しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

タグ:N響名古屋定期公演

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 私はリヒャルト・シュトラウスがわからない,けれど,「4つ最後の歌」と交響詩「英雄の生涯」はわかります。…と以前書いたことがありますが,2020年のNHK交響楽団名古屋公演の演目は,ウェーバーの歌劇「オイリアンテ」序曲に続いて,まさに,この私がわかるリヒャルト・シュトラウスのふたつの作品でした。

 「4つの最後の歌」( Vier letzte Lieder)というのは,1948年リヒャルト・シュトラウスが亡くなる1年前84歳のときに作曲された管弦楽伴奏の歌曲集です。「春」(Frühling),「九月」(September),「眠りにつくとき」(Beim Schlafengehen),「夕映えの中で」(Im Abendrot)からなり, 第3曲までがヘルマン・カール・ヘッセ(Hermann Karl Hesse),第4曲がヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(Joseph Karl Benedikt Freiherr von Eichendorff)の詩に曲づけされています。
 リヒャルト・シュトラウスはまずヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの詩「夕映えの中で」に出会いこ曲をつけました。その後,ヘルマン・ヘッセの詩集から「春」,「九月」,「眠りにつくとき」を歌曲にまとめました。
 この4曲がセットになったのは作曲者の死後で,だれがそうしたのかは不明です。いずれにしても「作曲家の最後の歌」だとみなされていましたが,のち,「あおい」(Malven)という歌曲が発見されました。
 この最晩年の歌曲は,それまでのリヒャルト・シュトラウスの脂ぎった作品とは異なり,静寂感や肯定感,終わりという感覚に満たされているもので,透明感と哀愁があります。
 今回この曲を歌ったクリスティーネ・オポライス(Kristīne Opolais)さんの透き通った歌声はこの曲にふさわしく,とてもよかったと思いました。

 一方,交響詩「英雄の生涯」(Ein Heldenleben)はリヒャルト・シュトラウスの交響詩としては最後の作品ですが,リヒャルト・シュトラウスがもっとも活躍していたときに作曲された作品です。「大管弦楽のための交響詩」 (Tondichting für großes Orchester)という副題が示すように,ステージ上には所狭しと100人以上の4管編成のオーケストラがぎっしりと乗り,まさにリヒャルト・シュトラウスの作品といった感じです。
 私がリヒャルト・シュトラウス作品が苦手なのは,まさに,この大編成なのです。何を大仰な,といつも思ってしまいます。そしてまた,傲慢な,とも思ってしまいます。大仰でかつ傲慢といえば,この曲の題名である「英雄」というのはリヒャルト・シュトラウス自身を指すといわれています。これがベートーヴェンの交響曲第3番とは異なる点です。
 しかし,そうした大仰でかつ傲慢な多くのリヒャルト・シュトラウス作品とは違い,「英雄の生涯」は曲全体にまとまりと芯があります。特に,交響詩「 ツァラトゥストラはこう語った」のような,出だしは有名でもそのうち何が何だかわからなくなってきて,くっちゃくちゃの旋律が脈絡なくでてくるものとは違うので,私は同化できるのです。 
 そしてまた,今回のコンサートマスターは,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターだったライナー・キュッヒル(Rainer Küchl)さんでした。ある意味,ヴァイオリン協奏曲のようなこの曲のヴァイオンの独奏をライナー・キュッヒルさんでたっぷりと味わうことができたのには感動しまた。

