しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:N響定期公演

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【Summary】
I attended the NHK Symphony Orchestra's A Program on the first day in October 2024, conducted by 97-year-old Herbert Blomstedt. Despite his age, his profound musical leadership captivated the audience. On October 20, NHK BS broadcasted Blomstedt's remarkable performance of Bruckner's Symphony No. 9, which moved me deeply to tears.

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 今回私が聴いたのは,NHK交響楽団2024年10月のAプログラム1日目でした。もちろん満席でした。
 私の左隣は結構お歳を召された男性でした。少しお話をしたのですが,とても詳しくて,若いころは,楽器をやっていたようでした。
 やがて,開演時間になりました。いつもはじめにステージに姿を見せるのは,ファゴットの水谷上総さんとフルートの神田寛明さん。それに続いて,続々と入場するのですが,今回に限っては,第1ヴァイオリンのメンバーだけが入ってきません。それは,97歳の巨匠ブロムシュテットさんが,第1ヴァイオリンのメンバーより先に,この日のコンサートマスター川崎陽介さんの介添えでゆっくりゆっくりと入ってきたからです。すでにこの時点でものすごい拍手でした。この日は,その姿が見られるだけで,この会場に足を運んできた甲斐があったというものです。
 そして,それに続いて,第1ヴァイオリンのメンバーが入場しました。
 マエストロは,指揮台に上がるのもたいへんそうで,少し心配しました。この時点でもし転んでもしたら大変です。
 やがて,チューニングのあと,静かに曲がはじまりました。

 はじめはどうなるかと思ったのですが,マエストロは,手ぶりも指示もしっかりしていたし,やがて,そんなことも,また,マエストロが座っていることも忘れて,音楽にのめりこむことができました。不思議なもので,音楽は,それを指揮する人が偉大であればあるほど,単に音を奏でる以上の生命が宿るのです。
 途中の休憩をはさみ,プログラムの2曲がすべてが終了しました。
 マエストロが静かに指揮台から降りて,そのままステージから姿を消しました。
 いつものコンサートのようなカーテンコールはできないのです。しかし,川崎陽介さんの介添えで,2度ほどゆっくりとステージに登場したとき,場内は最高潮となりました。
 今回の「神が宿った」コンサートは,演奏について,何かをいうという次元を超えたもので,その時間をマエストロと同じ空間で共有できただけで,そのすべてが満ち足りたものになりました。
 来年の10月もまた,プログラムに名前があります。どうかお元気で,また,その姿を拝見できるのを楽しみにしています。

 ところで,翌10月20日の深夜,NHKBSで
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 2度の怪我からの復帰を果たし,依然として音楽に対して真摯な情熱を傾ける現役最長老指揮者のヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)が,2024年7月11日に97歳の誕生日を迎え,オルガン奏者だったブルックナー所縁の聖フローリアン修道院付属教会で,バンベルク交響楽団を指揮してブルックナーの交響曲第9番を演奏しました。
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という番組が放送されました。
 まるで神が乗り移ったかのようなそのすばらしい演奏に,私は泣けて泣けて仕方がありませんでした。


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【Summary】
I attended the 2020th NHK Symphony Orchestra concert on October 19, 2024, conducted by 97-year-old Herbert Blomstedt. The program featured Honegger's Symphony No. 3 "Liturgique" and Brahms' Symphony No. 4. Honegger's work, composed after World War II, explores themes of suffering, faith, and hope, while Brahms’ 4th symphony shares a similar message of finding joy in hardship, reflecting Blomstedt's deep faith. This concert was a profound experience of prayer through music.

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  2024年10月19日,第2020回NHK交響楽団定期公演Aプログラムを聴きました。
 曲目は,オネゲル(Arthur Honegger)の交響曲第3番「典礼風」 (Symphonie Liturgique) とブラームスの交響曲第4番でした。このプログラムは,コロナ禍で中止となった2020年10月に行われるはずだった1950回定期公演Bプログラムと同じものです。
 ということですが,今回の演奏会は,指揮者が97歳となったヘルベルト・ブロムシュテットさんである,ということだけでも,歴史的なものでした。ヘルベルト・ブロムシュテットさんは,一昨年来日されたときは,マーラーの交響曲第9番などを指揮し,私はそれを聴いたのですが,昨年は,体調不良からドクターストップがかかって来日できなかったので,今年の来日も不安視されていました。しかし,元気な姿を見せました。
 とはいえ,一昨年に比べたら,やはり,2年の月日は大きくて,歩くのがやっと。指揮台に上るのもたいへん,という状態でした。しかし,「存在そのものが放つオーラでオーケストラをまとめ,唯一無二の演奏を生み出す」巨匠ヘルベルト・ブロムシュテットさんの指揮する演奏会に立ち会える,というだけでも,貴重な体験となりました。

 交響曲を5曲作曲したオネゲルは,1892年に生まれ,1955年に亡くなったスイスとフランスの二重国籍をもち,主にフランスで活躍した作曲家です。
 父はコーヒーの輸入商社の支配人を務めていた人物で,母と同じく音楽愛好家でした。教会のオルガニストを経て,チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団(Tonhalle Orchester Zürich)の創設者フリードリヒ・ヘーガー(Friedrich Hegar)に勧められて作曲家を志しました。
 交響曲第3番「典礼風」は,プロ・ヘルヴェティア財団からの委嘱を受け,第2次世界大戦が終結した1945年から1946年にかけて作曲されました。「典礼風」は交響曲の宗教的な性格を表すために命名されたもので,3つの楽章には,死者のためのミサ(レクイエム)と詩篇の中から取られた句がタイトルとしてつけられています。
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●第1楽章「怒りの日」(Dies irae )
 神の怒りに直面した人間の恐れを表す楽章で,オーケストラは「全てを一掃する絶対的な激怒した竜巻」「力の爆発と全てを破壊する憎悪」を表現しています。
●第2楽章「深き淵より」(De profundis clamavi )
 神に見捨てられた人々の苦しみの瞑想,祈りを表現する,霊感に満ちた深遠なアダージョ楽章です。終結部分で「鳥の主題」がフルートの装飾的なソロに変容し,悲劇の中にあって平和への約束を象徴するオリーブの枝をくわえた鳩です。
●第3楽章「我らに平和を」(Dona nobis pacem )
 文明がもたらした「集団的な愚かさの台頭」と「隷属への人の絶え間ない進行のさま」を表しています。バスクラリネットによる「馬鹿げた主題」の行進は進み,ホルンの主題「被害者の反抗意識と暴動」,半音階で下降する木管楽器の動機,弦楽器によるエスプレッシーヴォの主題などが加わって次第に盛り上がり,不協和音によるクライマックスに至ります。これが静まると,人類の平和への願いを表す主題が奏でられ,「鳥の主題」を回想し静かに曲を閉じます。
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 ChatGPTはつぎのように説明します。
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 オネゲルの交響曲第3番「典礼風」は,第2次世界大戦後の荒廃と人間の苦しみを反映しつつ,最終的には平和と希望への祈りを表現しています。
 この作品は,戦争による破壊や人間の恐れ,そして苦悩を描きながらも,そこからの再生や癒し,平和への希求というメッセージを人類に伝えようとしています。
 第1楽章「怒りの日」は,神の怒りと戦争の恐怖を象徴し,人類の罪や破壊の衝動に向き合う姿を描きます。第2楽章「深き淵より」は,苦しみと祈りの中で救いを求める人々の姿を静かに表現しつつm悲劇の中にも希望があることを示唆します。第3楽章「我らに平和を」では,暴力と愚かさの中にあっても,人間の平和への願いが強く描かれ,最終的には静かな祈りとして曲を閉じます。
 オネゲルは,戦争の悲劇を経て,絶望の中でも平和と希望を見出そうとする強いメッセージをこの交響曲に込めており,特に,人類が戦争の教訓から学び,平和を追求する必要性を強調しています。
  ・・・・・・
 オネゲルの交響曲第3番「典礼風」ははじめて聴きましたが,まだ聴きこんでいない私にはそのよさがわかったとはいい難いものでした。ブロムシュテットさんもあまり指揮を経験した曲ではないようで,スコアをめくるのが精いっぱい,という感じを受けました。

 それに続くのが,私の大好きなブラームスの交響曲第4番でした。私はこれで救われました。
 ブロムシュテットさんも暗譜で,オネゲルの交響曲第3番「典礼風」とは打って変わって,大きく両腕を振り上げたり,細かな指示を出したり,座っているのを忘れるほどの熱演でした。
 第4楽章パッサカリアの主題の元になったコラールの歌詞は「苦難に満ちた私の日々を,神は喜びに変えてくださる」というもので,ここに,オネゲル作品との共通性があって「それこそが揺るぎない信仰とともに生きるブロムシュテットのメッセージを表している」とプログラムの解説にありました。
 今回は祈りの演奏会でした。

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 今日の写真は,ウィーンにあるマーラーが住んでいたという建物です。
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 マーラーの交響曲はみなある種の暗さと深刻さ,それに対比したなまめかしさと通俗的な旋律でできています。私ははじめてマーラーを聴いたときには,この通俗的なところがいやで,これがブルックナーのようなストイックな曲にくらべて質の低いものに感じたものです。
 ブロムシュテッドさんも「ヘルベルト・ブロムシュテット自伝-音楽こそわが天命-」(Mission Musik: Gespraeche mit Julia Spinola)で,同じようなことを書いていました。
 しかし,聴き込むうちに,それは表面的なことにすぎず,奥の深い音楽であればこその感動を味わうことができるようになります。
 私が最も好きなのは交響曲「大地の歌」ですが,交響曲第9番は,それ以上に高貴なものであり,だからこそ難解で,気軽に接することができるものではありません。また,90分にもわたるこころの内面に訴えかける静寂の音楽は,よほど耳の肥えた聴衆が集う場で,ゆらぎのない演奏でなければ務まりません。

●第1楽章(Andante comodo ニ長調)
 いつ開始されたかよく注意していないとわからないほどの小さな音の短い序奏によって曲は開始されます。やがて,夜明けのように,ヴァイオリンが第1主題の動機を奏します。この動機は,「大地の歌」の結尾「永遠に」(ewig))です。次に,ホルンの音とともにヴァイオリンが半音階的に上昇する第2主題がはじまります。
 第1主題と第2主題は「死の舞踏」となり,金管の半音階的に下降する動機が発展し盛り上がります。これが第3主題です。
 頂点に達すると暗転し,ここから長い長い展開部に入ります。
 序奏が回想されたのち,主題が変形されテンポが早くなり力を増し,さらに狂おしくなっていきクライマックスを築きます。音楽は急速に落ち込み,テンポを落とし陰鬱さが増し,不気味な展開が続いたあと落ち込み,銅鑼が強打され展開部がやっと終了します。
 再現部では,主題が自由に再現され,曲は一転しカデンツァ風の部分となったのち,残照のようなホルンの響きに変わりコーダに入り,最後に救いを感じ,こころ温まる気持ちがします。
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●第2楽章(Im Tempo eines gemächlichen Ländlers. Etwas täppisch und sehr derb ハ長調)
 序奏のあと,3つの舞曲が入れ替わり現れます。
 マーラーらしいかなり土俗的で諧謔的な雰囲気になる楽章で,第1楽章で味わった緊張感をほぐします。
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●第3楽章(Rondo-Burleske: Allegro assai. Sehr trotzig イ短調)
 「道化」を意味する第3楽章は短い序奏のあとユーモラスな主題が続きます。快活で皮肉的な雰囲気で曲は進んでいきます。頂点でシンバルが打たれたのち雰囲気が一変し,トランペットが柔らかく回音音型を奏します。
 最後は速度を上げて狂おしく盛り上がり楽章がおわります。
  ・・
●第4楽章(Adagio. Sehr langsam und noch zurückhaltend 変ニ長調)
 コーダの形式で,絶えず表情が変化していきます。
 弦の短い序奏からはじまり,ファゴットのモノローグが拡大されたような音楽が奏されます。
 ヴァイオリンの独奏や木管ののちホルンが主題を演奏して,やがて弦楽によって感動的に高まり,その後,重苦しくなっていきますが,再び独奏ヴァイオリンと木管が現れて緊張が解けていきます。
 ハープの単純なリズムのうえに木管が淋しげに歌いながら, 弦,金管が加わって,大きくクライマックスを築きます。
 そして,ヴァイオリンの高音に,第1楽章冒頭のシンコペーションが反復されたのち,大きなクライマックスを築き,それは形を変えて断片的になっていきます。
 ヴァイオリンが「亡き子をしのぶ歌」を引用し,その後,徐々に力を失いながら休止のあとアダージッシモのコーダに入ります。
 最後の34小節はコントラバスを除く弦楽器だけで演奏されます。なんと神々しいことか。
 浮遊感を湛えつつ「死に絶えるように」,最弱奏で曲は終わりを告げます。

