しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:NHK交響楽団

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 1年と何カ月かぶりに再開されたNHK交響楽団定期公演の10月の指揮者は,待ちに待った94歳の巨匠ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)さんでした。コロナ禍でもなければ,私は東京に聴きにいったのですが,さすがに今回はFM放送での鑑賞となってしまいました。
 はじめの演奏会は第1939回。静寂の中でブラームスのヴァイオリン協奏曲がはじまりました。奏でられる1音,1音がすばらしく,私は感動して聴き入っていました。次が第1940回。この演奏会ではドヴォルザークの交響曲第8番がすてきでした。そして最後が第1941回で,この演奏会ではベートーヴェンの交響曲第5番がとりあげられました。
 ヘルベルト・ブロムシュテットさんは,このところベートーヴェンの交響曲を順にとりあげているのでうが,今回の第5番ははじめてでした。第6番「田園」も,数年前に演奏したのがはじめての定期公演でのプログラムということだったし,これまで第3番「英雄」は2度取り上げたのにもかかわらず,第5番は残ったままなのが私には気になっていました。それが今回の第1941回の定期公演でかなったわけです。
 ブロムシュテットさんが満を持して指揮した第5番なので,どんな演奏になるのか興味がありましたが,私の印象は,一点の曇りもない爽やかな水が流れるような,これほどさわやかな第5番を聴いたことがない,ということでした。ほんとうにすばらしい時間でした。荘厳な高級車というよりも,白髪の紳士が若々しいスポーツカーに乗った様のような感じでした。いつまでも続くカーテンコール,Twitterで見て泣けました。
 来年もまた来日されるのをこころから期待しています。
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 長く続くコロナ禍で,私はコンサートに行く機会が減りました。また,東京までわざわざコンサートを聴きにいくこともめっきりなくなってしまいました。昨年と今年,私は2回コンサートに行っただけでしたが,精神的な問題も手伝ってか,どちらも満足のいくコンサートではありませんでした。
 コロナ禍がゆえによくなった点は,曲の最後にその余韻に浸る前に無礼に「ブラボー」と叫んでコンサートが台なしになってしまうことがおきなくなったことだけです。
 このところ,パーヴォ・ヤルヴィさんに続いてヘルベルト・ブロムシュテットさんと,海外からの指揮者がようやく日本にやってくるようになって,改めて,そうした指揮者によるコンサートがすばらしいものだということを知りました。私は,わざわざ海外から指揮者を招いてコンサートを行うことの意味がわかった気がします。そしてまた,これまでそうしたことが当たりまえのようだったことがとても貴重なものだったことに気づきました。

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 まさに奇跡的な話です。
 新型コロナウィルスの流行で当分海外旅行ができなくなってしまいましたが,私は,ここ数年,何かにとりつかれたように年に6回も7回も海外旅行に行きまくり,行きたいなあと思っていたところにはすべて行くことができました。おまけに,この2年ほどは日本にも目が向いて,一度は行ってみたいと思っていたところに行きました。
 海外に出かけた最も近いところは,2020年2月に出かけたハワイ・モロカイ島でしたが,モロカイ島もまた,ぜひ行ってみたかったところだっただけに,ぎりぎり間に合いました。国内では,余部鉄橋や親不知海岸でしたが,これもまた,今年の春,行くことができました。
 この先もいろいろなプランはあったのですが,それらは,ある意味,特に行きたかったところというより,無理やり行くところを探していたような感じもあるので,行けなくて残念というほどの思いはありません。
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 ということなのですが,オーストラリアやフィンランドなどのヨーロッパ諸国にもここ2年ほど何度も行って,しかも,なぜかそれまで何の関心もなかったエストニアにも行きました。私が行ったのはエストニアの首都タリンですが,ここはおとぎ話に出てくるような町でした。アメリカやヨーロッパのウィーンなどに比べると,少し貧しい雰囲気がありましたが,それもまた素朴で,日本の田舎にいるような安らぎを覚えました。
 私がよく聴きにいくNHK交響楽団の現在の首席指揮者はパーヴォ・ヤルヴィさんですが,パーヴォ・ヤルヴィさんの住んでいるのがエストニアであるということすら,恥ずかしながら認識していませんでした。どうしてパーヴォ・ヤルヴィさんがドイツ音楽や北欧の音楽,さらにロシアの音楽までも精通しているのか不思議でした。しかし,実際行ってみると,エストニアという国は,バルト海を渡ればシベリウスの住んでいたフィンランドだし,ロシアとは国境を接しているし,その地理的な位置がヨーロッパのすべての文化の交流点のような場所であるということがとてもよくわかりました。