 私は,東京のNHKホールでNHK交響楽団を聴くときは2階の最後尾に席をとるのですが,チケットのとりやすい名古屋では最前列で聴きます。この席では,音がいいとか悪いとかを越えて,ステージ上で聴いているような感じになるので,思わぬ発見がたくさんあります。団員さんはこんな感じで音を聴いて演奏しているんだなあ,と思います。
 ところで,数年前の一時,東京のNHK交響楽団定期公演で,曲が終わったときの静寂を楽しめない人がフライング拍手をしたり,ブラボーとさけんだりということが頻発した時期があったのですが,このごろはそうしたこともなくなり,落ち着いて楽しむことができるようになりました。ならば,名古屋はどうでしょう。ブルックナーやらマーラーやらがプログラムのときはフライング拍手が心配でいつも楽しめないということになるわけですが,まさにその心配は的中します。だから,名古屋の演奏会では最後に静寂を楽しむものは向きません。
 「英雄の生涯」は通常演奏されるもののほかに,静かに終わる初稿版があるのです。指揮者のファビオ・ルイージさんはそちらがお好みだそうなので,心配しましたが,やはり,おひとりの観客がフライング拍手をはじめました。どうしてそんなに拍手を急ぐのでしょう。こうしたとき私はお前の拍手を聴きに来たんじゃない,と思います。ブラボーも同様です。
 余談になりますが,交響曲の楽章間で拍手が起きることがあります。それがタブーかどうか… これにはさまざまな意見があります。私はこれについては別にいいのではないかと思っていますけれど,気にする人は気にします。今回の「英雄の生涯」は交響曲でないのでないので楽章間の切れ間はありません。 
  ・・ 
 しかし私は,海外でも音楽を聴くようになったことと歳をとったことで,まあ,そうしたいろんなことにそれほどストイックにならなくてもいいんじゃあないのと,このごろは少しずつ思うようになってきました。それよりも,もっと楽しく,そして,ステージと客席の精神的な距離がないほうがいいなあ,と感じるようになりました。日本のクラシックのコンサートは,まるで修行のようです。
 団員さんもまた,もっと楽しそうに演奏したらいいのに,と思います。特にNHK交響楽団はそれが顕著で,無表情。まるでロボットが演奏しているかのようです。しかも,体を使って演奏してないので,動きがなさすぎ。これはいただけません。ほかの楽団,特に外国のオーケストラと比べると,これだけは気に入りません。先日,東京都交響楽団のコンサートに行って,昔NHK交響楽団にいた団員さんが数人移籍していたのを見て,こりゃ脱出だ,と思ったのですが,「お高い」と揶揄されるNHK交響楽団は楽しくないのかもしれません。
 NHK交響楽団の名古屋定期,せっかく1年に1回だけ名古屋に来るのだから,開演前に30分程度でいいからステージでトークをするとか室内楽をやるとか,そんな場があってもいいと思うのですけれど。

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 昨年は愛知県芸術劇場コンサートホールが改装工事中だったのでお休みでしたが,恒例のN響名古屋公演が2019年2月24日,2年ぶりに行われました。サントリーホールのN響B定期の曲目をそのまま演奏するのです。今回はオールストラヴィンスキープログラム,指揮者はパーヴォ・ヤルヴィさんでした。私は昨年から追っかけではないのですが,ずいぶんとパーヴォ・ヤルヴィさんの指揮するコンサートに出かけています。というより,出かけたコンサートの指揮者がいつもそうでした。
 しかし,これだけ豊富なレパートリーがあるというのもすごいものです。こうしたオールマイティの指揮者を首席にすえることができれば,オーケストラも楽なものです。しかし,パーヴォ・ヤルヴィさんはいつこれだけの勉強ができるのでしょう?

 いつも書くように,私が東京のNHKホールで定期公演を聴くときは2階席の最上段ですが,名古屋ではチケットが入手しやすいので1階席の前列を狙います。で,今回は2列目ど真ん中でした。
 開演前に芸術劇場コンサートホールのある愛知文化センター11階にあるレストラン「ウルフキャングパック」でお食事をしたあと,いよいよ開演です。今回演奏されたのは5曲ですが,最後が通称「ハルサイ」,つまり,バレエ音楽「春の祭典」でした。
 「春の祭典」というのは「オーケストラと指揮者の技量が試される難曲」だということは,これまでも何度もそんな解説を読んだり聞いたりしたことがあります。曰く,
  ・・・・・・
 聴きこむとそれなりに複雑かつ特徴のあるリズムに乗せられてきて体が躍動しはじめるのだから,これは確かにバレエ音楽で,そうなると,ストラビンスキーという偉大な作曲家がだんだんとわかってきます。要するに簡単にいえば,「春の祭典」というのは,大胆な不協和音を奏でるオーケストレーションとかつ目まぐるしく変化する変拍子リズムという基本構造でできていて,曲を聴きながら原始宗教の儀式をイメージすればいいわけです。
  ・・・・・・
だそうです。私が以前,R・シュトラウスがわからない,と書いたのと同じようなものですかな。