無題


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 私は,一時,マーラーの音楽から遠ざかっていました。墨絵のようなブルックナーとは違い,カラフルなマーラーの音楽が私には重くなってしまっていたからです。
 しかし,2018年,2019年とオーストリアのウィーンに出かけたとき,マーラーの活躍した場所や,ウィーンの中心街から遠く離れたウィーン中央墓地でないグリンツェング墓地にあるマーラーの墓を訪ねて以来,気持ちが変わりました。
 また,偶然,私がこの墓地を訪ねたときに居合わせたある人の葬送で人が埋葬されるのをはじめて目撃して,マーラーの暗さと悲劇性を私に印象づけてしまいました。
 さらには,グスタフ・マーラーの墓の近くに背を向けるようにして不仲といわれた妻アルマ・マーラーの墓があるのを見て,マーラーの孤独がわかったような気もしました。
 以前,私は,このブログに次のように書きました。
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 マーラーのお墓のあるグリンツェング墓地に着くと,グスタフ・マーラーの墓の近くの墓に墓参りに来ていた人がいました。そこにいた人に,アルマ・マーラーの墓がどこにあるかを聞くと,ついておいで,というポーズをとって,連れていってくれました。それは,グスタフ・マーラーの斜め後ろではなく,少し離れた場所にありました。聞かなければ,今回もまた見つからなかったことでしょう。ここに,アルマ・マーラーは,グスタフ・マーラーの死後に再婚したヴァルター・グロピウスとの間にもうけた娘で早世したマノンと眠っています。
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 今回の定期公演で聴いたマーラーの作曲した交響曲第9番ニ長調は,交響曲「大地の歌」 (Das Lied von der Erde)の次に作曲された10番目の交響曲です。
 交響曲には「第9の呪い」があって,それは
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 ベートーヴェンが交響曲第10番を未完成に終わらせ,また,ブルックナーが10曲の交響曲を完成させたものの11番目にあたる交響曲第9番が未完成のうちに死去したことを意識したマーラーが,9番目の交響曲に番号を与えず,単に「大地の歌」としたのですが,その後に作曲したものについに交響曲第9番としたのですが,続く交響曲第10番が未完に終わり,結局「第9」のジンクスが成立してしまったわけです。
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というものです。
 そんな因縁のある交響曲第9番は,全曲が,「別れ」や「死」のテーマによって貫かれています。

 マーラー自身は作曲後すぐに亡くなってしまったので,初演を果たすことはできませんでした。作曲したマーラー自身はこの曲を聴いていないのです。
 マーラーは生涯にわたって死の影に怯えているので,交響曲第9番の完成後にこの世を去っていることでこの曲を「死」と関連づけることになるのですが,NHKFM放送でも解説されていたように,この曲を作曲していた時期のマーラーは,自らが指揮した交響曲第8番の初演を大成功に終わらせ,アメリカにも招かれ旺盛な指揮活動を行っていた時期でした。つまり,マーラーの音楽活動の最盛期であって,エネルギーが充溢していたころのもので,だから「死」の世界に立ち向かい音にする強さがあってこそできた曲であるともいわれます。
 マーラーは交響曲を第9番で終わらせる意図はなく,さらに交響曲第10番の作曲を開始して,さらに進もうと意図していました。この時代の多くの芸術家が「死」を主題として多くの作品を作り上げているので「死」をテーマにした芸術は特別なものではなく,交響曲第9番は終わりの音楽でもなけれは,「死」の恐怖に怯えた作品ではありません。

 グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)は1860年に生まれ,1911年,50歳で亡くなりました。
 交響曲第9番は死の2年前1909年夏,イタリアのトブラッハ(Toblach)近郊のアルト・シュルーダーバッハで2か月で作曲され,ニューヨークに楽譜を持ち込んで仕上げにかかり,翌1910年に完成しました。
 マーラーの死後,1912年にウィーンでブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演されましたが,マーラーの交響曲がウィーンで初演されたのはこれが唯一でした。

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 私は,世界のどこに出かけるのも苦ではなく,わざわざ何かを新たに買って準備するということもなく,旅は普段の変わりない行動の一環となっているのですが,それでもさすがに今回の東京行きは緊張しました。今年最大のイベント,と自分で位置づけたので,まずは,すべてを豪華にしようと考えました。
 NHK交響楽団の定期公演はNHKホールで午後2時開演。そこで,朝7時4分名古屋発ののぞみで出かけることにしました。東京に到着後,午前中は,これもまたマイブームである「男はつらいよ フーテンの寅」にちなんで,葛飾柴又に行き,午後はコンサート。その後,東京駅で食事をして,午後7時発ののぞみで帰宅するということにしました。この時間の新幹線に限定したのは,往復ともに最新型車両のN700Sであるということでした。混雑がきらいなので,当然,グリーン車にしました。

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 N700Sは東海道新幹線の第6世代で,「S」は英語で「最高の」「究極の」などを意味する「Supreme」の頭文字です。高速鉄道で世界初となるバッテリ自走システムを搭載します。
 先代のN700Aとの違いは乗り心地で, グリーン車のシートは背もたれを倒すと座面が沈み,さらにシート全体がわずかに後ろへずれることで,腰と太ももの負担を軽減し,疲れにくい姿勢を維持できるように人間工学に基づいて設計されました。
 また,N700Sは,照明を間接照明化したうえ,スピーカーも天井から客室前後にある仕切り壁の上側へ移動することで,視覚的に車内空間が広く感じられるようにされ,さらに,LEDの間接照明で大型の曲面天井パネルを照らすことで,客室全体に暖かみのある光が均一に降り注ぎ,落ち着きのある雰囲気のなかで過ごせるといいます。
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 いつものとおり,名古屋駅までは自家用車で行き,太閤通口近くの駐車場に車を停めました。
 出発まで何かがあっては大変と,要らぬ心配に陥りました。それは,朝,寝坊したら,とか,車が動かなかったら,とか,熱が出たら,とか,新幹線が遅れたら,とか。また,1日目は無事に終了したコンサートでしたが,マエストロは2日目も元気だろうか,とさえ,考えました。
 ということで,旅慣れていてもこんな心配をするなんて,私はいつまでたっても成長しません。
 しかし,多くの心配をよそに,当日は数日前までは天気がよくないという予報もあったのですが,やはり,今回も晴れました。
 何の問題もなく,名古屋駅に到着しました。
 また,何の問題もなく,新幹線は出発しました。
 途中,雪のまったくない富士山がきれいに見えました。
 そして,定刻通り東京駅に到着しました。
 かねてからの計画通り,午前中は葛飾柴又に行きましたが,このことは,また,後日書きます。
 そして,前回書いたように,大感激の定期公演も無事終了しました。
 再び,東京駅に戻り,夕食をとり,また,予定通り,新幹線も運行して,帰宅しました。
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 このように,2022年10月16日という日は,私の計画していたとおりに,すべてが完璧に終わりました。

 それにしても,いつも東京へ行くたびに思うのですが,この大都会,人多すぎです。確かに東京には何でもあります。何でもありますが,だからといって,自分が何かをしたいときに出かければよいのであって,ここに住みたいという気になるところではありません。
 また,交通の便もものすごくいいです。どこにもほとんど待ち時間もなく,簡単に行くことができます。しかし,乗客は私ひとりというわけもなく,何に乗っても混雑しています。
 また,どんなときもほぼキャッシュレスで過ごすことができます。Suica さえあれば,他に何も要りません。
 そんな都会で生活している人たちは,これもまた,いつも書いていることですが,政治家もマスコミをはじめとして,この日本の中では異質な東京という中の出来事を,さも日本であるように思っている。そして,その中で何かの政策を決め,また,報道しているようです。であっても,やはり,ここは日本を代表しているところではなく,日本の現状とはまったく異質な空間です。
 そしてまた,いつものことですが,NHKホールの中で,時間も忘れ,場所も忘れ,すっかり偉大な芸術に浸りきっていても,そのあとホールから出ると,あらゆるところから聞こえてくる雑音やらわけのわからぬ音楽やら,人だらけの雑踏に,それまでの余韻はすべて吹っ飛んでしまいます。ウィーンとの違いです。これがとても残念なことです。


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 ついに待望のNHK交響楽団第1965回2日目の10月16日がやってきて、緊張して出かけました。私の今年最大のイベントです。
 指揮は95歳,桂冠名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)さん,曲目はマーラーの交響曲第9番です。
 ヘルベルト・ブロムシュテットさんが去る6月25日に転倒し入院したというニュースがあって,来日がかなわないのでは,と私はずいぶん心配していたので,無事来日されたという情報があったときは泣けました。昨年来日されたときはとてもお元気そうだったのですが,1年という月日は高齢者には過酷でした。
 数年前に亡くなった私の父と同じ年に生まれた,おそらく,世界最高年齢の偉大なマエストロが指揮するマーラー交響曲第9番とあっては,これを聴きにいかずにおれようか,ということで,前回も書いたように,もともとCプログラムの定期会員だったものを変更して,この10月の定期公演を含め,9月と11月の3回のAプログラムのシーズン券を購入しました。

 私は,マエストロが前回,この曲を指揮した2010年にもNHKホールで聴きましたが,あれから12年の月日が流れ,今回のコンサートは特別でした。
 私の出かけた日の前日に行われた1日目の様子はNHKFMで中継されましたが,ラジオからだけでもものすごい緊張感が漂ってきて,曲が終わった後にしばらく続いた静寂,そして,観客のだれかが小さな声で「ブラボー」と叫んだ,その絶妙なタイミングに続いた割れんばかりの拍手がすごいものでした。番組の司会をしていた金子奈緒さんは涙声でした。
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 さて,私の聴いた2日目。
 もう,ひとりで歩くことさえままならなくなったマエストロが,コンサートマスターの篠崎史紀さんのサポートでステージに姿を現したときにすでに会場は熱気に包まれました。これだけで泣けてきました。本当によく来日できたものです。マーラーの交響曲第9番は長く,かつ重く,難解で,この曲のよさがわかるのはとても大変なことです。私は,この場に立ち会うことができて,そしてまた,曲が理解できて,本当に幸せでした。2日目の演奏は,1日目以上の出来だったということです。
 静かに静かに第1楽章がはじまりました。序奏のあとの旋律はマーラーの最高傑作である交響曲「大地の歌」(Das Lied von der Erde)の最後「永遠に永遠に」(Ewig... ewig...)に続くものです。マーラーらしいおどけのある第2楽章。まったく乱れのなかった第3楽章。そして,いつ終わるとも知れない長いアダージョが奏でる第4楽章では,あの大きなNHKホール一杯の観客がまったく音を立てず,ただ聴こえるのはオーケストラの小さな小さな音色だけという,とんでもない状況が延々と続きました。やがて,生命賛歌のような高揚が終わったあとの消え入るような救いの最後の1音が終わると,まるで時が止まったかのように,静止画を見ているように,ステージ上のオーケストラの団員も,そして,観客もだれひとり全く動かない,という状態がしばらく続きました。まるで,終わってはいけない,とでもいうように…。私はこれが永遠に続くのでは,とさえ思いました。ずっとこのままならどんなにすばらしいことか。
 やがて,マエストロの力が抜けて,曲が終わったことをだれしもが自分にいい聞かせ,納得しはじめたころ,ものすごい拍手が起きました。イスに座ったままのマエストロがなんとか観客のほうを振り返ると,さらに拍手が大きくなりました。観客が,ひとりひとりと立ち上がりはじめました。そして,団員の人たちがステージから去り,マエストロも篠崎史紀さんとともに退場すると,スタンディングオベイションが起きました。それにつられて,マエストロはふたりのコンサートマスターに寄り添われながら3回もステージに登場しました。会場中に「ブラボー」が巻き起こりました。日本の会場で,クラシック音楽のコンサートで,観客がみな立ち上がるのを私ははじめて見ました。

 マーラーの交響曲第9番は、会場で配布される「フィルハーモニー」によると
  ・・・・・・
 この作品は3重の意味で「辞世の歌」である。
 第1に,死を目前にしたグスタフ・マーラー最後の完成作だということ。第2に,ウィーン古典派以来のドイツ/オーストリア交響曲文化を総括する作品だということ。そして,第3に,第1次世界大戦によってほどなく崩れ落ちる運命にあったヨーロッパ・ベルエポックへの哀歌だということ。
 ブロムシュテットは2010年にもN響と本作品の超絶的名演を残した。本公演が一期一会のものとなることはまちがいない。
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とありました。そして,最後に
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 本作品が「死」を連想させずにおかないとすれば,それは生成と分解のこのプロセスが生命の営みそのものと聴こえるからであろう。
  ・・・・・・
と結ばれているのですが,結局,この曲は「死」ではなく「生への賛歌」なのです。
 今回,マエストロがこの曲を選んだ理由もわかるような気がしました。
 これまで数多くのコンサートに出かけましたが,これほどまでの演奏を聴いたのははじめてのことでした。音楽は時間の芸術,忘却の芸術といわれますが,私には決して忘れることのないとても幸福な時間となりました。

