NHKEテレで今も放送されている「旅するドイツ語」という番組を,放送がはじまったころは知りませんでした。早朝になにげなくテレビをつけたときに偶然この番組が流れました。クラシック音楽をバックミュージックに,別所哲也さんが美しいウィーンに出かけて,覚えたてのドイツ語で会話を試みるという,いままでにない趣向の語学番組でした。この番組を見て,私ははじめてオーストリアという国に行こうと思いました。幸いにも,半年後にこの番組は再放送されて,番組の第1回から見直すことができました。私が断言できるのは,もしこの番組が放送されていなかったら,そしてまた,この番組を見なかったら,私がオーストリアに行くことは決してなかったということです。
クラシック音楽好きの私はウィーンに憧れてはいましたが,これまで行こうと思わなかったのは,この国がドイツ語圏であるということが理由のひとつでした。自分には無縁の世界のように思えました。しかし,出かけてみると,実際は,この番組で話すようなドイツ語はほとんど必要なく,英語で問題なく旅ができました。
いつものように,私は,実際に足を運んだ後で,自分の愚かさに気づかされるのです。それは,アメリカに行ったときも,フィンランドに行ったときも同様でした。まず,その国の歴史を知らないというのが致命的でした。そして,帰国してから,それを詳しく知ろうとして,その国にさらに興味が増すのです。それに加えて,それまでクラシック音楽を多く聴いてきたことが,オーストリアの旅を一層楽しくすることにつながったのを感謝しました。
それともうひとつ。私は,それらの国の名所・旧跡よりも,その国に住む人たちの暮らしに興味をもつのです。それはオーストリアに行ったときもまた,同様でした。3日目,ウィーンからザルツブルグに出かけたとき,長距離列車の車内からみたオーストリアの大地が,その雄大な風景が,私の心を打ちました。列車から見たその景色が,私を再び,その地に招くのです。どんな人がどのような生活をしているのだろうと考えるのに車窓ほど適した場所はありません。
今度行く機会があったら,そうしたところを時間を忘れて訪ねてみたいものだと,いつも思うのです。それが旅をする新たな動機となるのです。
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2018年がやってきた・その後-また来いよと言われた国
私は,このところ何年もハワイには行っていてもアメリカ本土には行っていないような気がするのですが,実際は2017年も2018年もアメリカ本土に上陸しているのです。2017年は8月にアイダホ州で皆既日食を見ましたし,2018年は6月になんとなくカリフォルニア州に行ってきました。そのときの旅行記は現在も続行中です。
私は,アメリカは行き過ぎたので,旅行をしても日常と非日常が混在してしまっている感じになっていて,旅をしてきたという感覚がもはやないのですが,昨年の旅行については,今にして一番に思い出すのは,遅く着いたイニョカーンという小さな町,というのだから,自分でもそのことに驚いています。イニョカーンに限らず,同じく,昨年行ったニュージーランドでも,一番に思い出すのはクイーンタウン近郊のアロータウンという小さく古い静かな町だし,オーストリアでもウィーンの郊外ハイリゲンシュタットだし,というように,こうした小さな町に,まるで何年も住んでいるような気がして,愛着を感じるのです。その感覚は,それらとは実際はまったく違うところにもかかわらず,夕暮れに車で走った四国・徳島郊外の小さな町と同じようなのです。
どうやら,名所とか観光地とかではなく,夕暮れのわびしい里山の風景,そんな心に染みるような情景こそが,私の原風景のような気がします。
さて,私がアメリカで見てみたかったものは,これまでに何度も書いたように,今はもう旧式となった往年の天文台とそこで活躍した天体望遠鏡だったのです。そこで,それらを効率的に見て回る計画を立てて,昨年はカリフォルニア州にあるパロマ天文台とウィルソン山天文台に行ってみようと思いました。そして,そのついでに,ずっと行きたかったデスバレー国立公園とセコイア国立公園にも行くことにしました。
アメリカは広く,その広いことが,私はずっと好きだったのですが,それも次第に億劫になってきました。簡単に電車で行ける距離ではないのです。様々な場所をまわるにもそれぞれがまる1日かかるわけです。ところが,わざわざ出かけた,年中無休だと思っていたパロマ天文台の公開が,私が行ったときに限って中止されていたのです。いったいどういうことでしょう。いつも幸運に恵まれている私にも,時にはこんなこともあるのです。そこで,おそらくそれは,私に「また来いよ」と言っているのだなあ,と思うことにしました。
