●ワシントンDCの便利な地下鉄●
ホワイトハウスまで行ったので,私はホテルに戻ることにした。どこも観光客が多いことに加え,とても暑くて,しかも歩く距離が長いので,年寄りには堪えるの
だった。
ワシントンDCの移動は地下鉄が便利で,ほとんどの場所に行くことができる。地下鉄は東西を横断するオレジラインとシルバーライン,南北を縦断するイエローラインとブルーライン,そして,北側をUの字に走るレッドラインと東からダウンタウンを通って南に行くブルーラインがある。ただし,車両が色分けされているわけではないから,駅の案内板で行き先を確認して乗り,車内放送などで乗換駅を聞いて降りる必要がある。車内放送はわかりにくいので路線図を片手に駅を見ながら自分の降りる駅を確認したほうが無難だ。
私の泊まっているホテルはオレンジラインとシルバーラインを使えば,最寄り駅であるイーストフォールスチャーチ駅に行くことができるのでとても便利であった。
ワシントンDCの治安は,ダウンタウンの北を東西に横断するUストリートやUストリートを越えた北西のアダムス・モーガン地区,ダウンタウンの南を流れるアナコスティア川より南が悪いと書かれているのだが,それ以外は大丈夫である。つまり,中心街は問題ないということだ。また,観光客が殺人事件に巻き込まれたケースは長い間一件もないということであるが,私はチャイナタウン近くのマクドナルドでさえ,やばそうだ,と感じたから,スリなどはどこでも気を付けたほうがいいと思う。
私は地下鉄に乗ってイーストフォールスチャーチ駅で降り,ホテルまで少し遠回りして,ホテル周辺の町を散策することにした。
郊外の住宅地であるこのあたりは,気の利いたレストランもたくさんありそうだったので期待したのだが,ちょっぴり高級そうなレストランばかりで,どこに入ればよいかかわからなくなってしまった。
ひとり旅をしているときに一番困るのが夕食である。一般に旅慣れている人は複数で旅をすることを嫌う。それは,興味も行動のペースも違うからである。ただし,夕食だけは一緒がいいというのが,ほぼ共通した意見である。
アメリカには,日本と同様にファミリーレストランがたくさんあって,ひとりならファミリーレストランが最も無難である。中華料理店も安くてボリュームがあるが,中華料理店のなかにはテイクアウトを主にしているところも多い。また「パンダエクスプレス」(Panda Express)という中華のファーストフード店もあって,これは,客層はあまりよくないけれど,おなかは満たされる。西海岸には日本料理店もたくさんあるが,日本料理店は中華料理店よりもすこし高級のイメージがある。
ホテルの近くにもそうした店があるのを期待したが,どこも少し金持ち相手のレストランばかりであった。おまけにこの日は金曜日であった。
困ってしまって,結局入ったのはシーフードレストランであった。名前を「チェイスン・テイルズ」(Chasin'Tails)という。ここはバケツ一杯入った生ガキが食べられるというのが売りの店であった。こちらではかなりの評判店なのであろう。
しかし,ひとり客の私が食べられそうなものはなく,結局迷った結果,手羽先もどきのものとパンを食べるはめになった。
面白かったのが座席で,私が案内されたのが夕日の眩しい席であったから,私はその席を変えてもらったら,次に来た客もまた,同じ席を案内されて,その客もまたそれに気づいて席を変更し,また,その次の客が同じようにその席に案内されて,また,変更し… を繰り返していたのだった。なんとアホな店員であろうことか。
手羽先もどきは非常に美味ではあったが,私には,そんなものよりも吉野家の牛丼のほうご馳走に感じられた。
食事を終えて,ホテルに戻ったが,このホテル,私がチェックイン時間以前にあてがわれた部屋に,別の客が,今まさに案内されようとしていたところであった。もし,もう少し遅く帰っていたら,部屋にはカバンがあったからどうなっていたことであろうか? フロントにいた係の女性は,私のチェックインしたのとき係とは別人で,係の女性は私がチェックインしたときに担当した女性の無能さに腹を立てているようであった。なんだか毎度繰り返されているミスのような感じであった。
なお,今日の最後の写真は,前回書いたホテルの廊下にあったスターバックスコーヒーのマシンである。
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2016夏アメリカ旅行記-2度目のワシントンDC④
●35年前の軌跡をたどる。●