 そんなストラヴィンスキーですが,正直いって私にはこれまでなじみがありませんでした。あえて聴きにいこうと思う曲でもありませんでした。しかし,演奏される曲が何であれ,それは私には大きな問題でもない,というのも人生は大いなる暇つぶしなので,何でも自分の手の届くものとは関わり合いをもたなくてはつまらないのです。まあ要するに,食べたことがないものであっても,出されたら口に運ばないと何も次がはじまらないわけです。
 私は,優柔不断,というか,何でもいい,というところがあります。たとえば,だれかと食事をするとき,別に何でも食べられるけれど,自分からは何がいいと指定できないのです。しかし,内緒の話ですが,それは実は表向きだけの優柔不断なのです。実際はかなりのマニアックでこだわりがあるのだけれど,そんな私の好みを出すとだれもついてこられないから,人といるときは相手に合わせている,というのが本当なのです。で,そうして相手に合わせていても私には何の苦痛もないので,こういうことになっているわけです。問題は,それを相手が誤解するときですけれど…。

 閑話休題。
 そんなわけで,自分で選んでコンサートに出かけるのなら自分の好みの曲が演奏されるものに行くことになるのですが,こうして毎年恒例として出かけるようなコンサートの曲目はそれが何であっても問題はないのです。
 …だったのですが,聴いてみて考えが変わりました。「ハルサイ」,おもしろいです。おもしろかったです。それは,ハイドンとかモーツアルトとかベートーヴェンとかブラームスとかブルックナーとか,そういうものとは全く異質な音楽です。マーラーはちょっとだけ似ているかな? 私には,クリムトの絵画を見ているような,そんな気がしました。以前,ショスタコーヴィッチがミロの絵画のようだと思ったようにです。
 一緒に行った友人曰く,抑え気味の「ハルサイ」だ,と言っていましたが,以前,ブルックナーの第九番交響曲を聴いたとき同じ時期にやった東京交響楽団とは違っていてずいぶんと抑え気味だったのに共通しています。それはよく言えば抑制されている,悪く言えばノリが悪い,ということなのですが,これがN響の「品」というものなのでしょう。
 それにしても,パーヴォ・ヤルヴィという指揮者はすごいです。どうしてこうも何でも消化して指揮できてしまうのでしょう。何をしたいかが明確なので,これは演奏する方は楽だと思われますし,聞く方も楽しいです。
 今年もまた,代えがたいよい時間がすごせました。音楽は最高です。

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N響名古屋定期公演-パーヴォ・ヤルヴィさんへの期待
N響名古屋定期公演-素敵な宝物がこの世の中にはある。
N響名古屋定期公演-レスピーギも神ってた。

IMG_2285IMG_2290IMG_2291IMG_2286 今年もまたN響名古屋公演の時期になりました。
 N響B定期の曲目をそのまま演奏するのですが,サントリーホールのN響定期はチケットが取りづらく,同じ内容のコンサートがサントリーホールよりもさらに音のよい愛知県芸術劇場コンサートホールの上席で聴けるので,これはお得です。
 問題といえば,東京よりも値段が高いことと愛知県芸術劇場コンサートホールはホール自体はよいのですが,出入口がせまく建物自体に芸術性がまるでなく,観客のレベルが低いのでフライングの拍手が多いということです。したがって,ブルックナーなどの作品は曲が終わったあとの余韻が楽しめないのでやめておいたほうがよくて,華やかに元気に終わるものならストレスがありません。
 私がときどき東京のNHKホールで定期公演を聴くときは1階席は音が上空を逃げるので2階席にしていますが,音のいい名古屋では1階席の1番前です。このホールはステージも低く,客席でもステージの上にいるような臨場感が,他では味わえない魅力です。いずれにしても,こうしてときどき生の演奏に触れると自分の枯れそうな心に水分が供給されるようで,コンサートを聴きにいくことは心が潤う素敵な時間です。

 もうひとつの楽しみは,演奏会がマチネなので,終了後の一献です。こちらのほうは,水分というよりもアルコールですね。以前,コンサートがマチネではなく夜だったとき,先にお酒を呑んでしまい,コンサートの前にお酒を呑むなどという罰当たりなことをしたのが間違いで酔ってしまい,散々でした。こういうことをしてはいけません。
 それにしても,日本人は何がそれほど忙しいのか,コンサートの途中の休憩時間も15分と短いし,演奏会が終了すると最後まで余韻を楽しむこともなく大急ぎで会場を後にする人もいて,これではコンサートを楽しむというよりも修行です。もともと日本には江戸時代,芝居見物とか相撲見物という楽しみが江戸や大阪には根付いていたのに,クラシック音楽はお高い教養とされて楽しむというよりもエリートのお勉強のようになってしまいました。また,スポーツでは,お相撲は娯楽としてなじむのに,日本のベースボールは高校野球の延長になってしまって熱狂やら根性やらしか存在しないのが,私には残念です。