そんなわけで,数々の場所を訪れることができた2018年は,思った以上の幸運に恵まれた旅も多けれど,パロマ天文台に行くことができなかったこととアイスランドでオーロラを見ることができなかったこと,このふたつのことだけが成し遂げられず,心残りになってしまいまいた。
「また来いよ」と言われれば,また行くしかないなあ,と今は思っているのです。そして,これこそが,私が再び旅に出るぞという気持ちにさせる力なのです。
2018年がやってきた・その後-南天の星空が見られる国②
これまでずっと無縁だった南半球でしたが,星空,特に南十字星とマゼラン雲を見たさに昨年行きはじめて以来,何度も足を運ぶようになりました。前回書いたように,ニュージーランドのテカポ湖で私は満足いく星空を見ることができました。しかし,南半球に出かけるのなら,わざわざ遠いニュージーランドまで行かずとも,オーストラリアで十分なわけです。
ニュージーランドには,星空の美しいといわれるテカポ湖以外にも,マウントクック,ミルフォードサウンドなどの観光名所があります。それに比べたら,正直言って,オーストラリアという国には,絶対見るべきというような観光名所はエアーズロック以外にはあまりありません。しかし,これらのふたつの国は,自然の美しさと素朴さ,そして,いうまでもなく,満天の星空が,星好きの私の心をつかんで離しません。
そこで,2018年は,10月のニュージーランドに加えて,なんと,3月と5月の2回もオーストラリアに行くことができました。なかでも,3月に行ったときに深夜の砂漠の中でみたろうそくの灯りひとつない夜空に浮かぶ満天の星空は忘れることができません。私がこれまで見た中で最高のものでした。
昨年のお正月,
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私の印象ではニュージーランドはあまり天気がよくありません。お昼間は毎日雲がたくさん出ます。しかし,2016年に行ったとき,夜だけはいつも快晴でした。私は,それがいつもそうであるのかどうかわかりません。また,テカポ湖付近はホテルもなかなか予約がとれないものなのかどうかもよくわかりません。このように,私にはニュージーランドはアメリカに行くのとは違って,謎だらけなのでした。
果たして,私が抱いているニュージーランドの謎は解けるのでしょうか?
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と書きましたが,改めてニュージーランドに行って,自分なりに謎が解けたような気がします。
ニュージーランドは思っていたよりは天気がよいところです。ただし,オーストラリアの砂漠地帯とは違って,雲がまったくない快晴,という感じではありません。宿泊地も,テカポ湖のような観光地から少し離れた小さな町ならば泊る場所に困るわけでもなさそうでした。一方,オーストラリアの場合は,ニュージーランド以上に,宿泊場所に困ることもなさそうです。
南半球の星空はなんといってもその透明度です。日本でいくら山奥に出かけても -とはいえ日本ではどんな山奥に行ってもどこかに地上の光が漏れているのですが- 湿度の高い日本では,澄んだ星空を見ることができないのです。南半球では夕方空が暗くなったときから澄み通った夜空に広がる満天の星々が迎えてくれます。
このように,これらの国は,のんびりと自然と接するにはとてもすばらしい場所です。私はこれからも,満天の星空が見たくなったら,何度でも足を運ぼうと思っているのです。
2018年がやってきた・その後-南天の星空が見られる国①
今年2018年の1月,
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今年の秋のテカポ湖畔のホテルの予約状況を調べていて,手ごろな値段で宿泊できるホテルを見つけたのですぐに予約をしてしまいました。ということで,今年の秋,私は再びニュージーランドに行くのです。
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と書きました。そして,実際に行ってきました。
2016年の秋にはじめて行ったニュージーランド,このときは勝手がわからず,テカポ湖では高価なホテルに宿泊することになったりとかいろいろと苦戦しましたが,ともかく,テカポ湖で満天の星空を見ることができました。しかし,そのときは,帰国後,ニュージーランドにさほどの想い入れはなく,まさかまた行くことになろうとは思っていませんでした。
しかし,それからしばらくして,再び行きたくなったのが我ながら不思議なことでした。
我が家の居間に,2016年に行ったときにテカポ湖で写した星空の写真と2018年に行ったフィンランドで写したオーロラの写真が並んで飾ってあります。テカポ湖の写真は,そのときは無我夢中で写したのですが,今考えると,適当な機材を持ってはじめて行った南半球でよく撮れたものだという気がします。それでも,テカポ湖で写した写真には「善き羊飼いの教会」の上空に少しだけ雲がかかっていて,南十字星がはっきりと写っていませんでした。だんだんとそれが気になってきて,今度こそ雲のない星空の写真を写したいなあ,という気持ちが高まってきたというわけです。