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 新たにNHK交響楽団の首席指揮者に就任したファビオ・ルイージ(Fabio Luisi)さんは,イタリア・ジェノバで1959年に生まれたということなので,私より若いですが,前任者のパーヴォ・ヤルヴィさん(Paavo Järvi)が1962年生まれなので,それより年上ということになります。
 イタリアの指揮者といっても,あまり,イタリアという感じは私にはしません。近ごろの指揮者はどの人もレパートリーが広く,そのどれもすばらしいので,あとは,個性の違いという感じがします。私には,前回来日したときに指揮したブルックナーの交響曲第4番がすばらしかったのでそのイメージが強いですが,これからどんな曲目を取り上げるのかとても楽しみにしています。

 今回のヴェルディ「レクイエム」,私が知っているのは「怒りの日」(Dies irae)の旋律くらいです。これは,かつて,薬師丸ひろ子さんが主演した「Wの悲劇」で効果的に流れたものです。それ以外は,これまできちんと聴いたことがありません。
 このようなキリスト教の音楽は私には難解で,そのよさがよくわかりません。それでも3大レクイエムのほかのふたつである,モーツアルトの「レクイエム」のような音楽性だけでも楽しめる曲や,フォーレの「レクイエム」のようなこころに染みるものとは違い,これでもかこれでもかと音の洪水が押し寄せてきて,それがはじめて聴く私にはいつ終わるとも,どこで盛り上がるのかもわからないので,辛いものでした。
 この曲はヴェルディの尊敬するイタリアの文豪アレッサンドロ・マンゾーニ(Alessandro Francesco Tommaso Antonio Manzoni)を追悼する目的で作曲され,アレッサンドロ・マンゾーニの1周忌にミラノのサン・マルコ教会で初演されたものです。アレッサンドロ・マンゾーニは,高雅なことばでキリスト教徒としての心情を歌った詩「聖なる讃歌」(Inni sacri)や,歴史小説「いいなづけ」(I promessi sposi)を書いた人だそうですが,それもまた私はまったく知らないので,これではどうにもなりません。
 このような大曲を予習もせずいきなり聴くこと自体が無謀で,正直いってとまどうだけでした。あとで調べてみると,「あまりにイタリア・オペラ的」「ドラマ性が強すぎる」「劇場的であり教会に相応しくない」といった評価があるそうです。さらには,「絶叫するばかりのコーラス」「怒号の連続」「正常な神経の持主がこの詩句と同時に受け入れることのできるメロディーはどこにも聴かれなかった」などという酷評も存在しますが,私がそれを読んで納得したりしているのです。この曲が理解できる人ごめんなさい。
 「この作品は,それまでの多くのレクイエムのいかなる価値観とも別のもので,人間の死と運命という主題を感動的で普遍的な方法で扱った音楽として感じるべきだ」ともあったので,それを感じることができるまで聴きこんでみるべきだとも思うのですが,そこまで執着するほどの情熱が起きないのが残念です。

 と,これは,演奏の出来不出来ではなく,私の不徳の致すところですが,このような大曲に接することができただけでも幸せな時間でした。そしてまた,この曲を取り上げたファビオ・ルイージさんの矜持を強く感じました。
 さらに,それよりなにより,広いステージにも関わらず,オーケストラと合唱団とソリストの人たちで一杯になったその美しさ,そして,このような大規模な曲を再び聴くことができるようになっただけで,私は感動しました。そして,来てよかったと思いました。
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 なお,今回のコンサートから,カーテンコールは写真を写すことができるということで,私が選んだステージ全体が見渡せる極上の席は,さらに満ち足りた気持ちにしてくれました。
 さあ,次の演奏会は,待望のヘルベルト・ブロムシュテッドさんのマーラー・交響曲第9番です。今からとても楽しみです。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 2022年9月11日,NHK交響楽団第1962回定期公演をNHKホールで聴きました。私がNHK交響楽団の定期公演を聴いたのは2020年2月以来のことでした。
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 コロナ禍とは関係なく,NHKホールは2020年の夏から改修工事で,2年間NHK交響楽団の定期公演を行わず,その代わり,池袋の東京芸術劇場コンサートホールを使用することになっていました。私のように,NHKホールの定期公演の座席をもっていた人は,その間NHKホールの座席が維持され,NHKホールでの公演のない間は,中断しても,あるいは,東京芸術劇場コンサートホールで新たな座席を確保してもいいということでした。私は,中断を決めました。
 ところが,奇しくもコロナ禍となってしまい,2020年の4月から6月までの定期公演は中止となり,この3つの公演のチケット代が返金となりました。また,2020年の秋からの定期公演は1年間中止となりました。

 やがて,NHKホールの改修工事が終わり,予告通り今年の定期公演の案内がきました。再び定期会員を続けようかどうしようか迷ったのですが,Aプログラムは9月が首席指揮者となったファビオ・ルイージさん(Fabio Luisi)指揮のヴェルディ「レクイエム」,10月が御年95歳の桂冠名誉指揮者ヘルベルト・ブルムシュテッドさん(Herbert Blomstedt)のマーラー・交響曲第9番,そして,11月が今私がもっとも聴きたい指揮者である井上道義さんお得意のショスタコービッチ・交響曲第10番とあったので,この3回のコンサートにだけはぜひ行きたいと思って,奮発してS席を確保しました。

 ということで,今回,久しぶりに東京へ出かけることにしたのですが,以前のように,深夜バスで往復するなどということはもう体力的にもする気がなく,日帰りで新幹線のグリーン車をとりました。
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 コンサートは午後2時からでしたが,午前10時ころに品川駅に着いて,それまでの時間,品川のキヤノンギャラリーで開催されている「キヤノンフォトコレクション:木村伊兵衛写真展」を見るつもりでした。
 そのこともあって,前回,木村伊兵衛さんについてこのブログに書いたのですが,あいにく日曜日がお休みであることを失念していて,木村伊兵衛写真展を見ることができませんでした。そこで,急遽,別のところに行くことにして,コンサートまでの時間を潰したのですが,そのことはまた後日書きます。
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 12時過ぎまで浅草にいた私は,地下鉄銀座線で渋谷に向かいました。2年ぶりの東京でしたが,渋谷の変貌に驚きました。地下鉄銀座線の渋谷駅が以前とは完全に変わてしまっていて,こうなると,私は「田舎のネズミ」状態で,さっぱりわからなくなって,道に迷いました。
 私は,この2年の間,人の少ない地方にけっこう出かけたのですが,どこに行っても日本の退廃ぶりが目につきました。それに対して,東京はどうでしょう。どこもかも,いつも工事をして,どんどんと新しくなっていきます。政治家もマスコミも,こんな姿の東京を基準にそれが日本だと思っているようです。これでは東京以外に住んでいる人たちは浮かばれません。それが今回私が東京に行ったときに感じたことでした。


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 私は,NHK交響楽団の首席指揮者はパーヴォ・ヤルヴィさんで満足していたので,契約が満了して,2022年9月からはファビオ・ルイージ(Fabio Luisi)さんに代わるというニュースに,正直がっかりしました。
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 ファビオ・ルイージさんは1959年イタリアのジェノヴァ生まれで,現在はチューリヒ歌劇場音楽総監督,デンマーク国立交響楽団首席指揮者,ダラス交響楽団音楽監督です。NHK交響楽団とは2001年に初登場して以来7回共演をしています。
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 そのファビオ・ルイージさんの指揮する名古屋でのコンサートを11月28日に聴くことにしているのですが,その前の11月18日に行われた第1943回定期公演をFM放送で聴きました。曲目は私の大好きなブルックナーの交響曲第4番でした。
 そして,私はすっかりのめり込んでしまい,私の不明を恥じました。

 このところ,海外旅行ができなくなってときどき思うのは,これまで行った中で,自分にとって忘れられない場所がどこだったかということです。そうした想いは,クラシック音楽に身を浸しているとき,特に感じます。そして,いつもオーストリアのことを考えます。
 私はブルックナーの交響曲の中で,今回の第4番が一番です。この曲を聴くと,以前行ったオーストリアの郊外の風景を思い浮かべます。
 今日の写真は,ウィーンからザルツブルグに行ったときの車内から眺めたブルックナーの生まれ故郷リンツの夜明けの風景とリンツ駅ですが,実際にこの地に行ってみて,まさに,この音楽は,こうした風景からインスピレーションを得て作曲されたと確信するようになりました。
 そしてまた,今回のコンサートは,まさに神々しいものでした。
 このごろ,特に,同じ曲であっても,同じオーケストラであっても,指揮者によってかくも深みが異なるものなのか,ということをしみじみと感じるのですが,想い入れの深い演奏は,聴く者のこころをしっかりとらえるようです。
 幸せな時間でした。


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 NHK交響楽団第1931回定期公演の曲目はブラームスのピアノ協奏曲第2番とシェーンベルグが編曲したピアノ四重奏曲第1番(通称「ブラシェン」)でした。
 ピアノ協奏曲第2番は4楽章形式ですが,第3楽章の染み入るようなチェロがとてもすばらしく感じられる曲です。ピアノ四重奏曲第1番は,私はコンサートではじめて聴く曲でした。
 今回は交響曲のないブラームスのプログラムということです。

 私はブラームスが好きですが,これまでブラームスの作品がいつ作曲されたのかということはあまり気に留めていませんでした。
 今回演奏された2曲は,ブラームスの若いころと晩年のものということであるということと,このところ世界史に興味をもったので,ここでブラームスの作品の作曲年代について調べてみました。
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 まず,ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms)自身の生存年代ですが,ブラームスは1833年に生まれて1897年に63歳で亡くなっています。ウィーン会議が1817年,プロイセン・オーストリア戦争が1866年,ドイツ帝国が成立したのが1871年,日本では1833年は天保の飢饉が起きた年,1894年は日清戦争,そういう時代でした。また,ベートーヴェンは1770年生まれで亡くなったのが1827年なので重なっておらず,同時期に活躍したブルックナーは1824年生まれで亡くなったのが1896年,マーラーは1860年生まれで1911年に亡くなっています。
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 今回のコンサートで演奏されたピアノ四重奏曲第1番は1861年に作られたので,ブラームスが28歳のときです。ピアノ四重奏曲というはピアノ,ヴァイオリン,ヴィオラ,チェロからなるものですが,それを1937年に管弦楽曲に編曲したのがシェーンベルクです。
 また,ピアノ協奏曲第2番は1881年に完成したので,そのときブラームスは48歳で,ピアノ協奏曲第2番のまえのピアノ協奏曲第1番は1857年の完成なのでピアノ四重奏曲より4年早く,ピアノ協奏曲第2番の22年前ということになります。
 ちなみに,交響曲第1番は1876年なのでブラームス43歳のときに完成したもので,交響曲第2番はそのわずか翌年の1877年,その次がヴァイオリン協奏曲で1878年,そして,ピアノ協奏曲第2番をはさんで,交響曲第3番が1883年,交響曲第4番は交響曲第3番完成の翌年1884年から1885年にかけて作曲されました。ヴァァイオリンとチェロのための二重協奏曲は,交響曲第4番のあと1887年に作曲したものです。このように,ブラームスの円熟期は43歳から54歳にかけてということになります。

 と,ここまでが前置きです。
 このコンサートはあとで書かれた交響曲のような大曲であるピアノ協奏曲第2番が先に演奏されて,「ブラシェン」と称されるピアノ四重奏曲第1番が後でしたが,「ブラシェン」が後というのは少し荷が重いのです。小気味よい曲ではあるのですが,ハンガリー舞曲のようなもので,メインプログラムの器ではありません。
 ピアノ協奏曲第2番のピアノの演奏はボディビルダーの肩書もあるツィモン・バルト(そういえば力士だった把瑠都もいました)という大柄な男性で,ちょっと変わった演奏家という評判でした。
 出だし,なかなか個性のある演奏だと思ったのが甘い考えでした。テンポは異常に遅く,進まず,さらに,ふらふら,進みだすと思えば立ち止まり,シンドイだけでした。これではオーケストラがたいへん,7割程度の入りのお客さんの私の周りにいた数人の人はみんな寝ているし,私は途中で帰りたくなりました。
 だいぶ前,NHK交響楽団の定期公演でピーター・ゼルキンというピアニストがブラームスのピアノ協奏曲第1番を演奏したのを聴いたのですが,このときもまた,えらくおそいテンポで今にも止まりそう,聴くほうもたいへんだったのですが,それはそれで芯があって,こころに残りました。それを思い出したのですが,それとも違いました。
 10年以上NHK交響楽団の定期公演を聴いていますが,こんなに私が不快になった演奏ははじめてでした。正直,せっかく期待したブラームスのピアノ協奏曲第2番がまったく別の曲になってしまって残念な気持ちでした。演奏時間約60分,これでは長すぎます。帰宅後,ツイッターの書き込みを読むと,なかには絶賛しているもの,あるいは,私と同じようなことを書いているものなどいろいろありましたが,まあ,何を聴いても絶賛する人の意見はさておいて,これほど賛否のわかれる演奏というのもそうはありません。
 そんな「毒気」にあてられたおかげで,後半の「ブラシェン」がきわめてさわやかな清涼剤となったのもまた,不思議なものでした。荷が重いと思った「ブラシェン」が後でむしろよかったわけです。