 さて,コンサートですが,今回は「グレゴリオ風の協奏曲」(Concerto gregoriano),「教会のステンドグラス」(Vetrate di chiesa),交響詩「ローマの祭り」(“Feste romane”, sym. poem)と,全曲がレスピーギの作品でした。1曲目が1番演奏時間が長く,だんだんと短くなるという不思議な組み合わせです。
 私は「ローマの祭り」以外ははじめて聴きました。レスピーギというイタリア生まれの作曲家は日本の明治時代の人ですが,好きか嫌いかと言われても私には答えようがなく,というのも,これまで興味がなく,正直よくわかりません。レスピーギには「ローマの松」「ローマの噴水」「ローマの祭り」の「ローマ三部作」があって,これらの曲はN響ではネルロ・サンティ(Nello Santi)さんがしばしば取り上げていたので,私にはその印象がとても強いです。こういう曲は「ノリ」がよければそれだけで楽しめますが,それだけ,という気もします。

 「グレゴリオ風の協奏曲」は,実質はヴァイオリン協奏曲で,グレゴリオ聖歌への傾倒をうかがい知ることのできる曲ということです。グレゴリオ聖歌というのは,私は学校の音楽の授業で習いましたが10世紀ごろの宗教音楽で西洋音楽の原点のようなものです。この協奏曲はヴァイオリンとティンパニの掛け合いの部分があって,ここが聴きどころということでしたが,それほどのこともなく,それよりも,ヴァイオリンの音色がとても綺麗だったことの方が印象的でした。
 「教会のステンドグラス」もまたグレゴリオ聖歌の流れをくむ静かで神々しい曲,ということですが,何をもって「グレゴリオ聖歌」というのかよくわかりません。悪くいえば「古臭い」ということでしょうか? よくいえば「神っている」ということでしょうか? ともかく,この曲は,イタリアの音楽らしい色彩豊かなところと宗教がかった清らかさがあって,私は心に染みてとても気に入りました。レスピーギにはこうした曲もあるのだなあ,と知りました。この曲は4曲からなる交響的組曲です。
 曲になじみがないというのには2種類あって,やはり「駄作」だというときと「演奏される機会が少ない」というときです。演奏される機会が少ないというのは,曲に華がないからコンサートでは客が呼べないということが多いのですが,これらの2曲はその仲間です。しかし,こうして聴いてみるとなかなか味のある曲でした。
 うって変わって最後は「ローマの祭り」。この曲は今回のコンサートではアンコールのような役割です。こういう華やかなものを最後にもってきて「ワーッ」と終わらないと,どうしようもないというプログラムでしたが,こういう終わり方が名古屋のコンサートには最適でしょう。
 指揮はヘスス・ロペス・コボス(Jesús López-Cobos)さんで,ベルリン・ドイツ・オペラの音楽総監督を務ていた指揮者です。スペイン人ですが,イタリアオペラを得意としているようです。そして,1曲目の協奏曲を演奏したのはアルベナ・ダナイローヴァ(Albena Danailova)というヴァイオリニストで,彼女はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターです。

 このコンサートはN響B定期の曲目でしたが,その1週間前に行われたN響C定期の方はスペイン音楽で,私は,FM放送で聴いてすっかりハマりました。むしろこちらの方を聴きたかったくらいです。
 これまで聴きなれたドイツ音楽などももちろん素晴らしいですが,せっかくコンサートで聴くのなら,こうした系統の異なるものをもっと楽しみたいものだと思ったことでした。
 今回もよき時間が過ごせました。

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N響名古屋定期公演-パーヴォ・ヤルヴィさんへの期待
N響名古屋定期公演-素敵な宝物がこの世の中にはある。