実際に出かけてみて,そんな考えが甘かったことに改めて気づきました。
2016年に行ったとき,ニュージーランドはお昼間の天気があまりよくなくて,曇りばかりでした。晴天率が高いなどというのは偽りだと思いました。ところが,夜になると連日雲が切れて滞在中は連日星空が見えました。しかし,2018年はお昼間は晴れていましたが,夕方になると雲が出てくるのです。これでは,せっかく来たのに雲ひとつない星空の写真など到底写せません。もう一度ニュージーランドへ行けば,今度こそ雲のない星空の写真が写せる,というのは夢物語だったと思いました。
しかし,滞在1日目の晩に奇跡が起きました。お昼間の快晴から夕方すっかり曇ってしまったあと次第に雲が切れてきて,再び快晴に。こうして満足した写真を写すことができたのです。結局,快晴だった夜は3泊したうちのこのはじめの1晩だけだったのですが,雲ひとつない星空の写真を写すという念願がかないました。
それ以上に私が驚いたことは,2016年の秋にはあれほど辺り一面咲き誇っていたルピナスの花だったのに,2018年は1か月ほど時期が早かったので全く咲いていなかったということです。私が2016年に行ったときのニュージーランドは,偶然にも願ってもないベストシーズンだったということなのです。このように,旅というのは,はじめて行ったときの印象が強いもので,また同じ喜びを得ようと2度目に出かけても,はじめて行ったときの感動を再び手に入れることは難しいと,行ってみて気づくのです。
しかし,たとえルピナスの花が咲いていなくとも,それでもやはり,ニュージーランドで見た南半球の星空というのは,晴さえすれば魅力的でした。
私の愛するニュージーランドですが,日本からは遠く,そして,最高の季節と満天の星空に出会うのは容易なことではありません。
◇◇◇
2018年がやってきた②-今年もテカポ湖へ行く。
2018年がやってきた・その後-オーロラの見られる国②
2018年もあと2日です。歳をとるごとに,たとえどんな日であれ,何をするときであれ,1日1日を,そして,その瞬間を,つねにより楽しく過ごそうという思いが強くなってきました。この1年,過ぎてしまえば短かかった気がしますが,振り返ってみると,ずいぶんといろんなことを経験できました。
今は当たり前になってしまったヨーロッパ旅行も,慣れっこになってしまった南半球への星見も,見慣れた満天の星空も,そうしたことのほとんどはこの1年で経験したことです。そしてまた,ずいぶんと新しい友人ができました。一時は「人恋しい」病にかかったのですが,それも全快しました。今年は,これまでずっとやってきた好きなことをすべてレベルアップしようと取り組んできたのですが,それもどうやらうまくいきました。
なんといっても,2018年前半の思い出は,2月に出かけたフィンランドのロバニエミでオーロラを見たことでした。そして後半は,11月に行ったオーストリアのウィーンでコンサートとオペラを見たことでした。それまでヨーロッパには30年あまりもの長い間行くこともなかったのですが,行きはじめたらハマりました。今後も何度も足を運ぶことになりそうです。こうして新たな楽しみを見つけたことが,2018年の収穫でした。
今日はそんな2018年を振り返り,年のはじめに書いた「2018年がやってきた」のその後について,前回に引き続き書いてみます。今日はオーロラの見られる国に行った続編です。
昨年の夏にアラスカでオーロラを見たことでオーロラにすっかりはまってしまい,今度は別の場所で見ようとふと思い立って出かけたのがフィンランドとアイスランドでした。そのなかでもフィンランドは行ってみて大好きになりました。
フィンランドに行くと決めた後で,一番心配だったのが寒さでした。マイナス10度,いや実際はマイナス30度だったのですが,そんな気温なんて,想像もできませんでした。名古屋市には市立の科学館があって,そこで極寒体験ができます。極寒体験で体験した温度はマイナス30度でしたが,分厚い防寒具を借りればなんとかなりました。そこでまず私が考えたのはどんな防寒具を持っていこうかということでした。私が旅行をするときのプライオリティ(優先事項)は,なるべく身軽で,持ち物をできる限り少なくするということです。そこで,軽く小さくたためてしかも暖かいという条件で服をさがしました。その服はかなり高価だったのですが,それで十分でした。ただし,極寒の場所以外では使い道がないのに困りましたが…。しかし,そのおかげで,マイナス30度は何の問題もないということがわかりました。
運よく天気にも恵まれて,オーロラをしっかりと見ることができて感動の思い出となりました。