私には2度目のワシントンDCであった。前回来たのが1981年のことだから35年前であったが,そのときに行くことができなかったアーリントン国立墓地の海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)に行くことができたから,今日の目的は達成した。
国立墓地を出てメモリアルアベニューを歩くと地下鉄の駅に着いた。このまま地下鉄でホテルに戻ってもよかったのだが,まだ帰るには早かったことと,目の前に1番目の写真のポトマック川を渡るアーリントンメモリアルブリッジがあり,その川の向こうにはワシントン記念塔が見えたものだから,その意外な近さに驚いて,ワシントン記念塔の向こうのナショナルモールに行くことを決めたのだった。
結局,この日,私はナショナルモールをさらに歩いて,ホワイトハウスまで行った。この場所は,ワシントンDC観光の定番コースであり35年前にも同じように歩いたが今回再び歩いた印象は,ずいぶんと古びたなあ,ということであった。これが歳月ということであろうか。
はじめてここに来た時は,この広大なアメリカ合衆国の首都を見て,よくもまあこんな国と戦争をしたものだ,と思った。その印象があまりに強かったものだから,私のワシントンDCの思い出は35年前のままであった。
その時代,アメリカでは大都市の中心部はどこもスラム化が進んでいて治安が悪く,それにもまた驚いたものだった。その後の好景気で,いくつかの都市を除いて,アメリカの大都市は再開発が進み,新しい高層ビルが立ち並ぶようになったが,ワシントンDCのナショナルモールの周辺は35年前そのままの姿であった。ただし,美しかった芝生も枯かけていたり,あるいは修復の工事中だったりした。そしてまた,観光客が異常に多かった。
奈良時代からすでに,日本は大陸の脅威におびえ,それは今も相変わらず同じだが,それに対抗するために,庶民は弥生時代同然の暮らしをしていたのにもかかわらず,巨大な平城京,そして,平安京を作り上げた。今,東京の皇居から霞が関あたりに行くと,やはり,その広大な敷地に驚く。こうした「大きさ」というものこそが「権威」なのであろう。その大きさに人々はひれ伏すのだ。そしてまた,ある人は何か勘違いをし,そうした権威を手に入れようとして一生を棒に振るのだ。
しかし,歴史を学べば容易にわかるように,幸せな人生をおくった権力者などいないわけで,人として最も幸せな生き方というのは,自由をいかに手にいれるか,ということなのだが,そのことが最も難しい。
私は,こうした「権威」を目の前にすると,いつもそうしたことを思う。
さて,今日は,どこにでもある写真であるが,この日に私の写したワシントンDCの観光の定番をご覧ください。
2番目の写真がリンカーン記念館(Lincoln Memorial)である。古代ギリシアの神殿を模した白亜の記念館には椅子に腰かけた5.8メートルのリンカーンの座像がある。この座像には
・・・・・・
IN THIS TEMPLE
AS IN THE HEARTS OF THE PEOPLE
FOR WHOM HE SAVED THE UNION
THE MEMORY OF ABRAHAM LINCOLN
IS ENSHRINED FOREVER
・・
エイブラハム・リンカーンの名声は
彼に合衆国を救われた国民の心と同様
この神殿に永遠に秘められる
・・・・・・
と刻まれている。
そして,3番目の写真がワシントン記念塔(Washington Monument)である。高さが169メートルあり,最上階には展望台がある。以前は並べば容易に昇ることができたが,今は事前にインターネットで予約しないととてもでないが人が多すぎて昇ることが不可能になってしまった。
アメリカの観光地には,馬に乗った警官の姿をよく見かけるが,これが4番目の写真である。考えてみれば,車なら渋滞して動かないところでも馬なら移動が容易なのであろう。
そして,5番目と6番目の写真がホワイトハウス(White House)である。5番目のものが南側,6番目のものが北側で,南側は遥か遠くまでしか近づくことができない。非常にガードが厳しいのである。それに対して,北側はほぼ正面まで行くことができる。よくテレビに出てくるのは北側からのもので,ここで,プラカードをもって座り込んでいたりする姿も見ることができる。