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 Congrats! Kisenosato captures 1st career Cup.
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 1月24日,日本出身力士の10年ぶりの優勝の期待で沸き返っていた頃,私は,昨年に続いて,N響名古屋定期公演を聴きに行きました。
 年に1回行われるN響名古屋公演は良い席のチケットが取りやすく,しかも,ホールは音が良いから,時間が許せば聴きに行きます。東京のファンにはうらやましいはなしでしょうね。今回は,一番前の,しかも,真ん中の席を手に入れました。NHKホールの一番前だと,団員は見えず,音は頭の上を飛んでいく… のですが,そういうこともありません。

 曲目は,グリンカの歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲,ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番,そして,チャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」からの抜粋でした。
 昨年は,パーヴォ・ヤルヴィさんの指揮によるR・シュトラウスの作品でしたが,今年はロシア音楽でした。私は,「チャイ様」と檀ふみさんが呼ぶチャイコフスキーは聴くことには全く抵抗はないのですが,聴いたからといって,ブルックナーを聴き終えたときのように私の琴線には全く触れないのです。
 一昨年は,ファビオ・ルイージさんの指揮でブルックナーの交響曲第9番でした。しかし,期待していたのにこれがひどかった。いや,N響の演奏がひどかったのではなく,観客がひどかったのです。
 曲の終了後,静寂を味わう間もないフライング気味の拍手,これで全てが台無しになりました。こういったとき,私は,いつも,あんたの拍手を聴きにきたのではない,と腹立たしくなります。
 名古屋の聴衆にブルックナーは無理です。
 名フィルの定期でも,曲が終わってもいないのに拍手が始まり,それに対して,別のお客さんがまだ終わっていないと叫んだ,という話もあるくらいです。
 ということで,むしろ,今回の曲のほうが,まだ,ずっと楽しめます。
 とはいえ,東京の公演でも同様ですが,日本のクラシックのコンサートは,休憩時間も短く,ホール内にレストランが充実しているわけでもなく,日本に観光できた外国人が京都で着物を着て歩いている様な違和感があって,心から楽しめないのが残念です。これもまた,「日本人の知恵と発想の限界」なのでしょう。

 「ルスランとリュドミーラ」序曲は,旧ソ連(ロシア)のオーケストラが日本に来日公演をしたときのアンコール曲の定番だったので,これをN響が定期で演奏する,ということが,なにか不思議な気がしました。演奏するのは結構大変な曲なのでしょうが,こういう曲は大衆受けします。拍手大好きな名古屋のクラシックファンのご老人たちにはぴったりだったでしょう。でも,今回もブラボーおじさん,やめてもらいたいです。
 2曲目のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ですが,ピアノを弾いたのは,ルーカス・ゲニューシャス(Lukas Geniušas)さんというリトアニア出身の2010年のショパン国際ピアノコンクール第2位の若者でした。この時の第1位はユリアンナ・アヴデーエワ(Yulianna Avdeeva)さんというロシアの女性だったのですが,彼女がソロを弾いたN響定期公演を聴いたことがあるので,私は,奇しくも第1位と第2位を聴いたことになるわけです。アヴデーエワさんの演奏会のときは,客席にアルゲリッチ(Maria Martha Argerich)さんも聴きに来ていて,とても感動したことがあります。
 そして,最後が「白鳥の湖」からの抜粋という曲でした。
 偉そうなことを書きましたが,私は,バレイには興味がありません。きっと,生で見ればとてもすばらしいのでしょうが,見る機会もありません。なので,つい先日まで,「白鳥の湖」と「瀕死の白鳥」が同じ,つまり,「瀕死の白鳥」は「白鳥の湖」のなかのワンシーンだと思っていたくらいです。無知ですねえ。
 今回の「白鳥の湖」は,指揮者トゥガン・ソヒエフ(Tugan Sokhiev)さんによる独自の抜粋版でした。

 「瀕死の白鳥」といえば,年末にNHKEテレで放送した「クラシック・ハイライト2015」で放送された今は亡きマイヤ・プリセツカヤの「瀕死の白鳥」には感動しました。
 「瀕死の白鳥」は,サン・サーンスによる組曲「動物の謝肉祭」の「白鳥」を用いて, 湖に浮かぶ一羽の傷ついた白鳥が生きるために必死にもがきやがて息絶えるまで描いた小作品で, ミハイル・フォーキンが1907年にアンナ・パブロワのために振り付けたとされます。アンナ・パブロワの死後,彼女の名を汚さぬよう,以後マイヤ・プリセツカヤが違う振り付けで踊るまで20年間誰も踊ることがなかったといわれます。