フィンランドでオーロラを見たときに聞いた話で,オーロラ見るならアイスランドでしょう,というのがありました。そこで,それだけの理由で,次に,夏にアイスランドに出かけました。
大いに期待して行ったアイスランドでは,すばらしい大自然が待っていました。しかし,想像以上に物価が高かったこととと思った以上に天気がよくなかったことで,結局,私には期待外れに終わりました。それでも,アイスランドなんてめったに行くこともできないところだから,今回勢いで行ってみたのはよかったと思います。ひょっとしたらそのうちに懐かしくなってまた行ってしまうかもしれません。実際はフィンランドのヘルシンキから乗り換えて3時間以上もかかるのですが,私にはすごく身近なところのように思えるのが不思議です。
フィンランドやアイスランドに限らず,何かをしようとか何かを見ようとといった目的のある旅は充実している反面,そうした目的を達成するには,特にそれが自然相手だとさまざまな制約や運があって,それが実現できなかったときは残念な気持ちとトラウマが残ってしまうという一面があります。そこで,そうした目的なしで,何をするということもなく,気ままに旅を楽しめたらいいなあと思うこの頃です。
◇◇◇
2018年がやってきた・その後-オーロラの見られる国①
2018年がやってきた・その後-オーロラの見られる国①
早くも2018年も3か月が過ぎてしまいました。月日の流れはまことに早いものですが,それにしてわずか3か月の間にいろんなことがありました。
今年の元日に「今年もオーロラを見たい。」と書きましたので,今日は「その後」の報告です。私ははやくもそれを実現しました。幸い,今年私が見たオーロラはとてもすばらしいものでした。しかし,私の夢はこれで終わったわけでなく,さらに増幅しはじめたのです。
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その1
「(これまでフィンランドに行かなかったのは)フィンランド語がわからない,ということでした。しかし,フィンランドでは英語通じる(らしい)のです。」と書きました。
実際,フィンランドでは英語だけでまったく不自由はありませんでした。考えて見れは,私が英語圏でない海外へ出かけたのはこれまでフランスだけでした。
フィンランド語というのは独特な言語で,前置詞がない,名詞に性の区別がないとかいった日本語に似たような特徴もあるそうです。そこで,意外にもフィンランド人は日本人同様に英語を学ぶのに苦労しているそうですが,「ドリル学習」をして点をとり順位を争うだけの日本とは違って,教育に巨額の予算をかけIT化を推進し,教師のレベルも高く,教育の内容も本質的にすばらしいので,ちゃんと実用化のレベルに到達していて,英語が通じます。
私がフィンランドで少し困ったのは,看板などにフィンランド語しか書いてないことがけっこうあって,その単語の多くがまったく英語とは異なっているので意味が想像すらできないことでした。というわけで,これではいかん,ということで,私は,トラベル・フィンランド語なるものに少し取組みはじめました。また行く日のために…。それとともに,英語圏以外にもこれからはどんどん行ってみようと思うようになりました。
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その2
「ロヴァニエミまではヘルシンキから空路で1時間ほどで行けるのです。ということで,さっそくこの春に出かけることにしました。さて,極間の地,どんな素敵なことが待っているでしょうか?」と書きました。
ロヴァニエミ,ものすごくすてきな町でした。北極圏というのはもっとさびしいところだと思っていたのですが,まったくそんなことはありませんでした。マイナス20度という寒さは全く問題ではありませんでした。プラス30度のほうがずっとたいへんです。これからはこうした寒い地域にもおじけづくことなく行ってみようと思ったことでした。せっかく高価な防寒具を買ったことですし。
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こうして,私はすっかりオーロラに魅せられてしまいました。そして,こうなったら地球上でオーロラをよく見ることができるといわれる場所をすべて制覇してしまおう,などと考えるようになってきました。その場所は,これまで行ったアラスカ州フェアバンクスとフィンランドのロヴァニエミのほかに,カナダのイエローナイフ,アイスランド,ノルウェーのトロムソなどです。どうやら,私はこれから先,こうした場所に地球とともに夢をみるために足しげく通うことになりそうです。
そうです! やはり「世界はいつもときめきに満ちているです。オーロラは最高です。
◇◇◇
2018年がやってきた①-今年もオーロラを見よう。
2018年がやってきた⑤-1年は長いのか短いのか?
