り込むメーカーがあるのだろう。こうした意味のないことをして税金を使い仕事とゴミを作るのが日本人は大好きなのである。つくづく変な国だと思う。
2019夏アメリカ旅行記-2年越しの夢の実現を①
●「また来いよ」と言われた国●
今日からは,2019年6月25日(火)から7月1日(月),5泊7日のアメリカ旅行記である。
2017年9月29日と30日のブログに「古の大望遠鏡は今-世界一を誇ったアメリカの象徴」と題して,私が訪れてみたいアメリカの天文台について書いた。そして,昨年の今年と同じ時期にそれを実行に移し,私はロサンゼルスに旅立った。そのときの旅の一番の目的はパロマ天文台(1番目と2番目の写真は今年写したもの)に行くことだった。
しかし…。
以下は2018年夏のアメリカ旅行記の抜粋である。
・・・・・・
やがて,山の間にドームが見えてきて,これが夢にまで見た天文台だと感激した。そうこうするうちに,天文台の入口に到着した。天文台の公開開始時間よりも30分も早かったので,私は入口に車を停めて,ゲートが開くのを楽しみに待った。
時折,天文台の職員が車で登って来ては,右側の関係者のゲートから中に入っていくようになった。彼らは私の車に手を振ってくれた。しかし,9時を過ぎて,いつまで待ってもゲートが開かなかった(3番目の写真)。
中で何やら工事をしている人がいたので,大声で叫んでゲートまで来てもらって訳を聞くと,今週は駐車場の工事だから公開はお休みだと言うではないか。こんなことってあるのだろうか! よほど無理を言ってせめて望遠鏡くらい見せてもらおうと思ったが,誰ももうゲートには来なかった。
・・
ともかく,今回の旅の一番の目的地だったパロマ天文台に行くことができなかったのが極めて残念なことであった。何とか近い将来行ってみたいものだが,今度はアリゾナ州のフラッグスタッフあたりに行くときに含ませるのがよいのだろう。しかし,どうすればそれが実現するかとなるとこれが難しいのだ。
私にはロサンゼルスもサンディエゴもまた行きたいと思うような場所ではないが,フラッグスタッフに行くにはロサンゼルスから車で行くか,あるいはアリゾナ州のフェニックスまで行ってそこから車で行く必要がある。また,フェニックスに行こうと思っても,日本からは直行便がないから,結局どこかで乗り換える必要がある。それでも,日本からアメリカには午前中に到着するフライトが多いから乗り換えは不便ではないが,問題は帰りである。
また,アリゾナ州の夏は非常に暑いから,それ以外の季節を選ぶほうが無難かもしれない。
・・・・・・
その後,私はずいぶんと考え,その1年後に再びパロマ天文台を目指すことにしたのだった。そして,ついに,2年越しの夢を実現した。今年アメリカに行ってみて,また,アメリカへの想いがよみがえってきたのが,不思議なことだった。これは,昨年帰国したあとでは決して起きなかったことである。
昨年の今ごろは,ロサンゼルスからフェニックスどころか,たかだか片道200キロメートルで行けるロサンゼルスからパロマ天文台への道のりすらずいぶん遠く感じていて,果たして再び行けるのだろうかとさえ思っていたのだから,人,いや,自分の気持ちは自分でも理解不可能なのだが,人のこころはうつろいやすい,いや,概してそんなものだ。今となっては,むしろ,ロサンゼルスからフェニックスまでも空路でなく車で走ったほうがよかったのになあと,そう思うようになったのもまた,不思議なことだ。
なにはともあれ,私は,昨年行くことができなかったパロマ天文台に加えて,さらに,バリンジャー隕石孔とローウェル天文台という,これもまた長年行きたかったところを加えて旅をすることにしたのだった。
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