35年前に行ったときは,この北側からイーストウィングの見学コースに入ることができた。朝早く行ってワシントンDCの観光コースをまわる前に並んで,入館する時間の決められたチケットを入手するのがコツであった。現在は国会議員の紹介があれば入れるとか,いや,外国人は大使館の斡旋が必要だとか日本大使館では斡旋をしていないとか,さまざまな情報があるが,いずれにしても,日本からの観光客が入るのは不可能であろう。
私は再びここに来ることができた興奮から,まわりの観光客たちに「私は昔ホワイトハウスのなかに入ったことがあるよ」と自慢げに話しかけていたのだった。
2016夏アメリカ旅行記-2度目のワシントンDC③
●若いというのはすごいことだ。●
チェックインを済ませ荷物を部屋に入れてから,私は再び外に出た。今度はインターステイツの側道を歩いていったら,思いのほかすぐに地下鉄の駅に出た。ただし,日差しを遮るものがないのて大変だった。それにまた,ここはサイクリング道路を兼ねていたので,多くの自転車が行き交っていた。
短い滞在日程のなかで,まず,どこに行こうか考えたが,35年前に行くことができなかったところを優先することにした。
若い人が旅行をするときには,これが最後だとは思わないほうがいい。この先,その気になればいくらだって行くことができるから,そうした将来を考えて,旅行の計画を立てるといいと思う。若いときこそ行ってみたほうがいいと思われる場所もあれば,歳をとってからのほうが有意義なところもある。
などと書いてはいるが,そんなことを35年前私は夢にも思わなかった。そのときに来たワシントンDCで行ったのは,アーリントンの国立墓地にあるケネディ大統領の墓,ワシントン記念塔,ホワイトハウス,スミソニアン博物館,国会議事堂,造幣局,FBI,さらには,ウォーターゲートビルであった。当時は,観光客も今ほど多くはなかったし,セキュリティも今のようなことはなかったから,ワシントン記念塔も少し並んだだだけで昇れたし,ホワイトハウスの内部を見学することもできたし,さらには,国会議事堂の見学コースに行くつもりが,間違えて?! 国会の傍聴をすることになってしまった。
その代り,私は,国立墓地では有名な海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)の存在を知らず行かなかったし,ポトマック川の存在を意識することもなかったし,ワシントンのダウンタウンなども歩くことができなかった。
ホテルから最も近いのがアーリントンの国立墓地だったから,私は,まず,海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)へ行くことにした。
数年前にニューヨーク行ったときにも思ったが,若いというのすごいものである。それほど語学力もなかったし,世のなかのことも知らなかったが,35年前の私が行ったところは,その多くが,今ではもう公開していないので入ることすらできない場所だったり,混雑していて入ることが困難なところで,今やろうとしても夢のようなことばかりなのである。こんなことができたのが,今の自分でも信じららないのだ。
私はもうすでに乗り慣れたワシントンDCの地下鉄に乗って,アーリントン国立墓地(Arlington National Cemetery)を目指した。,アーリントン国立墓地へ行くには,地下鉄のブリーラインのアーリントンセメトリー(Arlington Cemetry)駅で降りるのだが,海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)は国立墓地の北にあるので,地図を見て,私はロズリン(Rosslyn)駅で降りることにした。ロズリン駅まではイーストフォールズチャーチ駅からはわずか5駅で,乗り換える必要もなかった。
ロズリン駅を出ると,非常にきれいなビジネス街で,まさに,日本でいう副都心のようなところであった。
なにせ,ものすごく暑い日で,そのなかをこのあとは歩いて行かなければいけないのだが,道案内があるわけでもないし,どこをどう歩けばいいのか,さっぱりわからない。
後で知ったことには,アーリントン墓地へ行くにはアーリントンセメトリー駅で降りるべきなのだ。そうすれば,正門ゲートからなかに入ることができるし,循環バスにのって,園内を回ることができるわけだ。
それを私はひとつ前のロズリン駅で降りたものだから,裏口入学のようになってしまった。こちらの方向だろうと見当をつけて歩いていくと,やがて私のめざす海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)(Marine Corps War Memorial (Iwo Jima Memorial))が見えてきた。思っていたより,はるかに巨大なものであった。