 6月7日にNHK Eテレで,今年3月に行われたNHK交響楽団のヨーロッパ公演でのエストニアでの演奏会が放送されていました。私は,それを見て,とても懐かしくなりました。今も目をつぶるとエストニアのタリンの様子が浮かんでくるようです。
 NHK交響楽団がヨーロッパ公演を行っていた時期は,日本で新型コロナウィルスが問題となりはじめていたころだったのですが,まだ,ヨーロッパではほとんど他人事のような時期で,そのため,NHK交響楽団のメンバーの人たちが twitter で,ヨーロッパで写した多くの写真を発信しているのを見て,あらまあ,と思っていました。そして,メンバーが公演を終えて日本に帰国したときには,まだ浦島太郎状態,日本での深刻さがわかっていなかったようで,成功裡に終わった公演の余韻がたくさんアップロードされていました。
 であるのに,何ということでしょう。NHK交響楽団の演奏会は,このときの公演をもって,それ以降は,今もすべて中止となっています。ヨーロッパ公演がぎりぎり間に合ったことは幸いで,今ではそれは「奇跡の公演」とまでいわれているのです。

 こうしたさまざまなことがあったので,今,エストニアでのすばらしい演奏会をテレビで見ると,いろんなことを思い出します。ふつうに海外旅行をしふつうにコンサートに行くことがこれほど幸せなことだったのか,ということを,そんなふつうなことさえできなくなった今になって,強く感じます。
 1日も早く,再び,海外に出かけたり,コンサートを聴きにいったり,そんなあたりまえだったことが何の憂いもなくできる日がきますように。

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 「バイオリニストは弾いていない」の著者・鶴我裕子さんは元NHK交響楽団の第1バイオリン奏者です。これまでの著書に「バイオリニストは目が赤い」と「バイオリニストに花束を」があるので,これが第3弾です。
 出版されたときに書店で見つけて少し立ち読みしました。私はよほどのことがない限り紙媒体の本を買うのはやめた(置く場所がない)ので購入しませんでしたが,近頃図書館で見つけたので読んでみました。

 本のタイトルは,N響を退団して以来人前ではバイオリンを弾いていないということからつけられたものでしょう。N響を定年で退団したのちもエキストラでステージに上がり続けている人も多いのですが,こうしてきっぱりと辞めてしまうのはとてもスマートでかっこいいです。
 人生一度,仕事などできるだけはやく辞めて人生を楽しんでいる人は素敵です。

 この本はすでにこれまでに雑誌などに連載されたものを集めたもので,前半部分はカワイ音楽教育研究会刊行の機関誌「あんさんぶる」に連載された「オーケストラのあいうえお」を加筆訂正したものです。あ=あいさつ,い=いえじ(家路),う=うべ(宇部),え=エコロジーという具合に,頭文字で始まる物事にまつわるエッセーです。
 いえじ(家路)の文章では,N響のオーボエ奏者・池田昭子さんのことが書かれてありました。彼女はオーボエをイングリッシュホルンに持ち替えて日本では「家路」として有名なドボルザークの第9交響曲第2楽章を独奏します。私も幾度となくライブで聴きました。このときのプレッシャーは半端ないと思っていたのですが,彼女は全く緊張することもなく,いわば私を見て!見て!状態で,自分のパートが終わるころには,もう終わってしまうのね,とも感じるのだそうです。
 将棋の藤井聡太四段もそうですが,人が見ていると緊張するとかそういった人には務まらない,いい意味で「鈍感」でかつ「天然」でないと,こういう仕事は務まらないのでしょう。私にはうらやましい限りです。

 その次の話は東京芸大の東台寮で過ごした日々を綴った「東台寮フォーエバー」など自分の半生ですが,東京芸大在学中から活躍していたメゾソプラノ・伊原直子さんのエピソードなどがおかしく書かれていました。作家の瀬戸内寂聴さんもこういう話を書くのが上手ですが,雲の上の人たちの人間性というのはアジもイロもあります。これもまたうらやましい限りです。
 この本の最後にある現役のN響奏者との座談会が絶品です。鶴我さんは現役時代からこういう話をエッセイに書いていて,それを読むとコンサートに出かけたときにその興味がより深まるのですが,なかなかこういう話を語る人が他にいないのが残念です。雲の上の人たちの内輪ネタほど,この人たちも同じ人間なんだなあと身近に感じられる面白いものはないからです。

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「バイオリニストは肩が凝る」-音楽への造詣とユーモア
今さら「火花」について-私には何も書けない。

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