 今回の演奏会もずいぶんと楽しめた時間でした。
 「白鳥の湖」は,マロさんのヴァイオリンと藤森さんのチェロの独奏がとてもきれいでした。でも,やはり,私には,今ひとつ,この曲は琴線に触れるものではありませんでした。それは,演奏の問題ではなくて,私がバレイを見たことがないからです。きっとバレイの好きな人が,そして,バレイを見たことがある人がこうして音楽を聴くと,その良さがとてもよくわかるのでしょう。そういう意味では,R.シュトラウスの音楽と同じようなものでした。
 ただ,今回,私が一番感激したのは,一番前の席だったということで,いつもと違う音が聞こえたことです。弦楽器はそれぞれのパートが分かれてはっきり鮮明に聞こえましたし,ステージ上で打楽器やピアノと弦楽器の音が聞こえる時間差もよくわかりました。
 ピアニストは,あのようなオーケストラの伴奏のタイミングでよく弾けるものだと思いました。ほとんど聴こえないのです。そしてまた,ステージ上の団員さんは,あんな大きな音の洪水の中で毎日演奏しているんだということもよくわかりました。あたかもステージ上で聴いているようなものでした。
 まだまだ私には知らない世界が多く,この世の中にはずいぶんと素敵な宝物があるものだと,改めて思いました。

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N響名古屋定期公演-パーヴォ・ヤルヴィさんへの期待

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Congrats! Kotoshogiku captures 1st career Cup.
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 パーヴォ・ヤルヴィさんが,2015年9月からNHK交響楽団の首席指揮者に就任します。それに先立って,2月のN響定期にヤルヴィさんが登場しました。
 私は,庄司紗矢香さんがソロ演奏するC定期を聴きに行こうと思っていたのですが,名古屋でB定期と同様のコンサートがあることを知り,そちらのほうがいい席が取れるので,2月22日に愛知県芸術劇場コンサートホールに足を運びました。1階席の前から4番目の真ん中左寄り,ピアニストの手がはっきり見える最高の席でした。私は,聴きに行くときは,音がどうのこうの以上に,演奏者の迫力を感じられる席を選びます。
 N響では,これまでの名誉指揮者や正指揮者といった人たちが,次第に高齢化,あるいは亡くなられたこともあって,新たな核となる指揮者が求められていたのでしょうが,そこに主席指揮者として就任が決まったのが,このパーヴォ・ヤルヴィさんでした。すでに放送されたNHKFMの定期公演の中継からも,ものすごい反響が伝えられ,期待の高さを物語っています。なにせ,演奏する前から,指揮者の登場だけで「ブラボー」が飛んだのですから…。

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 パーヴォ・ヤルヴィさんは1962年,エストニア・タリン生まれ。父もN響の定期をたびたび指揮するネーメ・ヤルヴィさんです。
 タリン音楽院で打楽器と指揮を学び,1980年アメリカ移住。1980年代後半から北欧のオーケストラやオペラハウスで活躍。1994年スウェーデンのマルメ交響楽団首席指揮者。ロイヤル・ストックホルム・フィル,バーミンガム市響の首席客員指揮者。2001年よりシンシナティ交響楽団の音楽監督。
 2004年からブレーメンのドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団で芸術監督を務める。
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というのがよく知られたプロフィールです。
 はじめてパーヴォ・ヤルヴィさんの指揮に接したのは,私がN響の定期会員になった年,2002年でした。このときの3回の定期公演の曲目は, コダーイのガランタ舞曲,バルトークのバイオリン協奏曲第1番,プロコフィエフの交響曲第5番,ブラームスのハイドンの主題による変奏曲作品,サン・サーンスのチェロ協奏曲第1番,シベリウスの交響曲第5番,ペルトの交響曲第1番「ポリフォニック」,ベートーヴェンのバイオリン協奏曲,それに,シューマンの交響曲第1番「春」でした。私は,特に,プロコフィエフの交響曲第5番に感銘をうけました。若々しさに満ち溢れ,かっこよくて,すごい指揮者だと思いました。
 2度目の来日は2005年でした。
 N響のコンサートで配布されるアンケートで,招聘してほしい指揮者という項目があって,私は,ずっとパーヴォ・ヤルヴィさんと書いていたのですが,私がとても興味を覚えたこの若手の指揮者が巷ではどういった評判なのかはまったく知りませんでした。ものすごく評価の高い指揮者だと知ったときには,私にもそれが少しはわかるんだなあと思ったことでした。というよりも,はやり,すごいものは誰にでもすごいということがわかるのでしょう。
 そのときの曲目は,ペルトの「フラトレス」,プロコフィエフのバイオリン協奏曲第1番,ショスタコヴィチの交響曲第5番,シューマンのチェロ協奏曲,ラフマニノフの交響曲第2番,トゥールの「アディトゥス」,プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番,シューマンの交響曲第3番「ライン」でした。
 こうしてみると,パーヴォ・ヤルヴィさんは,ほんとうに様々な作曲家の作品を取り上げています。どのレパートリーの演奏においても,丁寧な音楽作りと柔和な表情,ニュアンスに富んだデリケートな表現,自然な息づかいと切々と訴えかけるような弦楽器のしっとりとした音色や木管楽器のまろやかな響きを強調する… のだそうです。また,これまでN響定期では少ないのですが,近年は,ベートーヴェンの響曲全集やブルックナーの交響曲にも積極的に取り組んでおられるので,本当に,今後が楽しみといったところでしょう。