1945年2月23日,太平洋戦争でアメリカ軍の日本侵攻のため,硫黄島上陸作戦が行われた。約1か月の激戦でアメリカ軍が勝利し,占領した証に兵士たちがアメリカ国旗を立てた。その姿をジョー・ロウゼンタール(Joe Rosenthal)がカメラに収め発表した。海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)は,写真を見た彫刻家のデ・ウェルダン(W.de.Weldom)がそれをブロンズ像に表現したものである。高さが10メートル,幅が20メートルで,たなびく星条旗は本物である。
この場所は治安が悪く,日没後は行かないほうがよいらしい。
私は,海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)を見てから,墓地に沿って南に歩き,ジョン・F・ケネディの墓,無名戦士の墓と回った。
無名戦士の墓は1948年以降,陸軍第3歩兵隊(The Old Guard)の衛兵によって雨の日も風の日も24時間警護されている。衛兵はライフルを片手に墓地を21歩,21秒で往復し,方向転換をする。そして,30分おきに交替式を行い,その姿は見ることができる。21というのは国際的な儀典礼式にならい「敬意」を表すものである。
アメリカでは国を守るということに対してこれだけのリスペクトをはらっているのである。
国立墓地はすでに来たことがあるとはいえ,思ったよりもずっと広く大変であったが,なんとか逆回りにして国立墓地のビジターセンターに行き,そこから正門をくぐって外に出た。
海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)にはほとん観光客がいなかったが,正門のあたりにはバスもたくさん停まっていて,すごい観光客であった。有名な海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)であるが,墓地からはかなり遠いので,35年前に行くことができなかったのも無理のないことだったなあと,このとき知った。
2016夏アメリカ旅行記-2度目のワシントンDC②
●クレジットカードがスキミングされた!●
ワシントンDCの地下鉄も,日本の郊外と全く同じで,私の降りたイーストフォールチャー駅は地上の高架にある駅だった。グーグルマップで調べてあったから,私は,日本にいるときから,この駅付近の様子はわかっていた。
すでに書いたことだが,私はニューヨークへ行ったときもサンフランシスコへ行ったときも,ダウンタウンまで15分から30分程度の郊外の地下鉄の駅近くにホテルをとったが,このワシントンDCで私が予約した場所は,そのなかでも特に想像以上に便利なところであった。この場所は治安も全く問題がなく,郊外の静寂な住宅地であった。ひとつ問題があるとすれば,ホテルの近くには「適当な」レストランがなかったということだけであった。
ここで,少し話題がずれる。
この旅で,私はワシントンDCを予想以上に楽しむことができた。ホテルも申し分なかった。
ただし,クレジットカードをワシントンDCで使用したときにスキミングにあったらしく,日本に帰国して3か月ほどしたあとで,アメリカのアマゾンコムと,もうひとつ,私のまったく知らないファッショングッズの通信販売で使われたのが発覚したのだった。
ネットで支払いの詳細をチェックしていたときにそれを見つけカード会社に連絡した。幸い銀行で引き落とされる前だったので引き落としを中止してもらい,クレジットカードは即座に番号を変更して再発行してもらった。その後,不正利用が証明されるのにさらに数か月を要したが,結果として私に損害はなかった。
カードがスキミングにあったのは,おそらく,ワシントンDCのレストランでクレジットカードを利用したときであろう。アメリカでは,レストランの精算ではクレジットカードを店員に渡すからである。
私は,カードを用途ごとに使い分けているからよかったが,もし,公共料金などの引き落としにも同じカードを利用していれば,カードの番号を変えればさらに多くの手続きが必要になっていたことだろう。