 ただし,ウィンナーワルツとか,多くのR・シュトラウスの作品のような,音楽を音として楽しむものと,音楽を媒体としてこころの琴線に触れる楽しみが違うように,私がブラームスという作品を聴く楽しみは後者のほうなので,期待に反して物足りないコンサートとなってしまいました。フィレ肉を食べに行ってテールを出されたようなものでした。
 帰宅後,NHKEテレで放送されていた第1923回の定期公演を見ました。ビゼーの交響曲第1番をはじめ,とてもNHK交響楽団らしいすてきなコンサートでした。指揮者のトゥガン・ソヒエフさんもノリがよく楽しそうで,私は,こうしたコンサートのほうがずっといいなあと思ったものでした。

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 NHK交響楽団定期公演,今シーズン私はCプログラムの定期会員です。11月はAプログラム,Bプログラム,Cプログラムとも,ヘルベルト・ブロムシュテットさんの指揮でしたが, すでに終わったAプログラムとBプログラムはFM放送で聴きました。
 11月6日に聴いたBプログラムは,ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」がはじめに演奏されるという変わったものでしたが,いつものとおり,すごくテンポが速くて驚きました。
 現在,ヘルベルト・ブロムシュテットさんは,来日するたびにベートーヴェンの交響曲を演奏されていて,これで残るは第5番だけとなったのですが,実は,現在のベートーヴェン交響曲演奏シリーズでは数年前にもう第3番は取り上げられています。それ以前にも第3番を取り上げたことは多く,この曲がお気に入りのようです。
 来年はぜひ,第5番を聴きたいものです。
 11月16日にFM放送で聴いたAプログラムでは,ブラームスの交響曲第3番が演奏されました。ブラームスの交響曲は,現在のベートーヴェンシリーズの前に全曲取り上げられたことがあって,今もその録音は私の宝物となっているわけですが,今回,再び第3番が演奏されました。今回の極めつけは,なんと,定期公演にもかかわらず,アンコールとして,交響曲第3番の第3楽章が再び演奏されたことです。もう,これは涙腺が緩みます。私は,この演奏会に行けばよかったとしみじみ思ったことでした。

 そして,私が聴いたのが11月22日のCプログラムです。
 曲目はモーツアルトの交響曲第36番「リンツ」とミサ曲ハ短調でした。「リンツ」は久しぶりに聴きました。とても小規模な編成で,確か,第1ヴァイオリンが10人,第2ヴァイオリンが10人,ビオラが6人,チェロが4人,そして,コントラバスが3人でした。ヘルベルト・ブロムシュテットさんは,モーツアルトの交響曲の演奏で,いろいろな工夫をしていて,以前は,指揮台がなかったこともあります。
 ミサ曲ハ短調は,私はこの曲を2006年2月の第1560回定期公演で聴いたことがあります。第1560回定期公演では,モーツアルトの交響曲第34番も演奏されました。そのときのミサ曲のソリストは幸田浩子さんと半田美和子さん,福井敬さん,河野克典さん,合唱は国立 音楽大学でしたが,特に幸田浩子さんがすばらしかった印象があります。 このときの演奏はいまでも印象に残っているものです。今回は,クリスティーナ・ランツハマー(Christina Landshamer)さん,アンナ・ルチア・リヒター(Anna Lucia Richter)さん,ティルマン・リヒディ(Tilman Lichdi)さん,甲斐栄次郎さん,合唱は新国立劇場合唱団でした。
 今回もまた,前回と同様に,合唱団の人をミサの曲目によって配置換えをするのは同様でしたが,これにどれだけ効果があるのか,と前回のコンサートである評論家が書いていたのを思い出しました。このこだわりこそが,ヘルベルト・ブロムシュテットさんの若さの秘訣だと私は思います。
 家に帰ってから,録音してあったFM放送を聴いてみました。会場以上にバランスのとれたすばらしい演奏に聴こえました。感動で泣けてきました。特に,「リンツ」は,こんなに美しい演奏を聴いたのははじめてでした。
 ヘルベルト・ブロムシュテットさんは来年も11月に来日が予定されています。ぜひ,お元気で,また,演奏会が聴けるのを楽しみにしています。

 それにしても,こうして定期公演に接してると,月日の流れの早さを感じます。わずか10年程度でも,登場する指揮者や独奏者などの顔ぶれがすっかり変わってしまいます。そして,当時を振り返ると,懐かしもあり,寂しくもあります。音楽は時間芸術といいますが,どんなにすばらしい演奏であっても,月日とともに流れていってしまいます。また,当時,自分に知識がなかったために,かなり貴重な演奏であっても,その貴重さがわからなかったものも少なくありません。それがまた残念なことでもあります。
 一期一会といいますが,そのときそのときの音楽との出会いをもっと楽しまなくては,と思います。それとともに,このすばらしい芸術がわからない人を気の毒に思います。

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 NHK交響楽団2019年11月の定期公演の指揮は,待望のブロムシュテットさん。Cプログラムの曲目はモーツアルトの交響曲第36番とミサ曲ハ短調でした。今年もまた,この巨匠の指揮で聴くことができたのをたいへんうれしく思いました。
 私は2002年のシーズンにNHK交響楽団の定期会員になって以来,足しげくNHKホールに通っているのですが,会員になったころは名誉指揮者としてウォルフガング・サバリッシュ,オットマール・スウィートナー,ホルスト・シュタインという名前があって,ブロムシュテットさんは4番手くらいの位置でした。
 当時は,コンサートもそれほど人気があったとはいえませんでした。しかし,月日が経ち,80歳を過ぎたあたりから定期公演でもっとも聴きたい指揮者とみなされるようになり,毎年の来日が待ち遠しくなりました。
 
 NHK交響楽団の桂冠名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットさん(Herbert Blomstedt)は1927年生まれなので92歳になります。最後の巨匠,ではないかと私は思います。
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 スウェーデン人の両親の元,アメリカのマサチューセッツ州に生まれたマエストロは,5歳のときにはフィンランドに移り,再びスウェーデンに戻りました。
 1954年にロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団で指揮者として本格的にデビューし,1975年から1985年までシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者,1985年から1995年までサンフランシスコ交響楽団の音楽監督,1995年から1998年の北ドイツ放送交響楽団の首席指揮者を経て,1998年から2005年までライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者(=カペルマイスター)を務めました。
 1973年にシュターツカペレ・ドレスデンの公演で初来日し,その8年後の1981年NHK交響楽団にはじめて客演し,はやくも1985年に名誉指揮者となり,2016年には桂冠名誉指揮者の称号を贈られました。
 はじめのころはあまり評価されておらず,私もまた,リハーサルの長い指揮者というイメージしかありませんでした。何でも,リハーサルでは演奏よりも話が長かったということを聞きました。それが,歳をとるごとに音楽が若返り,生命力に富んだ弛緩することのない早めのテンポで無駄のないクリアかつシャープな響きを構築するようになってきましたが,これは,これまで巨匠とよばれた指揮者とはまったく反対の流れとなっています。
 徹底した菜食主義者としても有名です。徹底的なこだわりとして,リハーサルの後で出された昼食の蕎麦のつゆが鰹を出汁にしたものであると知って麺のみを食べたというエピソードがあります。
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2019-09-20_21-24-44_7262019-09-20_18-40-16_0002019-09-20_21-22-56_7122019-09-20_21-23-11_076 9月20日金曜日,NHK交響楽団第1919回の定期公演を聴きにいきました。この日の曲目は,R・シュトラウスの最後の歌劇「カプリッチョ」(Capriccio)から,間奏曲「月光の音楽」とそれに続くソネット「最後の場」,そして,マーラーの交響曲第5番でした。
 マーラーの交響曲だけでもゆうに70分を越えるのに,その前に,R・シュトラウスのそれもそれほど有名でない曲をもってくるのも,指揮者パーヴォ・ヤルヴィらしい選曲でした。
 しかも,ただでさえ長いのに,開演が10分以上遅れました。その理由はわからないのですが,おそらくは,R・シュトラウスを歌ったソプラノのヴァレンティーナ・ファルカシュ(Valentina Farcas)さんにゆかりのある国の偉い人が会場に聴きに来る予定が遅れたためではないかと想像します。それは,そんな感じの人がNHKホールの中央の座席に着くのを待って演奏会がはじまったからです。ということで,途中の休憩を5分短くしてもコンサートが終わったのがなんと午後9時30分ごろという,異例の遅い時間となりました。

 いつも書いているように,R・シュトラウスは単独で曲だけを聴いても私にはさっぱりわかりません。この歌劇の主題は「言葉と音楽とどちらが重要か」で,これは作曲者自身がこの歌劇の登場人物のフラマンに投影されているのだそうです。
 歌劇「カプリッチョ」や私が R・シュトラウスの作曲した音楽のなかで最も好む「4つの最後の歌」 (Vier letzte Lieder)のような作品で,R・シュトラウスは自身の音楽こそが世界のすべてであるといったその主張が浮かび上がるようになっているそうですが,その究極が交響詩「英雄の生涯」(Ein Heldenleben)ではないかと思われます。この交響詩の「英雄」というのは R・シュトラウス自身です。

 マーラーの交響曲第5番嬰ハ短調は,これまで何度かライブで聴いたことがあります。私はマーラーは好みの作曲家ですが,マーラーの音楽を聴くのはほとんどコンサートであって,家で録音を聴くことはめったにありません。それがブルックナーとの違いです。その理由は自分でもよくわかりませんが,おそらく気楽に聴くには「重たすぎる」音楽だからなのでしょう。
 9曲と未完が1曲ある交響曲のなかで,第5番はグスタフ・マーラーが1902年に完成した5楽章からなる中期を代表する作品です。ハープと弦楽器だけによる第4楽章アダージェットが,ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)監督による1971年の映画「ベニスに死す」で使われたことで有名ですが,マーラー愛好家の中には,この曲がつねに「ベニスに死す」として語られることを嫌う人も少なくありません。それは,ホルストの「惑星」が平原綾香さんの「Jupiter」として語られるのと同じようなものでしょうか。
 トーマス・マン(Paul Thomas Mann)の原作を映画化した「ベニスに死す」(Death in Venice)は,静養のためベニスを訪れた老作曲家が出会ったポーランド貴族の美少年タジオに理想の美を見い出し,疫病が流行する死臭漂うベニスでタジオの姿を追い求め歩き続け,ついに彼は倒れ込み,波光がきらめく中かなたを指差すタジオの姿を見つめながら死んでゆく,という作品です。映画と交響曲の関連はともかく,映画の醸し出す雰囲気もまた,この交響曲と同じように私は感じます。

 グスタフ・マーラーは,第5番以降,声楽入りだった第2番から第4番までの「角笛交響曲」から一転して,純器楽のための交響曲を作曲しました。第5番は第4番の余韻を漂いながらの葬送行進曲ではじまるのですが,そのリズムはベートーヴェンの同じく第5番の交響曲を連想させます。それにしても暗く,そして長い交響曲です。しかも,ベートーヴェンやブルックナーの交響曲ではかなり早いテンポで演奏をするパーヴォ・ヤルヴィが,異常なまでのおそいテンポで演奏をはじめたのに私は驚きました。この曲の暗さと重さ,そして,テンポの遅さは第3楽章まで続き,このまま終わってしまったら本当に救いのない音楽になってしまうなあと思って聴いていたのですが,ものすごく美しい第4楽章と快活でダイナミックな第5楽章がそれをすべて超越しました。
 この交響曲は,人間の生きることの苦悩,存在の苦しみ,そうした感情のすべてを,はじめの3楽章でこれでもかこれでもかと描いたうえで,第4楽章で安らぎを与え,第5楽章でそうした感情からの完全解放が描き出されていることが共感を呼ぶのでしょう。しかし,この完全開放というのは,生きることの勝利の宣言ではなく,むしろ「ヨブ記」に共通する苦しみを超越してはじめて到達できる喘ぎだと私は思います。これまで何度か書いたように,人が生きるということは苦しく不条理で,救いなどないのです。そうした真実の重さが,マーラーがそれまでに書いた,第2番や第3番の交響曲のような大げさな勝利やら,第4番の交響曲のようなおちゃらけの幸福感,そうした強がりを越えたところにある人間の生の本質を描いているのでしょう。だからこそすばらしい曲なのですが,重すぎます。
 よい演奏会でしたが,マーラーの交響曲第5番は,ショスタコービッチの交響曲第15番とともに,人生の経験の浅い若い人には曲が終わったとき「ブラボー」と叫べても,私にはやはり気楽に聴ける音楽ではないなあ,ということを改めて思い知らされるものとなりました。