大相撲も将棋も,一時いろんな問題が起きてファンが見放したのですが,昨年は,大相撲は稀勢の里関が横綱に昇進したりと明るい話題が続き,将棋もまた同様に明るい話題が起きて,同じようにV字回復をしました。ところが大相撲は再び様々な問題が起き,世間の話題もそればかりとなりました。おそらく,今年はその影響がじわりじわりと出てくることでしょう。
それに対して将棋はずっと明るい話題続きです。
藤井四段のひふみん(加藤一二三九段)とのデビュー戦での勝利からはじまり,その後29連勝。そしてひふみんの引退,羽生永世七冠の誕生と,佐藤康光九段が会長になって以来,いいこと続きです。ちょうどそんな時期にAmebaTVが放送を開始したことがまたタイミングがよく,それまでは観戦する方法があまりなかった将棋がずっと身近なものになりました。
将棋の竜王戦といえば,「あの」三浦九段の事件が起きたのがちょうど1年前の竜王戦だったのを思い出しました。昨年の竜王戦七番勝負は惨憺たる結果でした。それがわずか1年前のことだとは,とても信じられません。もう,遠い昔のような気がします。それを考えると,1年という月日は長いのか短いのか…? とても不思議な気がします。
私も公開対局で観戦をしたり,AmebaTVで対局を見たりしているのですが,まあ,何と将棋というのはおもしろいものだろうとはじめて思いました。それに気づかなかったのは,これまで,新聞の将棋欄とNHKEテレの将棋対局でしか見る機会がなかったことが原因なのでしょう。このように,何ごとも,上手な見せ方というのが大切だということです。旅と同様,自分で体験することが大切なのです。また,聞き手を務めている女流プロもこれほど人材がいたとは。これまで,こうした人たちの才能を眠らせていたことが残念でなりません。
先日の朝日杯将棋オープン戦のニュースがさまざまな番組で流れました。そのなかで,テレビ朝日の「サンデーステーション」という番組での取り上げ方はひどいものでした。この番組では「(藤井四段が)デビュー以来29連勝をしたあとで,その後わずか半年あまりで11敗するなどプロの壁にもがいていました」というナレーションが流れました。それは間違いではないのですが,あれではその後11連敗したかのような印象を与えます。
実際の成績は,○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○●○○●○○○●○○○○●●○●○○○○○○○○○○○●○●○●○○●○●○○○
というわけで,通算58勝11敗,29連勝後は29勝11敗で,決して悪い成績ではないし,もがいているわけでもないのです。
報道というのは,概してそんなものです。結局,はじめにどういうふうに話題にするかを決めておいて,都合のよい面だけを取り上げていくわけです。取材も,多くの人にインタビューをして,話題になる部分だけを切り取って報道しているのです。
また,竜王戦の就位式を伝える日刊スポーツの記事は次のようでした。
・・・・・・
-羽生竜王は本気「手ごわい」藤井四段に視線合わせず-
将棋の第30期竜王戦を制し,同時に「永世7冠」の称号も得た羽生善治竜王(47)の就位式が16日,都内のホテルで行われた。就位式の前には,史上最年少プロ,藤井聡太四段(15)とそろって会見。両者は2月17日に行われる第11回朝日杯オープン戦の準決勝で公式戦初対決するが,羽生は「手ごわい存在」と早くも警戒していた。
羽生が視線を合わせない。右隣に座った32歳下の最年少棋士に対し,終始,体を左に30度ほど傾けていた。撮影で握手を求められても,右手を差し出しただけ。目線はカメラマンの方に向け続けた。
・・・・・・
この就位式の様子はYouTubeで見ることができますが,それを見ると,この記事とはまるで違う印象を持つと思います。実際は,羽生竜王が先輩棋士らしく気配りをして,藤井四段をエスコートしていました。この記事は,なんか,ボクシングやプロレスの見出しみたいです。
今は,いろんな映像を直に見ることができるからこういうことがわかります。
私は,今年もまた,そうした報道に泳がされずに,自分の目で見,耳で聞いて,自分で判断していきたいものだと改めて思うことでした。
2018年がやってきた④-イースター島に行きたい。
年末から新年にかけて多くのテレビの特番がありましたが,いつものようにしょ~もないものばかりでした。特に民放のニュース番組は見るに絶えません。仕事とはいえあんなものを作ったり出演するような人生に同情します。また,多くの人はあんなものを見て貴重な時間を費やしているのでしょうか?
