2020-01-18_18-43-53_762IMG_8748IMG_8747IMG_8746IMG_8745

 私はリヒャルト・シュトラウスがわからない,けれど,「4つ最後の歌」と交響詩「英雄の生涯」はわかります。…と以前書いたことがありますが,2020年のNHK交響楽団名古屋公演の演目は,ウェーバーの歌劇「オイリアンテ」序曲に続いて,まさに,この私がわかるリヒャルト・シュトラウスのふたつの作品でした。

 「4つの最後の歌」( Vier letzte Lieder)というのは,1948年リヒャルト・シュトラウスが亡くなる1年前84歳のときに作曲された管弦楽伴奏の歌曲集です。「春」(Frühling),「九月」(September),「眠りにつくとき」(Beim Schlafengehen),「夕映えの中で」(Im Abendrot)からなり, 第3曲までがヘルマン・カール・ヘッセ(Hermann Karl Hesse),第4曲がヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(Joseph Karl Benedikt Freiherr von Eichendorff)の詩に曲づけされています。
 リヒャルト・シュトラウスはまずヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの詩「夕映えの中で」に出会いこ曲をつけました。その後,ヘルマン・ヘッセの詩集から「春」,「九月」,「眠りにつくとき」を歌曲にまとめました。
 この4曲がセットになったのは作曲者の死後で,だれがそうしたのかは不明です。いずれにしても「作曲家の最後の歌」だとみなされていましたが,のち,「あおい」(Malven)という歌曲が発見されました。
 この最晩年の歌曲は,それまでのリヒャルト・シュトラウスの脂ぎった作品とは異なり,静寂感や肯定感,終わりという感覚に満たされているもので,透明感と哀愁があります。
 今回この曲を歌ったクリスティーネ・オポライス(Kristīne Opolais)さんの透き通った歌声はこの曲にふさわしく,とてもよかったと思いました。

 一方,交響詩「英雄の生涯」(Ein Heldenleben)はリヒャルト・シュトラウスの交響詩としては最後の作品ですが,リヒャルト・シュトラウスがもっとも活躍していたときに作曲された作品です。「大管弦楽のための交響詩」 (Tondichting für großes Orchester)という副題が示すように,ステージ上には所狭しと100人以上の4管編成のオーケストラがぎっしりと乗り,まさにリヒャルト・シュトラウスの作品といった感じです。
 私がリヒャルト・シュトラウス作品が苦手なのは,まさに,この大編成なのです。何を大仰な,といつも思ってしまいます。そしてまた,傲慢な,とも思ってしまいます。大仰でかつ傲慢といえば,この曲の題名である「英雄」というのはリヒャルト・シュトラウス自身を指すといわれています。これがベートーヴェンの交響曲第3番とは異なる点です。
 しかし,そうした大仰でかつ傲慢な多くのリヒャルト・シュトラウス作品とは違い,「英雄の生涯」は曲全体にまとまりと芯があります。特に,交響詩「 ツァラトゥストラはこう語った」のような,出だしは有名でもそのうち何が何だかわからなくなってきて,くっちゃくちゃの旋律が脈絡なくでてくるものとは違うので,私は同化できるのです。 
 そしてまた,今回のコンサートマスターは,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターだったライナー・キュッヒル(Rainer Küchl)さんでした。ある意味,ヴァイオリン協奏曲のようなこの曲のヴァイオンの独奏をライナー・キュッヒルさんでたっぷりと味わうことができたのには感動しまた。

 私は,東京のNHKホールでNHK交響楽団を聴くときは2階の最後尾に席をとるのですが,チケットのとりやすい名古屋では最前列で聴きます。この席では,音がいいとか悪いとかを越えて,ステージ上で聴いているような感じになるので,思わぬ発見がたくさんあります。団員さんはこんな感じで音を聴いて演奏しているんだなあ,と思います。
 ところで,数年前の一時,東京のNHK交響楽団定期公演で,曲が終わったときの静寂を楽しめない人がフライング拍手をしたり,ブラボーとさけんだりということが頻発した時期があったのですが,このごろはそうしたこともなくなり,落ち着いて楽しむことができるようになりました。ならば,名古屋はどうでしょう。ブルックナーやらマーラーやらがプログラムのときはフライング拍手が心配でいつも楽しめないということになるわけですが,まさにその心配は的中します。だから,名古屋の演奏会では最後に静寂を楽しむものは向きません。
 「英雄の生涯」は通常演奏されるもののほかに,静かに終わる初稿版があるのです。指揮者のファビオ・ルイージさんはそちらがお好みだそうなので,心配しましたが,やはり,おひとりの観客がフライング拍手をはじめました。どうしてそんなに拍手を急ぐのでしょう。こうしたとき私はお前の拍手を聴きに来たんじゃない,と思います。ブラボーも同様です。
 余談になりますが,交響曲の楽章間で拍手が起きることがあります。それがタブーかどうか… これにはさまざまな意見があります。私はこれについては別にいいのではないかと思っていますけれど,気にする人は気にします。今回の「英雄の生涯」は交響曲でないのでないので楽章間の切れ間はありません。 
  ・・ 
 しかし私は,海外でも音楽を聴くようになったことと歳をとったことで,まあ,そうしたいろんなことにそれほどストイックにならなくてもいいんじゃあないのと,このごろは少しずつ思うようになってきました。それよりも,もっと楽しく,そして,ステージと客席の精神的な距離がないほうがいいなあ,と感じるようになりました。日本のクラシックのコンサートは,まるで修行のようです。
 団員さんもまた,もっと楽しそうに演奏したらいいのに,と思います。特にNHK交響楽団はそれが顕著で,無表情。まるでロボットが演奏しているかのようです。しかも,体を使って演奏してないので,動きがなさすぎ。これはいただけません。ほかの楽団,特に外国のオーケストラと比べると,これだけは気に入りません。先日,東京都交響楽団のコンサートに行って,昔NHK交響楽団にいた団員さんが数人移籍していたのを見て,こりゃ脱出だ,と思ったのですが,「お高い」と揶揄されるNHK交響楽団は楽しくないのかもしれません。
 NHK交響楽団の名古屋定期,せっかく1年に1回だけ名古屋に来るのだから,開演前に30分程度でいいからステージでトークをするとか室内楽をやるとか,そんな場があってもいいと思うのですけれど。