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 私が6月14日に聴きにいったNHK交響楽団第1916回定期公演のことはすでに次のように書きました。
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 第1916回定期公演のメインプログラムはブルックナーの交響曲第3番でした。
 私はブルックナーが大好きですが,第3番はほとんど聴く機会がありません。そこで,この演奏会を楽しみにしていました。この演奏会の指揮者はまたまたパーヴォ・ヤルヴィさん。私はここ半年で何度パーヴォ・ヤルヴィさんの指揮する演奏会に足を運んだことでしょうか。パーヴォ・ヤルヴィさんの指揮はいつも安心して聴くことができます。それにしても,本当にレパートリーの豊富な指揮者です。
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 このコンサートのプログラムはブルックナーのほかに2曲あって,その1曲目がバッハが作曲しアントン・ヴェーベルン(Anton von Webern)が編曲したリチェルカータ(ricercata),2曲目がアルバン・ベルグ(Alban Maria Johannes Berg)のヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」(Dem Andenken eine Engels)だったのですが,私には難しすぎて,さっぱりわかりませんでした。そこで,今回Eテレでこのコンサートが放送されたのを機に,改めて調べてみました。
 私が思っていた以上に,このプログラムは奥が深いものでした。しかし,その意をくんで聴くにはかなりの予備知識が必要で,このコンサートを味わうには,「世紀末ウィーン」のこと,アルマ・マーラーのこと,そして,アルバン・ベルグ自身のこと,これらのことを知らねばならなかったのです。私はそんなことをまったく知らずに聴いていたのですが,今になって自分の愚かさに気づかされました。これだけ熟慮されたプログラムが演奏されたことがすごいのです。

 ではまず,「世紀末ウィーン」(Die Wiener Moderne)からはじめましょう。
 「世紀末ウィーン」とは,19世紀末に文化の爛熟を示したウィーンで展開された多様な文化の総称です。ドイツから閉め出されたオーストリアには,アウスグライヒ(Österreichisch-Ungarischer Ausgleich=妥協)によってオーストリア・ハンガリー二重帝国が成立しましたが,「世紀末ウィーン」はこの政治の混乱と凋落によって人々の関心が文化面に向かった結果起きたものです。
 ウィーンにはフランツ・ヨーゼフ1世の王妃で「シシィ」の愛称をもつ悲劇のヒロイン・エリーザベトがいました。ギリシア語やラテン語だけでなく,シェイクスピア作品を原語で読め,かつ,その1節をエリザベス朝期のドイツ語で言い表すことができたというほどの語学の才に恵まれていた「シシィ」はハンガリーの風土と文化を心から愛していたといいます。「世紀末ウィーン」というのはこうした時代でした。

 美術では,アカデミックな芸術家団体「クンストラーハウス」の保守性を嫌った人々が結成した「ウィーン分離派」(Wiener Secession)が活動し,グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)が出ました。また,ウィーン工房に参加したものの終生独自の道を歩んだ画家としてアルマ・マーラーとの愛欲を描いた「風の花嫁」で知られるオスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka)がいました。
 ここで登場するアルマ・マーラー,つまり,アルマ・マリア・マーラー・ヴェルフェル(Alma Maria Mahler-Werfel)はオーストリアの作曲家グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)の妻でしたが,華麗な男性遍歴で知られます。彼女は作曲家アレクサンダー・ツェムリンスキー(Alexander von Zemlinsky)に入門し歌曲の作曲を開始しましたが,アレクサンダー・ツェムリンスキーより前にグスタフ・クリムトと深い仲にあったといいます。
 そののち,アルマはグスタフ・マーラーと知り合い,グスタフ・マーラーからの求愛に応えて結婚を承諾しました。当初こそマーラーを支えることに愛を見いだしたアルマでしたが,やがて夫婦中は冷えきりました。グスタフ・マーラーが亡くなり未亡人となったアルマは,画家のオスカー・ココシュカと関係を深めながらもヴァルター・グローピウス(Walter Adolph Georg Gropius)と再婚,ヴァルター・グロピウスとの間にもうけた娘がマノン(Manon Gropius)でした。そして,マノンのことをことのほかかわいがったのがアルバン・ベルクでした。
 1935年,マノンが18歳という若さで急死します。アルバン・ベルクは,この訃報を知るとヴァイオリニストのルイス・クラスナー(Louis Krasner)から委嘱されていたヴァイオリン協奏曲を「ある天使の想い出に」捧げるものとして作曲にとりかかります。曲は完成しましたが,敗血症を起こしたアルバン・ベルクはそれから間もなく急逝。この曲は自分自身へのレクイエムになってしまいました。
 …とまあ,この曲には,「世紀末ウィーン」のオールスターキャストが登場するこれだけの伏線があるのです。

 この作品では,アルバン・ベルグの恩師アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg)譲りの12音技法が使われています。
 第2楽章では,12音技法によってマノンの闘病が描かれます。やがて,激しい死神との戦いの音楽がふと消え失せて,古来の調性による昇天の音楽が演奏されます。この音楽はヨハン・ルドルフ・アーレ(Johann Rudolf Ahle)によるものなのですが,アルバン・ベルクはこれをバッハのカンタータ第60番「おお永遠よ,汝おそろしき言葉よ」(O Ewigkeit, du Donnerwort)と思っていました。
  ・・・・・・
 Es ist genug:
 Herr, wenn es dir gefällt,
 So spanne mich doch aus!
 Mein Jesus kommt:
 Nun gute Nacht, o Welt!
 Ich fahr’ ins Himmelshaus
 Ich fahre sicher hin mit Frieden
 Mein grosser Jammer bleibt darnieden.
 Es ist genug!
  ・・
 もう十分です
 主よ,どうか私に休息を与えてください
 私のイエス様がいらっしゃる
 この世界よ,さようなら
 苦しみはこの世に残して心やすらかに
 私は天国へと旅立ちます
 もう十分です
  ・・・・・・
 コラールが過ぎ去ると,第1楽章で提示した基本の12音音階が美しく光を放ちながらあちらこちらで天へと昇っていき,最後にヴァイオリンの4つの解放弦の音が鳴り響くのです。
 アルバン・ベルグは,この曲でまた,さまざまな数字の暗示を織り込んだようです。2楽章の冒頭の死のダンスまでへのカデンツが22小節,コラールも22小節,曲の副題「Dem Andenken eines Engel」は22のアルファベット。この22という数字は,マノンの命日から来ています。また,2楽章の最後の和音が18個の音で構成されているのはマノンがこの世を去った年齢を表しているといわれます。
 …とまあ,これだけの予備知識が必要だったわけです。やはりウィーンは奥が深いです。また行ってこよう!

◇◇◇ 

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 昨年2018年10月のNHK交響楽団第1896回定期公演でステンハンマルの交響曲第2番が演奏されました。
 今年の梅雨は天気も悪く,アメリカから帰国して以来,どこへ行くということもなく,これまでテレビで放送された録画を何となく見ていて,NHKEテレの「クラシック音楽館」のこのコンサートに今になって出会いました。そして,ステンハンマルにはまりました。
  ・・・・・・
 カール・ヴィルヘルム・エウフェーン・ステンハンマル(Carl Wilhelm Eugen Stenhammar)は1871年に生まれ1927年に亡くなったスウェーデンの作曲家であり,ピアニスト,指揮者です。ストックホルム王室歌劇場の楽長やエーテボリ交響楽団の首席指揮者を務めました。
 スウェーデンの最も重要な作曲家のひとりということです。当初はベートーヴェン,ワーグナー,ブルックナー,ブラームスといった作曲家に影響された力強さと激しい情感を伝える重厚な作品を書きましたが,ニールセンやシベリウスの手引きでそのような美学を疑うようになり,やがて,新しい理想を成熟させ「北欧風」の抑揚を目標に掲げ,効果なしでも成り立つような「透明で飾り気ない」音楽を作曲しようとしました。この頃から作品は民謡の旋律法にしたがって形成されるようになって,教会旋法の活用やある種の真に簡潔な表現によって紛うことなき「スカンジナヴィア風」の抑揚が展開されるようになりました。
 ステンハンマルは交響曲を2曲書きました。
 第1番は,作曲家自身が「牧歌的なブルックナー」とよんだとされる交響曲で,ドヴォルザークの初期から中期の交響曲とよく似た感じのものです。この曲は初演の失敗と,それに先立ってこの作曲家が聴いたシベリウスの新作・交響曲第2番の衝撃から,作曲者自身により作品の発表を取り下げられ,作品表にも載せなかった,というのは有名な話です。
 やがて,この作曲家は独自の個性を獲得していきます。指揮者としても活動していたステンハンマルは,ニールセンの交響曲第1番を上演するという経験にインスパイアされて,新しい交響曲を作曲しはじめます。そうして1915年に完成したのが交響曲第2番,いわゆる「交響曲 ト短調作品34」です。

 この日のコンサートでは,ステンハンマルの交響曲第2番は,ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」のあとに演奏されました。こんな有名な曲のあとを務めるのだから重責です。
 第1楽章は舞曲風のテーマが印象的ですが,威厳のある古典的な旋律からはじまりました。聴きやすい音楽です。「田園」で歩いた平原の先に見つけた古城のような感じです。そして,素朴で威厳があります。次の第2楽章はもの悲しい曲想から次第にセレナードふうの豊かな広がりをみせていきます。私はヴォーン・ウィリアムスの音楽を思い出しました。気品があります。第3楽章では北欧の香りが強いワルツふうのスケルツォが流れます。ベートーヴェンやブルックナーのスケルツォとはまったく違う,コミカルなものです。仮面舞踏会をコミカルにして,ショスタコービッチの映画音楽をかぶせたような感じです。第4楽章は私の好きなブラームスが第4番交響曲の最終楽章をパッサカリアで緻密に書いたように,ふたつの主題のフーガがち密に構成されています。これはステンハンマルが得意とする対位法によるものです。ブラームスがパッサカリアを新しいものにしたように,フーガという古い形式を北欧風に置き換えたステンハンマルの傑作ですが,曲の最後がユニークで,感動の置きどころに困ります。
 この曲もまた,はじめて聴いたときは,どこをどう解釈すればよいのかとまどいますが,何度も聴くと,こころに染み込んできます。そして,美しき北欧の香りで満ちてくるのです。よい音楽を知りました。

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 N響第1911回定期公演で,ヴァインベルグの交響曲第12番「ショスタコービッチの思い出に」が演奏されたのをEテレのクラシック音楽館で見ました。
 以前,私はブログに次のように書きました。
  ・・・・・・
 近ごろ,N響定期公演では,めったに聴くことができない作曲家の交響曲が数多く演奏されるので,とても勉強になります。最近では,アイヴズ,ベルワルド,ステンハンマル,ヴァインベルグ,トゥビンなど,名前すら知らなかった作曲家の作品があがっていました。
  ・・
 アイヴズ(Charles Edward Ives)はシベリウスやボーン・ウィリアムスと同年代のアメリカの作曲家,ベルワルド(Franz Adolf Berwald)はシューベルトと同年代のスウェーデンの作曲家,ステンハンマル(Carl Wilhelm Eugen Stenhammar)はシベリウスやボーン・ウィリアムスと同年代のスウェーデンの作曲家,ヴァインベルグ(Mieczysław Wajnberg)はブリテンと同年代のポーランドの作曲家,そして,トゥビン(Eduard Tubin)はショスタコービッチと同年代のエストニアの作曲家です。
  ・・・・・・
 私は,これまで知らなかった多くの作曲家の作品に接することができて,いろんな発見がありました。その中でも,今回のヴァインベルグをはじめ,ハンス・ロットとエドゥアルド・トゥビンに興味をもちました。

 ミェチスワフ・ヴァインベルク(Mieczysław Wajnberg)は,1919年に生まれ,1996年に亡くなったポーランド出身で,ロシアで活動した作曲家だそうです。 ポーランドのワルシャワでユダヤ人として生まれましたが,ナチス・ドイツのポーランド侵攻で当時のソビエト連邦に亡命します。しかし,スターリンの反ユダヤキャンペーンで逮捕されるなど苦難の生涯でした。   
 交響曲は第21番までと未完に終わった第22番を残しました。
 私が学生のころは,東西冷戦の真っ最中で,ヨーロッパは西側と東側に分かれていたので,当時,東側に属していた国々,そして,ソビエト連邦として存在していた国々のことはほとんど謎に包まれていました。その後,数々の悲劇ののち,現在のように多くの国々に分かれて独立を遂げてたのですが,今になって,当時の悲惨な出来事や,そして,それを乗り越えた独自の歴史や文化に脚光が浴びるようになってきました。
 そうした国々には,まだ世界にほとんど知られていないすばらしい芸術がたくさんあったのです。