 N響のような日本を代表するオーケストラを振る指揮者ともなると,それぞれに猛烈な個性があって,だれが優れている,というよりも,どの個性がオーケストラと相性がいいかという問題だと思うのですが,FM放送の解説を聞いていると,そういうことがとてもよくわかるので興味が増します。とりわけ,実際に演奏された元団員の方がゲストのときのお話はすばらしく,近ごろもっともおもしろかったのは,元N響ヴィオリン奏者の鶴我裕子さんのネルロ・サンティさんについてのお話でした。
 今回の定期公演で私が聴いたのは,R・シュトラウスの交響詩「ドン・フアン」,モーツァルトのピアノ協奏曲第25番, R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」でした。すでにブログに書いたように,私は,R・シュトラウスのよさがわかりません。また, パーヴォ・ヤルヴィさんがN響とR・シュトラウスを演奏するのは,今回がはじめてです。だから,私も,はじめてR・シュトラウスを聴く気持ちになろうと思いました。それに「英雄の生涯」というのは,サバリッシュさんの得意とする曲でしたから,それを新たな首席指揮者がどう表現するか,ということにも興味がありました。
 しかし,今回のR・シュトラウスは,2曲とも難解な曲ではないし,途中のモーツアルトのピアノ協奏曲は25番という珍しいものだったのですが,R・シュトラウス2曲の音の洪水の中にあって,なにかほっとするというか,そうした選曲のバランスがとてもよくて,非常に楽しめました。「英雄の生涯」では,サバリッシュさんのときに感じた威厳とか,そういうものとは違った品のよさがあり,細部にわたって音が緻密に組み立てられていて,特に,第2バイオリンに,こんなメロディがあるんだ,というそんな音楽が聞えてきて,私には新鮮な驚きがあったし,R・シュトラウスを再発見したときめき満載のコンサートでした。
 最も印象に残ったのは,団員の皆さんがとても明るかったことで,すでに,この新しい首席指揮者との一体感がとても強く,また,観客も,ものすごく暖かな雰囲気で,嬉しくなりました。とても相性がよいのでしょう。
 シャルル・デュトワさんが,N響の常任指揮者になられたときに,N響の音がすっかり変わったといわれましたが、そのときと同様,いや,それ以上に,N響のサウンドが変わり,レパートリーが広くなり,楽しめるコンサートをたくさん聴くことができればいいなあ,と思いました。そうしたら,また,定期会員に復帰しようかな?

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R・シュトラウスがわからない①-チャラさのどこがいいのか
R・シュトラウスがわからない②-元祖「劇伴」作曲家
R・シュトラウスがわからない③-ザッハトルテのクリーム
R・シュトラウスがわからない④-オペラの時代を終わらせた
R・シュトラウスがわからない⑤-貴族社会の黄昏を味わう 
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「夏の夜の夢」-マエストロ・サヴァリッシュの永遠の音楽
「今日は一日”N響”三昧」-神の奏でる音楽
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「バイオリニストは肩が凝る」―音楽への造詣とユーモア

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