そんななかで,私が面白いと思ったのはテレビ朝日の「古舘トーキングヒストリー~戦国最大のミステリー 本能寺の変,完全実況~」とNHKBSプレミアムの「絶海!謎と神秘の巨石文明 モアイとイースター島」でした。ともに,人間というのがいかに愚かな生き物なのかが改めてよくわかった番組でした。
今日はそのなかでイースター島について書きます。
私は昨年,仕事がらみで世界遺産を調べていたのですが,特に行きたいと思うようなところもありませんでした。まあ,行きたいなあと思っていたようなところはこれまでですべて行きましたが…。そのなかでただ1箇所,イースター島には惹かれました。今年… は無理でしょうが,ぜひ一度は行きたいものだと思いました。
そうした時期に放送されたのがこの番組だったのです。
イースター島といえばあまりに有名なのがモアイ像です。しかし,モアイ像という存在は知っていても,それ以外のことも,というよりもモアイ像自体,その存在以外のことを私は全く知りせんでした。
イースター島があるのは南米チリの首都であるサンティアゴから西に3,700キロメートルも離れていて,国際便中継地となるタヒチからは東に4,000キロメートルあります。日本からは空路で30時間かかるそうです。が…,昨年26時間かけてアラスカから帰国した私には驚くにあたりません。しかし将来行くとなれば1日でも早く,歳をとる前にしたいものです。
イースター島に最初の住民となるポリネシア人がたどり着いたのは4世紀頃,伝説では「ホトゥ・マトゥア」という首長とその一族が2艘のカヌーで入植したといわれています。ただ,このイースター島に渡ってきたのはもともと台湾の人たちだったというのがこの番組で紹介されたことです。いずれにせよ,いくら航海技術に優れた民族であっても,さぞかしたいへんなことだったでしょう。そしてまた,人間というのはすごいものです。想像を絶します。空路30時間なんていうことでめげていてはいけません。
そうしてイースター島に入植した部族たちは酋長(首長)を中心とする厳しい階級制度をもち,祖先は神格されて祀られ崇拝される対象でした。7世紀には石を積み上げて作られた祭壇「アフ」が,10世紀には「モアイ」が作られるようになったと考えられています。
三角形をしたイースター島には3つの休火山が周囲60キロメートルほどの島の三隅に存在していて,噴火口近くにはモアイを作るのに適した柔らかい巨石が大量にあり,外敵もないためにモアイ像の建造に夢中になるありあまる時間あったようです。住民が増えるにつれ部族が増え,それぞれに少しずつ異なった文化を持つようになるとモアイの姿にも変化が現れ,次第に巨大化しました。
日本の古墳やエジプトのピラミッドもそうですが,こうして巨大化しすぎてそのうちに滅ぶのです。こういうのを身の程知らずといいます。天文ファンの望遠鏡も同様です。
いにしえのイースター島は豊かな緑の森に覆われていたのですが,人口増加に伴って縮小し消滅してしまったことが,まず,この島に襲った悲劇の第1章でした。過剰な人口による部族争いや食糧不足で急激な人口減少が起こりました。そして,大航海時代にともなって残り僅かとなったイースター島の住民たちは抵抗することもなく奴隷として各地に連れ去られてしまったのです。地球上はこういう悲劇ばかりです。
1722年にオランダ海軍が太平洋上に浮かぶ孤島を発見した日がイースターだったことからこの日を「イースター島」と名づけました。ねこがじぶんのことをねこと思っていないのと同様に,イースター島もそこの住民がつけた島の名前ではないのです。住民同士の戦いで生き残っていた島民たちは奴隷として連れ出されていき,さらに天然痘で人口が急激に減少してしまいました。こうして,今ではイースター島はモアイなどの遺物や遺跡は残っているのですが,独自の言葉や文字などの文化はほとんどが失われてしまいました。
さて,モアイ像です。最大で11メートル,80トンにもなるこの石像は島内に1,000体以上が存在しているということです。このモアイ像,石切場から切り出すようにして作られて運ばれたそうで,今でも未完成だったり,運ぶ途中だったりしていたものがごろごろと転がっています。現在立っているものは日本企業の援助で観光用に立てたものだそうです。
この番組で私が納得したのがこのえらく重いマウイ像をいかにして運んだか,という実験でした。マウイ像は実際にのっそのっそと歩いたのです。