 ところで,私が愛してやまないブルックナーを多くの女性は苦手だと近ごろ知って意外に思いました。高揚感が途中で切れる感じが女性にはだめなのだそうです。では,ショスタコービッチはどうなのでしょう?
 私は,ブルックナーとはまったく別の感性から,ショスタコービッチにもこだわりがあります。ショスタコービッチの音楽は仕事で忙しかったころ,戦闘モードになるために聴いていたように思います。そこで,今のようなぬるま湯の生活ではむしろ敬遠する音楽となっています。しかし,たまに聴いてみると,改めて身が引き締まるような感覚を覚えます。
 ハンス・ロットがブルックナーのような明るさと素朴さに根づく音楽であれば,エドゥアルド・トゥビンやミェチスワフ・ヴァインベルクはショスタコービッチの側の音楽に思えます。しかし,ヴァインベルグはショスタコーヴィチよりももっと悲しみの溢れ出る音楽です。私は,R.シュトラウスのような音楽は退屈しますが,こうした音楽は,どんなに暗くても長くても悲しくても,決して退屈しないのが不思議です。
 この第12番交響曲の第4楽章のはじめ,マリンバの奏でる悲しさはどうでしょう。深くこころを打ちます。そしてまた,私の大好きなショスタコービッチの第15番交響曲の最終部 -これは命の終わりを象徴しています- を思い起こさせます。
 ハンス・ロットはどんなに好きになってみても1曲の交響曲しかありませんが,ヴァインベルグには有り余るだけの作品が存在します。こんな作品を知って幸せを感じます。いい宝物を手に入れました。これから少しずつ聴いていきたいと思います。

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 NHK交響楽団第1916回定期公演のメインプログラムはブルックナーの交響曲第3番でした。
 私はブルックナーが大好きですが,第3番はほとんど聴く機会がありません。そこで,この演奏会を楽しみにしていました。この演奏会の指揮者はまたまたパーヴォ・ヤルヴィさん。私はここ半年で何度パーヴォ・ヤルヴィさんの指揮する演奏会に足を運んだことでしょうか。パーヴォ・ヤルヴィさんの指揮はいつも安心して聴くことができます。それにしても,本当にレパートリーの豊富な指揮者です。
 一般に,ブルックナーというのは歳をとった指揮者が演奏すると重みが増してそれが最大の魅力となります。反対に,若い指揮者が演奏しても,それがたとえ聴きごたえのあるものであっても,どういうわけかなにかひとつ青臭さが残るものです。しかし,若いパーヴォ・ヤルヴィさんにはそうした青臭さがありません。

 この日の交響曲第3番は第3稿ということでした。コンサートの内容は別に譲るとして,私はこの曲で思い出したことがあるので,今日はそれを書きます。
  ・・・・・・
 先に書いたように,この曲はほとんど聴いたことがないのですが,私が聴いたなかで覚えているのは2006年2月に行われたNHK交響楽団第1561回定期公演です。指揮者はヘルベルト・ブロムシュテットさんでした。このときの演奏はすばらしいものでしたが,惜しむらくは曲の最後に拍手のフライングがあったことです。
 第3番に限らず,ブルックナーの交響曲は曲の終了後の静寂こそがすべてなので,聴くときはいつも最後にそうならないようにと祈ります。その点でもパーヴォ・ヤルヴィさんの指揮さばきは客席をも同期させて,振り上げた腕を下ろさないのが明白にわかるので,よほどの鈍感な客でなければフライングの拍手は起きません。この日もまた,すばらしい静寂で曲が終わりました。
 さて,話を戻しまして…。
 今回第3番を聴いたのを機に,録音してあった第1561回を聴きなおしてみました。そして,あのときの第3番が第1稿だったことに驚きました。
 ブルックナーの交響曲は,何度も書き直されていて多くの稿があります。そこで,演奏に当たって,どの稿を使うのかということが問題となるのです。第3番の場合は第1稿から第3稿まで3つの稿があります。
 ブルックナーは交響曲第3番を1872年に着手し1873年に完成させました。これが第1稿です。しかし,計画された初演はリハーサルでオーケストラが「演奏不可能」と判断し見送られました。1876年ブルックナーはこの曲の大幅改訂を試み,1877年に完成しました。これが第2稿です。第2稿はブルックナー自身がウィーン・フィルを指揮して初演されました。しかし,演奏会終了時にほとんど客が残っていなかったという逸話を残すほどの失敗でした。1888年再度この曲は大幅改訂され,1889年に第3稿が完成し,1890年にハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルによって初演され,成功を収めました。
 
 この日聴いた第3稿と第1稿は別の交響曲かと思うほどの違いがあります。第1稿は第3稿に比べて25%も小節が多く,また,洗練されていません。粗削りです。聴いたことのないような旋律が一杯出てきます。しかし,その味わいはまた格別です。ブルックナーの交響曲はスケルツォが格別おもしろいのですが,第1稿と第3稿のスケルツォを聴き比べるだけでもその違いがよくわかります。
 私にはその出来を比較したり批評するような能力は持ち合わせていませんが,こうして違った味わいの稿を聴き比べるのもまた,楽しいものです。いずれにしても,今回,生の演奏会でブルックナーを聴くことができたのは本当に幸せなことでした。そしてまた,この機会に第1稿を思い出すことができたのもまた,別の意味で幸せなことでした。

IMG_3108IMG_3106IMG_3110IMG_3118 クリムト展のあとは,第1913回N響定期公演に行きました。この日の指揮者はパーヴォ・ヤルヴィさんのお父さんネーメ・ヤルヴィさんで,曲目はシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」,トゥビンの交響曲第5番,そして,ブラームスの交響曲第4番でした。もともと交響曲2曲のプログラムだったものを時間が短いということでシベリウスが追加されたようです。
 私の大好きなブラームスですが,なぜかこの日の演奏は管楽器と弦楽器のバランスが悪くて管楽器,とくにホルンがうるさくて今ひとつだと私は思ったのですが,それは実際そうだったのか,私の座席の問題だったのか,私の精神状態のせいだったのか,よくわかりません。
 ということだったので,私がはじめて聴いたトゥビンの交響曲についてだけ書きます。
 
 エドゥアルド・トゥビン(Eduard Tubin)は1900年代の後半に生きたエストニアの作曲家であり指揮者,1944年にエストニアが旧ソビエト連邦に占領されるとスウェーデンに亡命し,亡くなるまでストックホルムで活動を続けました。指揮者としてはフィラデルフィア管弦楽団やイギリス室内管弦楽団とも共演していて,今回の演奏会の指揮者であるネーメ・ヤルヴィさんも同僚で,ネーメ・ヤルヴィさんの指揮したトゥビンの交響曲全集があるということなので,いわば十八番なのでしょう。
 トゥビンは第2番「伝説的」,第4番「叙情的交響曲」(Sinfonia lirica),第9番「単純な交響曲」(Sinfonia semplice)など完成した10曲の交響曲と断片に終わった第11番のほか,出世作のバレエ音楽「クラット(悪鬼)」,「弦楽合奏のための音楽」,ふたつのヴァイオリン協奏曲,バラライカ協奏曲,コントラバス協奏曲,ふたつのオペラなど幅広いジャンルで作品を残したそうです。

 私は事前に聴くこともなく,会場ではじめて今回の交響曲に接しましたが,シベリウスのような素朴性よりも,ショスタコビッチのような戦闘性のほうが強い音楽に思えました。
 帰ってから調べてみると, トゥビンは初期作品においてはエストニアの民俗音楽に影響されていましたが,旧ソビエト連邦によって母国が奪われ亡命生活に入ってからは国民楽派的でなくなり国際的で怒りに満ちた作曲様式に切り替わったということなので,そうした苦しみからの喘ぎのような音楽であるのもうなずけました。
 それにしても,大国旧ソビエト連邦が多くの人々に与えた苦難というのはどうしようもなく救いもありません。そうした苦悩から多くの芸術が生まれたのもまた,歴史の皮肉です。

 シベリウスがフィンランドの誇りであるように,トゥビンはエストニアの誇りであるようです。ただ,エストニアという国自体,パーヴォ・ヤルヴィさんのおかげで日本でもやっとなじみができてきたばかりで,それまではどこにあるかということさえ多くの人が知らない国だったし,トゥビン自身,生涯を通じて創作活動の大半はスウェーデンで行われていたこともあって,これまではほとんど注目されていない作曲家でした。
 今回演奏された3楽章から成る交響曲第5番は1946年の作曲というから,第二次世界大戦終了直後の作品です。当時エストニアは旧ソビエト連邦に併合され国家として滅亡していました。それをスウェーデンという異国の地でどんな思いでみつめていたのかということを,第1楽章のエストニア民謡からとられた旋律が象徴しているのだそうです。やがて,作曲家の心の内を吐露するような怨み節とも涙節ともとれる望郷の想いを奏でる第2楽章に続き,ソ連軍の侵攻を思わせる行進曲風の第3楽章で,ティンパニの大連打がソロとなり最後の輝かしい讃歌が果てのない悲しい絶叫のようにこだまします。
 作曲家の自国への思いと矜持が聴く人の心を打つ悲しい交響曲でした。

矢代秋雄河村尚子

 2019年4月19日,第1910回のN響定期公演を聴きにいきました。今回の演奏会の楽しみはピアニストの河村尚子さんでした。私が今聴きたいソリストは,ピアノの河村尚子さんとヴァイオリンの五嶋みどりさんなので,今回のコンサートは楽しみでした。2017年,会場で聴く機会はなかったのですが,河村尚子さんがサン・サンサーンスの第2番協奏曲をN響定期公演で演奏したのをテレビで見て大いに感動したことがあります。
 曲目は矢代秋雄さんのピアノ協奏曲でした。1967年に作られたというから,今からわずか50年ほど前の曲です。
 ・・・・・・
 第1楽章は自由なソナタ形式。冒頭のピアノソロによって提示される変拍子を含んだ第1主題とフルートによって奏でられる息の長い第2主題。所々にリストが愛用したというコロラトゥーラ風のカデンツァが挿入される。
 第2楽章は楽章を通してC音がオスティナートとして奏でられ,作曲者自身によれば「幼いころ見た夢の記憶」という。
 第3楽章は自由なロンド形式で,第1楽章の回想をはさみながら目まぐるしく楽想が展開される。
 全曲を通してピアノパートには高度な名人芸が要求される。
  ・・・・・・
 というもので,河村尚子さんの魅力を味わうにはぴったりの曲でした。

 この日の曲目は,前半が平尾貴四男という作曲家の交響詩曲「砧(きぬた)」(「砧」は能の演目で4月28日にEテレで放送されます)とこのピアノ協奏曲,そして,後半がシェーンベルグの交響詩「ペレアスとメリザンド」でした。しかし,このプログラムではチケットは売れません。私は,河村尚子さんが出なかったら行く気にもならなかったというのが正直なところです。一応,定期会員が一定数いるからなんとか形になるのですが,会場は空席が目立ちました。どうも,このごろのN響定期の選曲はチケットが売れようが売れまいがそんなことは眼中にないかのようです。それはそれで評価できるのですが……。

 前半の日本人作曲家の2曲は私にはかなりおもしろく,聴きにきてよかったと思いましたが,シェーンベルグはいけません。私には何が何だがわかりませんでした。R・シュトラウスさえそのよさがわからないのだから,私には無理です。そもそも交響詩という分野が苦手です。ドラマのバックミュージックのようなものなので,ドラマがわからなければどうにもなりません。
 それにしてもプロというのは大変だとつくづく思いました。どんな曲であっても自分が好きでない曲であっても弾かなければなりません。それに,普段めったにやらない曲というのは練習も大変でしょう。

 ということで,これ以上書くこともないので話をそらしまして……。
 N響の指揮者がパーヴォ・ヤルヴィさんやブロムシュテットさんなので,積極的にエストニアやフィンランド,ノルウェー,デンマークなどの作曲家の曲が取り上げられます。そして,はじめて聴くようなそうした作曲家の曲に接するとおもしろく,さまざまな発見があります。
 であれば,日本人指揮者のときは,今回の前半の2曲だけでなく,もっと日本人作曲家の曲が取り上げられてもいいように思います。芥川也寸志,黛敏郎,諸井誠,林光,池辺晋一朗……,といった作曲家に交響曲があるとは知っていても,聴いたことすらないのだから,それがどんなものか判断のしようがありません。
 今回も,シェーンベルグではなく,後半も日本人作曲家の曲,特に交響曲でも演奏されたのなら,私にとってこんな苦痛な時間にならなかったように思いました。

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 ハイドンは交響曲を108曲残したそうです。私はそのほとんどの交響曲を聴いてみました。とはいえ,真剣に聞いたわけではなく,だら~と流してときには他ごとをしながら聴いただけです。ということをしていると,ときどき,目に留まる,というような表現がありますが,まさしく耳に留まるものがあるのです。あとから調べると,そうしたもののすべては,やはり有名な曲でした。バッハのマタイ受難曲も同様でした。
 このように,この時代の曲は,おおよそ小気味いいので,どの曲も聴きやすいのですが,そのほとんどは空気のように抜けて行ってしまいます。しかし,ときどき気になるものがあるわけで,そうしたものが後世に残っていくのです。

 それに比べて,もっと後の時代の交響曲は難解です。私は,専門家でもなく,特に詳しいわけでもなく,いわゆる「観る将」といわれるコマの動き方も知らないのに将棋を見るようなものと同じ感じでクラシック音楽と接しているので,そうした人がもつ感想としてお読みいただきたいのですが,あまり聞く機会のないものにはじめて接したとき,そのほとんどは,なんじゃこりゃ,という気持ちになります。そこで聴くのをやめてしまうとそれだけのことですが,ひょっとしたら,そうした曲のなかにはすごいお宝が眠っていないとも限りません。そう思って,何度も聴きこむと,次第に心にしみるメロディとか流れがあることに気づくのです。知らなかった曲をはじめて聴くときの楽しみは,そこにあるといっても過言ではありません。
 昔はじめてブルックナーやマーラーの交響曲を聴いたときも同じようなものでした。しかし,ブルックナーやマーラーほどに,聴ききこむにつれてどんどんとそのおもしろさと魅力が深まっていくようなそんな曲というのにはなかなか出会えないものです。
 はたして,ハンス・ロットはどうでしょうか?