こういうことが起きても,私は,クレジットカードは現金よりもはるかに安全だと思っている。日本では,未だ,現金しか使わない人も多いが,ずいぶんと危険でかつ無駄なことをしているものだと,私は思う。ただし,クレジットカードは使い方次第であるし,その危険性を理解していなければならない。私は用途ごとに使うカードを分けているのだが,これもひとつの方法であろう。
そうしたこともあって,せっかく楽しかったワシントンDCの思い出が,このクレジットカードのスキミング事件で台なしとなってしまった。
さて,話をもとに戻そう。
駅からホテルまでは,写真にあるような清楚な住宅街で思ったよりも時間がかかった。暑いのでカバンを転がして歩くのは結構大変であった。しかし,このあとわかったことだが,高速道路の側道を歩けば5分くらいの距離であった。
歩いてたいへんな距離ではなかったが,坂があることや,日差しが強く,真夏の炎天下が体に堪えた。アメリカの東海岸は日本と同じような高温多湿な気候なので,夏にわざわざ観光旅行で行くようなところではないのかもしれない。
やがて,予約してあったホテルに到着した。まだチェックインの時間よりは早かったが,部屋に入ることができた。部屋は写真のように広く,私ひとりではもったいないほどであった。このホテル,廊下にスターバックスコーヒーの器械があって,自由にできたてのコーヒーを飲むことができたのがとてもよかったし,ちゃんとした朝食もついていた。
2016夏アメリカ旅行記-2度目のワシントンDC①
●ワシントンDCの地下鉄●
私はこの旅でワシントンDCを観光するにあたって,一番大変だったのはホテルを探すことであった。これは,アメリカの大都市を旅するとき共通の悩みである。
シアトルのようなよく知っている都会ならともかく,どこに宿泊すればよいのかがわからないのである。私のような一人旅ではダウンタウンのホテルの宿泊代は異常に高いのでなるべく郊外に泊まりたいのだが,車を使わないならば,フィラデルフィアでもそうであったが,公共交通機関の最寄りの駅に近くでなければならないというのがホテル探しの最大のポイントである。
ワシントンDCの地下鉄の路線図を見ながらホテル探しをして,私がようやく見つけたのは「イーストフォールチャーチ駅」(East Fall Church Metor Station)から歩いて5分ほどのところにあるエコノロッジメトロ(Econo Lodge Metro)という名のホテルであった。この「イーストフォールチャーチ駅」というのは,ワシントンDCのダウンタウンから西にポトマック川を渡ったバージニア州アーリントン地区にあって,地下鉄のオレンジラインとシルバーラインの駅である。ダウンタウンまでは15分程度で行けるので,理想的なものであった。
問題は,夜,駅から歩いてホテルに戻るときの治安だけであったが,この場所なら特に問題はなかろうと思った。
ワシントンDCのユニオン駅はさすがアメリカ合衆国の首都だけのことはあって,かなり立派な総合駅であった。とはいえ,新装なった東京駅のような豪華さを期待してはいけない。
思うに,アメリカで豪華なのは空港である。これは日本とは全く比較にならない。成田空港など,せまく古く汚いし,レストランもたいしたところがない。これが天下の! 日本の首都の空港かという感じである。鉄道の駅はその正反対であろう。
私は,まず,ユニオン駅で昼食をとることにした。適当な店を選んでなかに入ってみたが,私には,東京同様,アメリカの首都の人々の行動の速度に全くついていけないのだった。なにせ,どんどんと注文をして,人が流れていくのである。一体私は何を注文すればよいのであろうか? 私が東京駅でとまどうのと同じシチュエーションであった。わけがわからず,前にいた客と同じようなものを適当に注文した。ともかく,グルメでない私はおなかが満たされて,野菜が取れればそれでよいのである。
その後,地下鉄の駅に行った。
チケットの自動販売機が並んでいて,親切な係員もいた。ワシントンDCでは,日本の「Suica」のようなシステムの「Smartrip」カードがあって,とても便利であった。このカードは発券時にカード代が2ドル必要(この2ドルは戻らない)で,はじめにこのカード代の2ドルとさらに乗車用の数ドルをチャージするわけである。もちろん日本とは違ってクレジットカードで購入ができる。これを購入して,数ドル分をチャージした。
ワシントンDCの地下鉄に乗るのは,前回35年前に来たとき以来であった。核シェルターになるといわれる広い地下道を走る地下鉄は,35年前にはずいぶんときれいな地下鉄だと思ったが,今回は古びて汚い地下鉄だなあと思ったことだった。