この番組をみて,私はモアイ像について,すっかりわかった気になりました。そしてまた,イースター島も行った気になりました。そこでわざわざ行くこともないような気になってきました。それよりも,つくづく残念なのは2010年7月11日にこのイースター島で皆既日食が見られたことなのです。そのころに私がイースター島に興味があったのなら行ってみたかったなあ,と,これは取り返しのつかない後悔です。運はやはり自分でつかむものです。
しかし,この地は満天の星空が見られるということで,私はマウイ像よりも,むしろ,この満天の星空が見たいものだと,これはいつものことですが。
2018年がやってきた③-再びハワイ島に行きたい。
年末になると空港から海外に出発する人たちのニュースが流れます。この時期しか旅行のできない人は仕方がないのでしょうが,それにしても,こんな混む時期にあえて高いお金を出して旅をしなければならないのもお気の毒な話です。ハワイだって閑散期なら7万円ほどで往復できるのに,その3倍くらいも出して,大挙して日本人海を渡ります。私はハワイに行ったことのないころ,お正月に芸能人が大挙してハワイに行くのがとても不思議なことでしたが,ハワイに行くようになってから,その不思議さがますます増しました。
それはそれで人様の勝手ですが,このハワイについて書いていて,私がじわじわとまた行きたくなってきたのがハワイ島,特にヒロという町です。
2016年の春,生まれてはじめて行ったハワイはハワイ島でした。そのときは,マウナケア山の山頂に行きかかったことと南十字星が見たかったこと,これだけが目的でした。その後2回ハワイに行ってみて次第に状況がわかってきたら,今度は,はじめに行ったときにゆっくりと観光をしていなかったヒロという町にもう一度行きたくなってきました。
ヒロ(Hilo) はハワイ島で最大の町で人口は4万人ほど,地名は「新月の最初の夜」とか「ポリネシア人の航海者」にちなんで命名されたものであろうといわれています。ヒロは数千種類のランの栽培地としても知られ,「果樹園の町」または「ハワイのランの中心地」の異名もあります。
はじめて行ったときに私がヒロではなくカイルアコナを選んだのはヒロは雨が多いということを聞いたからでした。実際にハワイ島に行ってみて,ハワイ島は四国の半分ほどの大きさにもかかわらず場所によってずいぶんと天候が違うことが驚きでした。そしてまた,雨が多いのにどうしてヒロという町が栄えたのかもわかってきました。
今年,あるいはこの先またハワイに行くときは,今度は観光でなく,その土地に暮らすような気持ちで,何の計画もせず,この素朴なハワイの町をじっくりと味わいたいものだと楽しみにしているのです。
2018年がやってきた②-今年もテカポ湖へ行く。
2016年の秋,南半球の星空が見たくてなんのあてもなくふらっと出かけたニュージーランドでした。クライストチャーチで4泊,成田からクライストチャーチまでの航空券はホテル代込みでわずか11万円でした。私はそのころ,テカポ湖という名前だけは知っていたのですが,具体的な場所はどこか知りませんでした。ともかくテカポ湖畔で天体観察ツアーがあるというのでそれも併せて予約しました。予約したときはクライストチャーチからテカポ湖まで日帰りで往復すればいいや,程度の甘い考えでした。
出発の1週間前になって,はじめてテカポ湖の場所を調べて,クライストチャーチから日帰りで往復できるような距離ではないと知りびっくりしました。そしてあわててテカポ湖畔のホテルを探したのですが,時すでに遅し。ホテルはどこも予約が一杯で空室がありません。苦労してやっと2泊できるホテルを見つけたのですが,宿泊代が往復の航空券代くらいもしました。
そんなわけで,とんでもない計画の末,あわただしく出かけたわけですが,満天の星空とニュージーランドの大自然には感動しました。
しばらくはそのときの思い出はいい思い出だけでしたが,次第に,できればもういちどテカポ湖で星空が見たいものだと思うようになってきました。
私の印象ではニュージーランドはあまり天気がよくありません。お昼間は毎日雲がたくさん出ます。しかし,2016年に行ったとき,夜だけはいつも快晴でした。私は,それがいつもそうであるのかどうかわかりません。また,テカポ湖付近はホテルもなかなか予約がとれないものなのかどうかもよくわかりません。このように,私にはニュージーランドはアメリカに行くのとは違って,謎だらけなのでした。
そんな状態で,ずっとテカポ湖のことが気にはなっていたのですが,先日,今年の秋のテカポ湖畔のホテルの予約状況を調べていて,手ごろな値段で宿泊できるホテルを見つけたのですぐに予約をしてしまいました。ということで,今年の秋,私は再びニュージーランドに行くのです。
果たして,私が抱いているニュージーランドの謎は解けるのでしょうか?