 まず,この交響曲について聴いたまま書いておきます。
 第1楽章は,冒頭木管と弦の静かな和音の上でトランペットが厳かに第1主題を演奏し,この主題が盛り上がり頂点となったあと,ティンパニの静かなトレモロの上で木管に揺れ動くようなゆったりした第2主題が現れます。ブルックナーの交響曲第3番のよう,という評論があります。聴きこんでみると,第一主題が極めて印象深く耳に残り,なかなかいい曲です。
 第2楽章は木管と弦楽器の和音ではじまり弦楽器が暖かみのある主題を奏します。金管のコラール風の楽句を挟みながら弦楽を主体に音楽は進み,ゆったりと静かに終わります。こうした緩徐楽章は,心にしみる旋律があるかどうかで決まりますが,この曲では,最後の部分の金管のコラールが聴きどころです。しかし,おそらく管楽器演奏者には難しいところでしょう。バランスが悪いとめちゃくちゃになってしまい,勝負どころで台なしになりそうです。N響はそこをうまく切り抜けました。
 第3楽章はホルンの五度音形に続いてトライアングルが鳴り低弦が動き回ります。マーラーの交響曲第1番を彷彿とさせる音楽ですが,実はマーラーの方がこの曲から影響を受けたのです。最後は凄まじい盛り上がりの頂点で曲は唐突に終わります。こうしたスケルツォは第2楽章との対比がうまくいけば極めて爽快です。で,うまくいきました。
 第4楽章は低弦のピッツィカートと木管で静かにはじまります。第3楽章の主題が流れた後で悲しげな旋律がマーラーの「復活」のように(マーラーのほうが真似たのですが)次第に厚みを増したあとで,やっとこの楽章の主題が出てきます。まるでベートーヴェンの第9交響曲のようです。そしてまた,主題はブラームスの交響曲第1番の第4楽章主部の主題に酷似しているといわれます。やがて,第1楽章の第1主題の後半に流れ込み,最後の頂点を形成し,主題を何度も繰り返しながら鮮やかで感動的な終結となっていきます。長い楽章ですが,この楽章も管楽器が勝負です。聴きごたえがありました。

 すべての面で,私が「予習」で聴いたものよりN響の演奏はずっとよいものでした。ずいぶん感動しました。おそらく,指揮者パーヴォ・ヤルヴィさんの解釈が明確なのでしょう。
 この交響曲が,ハンス・ロットがもし長生きしていたら将来すばらしい曲を書いただろうという可能性を示しているだけものなのか,それとも,この交響曲自体に,偉大な価値を見つけることができるのか,今の私にはまだわかりません。いずれにしても,今の人が聴くと,ベートーヴェンとブルックナーとマーラーとブラームスのいいとこどりをしているように思えるこの曲ですが,当時ブラームスが酷評したことがなんとも皮肉に思えます。
 聴きこむと決して難解な曲ではないばかりか,むしろわかりやすい曲ですが,これまでほとんど演奏されていないのでこなれておらず,演奏自体にもまだまだ研究するところがあるように思いました。私自身は,これから何度でも聴いてみたい曲のひとつです。心にしみ,安らぎを覚え,そして,元気が湧く音楽です。

ロット

 ブラームスとブルックナー,この偉大な作曲家をともに好きだという人は少なくありません。ただし,多くの女性はブラームスは好きでもブルックナーは苦手だということを,私は最近知りました。しかし,どうも,生存中このふたりが不仲であったらしいのです。というより,それは,ブラームスとワグナーが対立していたことが原因で,ブルックナーがワグナーを尊敬していたために,このようなことになっていたそうです。
 こうした関係のとばっちりを受けたのが,ハンス・ロット(Hans Rott)という新進気鋭の作曲家でした。ハンス・ロットは,自分の作品を認めてもらおうとブラームスを頼ったのですが,ブルックナーの弟子であったために冷遇を受け,それがショックで25歳でこの世を去ってしまったのです。

 近ごろ,N響定期公演では,めったに聴くことができない作曲家の交響曲が数多く演奏されるので,とても勉強になります。最近では,アイヴズ,ベルワルド,ステンハンマル,ヴァインベルグ,トゥビンなど,名前すら知らなかった作曲家の作品があがっていました。グラズノフ,スクリャービンという名前はそれよりは有名ですが,私はほとんど聴いたことがありません。今年の9月からはじまる新年度の定期公演でも,プログラムにはマクティ,ルトワフスキといった名がありますが,私はまったく知りません。
 アイヴズ(Charles Edward Ives)はシベリウスやボーン・ウィリアムスと同年代のアメリカの作曲家,ベルワルド(Franz Adolf Berwald)はシューベルトと同年代のスウェーデンの作曲家,ステンハンマル(Carl Wilhelm Eugen Stenhammar)はシベリウスやボーン・ウィリアムスと同年代のスウェーデンの作曲家,ヴァインベルグ(Mieczysław Wajnberg)はブリテンと同年代のポーランドの作曲家,そして,トゥビン(Eduard Tubin)はショスタコービッチと同年代のエストニアの作曲家,また,マクティ(Cindy McTee)はアメリカの女性作曲家で指揮者レナード・スラットキン(Leonard Slatkin)の奥さん,ルトワフスキ(Witold Lutosławski)はポーランドを代表する作曲家だそうです。
 私の手元に音楽之友社が発行した「交響曲読本」という本があります。1995年発行なので,さすがに今は手に入りません。この貴重な本で,私は,こうした知らない曲の情報を得ることができますが,これに類する本は今はありません。
 インターネットで情報が入るようになって以来,残念ながら,音楽に限らずこのような骨のある本がなくなってしまいました。その代わり,このごろは YouTube のおかげで,以前ならCDでさえ入手困難な曲でも聴くことができるようになりました。はじめて聴く曲にいきなり会場で接しても,それを味わうのはかなりむずかしく,数回は「予習」をしていかないと無為な時間を過ごすことになってしまいます。その点,今ではインターネットで探すと音源が見つかるので便利です。

 さて,2019年2月9日の第1906回NHK交響楽団定期公演でハンス・ロットの交響曲が取り上げられたので,私は興味をもって事前に何度も聴いてから足を運びました。
 たとえば,ベートーヴェンが交響曲を第1番しか世に残さなかったとしたら,ハイドンが交響曲を第1番しかこの世に残さなかったとしたら,さらに,モーツアルトが,ブルックナーが,マーラーが,…,と考えるとどうでしょう? 私は,マーラーはそれでも交響曲第1番は評価されるでしょうが,ブルックナーは交響曲第1番の存在は忘れ去られていただろうと思います。また,ベートーヴェンやハイドンは,交響曲以外の多くの作品が残されていれば,そこから派生して,たった1曲の交響曲でも大切にされていたと思います。
 今回聞いたハンス・ロットは早くして死んでしまったので,残った交響曲は今回聴いた1曲です。しかも,ブラームスに酷評され葬り去られたので近年になって約100年ぶりに初演さたものです。ハンス・ロットは,もし長生きしていたらさぞすばらしい交響曲を書いただろうといわれます。私は,今回はじめてこの作品を聴いてみて,ハンス・ロットは,ベートーヴェンとブラームスの影響を受け,ブルックナーに類似し,マーラーに多大な影響を与えたように感じました。であれば,この作曲家がもし長生きしていたら,偉大な人類の財産になるであろう交響曲を数多く生み出していたかもしれないのです。その意味で,ブラームスは罪作りだと思います。ブラームスは自分の作曲した偉大な4曲の交響曲を世に残した代わりに,もっと偉大なもの作り出す可能性のあった若者を酷評し,世の中から葬ってしまったことになるわけですから。
 この日は雪が降ってとても寒かったこともあり,曲目もマイナーなものだったので一般受けせず,やたらと空席が目立ちました。しかし,私は心から聴きにきてよかったと思ったことでした。

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 11月9日,N響第1897回定期公演を聴いてきました。おそらくこのコンサートだけなら聴きに行かなかったと思うのですが,私は,今回9月から11月まで3回の定期会員になったので出かけたのです。
 この日のコンサートは,指揮者がジャナンドレア・ノセダさんで,曲目はラヴェルのピアノ協奏曲とプロコフィエフのバレエ組曲「ロメオとジュリエット」(抜粋)でした。ジャナンドレア・ノセダさんはよい指揮者ですが,私には想い入れはありません。
 私はプロコフィエフはよく聴きますが,「ロミオオとジュリエット」は好みでありません。どうも私は,こうした物語的な作品には興味がなく,この曲に限らず,バレイ音楽やR・シュトラウスもドビッシーの交響詩もだめです。

 今回のプログラムで楽しみだったのは,ラベルを弾くアリス・紗良・オットさんのほうでした。
 アリス・紗良・オット(Alice Sara Ott )さんは1988年に ドイツ・ミュンヘン生まれで,父親がドイツ人,母親が日本人という女性ピアニストです。
 後で家に帰ってから調べてみると,彼女は以下のルールをもっているのだそうです。それは,
 ・本番前はルービックキューブ。
 ・ステージの上では裸足。
 ・家でクラシックは聴かない。
 ・買い物はインターネットで。
 ・ウイスキーはストレート。
 ・待ち時間は極力作らない。
 ・練習するより経験する。
 なかなかおもしろい人です。私の席は遠いので見られないかったけれど,ステージ上では裸足ということなので,今度Eテレで放送されるときはしっかりと見なければ,と思いました。

 私は,ラベルやリスト,プロコフィエフなどロマン派の作曲家のピアノ協奏曲は嫌いでなく,というより,好きなのですが,好きとは言ってもなかなか曲と題名が一致しないといういい加減な愛好者です。それでもライブで聴いた回数は決して少なくありません。
 しかし,この日は,ラベルの演奏にも増して,プログラムの後で演奏されたアンコールの2曲がとりわけすばらしいものでした。その2曲というのは,サティのグノシエンヌ第1番とショパンのワルツイ短調でした。聞くところによると,翌日の演奏会でのアンコールはサティのジムノペティ第1番だったそうなので,この日に2曲聴くことができたのは幸運でした。
 どうやら,このピアニストはサティのような曲がお気に入りのようでした。しかもとてもすてきで,心に染みて,私はこれを聴くことができただけでも満足でした。

 この日の演奏会は予想に反して結構混んでいました。私の席のまわりには高校生がたくさんいて,ちゃんと聴くのかなあ,と不安がよぎりましたが,そんな予想に反して,とても行儀のよい生徒さんたちでした。考えてみれは,この日の曲目はみな「のだめカンタービレ」で流れた曲です。その影響もあったのでしょうか?
 私は,昔とは違って,コンサートをストイックに聴くことは卒業して,今は,後ろのほうの席で気兼ねなく楽しむことをよしとするようになりました。美術展も混雑したところに出かけてまで,そして入場を並んでまでして見ようとは思わなくなってしまいました。それは,せっかく俗社会のわずらわしさから離れる楽しみを。そうした俗的なことで奪われたくないからです。
 その点,この,決して音はよくないけれど,駄々広いNHKホールの2階席でのんびりとコンサートを味わうのは,私には殊のほか楽しい時間になるのです。

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 N響定期公演第1895回を聴きにいきました。本当は第1894回のブルックナーを聴きたかったのですが,ニュージーランドへ旅行中だったので断念しました。
 第1895回のプログラムはハイドンの交響曲第104番「ロンドン」とマーラーの交響曲第1番「巨人」,指揮者は91歳になられたマエストロ・ブロムショテットでした。前回私が聴きにいった第1892回と違って,2階席も空席がひとつもなく満員でした。

 マーラーの交響曲のうちで私の好きなのは第4番と第9番ですが,このふたつの交響曲はナマで聴くにはストレスが溜まります。
 第4番は,曲が終了した後の静寂がすべてなので,観客のひとりでもフライングで拍手をしてしまうと曲が台なしになってしまいます。そこで,聴いているほうが最後まで不安でいっぱいになるのです。録音した音源ならそういうことがないので,逆に十分に楽しめるのですが…。
 先日行われた第1891回の定期公演でこの曲が演奏されました。私はそれをFM放送とBS放送で聴きました。指揮者はパーヴォ・ヤルヴィさんで,この指揮者はそういったことをすべて計算していて,第4楽章でだけで歌う歌手が楽章間でステージに出てきて拍手が起きないように,第4楽章がはじまったあとでステージに出てくるという私の好きな演出,そしてまた,曲の最後には何ともいえない長い沈黙と,フライングの拍手もなく,最高の演奏になりました。