それにしても,ニュージーランドというのは,なんと魅力的なところなのでしょう。その想いがどんどん募ってきました。愛すべきニュージーランドがもう少し日本から近いといいのですけれど…。
2018年がやってきた①-今年もオーロラを見よう。
Happy New Year 2018
◇◇◇
2016年夏,念願のアメリカ50州を制覇したのち,今後はどこに行きたくなるのかがそのときの楽しみでしたが,2017年にはわずか2か月の間に「星好きの三大願望」を再び達成することができました。では,私は2018年は何をしたいのでしょうか?
それがまあ,自分でも不思議なことに,雄大な大自然にすっかり魅せられてしまい,そのほかの場所には急激に興味をなくしてしまったのです。雄大な大自然…そうした場所には特に何かがあるというわけではありません。旅行のガイドブックにもほとんど何の情報も載っていませんし,その場所に出かけても,特に見どころがあるわけでもなく,むしろ退屈なだけの場所が多いのです。
しかし,そうした場所は,帰ってから,なぜか,忘れられなくなってしまうのです。
これは以前にも書いたと思うのですが,はじめてグランドキャニオンに行ったとき,人の作ったものなんてそれに比べたら何とちっぽけなものだとしみじみと思いました。ニューヨークの摩天楼もカリフォルニアのディズニーラドも,むなしいものだと感じましたが,まさに,それと同じです。
私が忘れられなくなってしまったのが,ニュージーランドとオーストラリアで見る満天の星空であり,アラスカで見たオーロラなのです。
今日はそのなかでオーロラについて書きましょう。
2017年の夏,せっかくシアトルに行くのだからと,ふと出かけることにしたアラスカでした。夏でもオーロラが見られるということを知って思い立ったのですが,期待は淡いものでした。が,その夢がかなってしまいました。
今でもその旅で滞在したフェアバンクスの街並みをはっきりと思い出せるのですが,特に何があるか,といっても思い浮かぶものもないのに懐かしいのです。しかし,考えてみればアラスカは遠い,遠い,遠い,…… 遠いのです。今すぐにでも行けそうな気がするのですがそれは錯覚です。
と思っていたら,なんと,フィンランドという近い場所を見つけちゃいました。私はスカンジナビアなんてまったく眼中にありませんでしたし,行こうとも思っていませんでした。それにはひとつ誤解があって,それはフィンランド語がわからない,ということでした。しかし,フィンランドでは英語通じる(らしい)のです。ということを知って,急に行きたくなってきました。フィンランドならアラスカよりずっと近いのです。セントレア・中部国際空港からは直行便があって10時間足らずでヘルシンキに着きます。オーロラを見るにはそこから北にさらに800キロほど北上しなけらばなりませんが,その場所にあるロヴァニエミまではヘルシンキから空路で1時間ほどで行けるのです。ということで,さっそくこの春に出かけることにしました。さて,極間の地,どんな素敵なことが待っているでしょうか?
世界はいつもときめきに満ちているのです。
◇◇◇
今日の写真はアラスカで写したものです。