 第9番は,最終章に延々とアダージョが続きます。そこで,この楽章に緊張感がなくなると,聴くほうは耐えられないものになります。
 かつて,小澤征爾さんがボストン交響楽団との最後の演奏でこの曲を選んだのですが,気の毒なことに,この楽章で観客のひとりがセキがとまらず,この雑音がどうにもこうにもこの曲の緊張感を台なしにしてしまいました。
 私は,少し前,この曲をマエストロ・ブロムショテットで聴きました。ことのきは,最後の最後まで緊張感のただよう素晴らしい演奏で,私はその瞬間に出会うことができたのが,未だに忘れられない思い出です。

 今回の第1番はそうした曲に比べればストレスが溜まる曲ではありません。この曲は,最終章の勝利の凱旋がすべてで,ここでの高揚感があれば,曲はまとまります。しかし,並みの演奏になってしまうと,単なる安っぽいお祭り音楽になってしまうのです。
 私はこの曲が特に好きなわけでもなく,選んで聴くこともないのですが,これまでN響定期でずいぶんとナマで聴く機会がありました。それは,マーラーの交響曲のなかでは短く,また,人気があるので,よく選ばれるからでしょう。演奏に金がかからない,ということもあるのではないかと私は思います。
 かつて,スベトラーノフというすばらしい指揮者がこの曲を演奏しようとプログラムで選んだのに,残念ながら公演前に亡くなってしまい,別の指揮者(あえて名前は挙げません)によって演奏されたことがありました。私はそれを聴いたのですが,何の感動もありませんでした。
 指揮者がだれであろうと,N響の演奏のレベルが変わるわけではなのですが,演奏会本番での指揮者の存在というのは,演奏というよりも,ステージと客席に不思議な緊張感を醸し出すためにあるのでしょう。簡単にいえば,そういう緊張感が起きる指揮者を「カリスマ」というのでしょう。
 私は,そうした緊張感を味わうために,今回の演奏会に出かけたように思います。だからこそのマエストロ・ブロムシュテットなのでした。

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 今回の定期公演では「クレルヴォ」以外にも,シベリウスの書いた興味深い作品が取り上げられました。
 そのひとつは「レンミンケイネンの歌」です。シベリウスの初期の作品を代表する交響詩「4つの伝説」と同じ年に発表されたもので,この作品もまた「カレワラ」を題材とします。「カレワラ」に登場する英雄レンミンケイネンを題材とするレンミンケイネン賛歌です。とても小気味のよい音楽で,この演奏会のはじめを飾るにはもってこいの曲でした。オールシベリウスプログラムとはいえ,「フィンランディア」以外にはなじみのない曲ばかりだったので心配したのですが,この曲を聴いてその心配も吹き飛びました。
 その次は「サンデルス」です。これは即興曲で,作曲コンクールの応募作です。テクストはフィンランド戦争におけるスウェーデンの名将ヨハン・サンデルスの活躍を描いたヨハン・ルートヴィグ・ルネベルィの名作「旗手ストールの物語」ということです。地味な曲でしたが,この次の「フィンランディア」への橋渡しとして適切な曲でした。
 そして,有名な交響詩「フィンランディア」。1900年に初演されたこの作品は,舞台劇「歴史的情景」の最後を飾る「フィンランドは目覚める」の付随音楽を原曲としています。19世紀フィンランドの苦難に満ちた時代を壮大な活人画で描いた「フィンランドは目覚める」は「ロシア帝国の理不尽な圧政に対抗するフィンランド,その輝かしい未来」を主要なコンセプトとしていて,フィンランドの独立のその力となりました。「フィンランディア」はよく演奏されますが,男性合唱がついているのはめずらしいものです。詩は後で作られたもので,シベリウス自身が編曲して詩を入れたということです。
 抑圧されていたフィンランドという国の人たちを奮い立たせたというこの曲を聴くと,泣けてきます。
 これらの曲のあとで「クレルヴォ」が演奏されました。
 いい演奏会でした。そして,私はますますフィンランドという国,そして,シベリウスが大好きになりました。

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 Harvest Moon 2018 

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 私が前回N響定期公を聴いたのは2016年のシーズン2017年5月13日の第1860回だから,かれこれ1年以上も前のことになります。
 時は流れ,早くも2018年の新シーズンがはじまりました。9月のCプログラム・第1892回は私の大好きなオールシベリウスプログラム。であれば,聴きにいかねば,ということで足を運びました。
 定期会員のころはS席で聴いていたのですが,その後,いろいろな席で試した結果,2階席の最後尾で聴くのが最もストレスがないということがわかったので,最近聴きにいくときはそこが定席です。今回は金曜日ということもあり,私の座ったあたりは空席が多く,よりゆったりと楽しめました。ステージもフルに見渡すことができました。音も1階席のように上に抜けて行ってしまうこともなく,決して悪くありません。

 オールシベリウスプログラムのメインはN響初演の「クレルヴォ」でした。この「クレルヴォ」というのはN響どころか,日本ではあまりなじみのない曲です。
 シベリウスのふるさとフィンランドは,私も1年前まではシベリウスの生まれた国という印象しかなかったのですが,この2月にフィンランドに行って以来興味をもち,親しみがわいてきました。そして大好きになりました。
 この国の歴史を調べていくうちに,つねに隣国の脅威にさらされたその境遇や国民の矜持が日本と似ているところがあって,さらに,親しみが増しました。フィンランドでは,シベリウスは国民の誇りなのです。

 日本に「古事記」があるように,フィンランドには民族叙事詩「カレワラ」(Kalevala) があります。
 フィンランドに独特の伝説や伝承が多数存在することは17世紀ころから知られていましたが,1809年,フィンランドがロシア帝国に編入されたことを契機に民族意識が高まり,民族に特有の伝承が固有の文化として認識されるようになりました。
 19世紀,医師であったエリアス・リョンロート(Elias Lönnrot)によって,民間説話からまとめられた「カレワラ」は,フィンランド語の文学のうち最も重要なもののひとつで,1917年,フィンランドをロシア帝国から独立に導くのに多大な刺激を与えたとされています。「カレワラ」というのは「英雄の地」の意味です。
 リョンロートははじめ,「カレワラ」を2巻32章からなる叙事詩として出版,その後増補し,最終版では50章となりました。
 1891年,シベリウスは愛国的な題材による大規模な管弦楽曲を作曲をしようと思い立ちました。そして,この「カレワラ」に基づく管弦楽曲の作曲に取り掛かり,これが「クレルヴォ」となりました。「クレルヴォ」の物語は「カレワラ」の第31章から第36章に当たるものです。

 シベリウスは7曲の交響曲を作曲しました。なかでも有名なのは第2番です。このいかにも北欧らしい交響曲は,特に日本人には感性が合うらしく,人気があります。私ももちろん第2番が好きですが,あまり演奏される機会のない第6番,第7番といったより暗い曲も大好きです。
 今回演奏された「クレルヴォ」はシベリウスの7曲の金字塔に先立つ,いわば第0番とでもいうべき交響曲です。ベートーヴェンの第9交響曲よりも長く,しかも,もちろんはじめて聴く曲なので,私はしっかり予習をしていきました。今回は,指揮者パーヴォ・ヤルヴィさんの故郷エストニアの独立100周年ということもあり,エストニアから国立男性合唱団が来日,さらに,フィンランドからふたりの独唱者を招き,特別な演奏会となりました。客席にも,フィンランドやエストニアの人たちが大勢聴きにきていました。

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 常任だった音楽監督が,任期が終わったあとで数年に1度客演をするように,私はN響の定期会員をやめてからは気の向いたときに定期公演に足を運んでいます。
 今回行ったのは5月13日の第1860回定期公演でした。翌日,早朝から大相撲を見にいくことにしていたので前日東京に宿泊することになったのですが,ちょうどこの日にN響の定期があったので,チケットを購入したのです。

 定期会員のころはS席で聴いていましたが,このごろは2階のC席と決めています。この席,ゆったりと聴くには実によい席です。
 余談ですが,2階の上から4列がC席でその前の4列がB席という区分になっていて,B席の最上段が空いていることが多いのです。となると,C席の最前例は非常に見やすい席ということにもなります。
 この日は,私の隣に大学に入って間もないような若者が二人座っていました。漏れ聞こえてくる話では,はじめてN響の定期公演に来たようで,おそらく彼らは大学に入って東京住まいを始めたばかりなのでしょう。こうしてクラシックの定期公演を聴こうとする若者もよいものです。私も昔のことを思い出しました。

 この日の曲目はチェコの作曲家フリードリヒ・スメタナ(Friedrich Smetana) の交響詩「わが祖国」(Má Vlast) 全曲でした。
 このコンサートの前日5月12日がスメタナの命日で,チェコではこの日から「プラハの春音楽祭」が「わが祖国」の演奏会ではじまります。
 交響詩というものの多くは有名なフレーズをもっています。R・シュトラウス(リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス=Richard Georg Strauss)の「ツァラトゥストラはこう語った」(Also sprach Zarathustra)などがよい例です。
 「わが祖国」の場合はフレーズというよりも曲,つまり2曲目の「モルダウ」(The Moldau)があまりに有名です。私は当然「モルダウ」も好きですが,1曲目の「ヴィシェフラド」(Vyšehrad)の冒頭が大好きで,これを聴くだけで十分に満ち足ります。

 それにしても,ですね,私が偉大なスメタナさんにアドバイスすることではありませんが,せっかくこの琴線に触れるメロディで始まる曲なのだから,曲の最後で,再び冒頭のこのメロディに戻ってくれないのかなあ,と曲を聴くたびに思います。はじめのモチーフらしき旋律は現れるのですが,もっと劇的にそして,最後はハープで静かに終わればいいのにと…,そこが私にはいつもこの曲を聴いたときに物足りなく感じます。
 このことはR・シュトラウスの交響詩の多くにもいえることなのですが,冒頭の印象深いメロディがせっかく心にしみるのに,曲が進むにつれて段々とぐっちゃぐちゃになっていって眠くなっていき,最後はよくわからないまま精神が高揚しないで終わってしまうのです。こんなのことを思うのは私だけでしょうか?
 「英雄の生涯」だけは別ですが…。
 スメタナは,R・シュトラウスとは違って,ドボルザークのようなメロディメーカーなので,特にそう思います。

 「わが祖国」について,スメタナは当初「ヴィシェフラド」「ヴルタヴァ」「ジープ」「リパニ」「ビーラー・ホラ」といった「チェコの歴史と伝説」を題材とた交響詩「祖国」を作曲する構想を持っていましたが,創作の過程で「ジープ」と「ビーラー・ホラ」を断念し,代わりに女戦士の伝説「シャルカ」と風景描写「ボヘミアの牧場と森から」が取り込まれ,さらに「リパニ」が2曲構成に変更され最後に「ブラニーク」の伝説を置くことで,建国の伝説から未来の「勝利」へと至る連作への方向性を明確にしました。
 こうして「わが祖国」は「ヴィシェフラド」からはじまって「モルダウ」「シャルカ」「ボヘミアの牧場と森から」「ターボル」「ブラニーク」の6曲編成となりましたが,この日のコンサートでは3曲目の「シャルカ」が終わったところで休憩がありました。

 1曲目の「ヴィシェフラド」はプラハ近郊の王城のことです。冒頭2台のハープが荘重な主題を奏でると管弦楽がそれを引き継ぎ展開していきます。この流れが最高で,この曲はここを聞いただけで満ち足ります。
 2曲目の「モルダウ」はボヘミア地方を代表する河川です。フルートが第1の源泉をクラリネットが第2の源泉を表していて,合流して川となってヴァイオリンが有名な旋律を奏でます。最後は大河が彼方へと消えていくように曲は閉じられます。
 3曲目の「シャルカ」とは伝説上の女戦士のことです。シャルカの角笛で女戦士たちが集まり,男たちを虐殺していくのです。
 そして4曲目の「ボヘミアの牧場と森から」ではボヘミアの牧場を描いています。
 5曲目の「ターボル」はフス戦争でハプスブルク勢力と激しい戦闘を繰り広げたチェコの反乱軍「ターボル派」を描いた音楽で,兵士たちが歌ったとされる賛歌「汝ら神の戦士たち」の旋律が全体にわたって流れます。
 最後の6曲目「ブラニーク」はボヘミア地方に実在する山で,そこには騎士たちが眠っていて,チェコ民族が四方から攻撃を受けるとき聖ヴァーツラフに率いられて立ち上がるという伝説に基づきます。5曲目の「ターボル」がチェコ民族の辿たどった過酷な運命を描いた音楽とすれば,それと対をなすこの曲は民族の未来に対する作曲家自身の希望を歌ったものなのです。

 プラハの春音楽祭がはじまるこの時期,東京でもちょうどチェコ出身のアルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha)展が開催されています。そして,N響の定期公演では「わが祖国」が演奏され,東京の夜はこうしてプラハの春で更けてゆくのです。幸せな時間でした。

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